第142話 魔王戦争、その終幕 前編
今回は第三章エピローグの前半になります。
かくして、魔王戦争は人類側の勝利で幕を下ろした。
そしてここからは、戦争の常として長い戦後処理が待ち受けている。
行わなければならないことは山積みだが、しかし全てを一度に終わらせる必要があるわけでもない。
まず取り掛かることになったのは、魔王城の完全制圧と詳細な調査。
こちらは外部協力者を含まず、黄金牙騎士団と銀翼騎士団が共同で任務に当たるべしという指示が下された。
もう一つ、同時進行で進められているのが、ドワーフ達が住まう城下町の復興である。
魔王軍による破却に加え、ドラゴン除けの結界石を破壊されたことで、より迅速な主要施設の復興が急務となったのだ。
こちらは白狼の森のルークを始めとする冒険者および民間協力者が中心となり、精力的に作業が進められた。
そして現在――魔王城陥落から早五日。
魔王城の調査を進める黄金牙の騎士達の間に、これまでにない緊張が走っていた。
「お待ちしておりました、ギルバート団長!」
黄金牙騎士団団長、ギルバート。
精悍でありながら無表情なこの男を出迎えるべく、黄金牙の騎士達が右へ左へ駆け回る。
ギルバート本人は過剰な出迎えを拒絶し、魔王城の調査の経過報告を命じながら、数名の随伴を伴って城の奥へと歩いていった。
――それともう一人。
騎士団長らしい装束に身を包んだギルバートとは対象的に、洒落た普段着としか呼びようのない服を着た男が、当たり前のようにギルバートの隣を歩いていた。
「カーマイン。貴様は休暇中だったはずだが?」
ギルバートは隣を歩く金髪碧眼の男に対して、全く視線を向けることなく声を投げかけた。
「そうなんだけど、状況が状況だからね。今日だけは貴重な休暇を返上して、現状把握に努めることにしたわけさ」
銀翼騎士団団長、カーマイン。
白狼の森のルークを護衛する騎士ガーネットの兄であり、長期休暇の名目でグリーンホロウ・タウンに滞在し、魔王戦争の経過を間近から観察してきた人物である。
質実剛健を絵に描いたようなギルバートと、軽薄な雰囲気すら感じさせるカーマイン。
誰が見ても正反対としか言いようのない二人は、最低限の会話を交わしながら、魔王城の一室に設けられた調査拠点を訪れた。
元は軍議に使われていた部屋なのだろう。
他の部屋と比べてかなりの面積が取られているが、騎士団によって持ち込まれた資材や書類の山にほぼ専有され、現場の多忙さを如実に表していた。
「お待ちしておりました、ギルバート団長。カーマイン卿もどうぞこちらへ」
「報告を頼む。現時点で判明している範囲で構わん」
「はっ!」
拠点長の騎士が手元の書類の束をめくりながら、現時点までの調査で判明している事柄を、ギルバートとカーマインの二人に報告する。
「魔王軍の残存戦力はほぼ壊滅。しかし想定されていたよりも数が少なく、兵力の大部分は魔王城から逃走したものと思われます」
「包囲を抜かれたわけではないのだな」
「ええ。逃走経路も判明しております。王宮からの指示通り、可能な限り捕虜を取っておりますが、全員を現地で収容し続けるのは難しいですね」
「分かった。分散収容の手筈を整えよう」
ギルバートが拠点長からの報告を聞いている間、カーマインは壁にもたれかかって室内の様子を見渡していた。
報告内容に興味がないわけではなく、邪魔をしないようにして会話に耳を傾けているといった様子だ。
「敵兵力の逃走経路の件は最初の報告書にはなかったな。新たに発見されたものか」
「はい。今すぐご案内いたしましょうか」
「そうしてくれ」
拠点長を務める騎士の案内で、ギルバートは魔王城の地下階へと移動した。
その途中、ギルバートは当然のようについて来ているカーマインを一瞥したが、それ以上は特に反応を示さずに同行を黙認する。
「こちらが魔王軍の脱出経路だと思われます」
二人の騎士団長が案内された場所は、魔王城の地上一階の最奥、戦闘用ゴーレムが悠々と通過できる通路の奥に設けられた、広大な広間であった。
軽く二十人を越える完全武装の騎士が厳重な警備を敷いているが、彼らの警戒は広間の外ではなく、むしろ内側へ向けられているように見えた。
ギルバートとカーマインはさっそく広間の奥へと進み、そして警戒の理由を理解した。
広間の奥の床には四角い大穴がぽっかりと口を開けており、緩やかな坂道が暗闇の中へどこまでも続いていた。
「なるほど、ダンジョンの深層へ通じる大穴だな。防衛部隊を捨て石として、温存しておきたい主力部隊をここから逃がしたのか」
「魔王が言っていたという話を真に受けるなら、彼らの仮想敵は更に深い領域の別種族だからね。人間と最後まで争って全滅するなんて、馬鹿らしい真似はしたくなかったわけだ」
カーマインはおもむろにしゃがみ込み、床面に残された何かを引きずったような痕跡を指でなぞった。
恐らく、物資を乗せた荷台か何かをゴーレムに引きずらせて、この『魔王城領域』の次の階層への脱出を図ったのだろう。
「僕に届いてる情報は少ないけど、確か魔王軍の幹部は四人中二人までしか討ち取れていないそうじゃないか」
「ああ。魔王が単独で交戦している間にも姿を見せなかったらしい」
二人の騎士団長は互いの顔を見ることなく、王国の軍事の一端を司る者として相応しい会話を交わしている。
彼らは互いに正反対の性格で、騎士団同士の関係性も決して穏当なものではないが、それでも『王国の平和と繁栄に奉仕する』という騎士団の基本原則を無視するほど独善的ではない。
魔王軍の動向を分析するにあたっては、どちらも冷静な意見交換をするのが当然だと考えているのだ。
「僕達の常識では絶対にありえないことだけど、彼らの幹部クラスは何度も体を取り替えられるらしいから、魔王の『今の肉体』すらも死守する必要はなかった……というところかな?」
「推定だが、あの時点で残存していた二体の魔将は、魔王軍主力と研究資材を次の階層へ撤収させる指揮を取っていたのだろう。奴らにとっての『本命』との戦いに備えてな」
魔王城陥落後、すぐさま騎士団が魔王城全域を制圧したが、そこは既に多くのものが運び出された後であった。
保有していたと思われる戦闘用ゴーレムの数々。
人間を実験動物としか考えない実験設備と、その成果を記録した資料。
防衛部隊に回されなかった兵力と、未だ相当数が存在するであろう改造兵士。
つまるところ、魔王軍は最初から魔王城を巡る戦いを撤退戦と捉えていたのだろう。
陥落までの短時間でこの大作業を済ませるため、相当な権限を持つ人物が陣頭指揮を執ったことは想像に難くない。
最高司令官である魔王が交戦中であった以上、恐らくはそれに次ぐ地位を与えられた存在が。
「まぁ僕達としては、こうして魔王軍を退けられた時点で完全に目標達成だ。なるべく早く、この『魔王城領域』も冒険者ギルドの管轄に移してしまいたいところだね」
「全くだ。魔族との戦争は人間同士のそれと勝手が違いすぎる。ダンジョンの管理はギルドにやらせればいい」
ギルバートが踵を返そうとした矢先、不意にカーマインが思い出したように声を掛けた。
「そういえば、白狼の森のルークのことなんだが」
「魔王討伐に多大な貢献をしたそうだな。あの男がどうかしたか」
「彼を黄金牙と銀翼のどっちの名義で騎士叙勲するかで競争して、陛下にお預けを食らっていただろう? あの話……どうやら痛み分けに終わりそうなんだ」
「……なんだと?」
カーマインは困り顔を浮かべ、大袈裟な身振りでやれやれと首を振ってみせた。
「もっと上が横合いからかっさらうか、あるいは前例のない措置になるか……どちらにせよ、前代未聞のことが起こるかもしれないね」




