第118話 生きた嵐との死闘
「ふん、人間どもの増援か。あの奔流からよく生還できたものだ」
アウストリは旋風の障壁を纏ったまま、悠然と腕組みをした。
数の上では十一対一。俺は戦力外としても十対一。
それでもなお、アウストリの余裕の態度が崩れることはなかった。
「まぁいい! 雑魚が何体集まろうと同じことだ!」
旋風が更に急加速を重ね、竜巻を凝縮したかのような球状の障壁が形作られる。
「十人だろうと百人だろうと、嵐の前に立てばまとめて吹き飛ばされる以外にありえまい! 貴様らを葬るための労力は変わらぬよ! 戦闘における効率とはこういうことだ!」
暴風を纏ったアウストリが宙に浮き上がる。
そして広大な地下室の天井付近で暴風を解き放ち、ノワール達に向けて強烈な風圧の壁を叩き込まんとした。
「貴様らは生かしておく必要などない! 虫のように潰れるがいい!」
「――カウンターウィンド!」
メリッサが元素魔法を発動させ、アウストリの狂風とは逆向きに渦巻く旋風を巻き起こす。
風と風がぶつかり合い、俺達に襲いかかる風威が格段に削減されていく。
完全に打ち消せたわけではないものの、自然にも起こりうる強風程度にまで抑え込まれた風圧は、もはやダメージを恐れるような脅威にはなりえなかった。
「やった……!」
「ほう?」
アウストリが対空したまま興味深そうな声を漏らす。
「あの男を巻き込まぬよう威力を絞ったとはいえ、よく受け止められたものだ」
相殺には成功したが、やはり消耗はメリッサの方が格段に大きい。
間髪入れずにアレクシアが大型弩弓を振り向け、空中のアウストリめがけて魔装弾を発射する。
「ははは! それは知っているぞ!」
アウストリが眼前に暴風の渦を盾のように発生させる。
魔装弾は旋風に妨げられたまま爆発し、その炎と爆風もアウストリの旋風に取り込まれて受け流される。
だが、炎によってアウストリの視界が遮断された。
「……タールフラッド……」
ノワールの足元から、魔力で練り上げられた乾留液のような黒いモノが溢れ出て、氾濫した水路の水と混ざり合って総量を増していく。
泥濘の触手が間欠泉のように何本も噴き上がり、空中で炎に視界を塞がれたアウストリの脚に絡みついた。
「ぬうっ!?」
「……凝結せよ……」
さながら血液が凝固するかのように、アウストリを捉えたタールフラッドが凝結して束縛を強める。
「今だ! 突撃せよ!」
司令官らしき女騎士の号令で、四人の配下の騎士が一斉に攻撃を開始する。
先陣を切ったのは、刺突剣と短剣を携えた二刀流の騎士と大剣を担いだ騎士。
凝結したタールフラッドを坂道のように駆け抜けて、左右から同時にアウストリに斬りかかる。
「ぬうんっ!」
旋風の盾を両手に発生させて攻撃を防ぐアウストリ。
だが、二人の騎士の攻撃は布石に過ぎなかった。
騎乗槍を構えた騎士が、爆発的な魔力の放出で瞬間的に加速。
タールフラッドの坂を一瞬で踏破して、その穂先をアウストリの胴体に深々と突き立てた。
「ぐはっ……!?」
風の防壁による阻害を物ともしない加速力。
それが生み出す破壊力は凄まじく、アウストリの脚に絡みつくタールフラッドを引きちぎって、奴と諸共に地面へ落下する。
四人目の騎士はまさしくその直後を狙っていた。
水面を滑るような高速移動によって瞬く間に距離を詰め、騎乗槍の騎士が飛び退いたと同時に斧槍を叩き込む。
噴出する鮮血。ハルバードの刃は確かにアウストリを捉えていた。
しかしその太い腕が、際どいところでハルバードの柄を受け止めており、刃は肉を深く裂くも骨を断つには至らずに停止していた。
「猪口才なッ!」
瞬発的な暴風が騎士達を押しのける。
それ自体がダメージに至ることはなくとも、アウストリに体勢を整えさせるには充分な猶予を生み出した。
「調子に乗るな、人間ども!」
アウストリが突き出した両手の間に、膨大な空気が凝縮されていく。
今までとは逆向きの、アウストリの方へと引き寄せられる方向の暴風が吹き荒れる。
それほどまでに凄まじい量の空気が吸い込まれているのだ。
奴の周囲に吹き荒れる暴風はこれまでの比ではなく、仮にサクラが【縮地】で肉薄しても、攻撃に転ずる前に吹き飛ばされかねない状態だった。
「まずは半分、削らせてもらう! 防げるものなら防いでみろ!」
歪んで見えるほどに圧縮された気体が解き放たれ、暴風という表現では到底収まらない破壊的な奔流が押し寄せる。
射線上に存在する標的は、ノワールとアレクシア、そしてメリッサと女騎士の四人。
地面を覆う水の層が根こそぎ吹き飛び、土の床面が風圧によってえぐられ、直撃していないはずの建造物の表面が砕け散る。
絶大な威力のみならず、宣言通り俺を直撃に巻き込まない巧みさを兼ね備えた、あらゆる意味で怪物じみた一撃だ。
「カウンターウィンド……!」
「防壁展開!」
「……タールフラッド!」
メリッサの元素魔法、女騎士の魔力防壁、そしてノワールの漆黒の障壁。
三重の防御にも拘わらず、風魔法は瞬く間にかき消され、魔力防壁も即座に限界を超えて消滅し、残る漆黒の障壁も力任せに突き破られていく。
俺は咄嗟に足元を浸す水に――ノワールのタールフラッドと混ざりあった沼のような液体に触れて【修復】を発動させた。
【修復】の魔力は漆黒の障壁にまで伝播し、今まさに破られようとした守りをギリギリのところで繋ぎ止める。
「……ルーク……!」
「ぐ、うっ……!」
アウストリが放った嵐の破壊力に対抗できるだけの魔力を絞り出し、その猛威が尽きるまで【修復】を使い続ける。
魔力結晶の力を借りているとはいえ、肉体を通して膨大な魔力を放つ際の負荷は着実に体力を削り取っていく。
――魔力を水に喩えるなら、今の俺は大容量のタンクに繋がれた管のようなものだ。
水圧を上げて大量の水を一気に流せば、管に強烈な負荷が掛かって破断の恐れすら生じてしまう。
やがて壮絶な競り合いに競り勝ったのは、ノワールの漆黒の障壁と俺の【修復】だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
風圧が収まり、タールフラッドも解除され、透明に戻った水が一気に周囲へと溢れ出る。
「……なるほど。やはり陛下の目に狂いはなかった」
切り札と思しき一撃が防がれたというのに、アウストリはなおも笑っていた。
それは嘲りや自惚れによるものではなく、どういうわけか喜びの笑顔であるように感じられた。
考えてみれば当然だ。
奴は何故か生け捕り命令が下っている俺を巻き込まないよう、常に攻撃の威力と範囲を調整して戦っている。
手加減した攻撃をぎりぎりの抵抗で防いだところで、奴にとっては大した問題にはならないのだ。
「なればこそ! 生け捕りにせねばならぬなぁ!」
突如、アウストリが突風を受けて猛然と加速し、凄まじい速度で間合いを詰めに掛かる。
それはもはや走行ではなく低空飛行の域にあった。
サクラと騎士達が次々に刃と突き立て、肉を断ち斬るも、アウストリは容赦なく彼らを振り払い、減速するどころか更に加速を重ねていく。
「はははははッ! 足りぬなぁ! 到底足りぬ! この程度では止まってやれぬわ!」
「ルーク君!」
アレクシアが慌てながらもスペルスクロールを投げ渡してくる。
留め具に書かれた名はストーンバレット。
適当に選んだ割には絶好の選択だ。
スクロールを拡げて水没した地面に手を突く。
地中の石を核に複数の石弾が生成され、立て続けにアウストリ目掛けて射出された。
「無駄無駄無駄ァ!」
血みどろのアウストリは全ての石弾を風圧で弾き飛ばし、俺に掴みかからんと腕を伸ばす。
間に割って入ったガーネットが剣を振るおうとした瞬間――
「ぐがあっ!?」
――弾き飛ばされたはずの石弾が、アウストリに背後から襲い掛かった。
全くの予想外のタイミングで、後頭部を含めた無防備な背部に被弾したことにより、さしものアウストリも動きを鈍らせる。
「おおおおおっ!」
ミスリルの剣がアウストリを深く斬りつけ、追撃で放たれた全力の回し蹴りがその体を遠くへ蹴り飛ばす。
連撃を浴びたアウストリは水没した地面を転がり、水路の下流側のトンネルの手前で停止した。
「よしっ! まずは一撃!」
ガーネットは会心の笑みを浮かべ、ぐっと拳を握りしめた。
ルークの攻撃が具体的にどういう仕組みだったのかの解説は、尺の都合でまた次回に。




