第126話 昔のお前達よりも、今のあいつらを
いつもより長くなったけど、切りどころが見えなかったので、まるっと投稿します。
記憶の光景は、竜人にされたファルコンが何らかの手段で監禁を脱したことから始まった。
窓がなく薄暗い通路を走り、見張りの兵を騒がれる前に始末し、何かを探しながら逃走を続ける。
ファルコンが持つスキルの一つに【地図作成】というものがある。
紙に周辺の地図を映し出す迷宮殺しのスキルだが、その過程で使用者の頭の中にも情報が流れ込んでくるらしい。
恐らく奴はそれを頼りに、迷宮じみた城内の通路を駆け抜けているのだろう。
あくまで記憶を追体験している俺の視点では、ファルコンが一体何を探しているのかまでは分からない。
だが――それもすぐに理解させられることとなった。
『……そこに、いるのか……!』
この通路の壁には、鉄格子のついた小窓がいくつも並んでいる。
ファルコンは何かに導かれるようにして――きっと【気配察知】スキルだ――それらのうちの一つに駆け寄り、鉄格子の向こうの光景を覗き込んだ。
石造りの牢獄らしき小部屋に設けられた、祭壇じみた雰囲気の石の台座。
その上に、ファルコンよりも更に人間離れした容貌の竜人が、ぐったりと横たわっていた。
『ジュリア!』
『……ファル……コン……?』
竜人の女が顔を上げる。
魂が抜けたかのような虚ろな瞳に生気が宿り、そしてすぐに溢れんばかりの涙を滲ませた。
それは仲間と再開できた喜びではなく、悲しみに満ちた涙であった。
『ゴメン……私、マタ……足ヲ、引ッ張ッテ……』
『…………ッ!』
記憶を眺めているだけの俺にすら、煮え滾るほどの憤怒が伝わってくる。
ファルコンは口の端から炎を噴き出しながら、衝動的な怒りのままに石壁を突き破らんとした。
石壁に防御魔法が発動して破壊を防ごうとするも、曲がりなりにも勇者の端くれであるファルコンの腕力と魔力には抗いきれず、轟音を立てて大穴を穿たれる。
『クソがっ……! 俺達を何だと思ってやがる……!』
脱力したままのジュリアを抱え上げ、尾を引きずりながら石造りの廊下を進んでいく。
そして、天井が高く開けた空間に出たところで、ファルコンは何かの気配を察知して足を止め、ジュリアを丁寧に下ろして横たえさせた。
『さっさと出てきやがれ! テメェらの都合に付き合ってやる暇はねぇんだからな!』
ファルコンが叫んだ次の瞬間、四体のダークエルフが一斉に降り立った。
『既に戦闘可能なまでに馴染んでいるとはな。想定が甘かったことは認めなければ』
金属の鎧を着込んだ屈強な戦士――氷のノルズリ。
『ちょうどいい! 貴様とは戦い足りなかったところだ!』
それと同等の体格を誇示する巨体――嵐のアウストリ。
『カカカ。間違っても殺すでないぞ』
巨大な土人形の肩に乗った老エルフ――土のヴェストリ。
『第二被検体にはまだ用途がある。可能な限り生きたまま制圧しろ』
外套を纏って全身を包み隠した剣士――奴こそが、未だ見ぬ四人目の魔将なのだろう。
『四魔将か……全員まとめて相手してやる……!』
そして、一対四の死闘が始まった。
戦いぶりはとにかく凄まじく、壁や天井、更には床を何枚も突き破りながら、縦横無尽に戦闘が繰り広げられていく。
ファルコンが火炎を放つたびに、魔将の迎撃と激突して幾度も爆発が引き起こされ、魔王城そのものに激しい振動が走る。
『ぬうんっ!』
『……っ!』
暴風を纏って加速したアウストリが、ファルコンの首元を掴んで壁に叩きつけた。
勢いのままに壁を突き破り、城の外に上半身が露出する。
アウストリの腕を掴んで体勢を戻そうとするファルコン。
その視界の隅に、城から必死になって走り去る人間――ノワールの姿が映った。
しかし、ファルコンはそれを一瞥しただけで興味を示そうとせず、力尽くでアウストリを押し返して戦闘を再開した。
――その結末は語るまでもない。
ドラゴンと融合させられた勇者といえど、四魔将を同時に相手取って勝ち目があるはずもなく。
四魔将に有効な手傷を与えることも叶わないまま、魔王城への甚大な被害を残して制圧されるに至ったのだった。
そして記憶の追体験は、制圧されたファルコンが魔王と思しき威厳あるダークエルフの下に引き出され、魔法によって呪印を刻み込まれるところで幕を下ろした。
記憶が途切れる直前、魔王ガンダルフが何かしらの言葉を発していたようだったが、それはファルコンの耳に届くことなく終わったのだった――
「げほっ! がはっ!」
視界が元に戻って早々に、ファルコンが激しく咳き込んだことに驚いて腕を引っ込める。
「……ああ、喉が相当すっきりした。ルーク、これについては礼を言っといてやる。最初からこれくらいできたら捨てたりしなかったんだがな」
「そりゃどうも。だけど、二重の意味で無理な相談だ」
ファルコンの軽口に対して、さほど感情を込めずに返答する。
あの経験がなければ【修復】スキルが強化されることはなかったのだし、かといって仮に記憶と能力を保ったまま過去に戻ったとしても、こいつに雇われるつもりは二度とない。
どんな仮定をしようと、進化した【修復】スキルを持っている状態の俺が、ファルコンと共に行動するだけことはありえないと断言できた。
「ルーク殿の温情に感謝することだな。行くぞ」
ヘイゼル隊長は【修復】が済んだと判断するや、すぐにファルコンを連行して建物の外へと移動を開始した。
「にしても、まさか王国が本気の戦争に乗り出すとはな。黄金牙が動いたってことはそういうことだろ?」
「無駄口は慎め……と言いたいが、最低限のことは教えておかねばなるまいな」
「と、いうと?」
「王宮は幾度も秘密裏に外交的解決の機会を与えたが、魔王軍はその全てを黙殺した。奴らには戦争回避の意志が全くなかったのだ」
「まぁ、俺としては好都合だ。黙ってても魔王をぶちのめしてくれるんだからな」
軽口を叩くファルコンに対し、ヘイゼル隊長はあくまで淡々と対応を続けている。
俺は少し考えてから、その背中に声を投げかけた。
「ファルコン。お前の目的、さっき言ってた魔王への報復なんかじゃなくて、ジュリアを助けることなんじゃないのか」
「…………っ!」
ここに来て初めて、ファルコンの顔に余裕の笑み以外の表情が浮かぶ。
態度が一瞬で急変したと言ってもいいだろう。
それは驚きと焦りと恐怖が混ざりあった、とても人間的な反応であった。
「別にそれ自体はいいんだが、あの女剣士を取引材料に使われて、向こうに寝返ったりされたら色々と面倒だ」
「お……お前に何が分かる!」
「何も分かるわけないだろ。俺とお前は大して深い関係でもないんだからな。お前が寝返りを良しとするのかどうかも、ジュリアがそれを喜ぶかどうかも、俺にはさっぱりだ」
更に言えば、ファルコンとジュリアがそこまでお互いを重要視していたということすら、今になってようやく分かったも同然だった。
ファルコンは奥歯を噛み締めて、叫びだしそうになるのを堪えている様子だった。
強い焦り――後のない計画が予想外の形で崩壊しつつある焦燥感。
奴の態度からはそんな雰囲気が感じられた。
「察するに。魔王への報復が目的で、黄金牙が代わりに戦うならそれで満足だ……なんてフリをして油断させておいて、隙を見て逃げ出すつもりだったんじゃないか?」
「黙れ! 黙れ黙れ!」
吼えるファルコンを四人の騎士が力任せに引き止める。
俺はそれに構いもせず、淡々と推理を語り続けた。
「本当の目的を正直に言わなかった理由は、ジュリアが竜人になったと黄金牙に気付かれたら、討伐対象になって殺されかねないからだろう?」
「…………ッ!」
「何せ、勇者サマですら今や人類の敵扱いなんだ。仲間の剣士が見逃されるわけがないよな」
ファルコンが急に言葉を失い、騎士達に支えられたままがくりと脱力する。
黄金牙はファルコンを事情に関わらず敵とみなしたように、ジュリアも間違いなく同じ扱いをするはずだ。
今回、ファルコンを生け捕りにしたのは半ば偶然。
たまたま捕獲可能な状況だったからそうしただけで、万全の敵戦力として現れていれば、殺害を前提に戦っていたことだろう。
黄金牙が戦うのであれば、ジュリアの助命など望むべくもない。
「……ルーク……そこまで分かってるなら、何で黄金牙の前で言うんだよ……そんなに俺達が憎いのか? 魔物に堕ちたまま惨めに死なせて、ざまぁみろって笑いたかったのか……?」
ファルコンは弱りきった声を震わせて、崩れ落ちかけたまま縋るように俺を見上げた。
この変わりよう、今までの態度は意図的に取り繕っていた仮面だったのかもしれない。
黄金牙が魔王軍と戦うことを知り、手酷い改造を受けたジュリアが魔物として殺されることを恐れ、必死になって這い上がってきたのかもしれない。
だが、俺にとってはどうでもいいことだ。
「恨みはあるに決まってるだろ。けど、今回はそういう話じゃない。お前の考えは最初から無意味なんだ。ジュリアが竜人にされたことは、俺も黄金牙も知っている周知の事実なんだよ」
ファルコンは何かを言おうとして口を開けたまま動きを止め、そして深い絶望を抱えて項垂れた。
この場で暴れて脱走を試みるという、ギャンブルじみた選択肢を選ぶ余裕すら消え失せてしまったようだ。
そこで一端言葉を切り、肩越しに背後へ目を向ける。
ガーネット、サクラ、ノワール、アレクシア。
俺の事情を知る面々が固唾を呑んで状況を見守っている。
彼女達は俺がどんな対応をすることを望んでいるのだろうか。
ここにいないシルヴィアは一体どんな思いを抱くのだろうか。
少なくとも――冷酷に切り捨て、踏みにじったところで俺を否定したりはしないだろうが、称賛することも決してないに違いない。
むしろ、そういう奴らだからこそ好ましく付き合っていられるのだ。
それならまぁ、少しくらい格好をつけても罰は当たらないだろう。
「――だけど、俺が黄金牙の方針に従う理由もない。自称親友もスタッフにいることだし、余裕があったら捕獲も試してみるさ。もちろん、うちの連中に被害が出そうなら全力で戦うけどな」
「ルーク……お前、俺を哀れんでやがるのか……! 同情して、そんなことを……!」
喜怒哀楽が複雑に入り混じった表情で、ファルコンは歯を食いしばる。
俺は短く「まさか」と答えてから、奴に少しだけ顔を近付けた。
「過去のお前達を相手に満足するよりも、今のあいつらを相手に満足したくなっただけだ。単なる格好つけさ。気の迷いで感謝したくなったなら、俺の人生を充実させてくれたあいつらに言うんだな」
昔、誰かが『幸せになることが一番の復讐だ』と言っていたのを聞いた覚えがある。
そのときは甘いことを言う奴だとしか思わなかったが、今なら少しだけ――ほんの少しだけだが、理解できなくもないような気がした。
「お前達が人間として裁かれて、人間として罪を償うことになったとしても、俺は充分に満足できる。それだけの話さ」




