第119話 死闘の幕切れ
「な、何が起こったんだ……」
司令官の女騎士が唖然とした声を漏らす。
突進するアウストリに放たれるも、全て弾かれてしまったストーンバレット――それがアウストリの背後から襲い掛かったのは、奇跡でもなければ怪奇現象でもない。
ただ単に、地面を【修復】しながらストーンバレットを放っただけだ。
挙動としては、かつて繰り広げた拠点防衛戦において、攻城ゴーレムに破壊されかけた城壁を【修復】したときと同じである。
渾身の【修復】を受けている物体が破壊されたとき、吹き飛ばされた破片は猛烈な勢いで元の場所に引きつけられ、破壊前の状態に戻ろうとする。
このときに生じる反動は、巨大な攻城ゴーレムを転倒させるほどに凄まじい。
アウストリを背後から襲った石弾は、まさにこの現象によって『戻ってきた』ものなのである。
「ルーク殿! ガーネット!」
「気ぃつけろよ、サクラ。あの野郎、まだ起き上がってきやがるぞ」
大急ぎで駆けつけてくるサクラにガーネットが忠告する。
その言葉のとおり、アウストリは全身に負った刀傷からおびただしい血液を流しながらも、余裕に満ちた態度を崩していなかった。
少なからぬダメージを受け、奴もそれなりに消耗しているにも拘わらず、だ。
以前なら底知れない不気味さを感じていたのだろうが、今ならどうして平然としていられるのかも理解できる。
「(ここで倒されても後で復活できるんだ。そりゃ恐怖心も何もあったもんじゃねぇよな……!)」
前提そのものが不公平過ぎることに目眩を覚えそうになる。
俺を含めた十一人がアウストリを遠巻きに取り囲み、油断なく警戒を維持する。
こちらから絶え間なく攻めるべきか、あるいは奴の出方を窺うべきか――そこに僅かな迷いが生じ、足を止めての睨み合いに陥ってしまう。
それを破ったのは、数の上では圧倒的不利にあるアウストリの方だった。
「やれやれ、流石に評価を改めねばなるまい。たかが十人やそこらの人間ごとき、容易く蹴散らせるだろうと高を括っていたが、なかなかどうして精鋭揃いではないか」
アウストリは背後で荒れ狂い氾濫する水路に手をかざすと、強烈な旋風を発生させた。
「できることなら、無駄に手札を晒さずに片付けたかったところだが。もはやそうも言っていられまい!」
水路の許容量を超える奔流が、旋風に根こそぎ巻き込まれ、水の竜巻のように高く噴き上がる。
「我が名は『嵐』のアウストリ! 空なき地下世界に、かの天象を生み出せるが故に!」
アウストリの頭上に、凝縮された暴風雨の巨大な塊が生成される。
あまりにも異様な光景を目の当たりにして、アウストリが実行しようとしている一手がまるで想像できなかった。
「ルーク殿! やむを得ません、神降ろしを使います! 戦闘後は行動不能に陥るかもしれませんが――」
サクラが薄紅色の刀を鞘に戻し、もう一振りの緋色の刀を抜き放つ。
――その腕が緋色の刀ごと宙を舞った。
「がっ……!」
突如、サクラの右腕が肘の少し上で切断され、刀を抜いた勢いのままに飛んでしまったのだ。
「サクラ!」
「……水の刃だ! 嵐の塊から撃ち出された! 立ち止まるな、狙われるぞ!」
片腕を落とされながらも、サクラが不可視の攻撃の正体を叫ぶ。
凄まじい風圧によって形成加速された水の刃が、アウストリの頭上に凝縮された嵐から次々に射出され、ダークエルフの簡素な住居を斬り裂いていく。
俺がサクラに走り寄り、急場の止血として【修復】の魔力で傷口を包もうとしたとき、傍らを小柄な人影が駆け抜けていった。
「ガーネット!?」
「任せろ、オレがやる! 後始末は任せたぜ!」
それに呼応するように、四人の黄金牙の騎士達もアウストリへ殺到する。
風圧の加速を受けた水の刃が立て続けに連射される。
それはもはや殺傷力を帯びた豪雨のようだった。
ガーネットは防壁の魔法紋を発動させ、防ぎきれなかった攻撃をドラゴンレザーの着衣で軽傷に抑え、それでもなお流血を撒き散らしながら疾走し続ける。
生還することさえできれば、どんな重傷でも俺の【修復】で取り返しがつく――そんな信頼を前提とした全力の突撃であった。
騎士達も各々の武器とスキル、そして甲冑で凌ぎながら接敵を試みたが、一人また一人と深手を負って崩れ落ちていく。
しかし、さしものアウストリといえど、五人同時の決死の強襲を迎撃しきることはできなかった。
「これ以上ッ! 好きにさせるかよ!」
あと数歩の間合いまで迫った瞬間に、ガーネットは防壁を解除して魔力の斬撃を繰り出した。
アウストリが風圧の盾でそれを防ぐと同時に、渾身の強化を帯びた脚力で地面を蹴って急加速。
小柄な体格を逆に利用し、アウストリが盾を展開すべく突き出した腕の下に潜り込んだ。
「……ッ! 小僧ッ!」
「終わりだ!」
ミスリルの刀身が狙い過たずにアウストリの左胸を貫通する。
剣は柄の手前まで深々と突き刺さり、誰が見ても致命傷でしかない損傷を与えた。
しかし恐るべきことに、それでもなおアウストリは即死しなかった。
「おのれ、貴様だけでも……!」
「……っ!」
アウストリの胸から剣を抜いて飛び退こうとするガーネット。
それでもアウストリの広い間合いからは逃れ切れず、風圧の刃を纏った右手が振り下ろされる。
だが、その右腕はガーネットに届くことなく斬り落とされた。
「目には目を。お返しだ」
【縮地】で出現したサクラが両腕で刀を振るい、アウストリの悪あがきに横槍を入れたのだ。
大急ぎの全力【修復】が辛うじて間に合った。
俺にできることはこれだけなのだから、せめてこれだけは完璧にこなさなければ。
「おの……れぇ……!」
頭上の水球が弾け、膨大な水が一挙に降り注ぐ。
それは攻撃などではなく、魔法の維持が不可能になったことによる崩壊であった。
サクラは【縮地】で回避したが、ガーネットは大量の水の直撃を受けて押し流されてしまった。
「ぷはっ! くそ……!」
ずぶ濡れになりながらも起き上がり、戦闘を継続しようとしたガーネットだったが、すぐにそれが無意味な警戒だと気がついて構えを解いた。
「……終わったみてぇだな」
アウストリはその場に立ち尽くしたまま完全に沈黙していた。
浸水した足元は鮮血で赤く染まっており、どんな生物でも失血死を免れられない出血量であることが窺える。
「これだけやっても、本体が死んだわけじゃねぇんだろ。まったく、堪ったもんじゃねぇな」
ガーネットが剣を片手に一歩前に進み出る。
「とにかく、この肉体にはきっちりトドメを刺しとくぜ。再利用でもされたら面倒だからな」
そう言って首を刎ねようとした瞬間、死んだはずのアウストリが目を見開き、残った左腕を勢いよく振り上げて猛烈な旋風を発生させた。
「くそっ……!」
肉体が滅びる瞬間に最後の抵抗を試みる――ヴェストリのときと同じだ。あのときは膨大な土煙の煙幕を展開したが、今回は――
「……ごっ」
鈍い音がアウストリの口から漏れ、血反吐が溢れ出ると共に旋風が消え失せる。
アウストリの胸からは、分厚い鱗と鉤爪を備えた腕が生えていた。
「邪魔ダ……」
今度こそ完全停止したアウストリが無造作に投げ捨てられる。
奴が背にしていた、地下水路の水流が流れ去っていく下流側のトンネル。
その入り口に満身創痍の竜人が佇んでいた。
一部を鱗に侵食されながらもほぼ原型を保った顔。
ドラゴンの虹彩を持つ瞳。鋭い牙を覗かせる口。
血に染まった左腕は、もはや人間のそれとは別物に置き換えられ、背中からは片方が力なく垂れ下がった翼が、腰部からは長いドラゴンの尻尾が生えている。
それ以外の部位が人間に近い形状を保っていることが、逆に不気味さを感じさせる歪な容貌――俺はこの竜人を誰よりもよく知っていた。
「……ファルコン……!」
「何だってっ!? いや、確かに人相書きと……」
驚き戸惑うガーネットの横を、勇者ファルコンはゆらりと通り抜けていく。
地下水路と聞いた時点で想像するべきだったのだ。
かつてファルコンの襲撃を受けたとき、俺は奴を『魔王城領域』よりも更に深い領域の地底湖に落とすことで決着をつけた。
ここにある地下水路の終着点が、あの地底湖だったとしても何の不思議もない。
「……ドコ、ダ……」
しかし、何やら様子がおかしい。
ファルコンは警戒心を露わにした俺達に――あれほど執着していた俺にすらも――注意を払うことなく、虚ろな表情で水没した広場から歩き去ろうとしている。
「ジュリア……」
そして、ようやく水深が足首よりも浅くなってきたところで、糸が切れた人形のように崩れ落ちて倒れ伏したのだった。




