第147話 改めて語るまでもなく
その後、俺達は一切言葉を交わすことなく、銀翼騎士団の臨時支部の建物を後にした。
どうにも俺から話しかけられるような雰囲気ではない。
ガーネットは「今から戦場にでも向かうつもりか」と言いたくなる表情で、何やらぶつぶつと呟き続けていて、下手に声を掛けたら噛みつかれそうな予感すらした。
比喩ではなく、物理的にこう、がぶっと。
そんな気まずい沈黙が破られたのは、グリーンホロウのメインストリートに出てしばらく経ってからのことだった。
「……なぁ、白狼の」
ガーネットは不安そうに視線を落としたまま、呟くような声を漏らした。
「さっきの提案だけどよ。まさか受けようだなんて考えてねぇよな……?」
「今のところはない、としか言いようがないな。向こうがこっちの条件を飲んだとしたら、さすがに断る口実がなくなるかもしれないしな」
固有名詞を使うのはなるべく避け、曖昧な表現で会話をする。
第三者に立ち聞きされても、武器屋の仕事の話だと解釈されるように心がけた形である。
この場合の提案とは、竜王騎士団の『条件付き賛成派』が提示してくる可能性がある条件のことだ。
包み隠さずに言うならば、政略結婚。
俺には無縁だと思っていた風習なのに、まさかこんな形で自分のことになってしまうなんて。
そして条件というのは、たとえ叙勲されても騎士らしい活動をするつもりはなく、グリーンホロウでホワイトウルフ商店の経営を続けたいというものだ。
騎士として真っ当に生きていける自信はないが、あくまで名目上の肩書という扱いで、これまでの生活を変えずに済むのなら了承できなくもない。
銀翼の騎士団長はそれで構わないと言っているものの、他の騎士団がどう考えているのか分からないのは、大きな不安材料でしかなかった。
「そうか……まぁ、そうだよな。先のことは断言できなくて当然か。悪ぃな、変な質問しちまった」
ガーネットは短く息を吐き、そしていきなり自分の頬を両手で叩いた。
「うしっ! 白狼の! ちょっと早いけど、帰りにどっかでメシ食っていこうぜ!」
「……ああ、ここからならギルドハウスの酒場が近いな。たまにはギルドの様子も見に行ってみるか」
今ので完全に割り切った……というわけではなさそうだ。
きっと、こんなところで頭を悩ませても意味がないと判断したのだろう。
ギルドハウスへ向かう道すがら、以前カーマインから言われたことを思い出す。
――君の前だと、ガーネットはいつもあんな風に笑うのかい?
――いいや、君だけが特別なんだ。
――君はガーネットにとっての特別だ。
――自覚はあったんじゃないかな?
俺は自分自身のことを、そんなに察しが悪い方じゃないと評価している。
むしろ察しが良くなければ、ろくなスキルを持たない身で冒険者など続けてはいられなかった。
僅かな手がかりを見つけ、相手の言動の端々から漏れる本音を読み解き、適切な行動を取り続けることは必須条件も同然だった。
もちろん常に成功していたわけではないし、勇者パーティの件のように手酷く痛い目を見ることもあったが、全体的には上手く立ち回れたと思っている。
だからガーネットから向けられている感情も、おぼろげながら理解できているつもりだ。
自惚れるんじゃないという自制心の囁きを無視すれば、だが。
けれど――それを表に出すのはどうしても憚られた。
理由? そんなもの改めて語るまでもないだろう。
「いらっしゃーい。空いてる席にどうぞ……って、ルークさんじゃないですか。それなら特等席にご案内ですね」
酒場の看板娘兼ギルドハウスの筆頭受付嬢のマリーダが、相変わらずの軽い口調で笑いながら、俺とガーネットを席に案内した。
「特等席つーかカウンター席じゃねぇか」
「いやだなぁ、出来たての料理をすぐに食べられる特等席だよ。お酒じゃなくて夕御飯のために来たんでしょ」
とりあえず席に着いて、酒場兼ギルドハウスの中をぐるりと見渡す。
晩飯時には少しばかり早かったが、それでも大勢の冒険者が集まってきている。
新しく雇ったと思しき受付嬢も、依頼の達成報酬手続きを忙しくこなしていた。
「(やっぱり、これまで見たことがない顔も増えてきたな。装備の高価さから察するに、DランクかCランク……それとあいつはBランクか。C以下に手が出せる鎧じゃないけど、Aランクなら顔くらいは知ってるはずだ)」
先程フェリックスと話したとおり、グリーンホロウ・タウンに新たな冒険者が集まってきている。
Eランクダンジョン『日時計の森』の認定による新人冒険者の参入。
ドラゴンの出現および『魔王城領域』の発見による腕自慢の高ランク冒険者とそのパーティの来訪。
そして、魔王戦争の終結による多様な冒険者の流入――
グリーンホロウにとっては、冒険者絡みの三度目の変革だ。
町の人間が得られる経済的利益だけ考えれば、ここから先が本番の稼ぎ時だと言えるだろう。
だがフェリックスが懸念しているとおり、これは治安悪化のリスクも抱えていた。
残念ながら冒険者の全員が品行方正というわけではなく、行く先々で厄介なトラブルを撒き散らしては、現地の住人や他の冒険者に叩き出される奴も知っている。
幸いにも、グリーンホロウには銀翼騎士団の部隊が駐留してくれるうえ、副長クラスが責任者を務めてくれている。
これなら抑止力としても、万が一の場合の実行力としても申し分ないはずだ。
「やっぱここの飯、シルヴィアのとこより味が濃いな」
「酒を飲みながら食べる前提だからだろうな。口に合わないなら、マリーダに言ってみるか?」
「いや、別に。こういうのも好……、嫌いじゃねぇよ」
……ガーネット、何故そこで言い直したんだ。
「おーい、マリーダ! ワインくれ! 果実漬けで!」
「あら、ガーネット君がお酒なんて珍しい。こちら十五歳以上からの商品となっておりまーす。ウイスキーやブランデーはまだ早いけど、こっちならまぁイケるよね」
マリーダはおどけた口調で喋りながら、果実とシロップを混ぜて一晩寝かせたワインをコップに注いだ。
俺も何か頼もうかと思ったところで、事務室がある二階へ繋がる階段の方から、ギルドハウスの管理人のマルコムが俺に呼びかけてきた。
「ちょうどよかった、ルークさん! 少々手を貸していただけませんか! 一杯おごりにしますから!」
「……しょうがないな。ガーネット、ちょっと行ってくる」
マルコムはギルドハウスの管理人を務めてはいるが、酒場の主人がギルドの研修を受けただけで、ほとんど一般人と変わらない人物だ。
普段の業務から外れたことには対処しきれない場合が多く、俺がよく有償で――酒のおごりも含めて――手伝っている。
すぐにギルドハウスの事務室へ足を運び、マルコムの手に負えない業務をさっさと片付ける。
内容はさほど難しいものではなかった。
銀翼騎士団から資料提供を求められていたものの、要求されている資料がどれのことか分からず困っていただけだ。
該当資料を探し出し、明日の朝にでも臨時支部へ持っていくよう伝えてから、ガーネットが待っているカウンター席に戻ることにする。
――そうして階段を降りたところで、俺はふと足を止めた。
カウンター席のところで、ガーネットが二人の少女と会話を始めようとしているようだった。
一人はもちろん酒場の看板娘のマリーダ。
もう一人は、宿屋のお使いでやって来たと思われるシルヴィアだった。
談笑しているなら少し待った方がいいかと考えた矢先、会話の内容を聞いて思考が停止しそうになった。
「ほんとびっくり。まさか、ガーネット君から恋愛相談されるなんてね」
「だからオレのことじゃねぇっての。知り合い……つーか妹、そう、妹の話だよ」




