第168話 浅ましい女とは思われたくなくて
そうして俺は、エリカとリサにノワール達と合流するように言ってから、ガーネットとレイラのところへと向かった。
だが、そのテーブルにはガーネットの姿が見当たらず、レイラが心ここにあらずといった様子で頬杖を突いているだけだった。
「レイラ。ガーネットはどうしたんだ?」
「…………」
「大丈夫か?」
「……はっ! はい、何でもありません!」
ようやく俺の存在に気が付き、レイラは慌てて顔を上げた。
「ガーネットが見当たらないんだが、どこかに行ってるのか?」
「春の若葉亭の看板娘さんがいらっしゃったので、少し話をしてくると言っていました。ついさっき……だと思います。確か調理場の方だったような」
「分かった。ちょっと行ってくる」
レイラの様子がおかしかった原因は、容易に想像がつく。
崩落事故の現場でトラヴィスに助けられたからだ。
最初にレイラが正体と目的を打ち明けたとき、俺のことは異性の好みに合致しないと明言し、肉体的な屈強さが足りないと言っていた。
そして、最も理想に近い人物はアルフレッド国王であるとも。
これを考えると、恐らくトラヴィスはレイラが好む異性像にぴったりと合致している。
屈強で大柄な肉体。若手冒険者達に慕われる人徳。見ず知らずの他人を助けることを当然と考える人格。
陛下と比べてどちらがより好みに合っているか、というのはレイラ本人しか分かりえないが、客観的に見た限りではかなりいい線をいっている。
陛下は獅子のようで、トラヴィスは人に慣れた大型犬か狼犬を思わせる男だが、印象としてはかなり近いといえる。
しかも絶体絶命の窮地を劇的に救われたわけだから、心に強く印象付けられるのも当然だろう。
「(けどあいつ、女が苦手なんだよなぁ)」
調理場へと向かいながら、最大の問題点を思い浮かべて軽く肩を竦める。
もちろん女が嫌いなわけでもなければ、男が好きなわけでもない。
本人は『扱い方が分からない』『下手に触れてへし折れたらどうする』と主張しているが、立ち往生した老婆がいれば躊躇いなく背負って運ぶ男なので、正直かなり疑わしい。
かれこれ十五年来の付き合いになる俺ですら、トラヴィスが若い女を苦手とする――嫌悪しているわけではないにもかかわらず――原因はよく分かっていないのだ。
俺とトラヴィスが出会ったときには既にそうだったから、冒険者になる前の少年時代に原因があることは間違いないのだが。
「(もしもレイラが、本気であいつに近付こうとするなら……やっぱりその辺が問題になるよな。応援はしてやりたいと思うんだが……)」
そんなことを考えているうちに調理場まで到着する。
とりあえず覗き込んでみると、地上の本店で働いている顔馴染みの従業員がいたので、ガーネットとシルヴィアの居場所を聞いてみることにした。
「すみません。シルヴィアさんとうちのガーネットを見ませんでしたか?」
「ん? ああ、ルークさんか。お嬢達ならさっき裏口の方に行ったよ」
「ありがとうございます」
きっと俺が春の若葉亭の馴染みでなかったら、こんなことは教えてもらえなかっただろう。
教えられた裏口に向かっていって扉を開けようとしたところで、ガーネットとシルヴィアの会話が漏れ聞こえてきた。
「えっと……アルマさん、だっけ。妹さんの相談なんですよね」
その内容に思わず足を止め、扉も半開きのまま手を離す。
アルマ・アージェンティア――ガーネットが性別を偽るにあたって、それ以前の自分を『妹』だと偽装した結果として生まれた、架空の人物。
以前ガーネットは、妹が抱えている悩みであるという体裁で、シルヴィアとマリーダに恋愛相談を持ちかけていた。
二人はそれを『ガーネット本人の悩みを妹のことだと誤魔化している』と読んでおり、そして恐らく、彼女達の推測は正しいのだと思われる。
しかし俺は、そのときの相談を図らずも耳にしてしまった立場。
今ここで姿を現すことは絶対にできない。
にもかかわらず、立ち聞きを止めて引き返すという選択肢を取れなかった。
引き返すべきだと頭では分かっているのだが、どうしてもそうすることができなかったのだ。
「ああ。またどうしようもないことで悩んでるみたいだ」
「何か問題でも起こったとか?」
「いや……むしろ逆だな」
ガーネットは僅かに口ごもり、悩んだ末に続きを語り始める。
「恋敵になるかもしれねぇって思ってた奴が、あっさり別の男に惚れ込んじまったんだとさ」
「え? それっていいことじゃないんですか? 悩むことなんてあります?」
「そう思うだろ?」
誰かが壁に体重を預ける気配がする。
会話の流れからするとガーネットだろうか。
「けどよ。ホッとして嬉しいと思っちまったことに気付いた途端、自分がとんでもなく浅ましい奴に思えたらしい。難儀なもんだよな。他に相手がいれば気が気じゃなくて、いなくなったらいなくなったで気に病むんだから」
俺に伝わってくるのは声だけで、ガーネットがどんな顔をしているのかまではわからない。
だがそれだけでも、落ち込んでいるような雰囲気だけはハッキリと伝わってきた。
「私はマリーダみたいに自信満々なことはいえないけど、嬉しく思うのは普通だと思いますよ」
シルヴィアはガーネットの悩みの原因を真っ向から肯定した。
「失恋したのを陰で喜んだならともかく、その人はその人なりの恋を見つけられたんでしょう? だったら問題なんてありませんよ。良かったって思うのは当たり前です」
「でもなぁ……そんな風に考える女だって知られたら……」
「当たり前っていうのは、そう考えるのは普通のことだって意味ですよ?」
ざりっ、という二人分の靴音が聞こえる。
多分、シルヴィアがガーネットに詰め寄るように近付き、ガーネットが一歩退いたのだろう。
「もしもガーネットさんやアルマさんのことを好きな人がいたとして、ライバルが平和的に減ったとしたら、その人だってホッとするに決まってます。よっぽど自信があって、ライバルがどれだけいても自分が選ばれると思ってるなら話は別ですけどね」
「そ、そうなのか……?」
「当然ですっ」
ああ――シルヴィアの言うとおりだ。
俺は何も声に出さずに、心の底から同意した。
「ですから安心していいんですよ。ガーネットさんはそのままアタックすればいいんです!」
「……そっか。気にしなくていいのか……って! 違うっての! オレじゃなくて妹のことだからな! そこを間違えんじゃねぇよ!」
「あっ! しまった、そうでした!」
裏口の外がにわかに騒がしくなる。
そろそろ二人が内緒話を切り上げそうな予感がしたので、俺は音を立てずに食堂まで戻ることにしたのだった。




