第117話 魔王軍四魔将、嵐のアウストリ
魔王軍四魔将、嵐のアウストリ――三人目の魔将。
城内に戻ってきているとは聞いていたが、まさかこんなところで鉢合わせることになるなんて。
「ヤベェな、こりゃ。警備兵が思ってたより少なかったのは、とんでもねぇ戦力が隠れてたからだったわけだ」
「小僧、言葉は正しく使え! この俺が逃げ隠れするはずなどないだろう? 焼けた肌を水路で冷やしていたに過ぎん」
「何が逃げも隠れもしないだ。黄金牙の追撃から逃げたからここにいるんじゃねぇのか?」
アウストリがやれやれと言わんばかりに首を横に振るう。
ガーネットの挑発にも心を動かした様子はなく、まるで微風のように受け流していた。
一人対三人、俺を戦力外としても一対二の状況でありながら、アウストリの言動はどこまでも余裕綽々としていた。
恐らく、俺達を脅威だと考えていないのだ。
身構えたり警戒したりする必要すら感じておらず、自然体でも充分に対処できる存在だと思っているのだろう。
慢心と言えばそのとおりだが、仮にアウストリの戦闘能力がノルズリと同等なのだとしたら、慢心するのも当然の実力差があってもおかしくはない。
「ガーネット、奴ばかりに気を取られるな」
サクラは居住区から駆けつけてくる兵士達に目ざとく気が付き、アウストリだけでなくそちらにも警戒を向けた。
増援の兵士の人数はおよそ十人前後。
先ほど倒した五人と合わせれば、ナギが証言していた水路の警備兵の人数と一致する。
「アウストリ様! 我々も加勢いたします!」
だが、それを止めたのは他でもないアウストリ本人だった。
「不要だ! 貴様らは近付くな! それよりもすぐに『門』を閉めてこい!」
「は、はい!」
踵を返して走り去っていく兵士達。
サクラは追撃をするべきか迷った様子だったが、アウストリとの対峙を優先して構え直した。
兵士を深追いしてアウストリの前を離れるリスクを嫌ったのだろう。
「けっ、武人気取りで格好つけやがって。まぁ、オレ達としては好都合だがな」
「言葉は正しく使えと言っただろう? 武人気取りとはノルズリのような輩を言うのだ。俺はこと戦いにおいては効率主義者でな!」
アウストリの周囲に旋風が渦巻いたかと思うと、瞬く間に勢いを増していき、数秒と掛からずに暴風の球となってアウストリを包み込んだ。
嵐や竜巻を凝縮したかのような突風の渦。
余波だけでも人間を吹き飛ばしかねない圧力を生み、その場に踏み留まるだけでも精一杯になってしまう。
「雑兵がいくらいようと、全くの無駄ッ! 我が暴風の餌食となった死体が増えるのみ! 俺一人いれば充分ということだ!」
吹き荒れる暴風。巻き上がる砂と土。水路も波打ち荒れ狂い、天井に届くほどの飛沫を上げる。
重心を落として立っているだけでも精一杯だ。
充分に間合いが開いているにも関わらず、油断したら簡単に吹き飛ばされてしまいそうになる。
「吹き飛べぃ!」
狂風の塊が解き放たれ、凄まじい速度の突風が襲い来る。
ガーネットは素早く俺の前に身を躍らせ、切っ先を地面に突き立てて魔力障壁を展開した。
防壁が突風を受け止める轟音が他の音を全て塗り潰す。
それと同時に、サクラの姿が視界からかき消える。
「むっ――?」
訝しがるアウストリ。その背後に抜き打ちの構えを取ったサクラが現れる。
【縮地】は高速移動ではなく瞬間移動に分類されるスキル。
視線さえ通っていれば障害物に阻まれることはなく、それがたとえ風圧の壁であろうと関係はない。
至近距離から繰り出される斬撃。
しかしアウストリはとてつもない反射速度で裏拳を繰り出し、背後のサクラに風圧の壁を叩きつけた。
「ぐうっ……!」
「ぬおっ……!」
サクラは吹き飛ばされながらも体勢を整え、隙を晒すことなく着地する。
アウストリの脇腹から鮮血が溢れる。
完全に迎撃できたわけではなく、刀の切っ先が肉体を捉えていたのだ。
暴風が弱まった一瞬の間に、ガーネットが素早くアウストリとの間合いを詰める。
豪快に繰り出された刃をアウストリの手が受け流す。
一撃、二撃、三撃――回数を重ねるごとに勢いを増す連続攻撃。
アウストリは旋風を纏わせた手で刀身に触れることなく受け流し続けていたが、一撃ごとに少しずつ確実に後ずさっている。
「鎧も着ねぇだなんて、油断極まったな!」
「はははははっ! 風こそが俺の鎧、俺の剣よ!」
あと数歩で壁際に追い詰められるというところで、サクラも剣撃に加わって同時攻撃を繰り出した。
「おらあっ!」
「はあっ!」
俺の目では残像すら見切れない高速の斬撃。
しかし、二人が振るう白銀の剣と薄紅色の刀の刃は、アウストリの手で受け止められていた。
いや、素手で受け止めたわけではない。
嵐を凝縮させた球体を両手に生成し、刀身をその風圧で包み込み食い止めているのだ。
「風こそが俺の剣と言っただろう? はははっ! 鍔迫り合いという奴だ!」
旋風が解き放たれ、サクラとガーネットが後方に吹き飛ばされる。
「ぬんっ!」
アウストリが縦に渾身の手刀を振り抜く。
すると風圧の刃が宙を裂き、地面に一直線の亀裂を刻みながらサクラへ襲い掛かった。
危なげなく【縮地】を発動させ回避するサクラ。
だが即座にもう一方の手刀が横薙ぎに繰り出され、半円状に繰り出された極大の風圧の刃が、転移を終えた直後のサクラを含む全てを広範囲に渡って斬り裂かんとする。
「しまっ――」
「おおおおおっ!」
それを迎え撃ったのは、ガーネットの魔力の斬撃だった。
同じく横薙ぎに放たれた魔力が、空中でアウストリの風圧の刃を相殺し、猛烈な炸裂音と衝撃波を撒き散らした。
「いかんいかん。護衛どもはどうでもいいが、白狼の森のルークは生きたままお連れしろとの仰せだったな。危うく奴まで真っ二つにしてしまうところだったぞ」
アウストリは疲労した様子もなく平然と笑っている。
一見すると互角に戦っているように見えるが、実際はこちらが不利だ。
もしも他の魔将が来ようものなら勝ち目はなくなるし、このまま戦い続けても先に二人の方が力尽きてしまうだろう。
何か打開する手段はないか――思考を巡らせながら周囲を見渡すと、場違いなものが暴風の残滓に煽られながら落ちてくるのが視界に入った。
「あれは……」
黒い鳥、いや、黒い鳥を象った人形だ。
アウストリの暴風に巻き込まれたせいか、すっかりボロボロになってしまっているけれど、ノワールが使い魔として使っている人形で間違いない。
とっさに拾い上げて【修復】すると、鳥の人形は息を吹き返したように首を動かし、周囲の様子や俺の顔を見つめてきた。
こんなものがここにいる理由は一つしかない。
「(俺達が脱出できるかどうかを確かめに来たんだ! 魔将と戦ってることが地上に伝われば、きっと……!)」
俺は人形を抱えたまま声を張り上げた!
「サクラ! ガーネット! もう少し踏ん張ってくれ!」
「……それは! 分かりました!」
「任せとけ、あのときみてぇな無様は晒さねぇよ」
二人が改めて武器を構え直し、アウストリと対峙する。
地上部隊からの応援が到着すれば状況を覆せるかもしれない。
現に土のヴェストリを退けることができたのだから。
しかし、アウストリは風の防壁を生み出しながら、心の底から愉快そうに笑い始めた。
「時間を稼げば救助が来ると思ったか? そういえば、ヴェストリも増援の到着を許したことで不覚を取っていたな。だが――今回は俺の一手が早かったようだ」
突如、地響きのような振動が地下居住区を震わせる。
次の瞬間、俺達が逃げ込まなければならなかったトンネルのような水路から、膨大な量の水が一気に噴出した。
「な、なんだっ……!」
狭い通路が瞬く間に大河の激流へと変わり果てる。
水路から溢れた大量の水が水路横の広場を浸水させ、ブーツの足部分が完全に水中に没してしまう。
アウストリは俺達が動揺する様が面白くてしょうがないといった様子で、する必要もない説明を余裕に満ち溢れた態度で語り始めた。
「この水路はな、上流で三つほどに枝分かれしているのだ。そして先ほど追い払った兵どもを分岐点に向かわせ、この水路以外に繋がる水門を閉めさせた。分かるか?」
「……あの水路から逃げることも、応援に来ることもできないってわけか」
「そうだ! はははっ! 戦いは効率的にこなしてこそだ! 貴様らの頼みの綱は溺れ死んだかもしれんなぁ! ははははは!」
アウストリが高笑いをしたそのとき、トンネルの出口から大きな何かが激流に流されて飛び出してきた。
「…………は?」
それは丸く展開された魔力防壁の球体だった。
人間を包み込めるほどのそれは、激流に弄ばれながら宙を舞い、浸水した広場に落下して何度かバウンドしてから停止した。
俺もガーネットも、サクラもアウストリも、突然の意味不明な状況に言葉を失って動きを止めていた。
どちらの陣営も『これ』が自分にとって有利に働くものなのか、不利になるものなのか、果たして手を出していいのかどうかすら理解できなかったのだ。
――数秒の間を置いて、泡が弾けるように魔力防壁が解除され、中に入っていたモノが浸水した広場に転がり出る。
「ぷはぁ! な、何だったんですか、急に水が増えるなんて!」
「……し、死ぬか、と……思った……」
「あ、ありがとうございます、ヘイゼル隊長」
複層都市のアレクシア。黒魔法使いのノワール。元素魔法使いのメリッサ。そして数名の黄金牙騎士団の騎士達。
紛れもない俺達の仲間がそこにいた。




