第154話 いつまでここにいられるんだ
「お褒めに預かり光栄だねぇ。あたしらも足を棒にして働いた甲斐があったってものさ」
「あっ! おばあちゃん!」
シルヴィアが笑顔を振り向けたその先では、背筋がしゃんと伸びて活力に溢れた様相の老人が、油断のない態度で笑みを浮かべていた。
喜びを露わにして飛びつくシルヴィアを、老婆は正面から受け止めて慈しむように頭を撫でた。
「しばらく見ないうちに、ずいぶんと大きくなったねぇ、シルヴィア。あの人達が、ホワイトウルフ商店っていうお店の人達かい?」
「えっと、紹介するね」
シルヴィアは祖母に俺達を、そして俺達に祖母のことを簡潔に紹介した。
老婆は名前をドロテアというそうだ。
さっきから頭の中で『老婆』なんて表現を使っているが、ドロテアの姿はその単語から受ける印象とは異なっていた。
顔の皺は確かに深いが、背中はまっすぐで顔色も良く、表情からは活気がみなぎっているのが見て取れる。
引退などまだまだ先、いっそ生涯現役すらありうるのではと思わせる壮健ぶりだ。
「ホワイトウルフ商店の評判は聞いているよ。一度ゆっくり話をしたいと思っていたんだけど、今から空いているかね」
「すみません。借りる予定の部屋見て回らないといけないので、それが終わってからでもよろしいですか」
「もちろんだとも。そちらさんの都合に合わせるよ。ただ、明日の昼頃には一旦ここを離れないといけないから、今日中にしてもらえると有り難いね」
今夜にでも春の若葉亭でもう一度会う約束を交わし、ひとまずドロテアに別れを告げる。
あちらもあちらで、冒険者ギルドとの商談があるのだそうだ。
改めて次の目的地へ向かう道中、ガーネットが率直な感想を口にした。
「悪くねぇコネクションだと思うぜ。しかしだな、身内にああいう商人がいるなら、もっと早く白狼のに紹介してやってもよかったんじゃねぇか?」
「そうしたいのは山々だったんですけどね……」
シルヴィアは困ったように笑いながら頬を掻いた。
「ルークさんと会う前の段階で、グリーンホロウ総出であれやこれやと仕事をお願いしすぎちゃってまして。これ以上はパンクするから無理!って、向こうの役員さんから泣きが入ってたんです」
「俺と会う前っていうと、『日時計の森』がダンジョン認定を受けて冒険者が増え始めた頃か」
「はい。しかも別の土地でも大きな仕事を抱えてたらしくって、次の受注は半年待ちになるかもって言われてたくらいでして……」
なるほど、納得だ。
どんな職業にも仕事の許容量というものがある。
時間や人員が無尽蔵でない以上、一度に受注できる量はここまで、それ以上は受け付けられないという限界が存在する。
自信満々に請けたくせに、やっぱり間に合いませんでしたなんて、依頼者にとっても受注者にとっても最悪の結末だ。
……冒険者でもやらかす奴が定期的に現れるのだが、そのたびにギルドからきついお叱りを受けている。
仕事の仲介者である冒険者ギルドの信用問題にすらなりうるからだ。
それを防ぐために『当面は新規の仕事を受注できない』と言い切ってしまうのは自然なことだし、そう宣言した業者を紹介するのを避けるのも普通の発想である。
例えば『少し前だったら身内の商会に発注できたけど、今は忙しくしているから残念ながら無理だ』と言われたところで、現状の問題の解決には何の役にも立たないのだから。
「忙しかったなら仕方ないさ。依頼できない業者を紹介されても困るだけだしな」
「ちょうど手が空いたタイミングで黄金牙の仕事が来たのか、騎士団特権でねじ込んだのか……何にせよ相手が悪かったな、白狼の」
「騎士団と一介の武器屋じゃ比較にもならないだろ」
雑談を交えながら、春の若葉亭が借りる予定の残り二ヶ所と、俺達ホワイトウルフ商店が借りる予定の一ヶ所を順に巡っていく。
前者の二ヶ所はそれぞれ兵士用と騎士用の宿泊スペースだ。
ガーネット曰く、騎士団によって扱いは異なるが、騎士と兵士で食事や睡眠のスペースが分けられることは珍しくないらしい。
騎士は領主であり支配する側、兵士は民衆であり支配される側。
いささか時代遅れの感もあるが、この辺りの区別を明確にしたがる風潮は未だに根強いのだそうだ。
「当然オレは気にしねぇけどな」
「ああ、よく知ってる」
さもなければ、たとえ任務とはいえ、俺みたいな一般人と寝食を共にしたりはできないだろう。
「(そういえば……こいつは銀翼騎士団の任務でここにいるんだよな……)」
話の流れで、ガーネットが隣にいることが当たり前になりすぎていて、つい忘れそうになってしまう事実を思い出す。
王宮から魔王軍を偵察するよう命じられ、Aランクダンジョン『奈落の千年回廊』に挑んだ勇者ファルコンのパーティが未帰還に終わった原因を調査する――それが銀翼騎士団の任務だった。
勇者に雇われた雑用係だった俺は重要な証人とみなされ、万が一のことがないように、騎士団の一員であるガーネットが護衛として派遣されたのだ。
「(魔王軍は撤退した。ファルコンも生きたまま確保できた。俺の証人としての役目はもう終わってるはずだ。それなら……こいつはいつまでここにいられるんだ?)」
首筋にざわりとした感覚が走る。
まるで、致命的な見落としを手遅れになってから見つけたかのようだ。
隣にいるのが当然にすら思えていた奴が、実はいついなくなってもおかしくなかったという事実。
自分はこんな簡単なことにも思い至らなかったのか――違う、きっと無意識のうちに考えることを避けていたんだと思う。
「(……いや、近いうちに護衛を終わらせる予定があるっていうなら、多少の余裕を持って伝えるはずだ。少なくともフェリックスはそうすると思う。まだ何も言われていないってことは、当面は……)」
言い訳じみた楽観視だが、理屈としては筋が通っているはずだ。
任務の責任者である副長のフェリックスは、俺が知り合った人々の中でもトップクラスに思慮深く、公正に物事を推し進めようとする人物だ。
そんな騎士が、護衛の終了をろくな猶予時間もなく決定し、派遣先を慌てさせるとは到底思えない。
けれど、本当にそうかと本人に……目の前のガーネットに尋ねる勇気は湧いてこなかった。
「(少し前の俺なら、すぐにでも確認してたと思うんだが。一体どうしちまったのやら)」
自嘲を込めた溜息を吐きながら、冒険者ギルドから借りる予定のスペースに足を踏み入れる。
「おっ、結構広いじゃねぇか。なぁ白狼の。これならオレらの店より多めに商品置けそうだな!」
「……ああ、そうだな」
腕をめいっぱいに拡げて微笑むガーネットに、今の俺はぎこちない笑みを返すことしかできなかった。




