第133話 取り巻く者達の戦い 前編
――白狼の森のルークがエントランスホールに駆け込んだ、ちょうどその頃。
魔王城の奥では、黄金牙騎士団の部隊を中心とした人間達と、魔王軍によって生み出された竜人兵士の戦闘が続いていた。
ぶつかり合う武器と爪牙。
絶え間なく飛び交う属性魔法と治癒魔法の後方支援。
そして、見上げるほどに高い吹き抜けの空間で、二体の竜人が飛翔しながら激しく争っていた。
「ガアアアアアッ!」
「ジュリアアアッ!」
人の形を半ば失った女剣士が、獣性に染まった瞳で咆哮しながら、発達した翼を拡げて突進する。
対するは人の形を色濃く残した勇者。
ドラゴンの前肢と化した左腕で突進を受け止め、人間とさほど変わらない右腕で首元に組み付く。
「おおおおおおっ!」
二体の竜人が絡み合ったまま空中をうねるように暴れ、お互いの肉体を壁面に激突させる。
壁をガリガリと削りながら翼を羽ばたかせ、幾度となく攻守を入れ替えながら、破片と瓦礫を絶え間なく降り注がせていく。
その熾烈な攻防を見上げながら、アレクシアは大型弩弓を抱えて駆け回り、ジュリアを狙撃する好機が生まれるのを待ち続けていた。
命中さえさせれば、竜人の体表を確実に撃ち抜けるはずだ。
しかし二体が組み合った状態では、ジュリアのみを狙うことは極めて難しく、かといってファルコンの拘束がなければ速すぎて狙いをつけられない。
アレクシアにとっては、ただひたすらに歯がゆい時間が過ぎるだけであった。
「この大馬鹿野郎が……何がごめんだ……誰が足を引っ張ったってんだ……!」
ファルコンとジュリアはほぼ同時に翼を拡げ、砕けたガラス張りの天井まで一気に上昇した。
縁に残ったガラスを粉砕して城外の空へと舞い上がり、直後に一転して急降下する。
「どこまでテメェは……! クソ真面目で! 馬鹿なんだ!」
轟音を響かせ、石造りの床に墜落する二体の竜人。
叩きつけられた形になったジュリアが牙を剥き、ファルコンの生身に近い右肩に食らいつく。
「ぐうっ……!」
「ファルコン!」
アレクシアは叫びながらスコーピオンを構え、短槍ほどもある矢を撃ち出した。
しかし誤射を避けた射撃では急所を撃ち抜くことはできず、致命的でない部位をかすめるに留まり、ジュリアの動きを止めるには至らない。
更に爆発で騎士達を巻き込む懸念から、呪装弾ではなく通常の矢弾を用いたこともダメージ不足に拍車をかけていた。
「何やってやがる! 騎士共のことなんざ気にするな! 俺ごと撃て! この体は、そう簡単には死にやしねぇ!」
ジュリアが再度の上昇を試み、ファルコンがそれに食い下がって高く飛び立つ。
二体の竜人が空中で相争う間に、アレクシアは棺桶じみた金属ケースを勢いよく開け、中に収められていた特殊矢弾に手を伸ばした。
爆破魔法の呪符を始めとする、魔法の力を込めた数種類の呪装弾。
銛のような形状で抜けないことを考慮したものなど、形状に工夫を凝らした矢弾。
アレクシアは悩みに悩み、迷いに迷った末に、一本の特殊矢弾を手にとってスコーピオンに装填した。
「謝らなきゃならねぇのも……足を引っ張っちまったのも……全部、全部……! 俺だろうがッ!」
ジュリアに組み付いたファルコンが力尽くで軌道を変え、再び床を目掛けて急降下する。
両者が同時に床面へ衝突。
その瞬間を狙って、アレクシアはスコーピオンの引き金を引き絞った。
「うわあああああっ!」
金属弦から放たれる特殊矢弾。
風魔法の呪符の後押しを受けて急加速し、束ねられた矢弾がばらばらになり、二体の竜人に横殴りで襲いかかる。
複数の矢弾が肉体を貫き、鏃の付近に仕込まれた呪符が起爆する。
巻き起こる爆炎、そして轟音と爆風。
騎士達への巻き添えは、部隊長のヘイゼルの魔力防壁によって防ぎ止められたが、ファルコンとジュリアの姿は爆炎の中へと消え失せた。
「…………」
アレクシアは力なくスコーピオンを下ろし、次第に薄れていく爆炎を呆然と見やっていた。
数秒後、揺らめく炎の向こうから一体の竜人が現れる。
数本の矢弾に穿たれ、全身を炎で焼かれたファルコンが、意識のないジュリアを担いで歩み出てきたのだ。
「ジュリア!」
「心配すんな、気を失ってるだけだ」
「……本当だ……生きてる……よかった……」
脱力し、膝を突くアレクシア。
死なせたくはなかった。
例え連れ帰ったところで、罪人として裁かれる未来しか待っていなかったとしても、自我のない魔獣のまま命を奪うことだけは避けたかった。
けれど手を抜いて捕獲できる相手ではなく、生き残らせるためには、命を奪うつもりで掛からなければならなかった。
――それがアレクシアとファルコンの間の共通認識だった。
お互いに会話を交わしたことは殆どなかったが、その一点だけは不思議と確信を抱くことができていた。
「とにかく、こいつの拘束を頼むぜ。目を覚ましたら、どうせまた暴れだすだろうからな」
「そ、それならノワールも……あれ? ノワールがいない……?」
「ん、気付いてなかったのか? あいつらならとっくに動いた後だぞ?」
このホールは吹き抜けの塔のように天井が高く、二階と三階に相当する高さには、劇場の観覧席のようなバルコニーが設けられている。
そうしたバルコニーの一つから、ブランは治癒魔法による支援を行いながら、階下の戦闘を愉しげに眺めていた。
騎士達を打ち倒すことは命じられていない。
足止めして適当に時間を稼ぎつつ、試作の改造兵士と召喚呪紋を試験する――それがブランに与えられた命令であった。
白狼の森のルークと二人の仲間は逃げおおせたが、それも想定の範囲内。
今頃、二体の魔将が彼らを迎え討っていることだろう。
「あはは! どいつもこいつも、ほんといい気味ね! 勇者様もジュリアもあんな必死になっちゃって!」
今、ブランは自分が圧倒的優位にあると信じて疑わなかった。
バルコニーには防御術式の数々が長時間を掛けて念入りに施され、外部からの干渉をほとんど防ぎ止めることができる。
術式の維持管理も考えれば非効率この上ないが、今この時だけ使い物になれば充分なのだから、長期的な維持コストなど考慮する必要はなかった。
「もっと召喚して絶望させてみようかしら。そろそろ騎士の一人か二人に死んでもらうとして……」
試作呪紋を刻んだ腕を振るおうとした瞬間、バルコニーに出入りするための通路で感知結界が警戒反応を示した。
「誰っ!?」
通路の奥から黒炎の火球が射出される。
ブランはそれを白炎で迎撃し、一瞬だけ苦々しく顔を歪めてから、あざ笑うような笑みを意識して形作った。
「あらぁ、姉さんじゃない。久しぶりね。通路の入り口は念入りに隠しておいたはずなのに、頭の鈍い姉さんによく見つけられたわねぇ」
「生憎だが、そういうのを探し出すのは得意分野なんでな」
毅然として佇むノワールの背後から、小柄な東方人の少年が姿を現す。
ブランはさり気なく舌打ちをした。
あの東方人は確か、潜入潜伏に秀でたスキルを持つ冒険者だったか。
「嫌ねぇ。離れ離れになった姉妹の再会なのに、とんだお邪魔虫。水を差さないでもらえませんかぁ?」
「安心しろ。お前を打ち倒すのは俺の役目じゃない。こんな狭い場所で、魔法の打ち合いに割って入るほど無謀じゃないからな」
「……ブラン、あなたは……私が……」
ノワールが一歩前に進み出て、両手に黒色の魔力を滾らせる。
ブランは嗜虐的な笑みを浮かべながら、鏡写しのように白色の魔力を溢れさせた。
「姉さんが? 私を? 偽物の『私』を潰すだけでもあんなに辛そうだったのに、本当にできるのかしら」




