第164話 ホロウボトム支部/支店
――早朝、俺は余所行きの準備を整えてから、店の戸締まりをしっかりと確認して外に出た。
「よし、じゃあ出発するか」
同行者はガーネットとエリカ、そしてレイラの三人。
要するにノワールとアレクシアを除いた本店メンバーだ。
「ノワールさん達はもう現地にいるんですよね」
「支部のインフラ整備の手伝いだな。泊りがけの仕事だったけど、俺達が着く頃には終わってるんじゃないか?」
エリカとの会話の中に出てきたとおり、俺達がこれから向かう先は『日時計の森』の第五階層にある冒険者ギルドホロウボトム支部であり、ノワールとアレクシアは昨日から現地で仕事をこなしている。
ノワールは魔道具を作成可能な黒魔法使いであり、アレクシアは高度な技術を持つ機巧技師だ。
どちらもインフラ整備において引く手数多のスキル持ちである。
俺がたまに修復師としての仕事を引き受けるように、二人も商店の業務とは別の仕事をすることがあるのだ。
ちなみに、今回の仕事は新しい給排水設備を構築するというものなので、【修復】に特化した俺はあまり役に立てない案件だ。
「そういえば、今日はシルヴィアもあっちにいるんですよ。用事が終わったら春の若葉亭の支店にも行ってみましょうか」
「昼飯には良い頃合いになってるかもな」
エリカがふわりとした髪を揺らしながら先頭を歩き、俺がその少し後ろを歩いていく。
更に数歩分遅れて、ガーネットとレイラがついて来ているのだが――
「……で、白狼のは今んとこどんな評価になってんだ?」
「集団統率力も高く人脈も広い。辺境伯家の一員からも能力を認められているとなれば、騎士団には良い評価を報告するより他にありませんね」
「嬉しそうに言いやがって。白狼のには興味ねぇんじゃなかったのか?」
「騎士団としては喜ばしいことですから。私情を抜きにすればですけれど」
――エリカには聞こえない程度の小声で、非常に振り向きにくい会話を交わしていた。
表向きには同じ店で働く少年と少女のやり取り。
エリカから見れば銀翼騎士団所属の少年騎士と竜王騎士団の身内の情報交換。
俺にとっては親しい少女と新たに知り合った少女の会話で、ガーネットにとっては……いや、俺がどうこう考えるべき事柄ではなさそうだ。
そんな調子で『日時計の森』へ向かい、よく整備された坂道を下って、第五階層のホロウボトム支部へとたどり着く。
「この森も一応はダンジョンなのですよね。とてもそうは思えませんけど……」
道中、レイラは興味深そうに『日時計の森』の風景を見渡していた。
「Eランクな上に開放形だからな。住民も長いことただの盆地だと思ってて、山菜採りの感覚でよく潜ってたらしいぞ」
「ここまできちんと整備されたのは、白狼のが来て『魔王城領域』が見つかってからだったよな。よくもまぁここまで仕上げたもんだぜ」
他所から来た人間は必ずと言っていいほど、この『日時計の森』がダンジョンであると知って驚くことになる。
これはレイラだけでなく、他地域から新規スタッフも、新たにやって来た冒険者達も皆そうだった。
俺達にとってはもはや見慣れた光景だが、確かにここは一般的なダンジョンのイメージからはかけ離れていた。
五つの大きな段差に分かれた斜面に、豊かな木々が鬱蒼と生い茂り、それぞれの階層には多種多様な薬草が豊富に生育している。
こういった薬草は新人冒険者の貴重な収入源となるが、薬草が持つ特性と肥沃な魔力の恩恵か、採取量に負けないくらいの勢いで繁殖を続けているようだ。
そんな自然溢れる環境であるものの、交通の便はむしろ良好。
緩やかな傾斜の林道が綺麗に整備されており、大量の物資や木材石材を積んだ荷馬車も楽に上り下りすることができるようになっている。
ダンジョンというよりも、まるで山林を越える街道だ。
「さてと。それじゃまずは何から片付けようか」
ホロウボトム支部――黄金牙騎士団の要塞を再利用したギルド支部の前で立ち止まり、今日ここでやるべきことを指折り数え上げる。
「支店のオープン準備の様子を見に行って、ノワールやアレクシアと合流して、支部長のフローレンスに挨拶しに行って。後は支部全体を見て回るのと、シルヴィアのところで昼飯か」
やること自体は少なくないが、まぁ昼頃には片付くだろう。
周囲を囲む塀の正面の門を通って、支部の前庭兼物資置き場に入った、普段から聞き慣れた声で呼びかけられた。
「ルーク殿、おはようございます」
「なんだ、サクラも来てたのか」
いつもの東方風の装備に身を包んだサクラが、笑顔で駆け寄ってくる。
「今日は支部の巡回警備を承っておりまして。仕事と言うよりは冒険者で持ち回りの貢献活動ですね」
「あるある。手当は出るけど安いんだよな、日当」
冒険者なら頷かずにはいられないよくあるヤツだ。
ギルドは冒険者に数多くの利益と便宜を与えるが、冒険者の側もギルドに貢献と奉仕をすることが求められる。
と言っても大袈裟なものではなく、ギルドの施設の維持管理に必要な作業を請け負ったりとか、そういう些細なことの積み重ねだ。
頻度が高い仕事は警備と清掃。
この場合の警備とは、外部からの危害に対する警戒よりも、内輪でのトラブルを防止するためという性質が強い。
「ルーク殿は支店の視察ですか?」
「それとついでに、支部の様子も見て回ろうかなと。他にどんな店が入ってるのか把握しきれてないからさ」
「でしたら私がご案内いたしましょう。警備のために店舗の配置は頭に入っておりますから」
「仕事中なのに寄り道して大丈夫なのか?」
ありがたい申し出ではあるが、それは仕事をサボることになるのではないだろうか。
しかしサクラは笑顔のままで首を縦に振った。
「大丈夫です。巡回警備の順路は任意ですし、店舗のあるところを重点的に回るよう指示されておりますから」
「仕事のついでってことか。それじゃ、お言葉に甘えて案内でもお願いしようかな。まずはうちの支店に立ち寄ってからだけど」
「はい、お任せください」
サクラを一行に加え、ホロウボトム支部の建物内に足を踏み入れる。
かつて軍事要塞として用いられたこの建物は、全体の二割をギルド支部としての機能に割り振り、残り八割を賃貸物件として一般に貸し出している。
その結果として生まれたのが、目の前に広がる光景。
一つの大きな建物に多様な店舗が詰め込まれた、冒険者をターゲットとする高密度の商業空間。
一言で表現するならば集合住宅的商店街であった。




