第121話 優先すべきもの
ちょうどいいスクロールを譲ってもらえたので、皆が待機している大部屋を出てガーネットを探しにいくことにする。
この魔道具――ヒーティングのスペルスクロールなら前にも使ったことがある。
豪雨でずぶ濡れになった服と体を短時間で乾かし、温めることができる熱を発するので、今のガーネットにはぴったりだろう。
しばらく建物の中を歩いていると、物置と思しき一室を漁っているガーネットの姿を発見した。
「こんなところにいたのか」
「うおっ!? ……何だ、白狼のかよ。びっくりさせやがって」
「……不用心だな、お前らしくない」
ガーネットは冒険者服の上着を脱いで、濡れて貼り付いた肌着姿で物置を物色していた。
こいつの本当の性別を把握した状態で見ると、何というかこう、危うさを感じずにはいられない光景だった。
具体的に表現して指摘するのは憚られるが、今のガーネットの格好では、性別を偽るのはかなり厳しいと言わざるを得ない。
「しゃーねーだろ。地下水だからな、とにかく冷たさが尋常じゃなかったんだよ。本気で心臓止まるかと思ったぜ」
「それは分からなくもないけど、俺以外に見られたらどうするんだ」
正体の露見を心配し、余計なお世話と分かった上で忠告をしておく。
これが問題になって護衛から外されることになったら一大事だ。
「あー……それは嫌だな、確かに。今後は気ぃ付ける」
……何やら認識の齟齬があるような気がする。
それも深く追求したら墓穴を掘ってしまう類いの齟齬が。
「とりあえず、ヒーティングのスペルスクロールをもらってきたから、こいつを使って乾かしておけ」
「黄金牙の連中からか? あいつらの世話になるのは癪だけど、背に腹は代えられねぇな。んじゃ、誰か入ってこねぇように見張っといてくれ」
ガーネットはさっそく床にスクロールを拡げ、魔力を注いで起動させると、脱ぎ捨ててあった上着を被せて乾かし始めた。
靴も脱いでスクロールの熱に晒し、更に濡れて肌に貼り付いた肌着まで脱ごうとする。
そこで流石にまずいと気付き、ガーネットに背を向けて目の前の扉だけに注意を傾ける。
まったく、いくらなんでも躊躇いがなさすぎる。
心から信頼されていると表現すれば聞こえはいいが、多少はこちらの心境も考慮してもらいたいものだ。
誰かがいきなり扉を開けないよう警戒することに集中していると、ガーネットが語勢を落として話しかけてきた。
「なぁ、白狼の。悪かったな。オレ達の都合に付き合わせちまって」
「何の話だ?」
振り返らずに聞き返す。
本当に心当たりが全くない謝罪であった。
「ファルコンだよ」
ガーネットからの返答は簡潔で、そしてこれ以上なく明確でもあった。
「あいつを生け捕りにしたいってのは銀翼騎士団の事情だ。お前の気持ちを考えるなら、無理に押し通していいもんじゃなかったのかもしれねぇ」
「……なんだ、そんなことか」
背後で俺を見上げているであろうガーネットに分かるように、わざとらしく肩を竦めてみせる。
「まぁ、あいつを恨んでないって言えば、もちろん嘘になる」
かつて勇者ファルコンから受けた仕打ちのことは、もちろん今も忘れてはいない。
高難易度ダンジョンの攻略中、奴の些細なミスで食料の多くを喪失し、その帳尻合わせとして迷宮の只中に取り残された――その恐怖と苦痛を忘れることなどできるわけがない。
迷宮の壁の隙間――それがミスリル製だと知ったのは後のことだ――から流れ出る地下水を頼りに生きながらえ、理由は不明だが【修復】スキルが進化を果たしたことで生還できたが、それが起こらなければ俺は間違いなく死んでいた。
当然、問題は脱出して終わりとはならなかった。
肉体面の回復にも時間が掛かったが、それ以上に精神面への影響が大きく、一時は一般人でも安全に立ち入れるEランクダンジョンに踏み込むことすら困難になってしまった。
その元凶であり、パーティの決定の責任者でもあるファルコンに対し、嫌悪や憎悪を抱いていないはずなどなかった。
「でもな。俺個人の恨みの発散と、魔王軍の秘密の解明。どちらを優先すべきかなんて、考えるまでもないんじゃないか?」
怨恨をあっさり捨てて寛容に許しを与えられるほど、俺は人間ができてはいない。
状況が許せば報復の一つでもしてやりたいとは思っている。
だが、個人的な感情に拘って大きなものを見失うほど、考えなしに生きてもいない。
我儘を押し通せる状況かどうかはきちんと見極められるつもりだ。
「優先順位の付け方を間違えないこと。前にも言ったかもしれないけど、それが長く冒険者を続けるために重要な心得だったんだ」
「ああ……お前はそういう奴だよな。損な性格してるぜ、まったく」
背後から大仰な口振りの言葉を投げかけられる。
ガーネットの声からは、呆れだの見下しだのといった否定的な感情は一切感じられない。
むしろ肯定的な――そんな返事を聞きたいと思っていたかのような反応だった。
「もう少し馬鹿に生まれてりゃ、面倒なんか感じず気楽に生きていられたかもしれねぇのにな」
「そりゃどうも。けど、根本的に向いてない仕事を意地と拘りだけで十五年も続けたって考えると、俺もなかなかの馬鹿だと思うぞ。もちろん後悔なんかは……」
「……そういう馬鹿なら好きだぜ、オレは」
思わず、口にしようとしていた言葉を途切れさせてしまう。
今のはどう考えても反則だ。
どうしてこんな台詞を吐くときだけに限って、あんなに優しくて柔らかい口調ができるんだ。
目元を手で抑え、雑念を振り払うように首を横に振る。
それこそ馬鹿か俺は。状況を考えろという奴だ。
「とにかくだな、ガーネット――」
何でもいいから話題を変えようとした矢先、部屋の扉が勢いよく外から開かれる。
「ルーク殿! 急ぎのお願いが……わぷっ」
「おっと」
部屋に飛び込んでこようとしたサクラの顔を、手でぐっと押し返す。
手の平と自分の体で、サクラの視線を完全に遮る形だ。
「『男』が裸で体を乾かしてるところに、そんな風に入ってくるもんじゃないぞ」
「す、すみません。ガーネットもいたのですね……迂闊でした」
そうやって視線を塞いだまま、サクラと一緒に部屋の外に出て、後ろ手に扉を閉める。
「お願いってのは何だったんだ?」
サクラは俺の手から顔を離してから、真剣な眼差しをまっすぐに向けてきた。
「事態がここまで深刻になった以上、もはや私個人の感情には拘っていられません。より一層の戦力となれるよう、神降ろしを完全なものにしたいと思います」
「ということは……俺の【修復】スキルの出番ってわけか」
「はい。神降ろしの紋様――その【修復】をお願いしたいのです」




