第166話 突然の落盤事故
「支部長! 緊急事態です! 『魔王城領域』で崩落事故が発生しました!」
ナギがそう言い放つや否や、俺達の間に流れる空気が一気に緊迫した。
「崩落現場はどこ!? 被害状況は?」
「ノイマンのパーティが探索している地下遺跡です! 被害状況は現状不明、何人か瓦礫の下に生き埋めになっている可能性も……!」
簡潔なやり取りから、事態の深刻さが嫌というほど伝わってくる。
フローレンスはぎゅっと唇を引き結び、娘のリサの肩に手を置いて言い聞かせるように語りかけた。
「ごめんなさい。お母さん、行かなきゃいけないの。また約束守れなくなっちゃうけど……」
「いいよ、私のことは」
「……本当にごめんね、リサ」
リサの反応は露骨に投げやりで、ある種の諦観すら感じられるものだった。
母親が自分よりも職責を優先することに納得できてはいないが、我儘を言うべきではないと理解はしている……そんな雰囲気を漂わせている。
たった十歳程度の子供をこんな状況に置いていることに、何かしら思うところがある奴もいるかもしれないが、今はそれを気にかけていられる状況ではない。
「俺達も行くぞ。エリカとレイラはここに残ってくれ」
「いえ、私も同行させてください。ほんの嗜み程度ですが治癒系スキルを使えますので、何かの役に立てると思います」
「レイラ? ……分かった、お前がそれでいいなら」
事故の規模を考えれば人手が多いに越したことはないはずだ。
そして『魔王城領域』へ向かって走り出す直前に、リサと一緒に残ることになったエリカに振り返って、銀貨の詰まった小袋を投げ渡す。
「わわっ! 重っ!?」
「リサを頼む! シルヴィアのとこでケーキでも食べさせてやってくれ!」
「え、ちょ、財布ごとって……! 一体いくら入ってるんですかこれ! ……あー、行っちゃった……」
戸惑うエリカの声を背中越しに受けながら、俺達は『魔王城領域』の事故現場へと急行したのだった。
事故現場は『魔王城領域』のホロウボトム要塞を出て間もなくのところだった。
岩山の麓へ通じる正規ルートの坂道から少しばかり外れた急斜面。
それを下った先の平らな場所に大穴が開いている。
慎重に縁まで近付いてその大穴を覗き込んでみれば、岩山の内側に広がるドーム状の遺跡を見下ろすことができた。
「地下遺跡の天井が崩落したんだな……しかもかなりの規模で」
遺跡の中央には瓦礫の山が積み上がり、周囲では大勢の怪我人が応急手当を受けている。
それと並行して瓦礫を掘り返す作業が続けられ、今まさに新たな負傷者が助け出されたところだった。
「すぐに下りましょう。皆、着地はできる?」
「えっ?」
フローレンスが当たり前のようにそう言ったのを聞いて、レイラは呆気に取られたような反応をした。
悪いが、親切に説明をしている暇はない。
「俺はガーネットに頼るから大丈夫だ。サクラとナギは自力でいける。フローレンスはレイラを頼む」
「おう、任せとけ」
「分かったわ。急ぎましょう」
「え、えっ? ひゃああああっ!?」
フローレンスはレイラを抱え、何の躊躇もなく大穴へ飛び降りた。
俺とガーネットもその後に続き、サクラは【縮地】で、ナギは得意の高速移動で一瞬のうちに遺跡の床面まで移動する。
上ずった悲鳴を上げるレイラを抱えたまま、フローレンスは落ち着いてスキルを発動させ、空中で急減速して羽毛のようにふわりと降り立った。
そして俺はガーネットに半身を預けて落下しながら、自分達の体に【修復】の魔力を巡らせて、そのままガーネット任せの強行着陸を実行した。
墜落同然の落下の衝撃は、瞬間強化されたガーネットの肉体強度と、ダメージを受ける側から回復させる【修復】スキルの力技で相殺する。
緊急時でもなければやりたくない手段だが、今はまさしく緊急事態。
実行を躊躇う理由など一つもなかった。
「し、支部長!?」
俺達の強引な到着に、周囲の冒険者達が一斉に驚きの目を向ける。
「さっそくだけど状況を報告して! サクラさんとナギ君は救出活動に! レイラさんは手当の手伝いをお願い!」
フローレンスはすぐさま的確な指示を飛ばし、救助の陣頭指揮を現場の冒険者から引き継ぎ始めた。
「それとルークは……」
「任せろ。こういうときに使わなきゃ、いつ使うっていうんだ」
右目の周辺を覆うように手で掴み、即座にスキルを発動させて右の眼球を【分解】。
眼窩に生じる青い炎のような魔力の塊――仮に『叡智の右眼』と呼称しているモノを出現させる。
積み上がった瓦礫の山。大勢の負傷者。
それらの中から、最優先で【修復】すべきものを探し出すために。
「まずは二人……いや、三人……! ガーネット! まずは掘り起こすぞ!」
魔王戦争が終わって以来、初めて起動させた『右眼』越しに瓦礫の山を見ると、その下に何人かの冒険者が埋まっているのが分かった。
要救助者そのものが透けて見えたわけではない。
魔力的な気配というか、そういったものが視覚的に感じ取れたのだ。
とにかく瓦礫を【分解】し、ガーネットや他の冒険者達と協力して要救助者を助け出して、すぐさま最低限の【修復】を施してから急いで次の作業に取り掛かる。
生き埋めの冒険者を救助した次は、負傷者の治療だ。
まずは『右眼』で優先的に治すべき対象を判断し、放っておいたら危ない相手から【修復】を掛けていく。
見た目で大丈夫そうに思えても、体内に及んだダメージが少ないとは限らない。
どこにどんな形で【修復】を使えばより良い結果が得られるのか――その手がかりを『右眼』で探りながら、自分にとっての最善手を取り続ける。
そうして自前の魔力をほぼ使い切りそうになった辺りで、ようやく現場にも落ち着きが戻ってきた。
「ふぅ……一段落、できたか?」
「何とかな。後は専門の連中に任せても大丈夫だ。どうせ魔力も残ってねぇんだろ? それに……」
ガーネットは右側から俺の顔を覗き込み、至近距離から睨みつけるような眼差しを向けてきた。
「その『右眼』、あんまり長いこと使わない方がいいんじゃなかったか?」
「ああ、そうだな。よく分からない代物だから、なるべく慎重に扱わないと」
右手を眼前にかざして【修復】を発動させ、魔力の塊に変換していた眼球を元に戻す。
「皆も引き上げさせた方がいいか。サクラとナギはともかく、レイラは騎士でも冒険者でもないからな」
「む……まぁ、そりゃそうだ」
「レイラ! もう地上に戻――」
振り返ってレイラに呼びかけようとしたその瞬間、地下遺跡の天井に空いた大穴の縁が崩れ、分厚い石材の断片が落下する。
その真下では、レイラが一心不乱に負傷者を治療し続けていた。
「――――!」
声をだすことすら間に合わない。
レイラが異変に気付いたときにはもう、何をすることもできず――
「えっ――?」
「――ぬんっ!」
落盤がレイラの眼前で停止し、誰もいない方向へと弾き飛ばされる。
それを受け止め弾いたのは、ただ一つの豪腕。
鍛え抜かれた巨体に、よく慣らされた狼犬のような笑みを浮かべたその男を、俺はよく見知っていた。
「トラヴィス!」
「すまんな、ルーク! 少々遅れた! まだ手伝えることは残っているか!」
Aランク冒険者、黒剣山のトラヴィス。
俺の同期であり古馴染みでもあるその男は、分厚い石材を片腕で弾いたことを一仕事とも考えず、ごく自然な流れで事故対応の手伝いに加わろうとしていた。
誰かの命を助けたことを、殊更に強調しようとすらしていない。
当たり前のことを当たり前にこなしたとしか認識せず、感謝を求めるなど発想の欠片もない。
本当にトラヴィスらしい振る舞いだ。
「悪い、助かった」
「で、現場のことは誰に聞けばいい?」
「ここを取り仕切ってるのはフローレンスだ。確か向こうに……」
「よぅし! 遅刻した分は取り戻さんとな!」
トラヴィスは力強く腕まくりをすると、悠然とフローレンスの方へ歩いていってしまった。
「……しょうがない、礼は後でするか。レイラ、大丈夫だったか?」
念のため負傷の有無を確認してみたが、どういうわけか返事がない。
レイラは妙に惚けた顔で、呆然としたままトラヴィスのことを見やっていた。
どうしたことかと思いつつガーネットに目をやると、こちらはこちらで妙な表情を浮かべていた。
自然と浮かんでくる笑みをどうにか抑え込もうとしている……そんな雰囲気だ。
「ガーネット、レイラ。そろそろ地上に戻るぞ。エリカとリサを待たせっぱなしだからな」
「お、おう!」
「は、はい!」
俺が改めて声を掛けると、二人とも揃って普段の調子を取り戻し、慌てて帰り支度を始めたのだった。




