第134話 取り巻く者達の戦い 中編
――時間は少しばかり遡る。
ノワールがブランの元へ向かう道を探そうとし始めたのは、白狼の森のルーク達が脱出のために走り去った直後のことだった。
バルコニーに施された防御術式は堅牢だ。
設営コストや維持にかかる手間を丸ごと無視し、完全な使い捨てとして瞬間的性能を最大限に追求している。
「(だけど、この展開状態なら、きっと……)」
数発の魔力弾を立て続けに放ち、空中で軌跡を変えさせて、それぞれ異なる角度から防壁に着弾させる。
そして、魔力防壁の表面に浮かぶ波紋をしっかり観察し、防壁がどこからどこまでを覆っているのかを分析する。
「(……やっぱり。防御術式でバルコニー全体を守ってるけど、出入りする通路の方までは塞いでないんだ。攻めるならそこしか……)」
仮に竜人兵士を退けたとしても、ブランは即座に逃げ出して行方をくらませてしまうに違いない。
騎士団としてはそれでも構わないはずだ。
無事に脱出することだけを目的とするなら、紛れもない勝利である。
だが、ノワールには脱出とは別の目的があった。
使命感と言い換えてもいいだろう。
人類を裏切って魔王の軍門に降った双子の妹――彼女との決着を自らの手でつけること。
それだけは他の誰にも譲れない。
自己主張の弱いノワールが胸に抱いた、強い決意。
ブランを止めれば竜人兵士に対する治癒魔法も停止するので、決して個人的な我儘では終わらないはずである。
「(とにかく、バルコニーに行く手段を見つけないと!)」
真っ先に思いついた手段はファルコンの【地図作成】スキルだったが、肝心のファルコンがジュリアとの空中戦に掛かりきりで、とてもではないが協力を頼めそうになかった。
次に思い浮かんだのは、魔王城に潜入して内部構造を調査していたナギを頼ることだった。
そのためにまず、ノワールは属性魔法で戦闘を援護しているメリッサへ駆け寄った。
「……あ、あの、メリッサ……その、ナギを呼んで、もらえない、だろうか……」
「ええっ!? あ、何かの作戦ですか!? ナギ! 今、こっちに来れそう?」
メリッサがそう呼びかけた直後、ナギが瞬間移動と見紛う速さで目の前に現れる。
「何だ。大した用事じゃないなら手短に――」
「ブランを、止めたい……道を、探してくれ、ないか……」
ナギはメリッサではなくノワールが口を開いたことに驚いた様子だったが、すぐに意図を理解して頷きを返した。
――そして二人はバルコニーの直下の廊下に駆け込み、上へと通じる経路を探し始めた。
あまり長い時間を掛けられない作業だ。
ブランが自分達の意図に気がつく前に終わらせなければ。
やがて、ナギは廊下の片隅にしゃがんで小さく呟いた。
「壁のこの辺りをよく見てください。魔法使いなら何か見えませんか?」
「ええと……あっ……! 壁に、重な……って、幻影が……」
巧みに隠蔽された幻影だ。
最初から怪しんで凝視しなければ、普通の壁とまず区別がつかなかっただろう。
「やっぱり。ほら、ここに一つ、薄い足跡が」
ナギが指さした先には、廊下の隅に薄っすらと積もった砂の上に、靴の爪先付近の跡が残されていた。
しかも、足を壁に向かって垂直に近付けた痕跡だ。
廊下の中央は常に人通りがあって埃や砂が残りにくいが、隅の方にはどうしても積もり積もってしまうのだろう。
「幻影を解除できますか。俺もやれますけど、本職の方が早いでしょう」
「……任せて……」
ノワールは壁へ手を伸ばし、魔力を投射して幻影を固着させた術式を阻害した。
幻影が空気に溶けるように消え、扉のない出入り口が姿を現す。
バルコニーへの隠し通路――ノワールはそう確信して駆け込もうとしたが、すんでのところでナギに引き止められた。
「待った。足元にトラップがあります。ほら、床面に呪紋が」
「あ……本当、だ……」
「幻影を見破っても、無視して不用意に踏み込めばこちらの餌食。典型的な二重トラップですね」
ノワールは呪紋の内容を一目で読み解き、その厄介さに息を呑みながら、即座に魔力で呪紋を改竄し無力化した。
「……もう、大丈夫……行こう……」
「早すぎだろ、解除するの……流石に本職は違うな」
隠し通路の先の階段を駆け上がり、角を曲がった先の真っ直ぐな廊下へたどり着く。
その最奥には、バルコニーに立つ白尽くめの女の後ろ姿があった。
「…………っ!」
駆け寄ろうとした足を急停止させる。
廊下の中ほどに感知結界が展開されている。
物体だろうと魔法だろうと、そこを通過すればたちどころにブランの知るところとなってしまう代物だ。
「俺が行きます。反応されるより速ければ問題ないでしょう」
「……駄目。もっと、奥に……別の結界が……ある、みたい。効果は、分からない、けど……うまく、隠してる……」
かといって、感知結界を解除しようとしてもどうせ気付かれるのだから、ここは安全な強硬手段を取るべきだ。
ノワールはそう決断し、手元に生成した黒炎の火球をブラン目掛けて射出した。
これなら二枚目の結界が危険な代物でも、被害を最小限に抑えられる。
高速で飛翔する黒い火球。
隠蔽された結界に差し掛かった瞬間、それは魔力の網に絡め取られたかのように急減速してしまった。
「誰っ!?」
ブランが振り向き様に放った白炎で火球を撃ち落とす。
あちらにしてみれば、感知結界に引っかかった後で火球を射出したのか、それとも火球が感知結界を作動させたのか、区別はつかなかったはずだ。
それくらいに上手くいった奇襲だったのだが、二段構えの結界で見事に防がれてしまった。
ノワールは感知結界を踏み越え、ある程度の間合いを置いてブランと対峙した。
「あらぁ、姉さんじゃない。久しぶりね。通路の入り口は念入りに隠しておいたはずなのに、頭の鈍い姉さんによく見つけられたわねぇ」
「生憎だが、そういうのを探し出すのは得意分野なんでな」
ブランはノワールの背後にナギの姿を認め、不愉快そうに目を細めた。
「嫌ねぇ。離れ離れになった姉妹の再会なのに、とんだお邪魔虫。水を差さないでもらえませんかぁ?」
「安心しろ。お前を打ち倒すのは俺の役目じゃない。こんな狭い場所で、魔法の打ち合いに割って入るほど無謀じゃないからな」
二枚目の結界は先程の相殺の余波で消し飛んだ。
ここから先は正面切っての魔法の撃ち合いになるのだろう。
そんな状況下でブランに白兵戦を挑んだとして、巻き添えを避けられる保証はどこにもない。
「……ブラン、あなたは……私が……」
ノワールは一歩前に進み出て、両手に黒色の魔力を滾らせた。
そしてブランが嗜虐的な笑みを浮かべながら、鏡写しのように白色の魔力を溢れさせる。
「姉さんが? 私を? 偽物の『私』を潰すだけでもあんなに辛そうだったのに、本当にできるのかしら」
「しないと……駄目なんだ……!」
右腕を振るって繰り出した数発の魔力弾を、ブランが放った魔力弾が撃ち落とす。
直後に大きく膨らませた黒炎を放つも、白炎によって相殺され、炸裂した炎が狭い通路を遮断する。
「あはは! 大口叩いてこの程度? 平穏な暮らしで鈍ったんじゃない? 私と違ってさぁ!」
炎の余波が消えきらない間に、ブランが強力な魔法の発動開始する。
それとほぼ同時に、床を這うように広がった泥状の魔力がブランの足元に到達し、蔦とも触手とも見えるものを伸ばしてブランの右腕に絡みついた。
「なっ……!」
白炎が即座に泥の触手を焼き切るも、新たに伸ばされた触手が左腕に絡みついて締め上げる。
「この程度で! どうにかできるつもり!? 甘いのよ!」
激しい白炎が床に広がった泥状の魔力を焼き払う。
そしてブランは呪紋が刻まれた左腕を露わにし、竜人兵士の召喚術式を起動させようとした。
「私がどんな目に遭ってきたか! じっくりと教えてあげる!」
空中に立体的な魔法陣が展開され――たかと思われた次の瞬間。
魔法陣に異常なまでの歪みが生じ、黒い渦と化してブランの左腕を巻き込んでいく。
「えっ――な、何よ、何なのよこれはっ!?」
第3章も大詰めなので、どんどん更新していきたいところです。




