第122話 不知火桜の記憶
神降ろし――それはサクラの一族が代々研究を続けてきた秘術である。
そもそも『神』というのは、人間にスキルを与えるモノとして想定された存在だ。
神を人間的な自我を持っている存在とみなして信仰するのが多数派だが、人格を持たない力の塊だと主張する者も一定数いる。
しかしどちらの主張も証明されたことはなく、俺のように「スキルを与える『何か』は存在しているのだろうが、それが何であるのかは分からない」と考える奴も少なくない。
こういった議論はウェストランドだけでなく、サクラが生まれ育った東方でも変わらないそうだ。
サクラの一族は『神』を『超常的な力の塊』と考える勢力に属し、ナギは『自我を持つ上位種族』に属しているらしい。
そして、サクラの一族は人間にスキルをもたらす『力の塊』の一端を、自分達の肉体に降ろす秘術の研究を進めていた。
――これが神降ろしである。
俺がサクラに依頼されて造った総ヒヒイロカネ製の刀も、神降ろしを成功させるために必要な祭具であり、これによってサクラは神降ろしを実現できるようになった。
だが、完全な神降ろしの実現のためには、もう一つ必要なものがあると考えられているらしい。
それが『神降ろしの紋様』であり、さきほどサクラが俺に【修復】を依頼したものだ。
「神降ろしの紋様ってのは目に見えないモノなんだよな」
「はい。完全に励起させれば可視化されるそうですが、普段はどこにあるのかも分からないようになっています」
「分かった。となると【解析】が頼みの綱か」
紋様とはいっても、入れ墨のように物理的に刻まれたものではない。
魔力的な手段によって血筋に刻み込まれたものであり、親から子へ受け継がれる形で、生まれつき肉体に備わるように設計されたものだ。
しかし、どうやらその継承過程に欠陥があったらしく、世代を経るごとに少しずつ紋様に歪みが蓄積するようになってしまったらしい。
総ヒヒイロカネ製の刀の作成を含む神降ろしの研究が難航し、世代を積み重ねている間に歪みが大きくなり、正常に機能しなくなる恐れが生じてきたのだ。
「念のため確認しておくけど、紋様を【修復】したからって性能が上がる保証はどこにもないぞ」
「存じています。ですが、やれることはしておきたいのです。万が一のときに、あれをやっていればもしかしたら、なんて後悔はしたくありませんから」
サクラは強い意志の籠もった瞳で微笑んでみせた。
それならもう、俺から言うことは何もない。
依頼されたとおりに仕事をこなすだけだ。
「よし、じゃあいくぞ」
俺は意識を集中させながら、サクラの首元と胸元の間辺りに手を置いた。
まずは【解析】の魔力を重点的に注いでいく。
【修復】は後回しでいい。今の紋様の形を読み取って、本来あるべき形を探り当てるのだ。
ぼんやりとした全体像が頭に浮かんできたところで、俺のものではない記憶の光景が、視界いっぱいに広がっていく。
ああ、これは――前にガーネットの古傷を【修復】したときにも同じことがあった。
これから目にする風景は、きっとサクラの思い出なのだ。
――見たこともない様式の建物だ。東方の住居なのだろうか。
床一面が乾いた草を編んだ床材に覆われている。
とても開放感があって、紙製の壁……いや、あれは扉か、とにかくそれらが開かれた向こうには、落ち着いた雰囲気の庭園が広がっていた。
そんな広間の中心で、俺は――いや、記憶の中核となっている幼いサクラは、床に直接座って父親らしき男と向かい合っていた。
白を基調とした東方風の衣装を身にまとった、厳格でありながら優しさを滲ませた壮年の男だ。
『よく聞きなさい、サクラ』
父親は優しい声で幼いサクラに語りかける。
『神をその身に降ろすことは、我ら一族の永年の悲願だ』
『はい、お父様!』
サクラは元気よく返事をした。
素直な少女だということがそれだけで伝わってくる。
『しかし、大事なことを忘れてはいけない。神の力に飲まれることだけはあってはならない。分かっているな』
『……はい、もちろんです』
今度の返答には元気がなかったが、それは恐怖心が原因であるように思われた。
父親が怖いのではない。
語られようとしている過去の出来事が恐ろしいのだ。
『昔、我らの一族から、緋緋色金の刀の製造を成し遂げた者が現れた。その者は完全な神降ろしを試み――そして失敗した。神の力に心を塗り潰され、全てを焼き尽くしてしまったのだ』
父親が真剣に語り聞かせている物語に、幼いサクラは身を縮こまらせて恐れをなしていた。
子供らしい反応だと笑うことはできない。
いずれ神降ろしの試みを引き継ぐサクラにとって、これは自分の身にも起こりうるかもしれない出来事なのだ。
『力に飲まれてはいけない。これだけは忘れるな――』
――情景が一瞬のうちに切り替わる。
父娘が語らっていた木造の広間が、真紅の炎に包まれて燃え盛っている。
先ほどよりも成長して、幼さが薄れてきたサクラが、庭園を背に板張りの廊下に立ち尽くしている。
燃えている。
木製の天井が。紙張りの壁が。草を編んだ床が。
そして、かつて父親と呼んでいたモノが。
父親だったモノは、父親を塗り潰したモノは、父親の姿で声高らかに笑っていた。
『お父様ッ!』
異様な哄笑が響き渡る中、木造の広間の天井が崩れ落ち、全てを熱と煙で覆い尽くしていく――
「――ルーク殿。ありがとうございます、何やら体が軽くなったような気も――」
視界が戻り、満足げに微笑むサクラの顔が視界に入った瞬間、俺は反射的にその肩を強く掴んでいた。
「ル……ルーク殿?」
「駄目だ。神降ろしは使うな。あれは……直すべきじゃなかったかもしれない」
「ええとですね……何か差し障りでもありましたか?」
サクラは酷く困惑した様子だったが、俺の手を無理に振り払おうとはせず、落ち着いて話を聞き出そうとする姿勢を見せた。
「……悪い、急にこんなこと言い出しても駄目だったな」
衝動的に行動してしまったことを二重の意味で後悔する。
もっと冷静に話題を切り出せたはずだし、なによりこんなことを言い出したら、『【修復】で記憶を読める場合がある』という事実を教えなければならなくなってしまう。
しかし、口にしてしまったものは仕方がない。
目にした光景を素直に伝えると、サクラは驚きを露わにしながらも、俺を安心させるように笑いかけてきた。
「ご心配は不要です。私の父が神降ろしに失敗して命を落としたことは、既にお伝えしていたと思います。ルーク殿が垣間見たのはそのときの記憶でしょう」
「けどな……」
サクラにも同じことが起こりかねないんじゃないか。
そう続けようとしたのを遮って、サクラは腰に下げていた総ヒヒイロカネ製の刀を鞘ごと手に取り、俺の前に差し出してきた。
「父の失敗は不完全な代用品の祭具を用いたことです。しかし、私にはルーク殿に仕立てていただいた刀があります。ましてや不完全な紋様でも成功したことが、紋様を完全にしたせいで失敗に終わるのは考えにくいでしょう?」
落ち着いた口調でそう言われ、心の中に僅かな納得が芽生えてくる。
もちろん、完全に不安が消えてなくなったわけではない。
懸念事項は当然のようにまだまだ残っている。
「……降ろせる力が増えて制御できなくなる、なんてこともありえるんじゃないか?」
「完全に納得していただける根拠は、確かにありません。こればかりはどうしようもありませんね。ですが……」
サクラはヒヒイロカネの刀を抱いて明るく微笑んでみせた。
「私は私自身と、ルーク殿が造ってくださった守り刀を信じています。こんな答えでは駄目でしょうか」
それ以上は反論の言葉が浮かんでこなかった。
無理に食い下がったところで、いやだいやだと駄々をこねる子供のようにしかなりそうにない。
「……無茶だけはしないでくれよ」
「はい、もちろんです!」
サクラと、そして自分が造った刀を信じる。
俺は心の中でそう結論付け、自分自身を納得させることにしたのだった。




