第163話 貴族にまつわるエトセトラ
夕方を過ぎて店内も静かになっていたので、従業員の少女達にセオドアの素性と俺との関係を説明する。
とはいえ大した内容ではない。
ドラゴンを狩る趣味を持つ貴族であり、そのためだけに冒険者になってAランクまで上り詰めた男だということ。
俺が冒険者として燻っていた頃に面識を得たこと。
あちらにとって俺はその他大勢に過ぎず、最近までは顔も名前も覚えられていなかったこと。
以前の騒動――『魔王城領域』のドラゴンが『日時計の森』に現れてグリーンホロウが大騒ぎになり、混乱を鎮めるため知人の高ランク冒険者に声を掛けた際、あいつなら喜んで飛んでくると踏んで呼びかけたこと。
その一件で気に入られ、ドラゴン素材を優先的に卸してもらえるようになったこと。
――俺とセオドアの関係はたったこれだけだ。
せいぜい五分もあれば語り尽くせる程度の繋がりでしかない。
「確かそれって私が働き始める前の……あ、違うか。ドラゴンの革はそのちょっと後でしたっけ」
「だな。ドラゴン素材を買い付けるようになったのは、エリカが来た少し後からだ」
時間が流れるのは早いもので、魔王戦争が始まる直前の混乱を知らない奴も多くなってきた。
この場にいるエリカとレイラ、ハリエットのように、後からやって来た新たな住人が増えてきたからだ。
グリーンホロウが町ではなく市になってしまう日も、案外そう遠くなかったりするのかもしれない。
「ところで、ビューフォート家ってそんなに凄いんですか?」
「凄いに決まっています。本物の辺境伯家なのですからね」
ハリエットが何気なく溢した疑問に、レイラが素早く反応した。
しかしエリカとハリエットは、そもそも『辺境伯』という言葉自体にピンと来ていないらしく、ただ揃って首を傾げるだけだった。
「あの……もしかして私がおかしいのでしょうか……」
レイラが自信なさげにこちらへ視線を移したので、エリカとハリエットの反応の理由について説明しておくことにする。
「グリーンホロウも含めて、ここら一帯は昔から陛下直轄の自治領だったらしい。だから貴族だの何だのとは縁がないんだとさ」
「そうなんだよなぁ。あたしが生まれる前からずっと。貴族なんて遠いどこかのお話でしかなくって……どんな仕組みなのかも正直よく分かんないんだ」
エリカは腕組みをして何度も頷きながら、俺の説明に同調した。
喋り方が素に近くなっているのは、俺ではなく職場の後輩にあたるレイラに向けて話しかけているからだろう。
一方のレイラは、何やら凄まじいカルチャーショックを受けた顔をしていたが、すぐに気を取り直して表情を引き締めた。
「……分かりました。ちょうどいい機会なので、我が国の貴族制について説明しましょう」
「それは仕事が終わってからにしようか。ほら、客も来たことだし。続きはまた後でな」
――ウェストランド王国の貴族制は大きく分けて三つ、細かく分けて五つの階級が設定されている。
大きな区分は公爵、伯爵、男爵の三つ。
細かな区分だと伯爵が更に三つに分かれ、公爵、辺境伯、伯爵、副伯爵、男爵の五つになる。
男爵は最低ランクの小貴族だ。
領地を没収されて衰退してしまった貴族や、平民から取り立てられた貴族が該当する。
貴族というより大地主と言った方が実態に近く、下手な男爵の領地よりもグリーンホロウ・タウンの方が広いくらいだそうだ。
伯爵は世間一般がイメージする貴族像に最も近い、いわゆる普通の貴族である。
その一つ上にあたる辺境伯の『辺境』とは『国境』のことを意味する。
領地が敵国に隣接する貴族は色々と大変だからという配慮で、普通の貴族よりワンランク上の扱いをしたものだ。
もちろん、大陸の大部分が統一された今となっては、本来の意味での辺境伯はごくわずか。
ほとんどは昔の名残りであり、イメージに合わないから『大伯爵』に改称しようという動きもあるという。
レイラが言っていた『本物の辺境伯』とはこのことだ。
セオドアの実家は、今やほとんどなくなった国境に面した領地を持つ、国境警備担当の特別な貴族なのである。
副伯爵は、実のところかなり存在感のない階級だ。
伯爵から領地の一部を預けられた者を『せめて男爵よりは上の扱いにしよう』ということで生じた、扱いに困る微妙な存在らしい。
そして、最高位に位置する公爵は正真正銘の大貴族だ。
早い段階で陛下に従った他国の王族や、多大な功績を上げた貴族が該当し、大陸統一前の基準なら小国に相当する領地を与えられている。
――貴族が領地を思うままに支配する絶対権力者だったのは、もはや昔の話。
現在は王宮の下請けで土地を管理しているような立場で、かつてのように横暴な振る舞いをしたら、騎士団に踏み込まれて逮捕されて領地没収……ということも普通にあり得るらしい。
領地における権力だけでなく、財力も昔と比べれば低迷気味だ。
王宮から公務を託された有力騎士の方が、より多くの権力と財力を握っていることも珍しくない。
例えば銀翼騎士団を率いるアージェンティア家は、階級で言えば男爵家よりも下だが、財力は平均的な伯爵家に肩を並べ、法に触れた貴族の当主を逮捕拘束する権限すらある。
この逆転現象は、国王による支配を強めるための貴族の弱体化が図られると同時に、軍事や治安維持などを騎士団に委任し始めたことが原因なのだという。
全国の騎士を騎士団として王宮直属にし、騎士団に公務の一部を委任し、公務の予算源として領地を増やし……としていった結果なのだとか何とか。
もちろん何事にも例外はある。
公爵と本物の辺境伯には今も強い自治権が与えられ、独自の騎士団を持つことが許されているケースもあるという。
――という会話を、レイラ達がリビングでハーブティを飲みながら交わしている間、俺は家の奥で道具の材料の在庫チェックをしていた。
営業時間はとっくに終わり、店の鍵も既に閉めたが、たまにこうして従業員がリビングで寛いでから帰ることがあるのだ。
「(要するに、セオドアの実家は中の上から上の下ってことだ。冒険者はあいつの存在に慣れてるけど、レイラが驚くのも無理はないか)」
冒険者は色々な出自の奴がいるので、キャリアが長くなれば長くなるほど、特殊な肩書の持ち主がいても驚かなくなってくる。
というかそもそも、貴族の冒険者はセオドアだけではない。
俺は直接会ったことはなかったが、過去には更に格上の公爵家の出身者もいて、最終的にBランクまで上り詰めてから引退し、家督を継いだという話も聞いている。
「白狼の。あいつらそろそろ帰るみてぇだから、宿まで送ってくるわ」
「頼めるか? ああ、ついでにインクも買い足しといてくれ」
「……けどよ、本当に良かったのか?」
「何がだ?」
作業を中断して振り返ると、何やら言いたげな顔で佇んでいるガーネットと目が合った。
「セオドアの件に決まってんだろ。ありゃどう考えても、冒険者として華々しく復帰するには最高の案件だ。あっさり蹴っちまって良かったのかよ」
ガーネットは俺のことを心配しているのだ。
かつて憧れた夢を――冒険者として大成するという目標を果たす機会に背を向けていいのかと。
今こそかつての生き方に戻る好機ではないのかと。
ならば、俺が返すべき答えはとっくに決まっている。
「いいんだよ。冒険者稼業を再開したくないわけじゃないけど、今はこうやって暮らしている方が楽しいんだ。この町で、この店で、お前がいて、皆がいて……支店がオープンしたら、もっとゆっくり楽しめるだろうしな」
ガーネットは何故かきゅっと唇を閉じ、後ろめたいことがあるかのように視線を泳がせてから、わざとらしく冗談めかした態度で口を開いた。
「てことは、オレの父上達がお前を騎士にしたがってるのは、本当にいい迷惑ってわけだな。身内として情けないぜ」
「お前が気にすることじゃないだろ。拒否権はあるそうだし、他の解決策も考えられてるみたいだから、丸く収まるように頑張ってみるさ」
そうはっきり伝えると、ガーネットは少しだけ安堵したように微笑んだのだった。




