第152話 冒険者ギルド ホロウボトム支部
「ではでは、お手元の資料をご覧ください」
皆に支店開設の計画を伝えてから十日と少し。
ホロウボトム要塞の森側施設は期待通りに冒険者ギルドへ払い下げられ、グリーンホロウの住人を対象とした店子の募集が開始された。
対象がグリーンホロウ・タウンの居住者に限られているのは、魔王戦争に協力した見返りというのが大きいらしい。
これを一次募集とし、空きが残れば他の地域も対象とした二次募集が始まるそうだ。
そして今日は町の集会場を借り切って、一次募集の希望者向けの説明会が執り行われていた。
「えーっと。黄金牙騎士団ホロウボトム要塞第一区画から改めまして、冒険者ギルドホロウボトム支部は、床面積の二割をギルドの専有スペースとしまして、残り八割と屋外の一部を賃貸物件として運用いたします」
ギルドから派遣された女性職員は、集会場に集まった住人達を前に、かなりマイペースな口調で説明をしている。
おおよそ俺と同世代で、少女と呼ばれていた時期はとっくに過ぎ去ったが、歳を取ったと表現されるにはまだまだ早すぎる――客観的に評価するならこんなところか。
きっと俺以外の誰一人として、彼女が単なる事務員でないとは想像もしていないのだろう。
まぁ、見るからにのんびりした人物なので無理もないが。
「白狼の。ギルド支部ってことは重要拠点扱いなんだよな」
説明会についてきたガーネットが、小さな声で用語の意味を確認してきた。
「そうなるな。ギルドハウスは町や村の、ギルド支部は都会や重要度の高い場所の出張所だ」
「『魔王城領域』の探索はギルド的にも重要事項ってことか」
「久しぶりに新しく発見されたダンジョンなんだ。そりゃあ気合も入るさ。しかも更に深い領域があって、正体不明の何かが暮らしてるっていうんだから」
俺達の視点だと、『魔王城領域』は魔王軍と死闘を繰り広げた戦場のイメージが強いが、傍から見れば未だ全域が探索されきっていない未知のダンジョンなのである。
ドラゴンを頂点とする魔獣の生態系が築かれた岩山地帯。
戦争に関わらないからと放置されてきた、岩山の底に広がる謎の古代遺跡。
魔王軍が撤退した先に広がる前人未到の地下領域。
それらの全てが、冒険者の興味関心を引いてやまないのだ。
「えー、資料の五ページ目から十ページ目にかけまして、皆様にご提供できるスペースと賃貸料の一覧を記載しております。もちろん広いほど高いですね。こればっかりは諦めてください」
会場のどこかで笑い声が漏れた。
「この説明会が終わり次第、応募の受付を開始します。先着順ではありませんし、締切まで若干の余裕がありますので、予算と相談しながらゆっくりご検討くださいませ」
説明会の終了後、俺は帰宅する前に集会場の奥へと足を運ぶことにした。
「おい、白狼の。なんか用事でもあんのかよ」
「用事はないけど挨拶くらいはしておこうと思ってさ。フローレンスはお互いにルーキーだった頃からの顔見知りだからな」
「……フローレンス? さっきの司会者か? あいつも冒険者なんだな」
「最終的にBランクまでは上がってたけど、今はもう一線を退いてるよ。冒険者がギルドの運営側に転向するのは珍しいことじゃないんだ」
「ふーん……」
ガーネットからやけに目付きの悪い視線を投げつけられながら、集会所の奥の控室までたどり着く。
そして扉をノックしようとしたところで、廊下の奥からのんびりとした声で話しかけられた。
「あらあら。こんなところに知り合いが」
帰り支度を済ませていた様子のフローレンスは、ぱたぱたと小走りで近付いてきて、俺の前で立ち止まった。
「久し振りね、ルーク。噂はいろいろ聞いてるからね。転職祝いとか持ってきた方がよかった?」
「こっちこそ昇進祝いが必要だったみたいだな。ホロウボトム支部の支部長ってお前なんだろ」
「あら、もうバレちゃった」
「気付かない方がおかしいって。そのコート、支部長に支給される奴じゃないか」
俺とフローレンスが知人同士の会話を交わしている間、ガーネットは何とも表現し難い表情でそれを見やっていた。
驚いているような、怒っているような。
警戒しているようにも、無関心を決め込んでいるようにも思える顔だ。
「リサの静養にちょうどいい場所を探してたら、新しい支部で働かないかって誘われたの。最近はごたごたしてたみたいだけど、昔から評判のいい療養地みたいだし」
「確かに。そういう目的の客も多かったって聞いたな」
「でしょう? ところで……この可愛い子はどなた?」
フローレンスは小首を傾げながらガーネットに視線を向けた。
他意など一切ないただの事実確認だったのだが、ガーネットは不機嫌さを押し殺したような態度を解こうとはしなかった。
あくまで傍から見た感想だが、どうもガーネット本人は反応を顔に出していないつもりのようだ。
普段どおりの態度を努めて維持しているようでありながら、実際は知らず知らずのうちに内面から何かが滲み出ている……そんな雰囲気だ。
「うちのスタッフのガーネットだ。さっき可愛いとか言ってたけど、これでも男だぞ」
「あら、ごめんなさい。ホロウボトム支部長のフローレンスです。今後ともよろしくね」
「……よろしく」
フローレンスから握手を求められ、ガーネットは差し出された手を無愛想に握り返した。
そのとき、フローレンスは「あら」と呟いて、不思議そうに目を丸くした。
「あなた、もしかして……いいえ、ごめんなさい。何でもないわ。ホワイトウルフ商店とは末永くお付き合いさせていただきたいから、仲良くしてくださいね」
フローレンスは柔らかな笑顔を浮かべてぽんと手を叩き、改めて俺の方に向き直った。
「それじゃあ、私はこの辺りで。そろそろリサを迎えに行かないといけないから」
「リサにもよろしく言っといてくれ」
「ええ、またね」
ぱたぱたと駆け足で立ち去っていくフローレンス。
その後姿が廊下の角の向こうに消えた直後に、ガーネットがこちらを見ずに軽く足を蹴ってきた。
強化スキルを使っていない、素の身体能力によるささやかな一撃だった。
「おいこら。鼻の下伸ばしてんじゃねぇぞ。同じ昔からの付き合いだってのに、アレクシアのときとはぜんぜん違うじゃねぇか」
「そんなことしてないっての。だいたい、アレクシアはやたらと手のかかる後輩で、あいつはいわゆる旧友なんだから、対応が違って当然だろ」
事実誤認をすぐさまきっちり訂正しながら、ついでに重要な情報も付け加えておく。
「念のため、妙な勘違いしないように教えとくけど、あいつ子供がいるからな」
「うえっ!? ま、マジか!」
「冒険者は冒険に熱中しすぎて結婚が遅いってよく言われるが、何事にも例外はつきものって奴だ」
ここ最近は全国的に結婚年齢が上がっているとされ、中でも冒険者はその傾向が強いと言われている。
一昔や二昔前なら、かなり早ければガーネットの年頃で子供がいることもあったそうだが、近年では稀になってきているし、冒険者業界では俺みたいな独り身も珍しくはない。
まぁ冒険者という職業は、誰がどう考えても、家庭を持って身を固めるという発想からかけ離れた稼業である。
「いや、そうじゃなくってだな……そんな歳には見えなかったっつーか……」
「本人に言ってやれよ。きっと喜ぶぞ」
ガーネットの慌てふためくリアクションに思わず吹き出しそうになりながら、集会場の裏口へ足を向ける。
「ちなみに、さっきの話に出てきたリサってのが、フローレンスの娘の名前だな。お前より四つか五つくらい年下だ」
「け、結構でかいな……」
慌てて歩調を合わせてくるガーネット。
そのまま集会場の外まで歩いて出たところで、ガーネットは散々悩んだ様子を見せてから質問を投げかけてきた。
「なんとなく気になったんだけどな? 本当に大したことじゃねぇんだが……お前とあいつ、昔は何つーかこう……個人的な関係だったりしたのか?」
「ノーコメント」
「あ! おい、しかも即答かよ!」
過去にそんなことがあったかもしれないし、なかったかもしれない。
俺としてはどうでもいい話だと思うのだが……どうにもガーネットにとっては違うようであった。




