第116話 脱出作戦、そして予想外の遭遇
ナギから受け取った地図と、別れ際に伝えられたいくつかの注意事項を頼りにして、俺達は魔王城地下の居住区の一つを目指すことにした。
周囲を警戒しながら、石造りの城内を進んでいく。
当初の推測通り、魔王軍の兵士のほとんどは城壁で黄金牙騎士団と交戦しているらしく、道中の警備は想定以上に手薄となっていた。
「城壁を越えようとする相手と戦ってるわけだから、城の内側の巡回に人数を割くはずがない……ってところか」
激戦を繰り広げているであろう黄金牙騎士団には悪いが、こちらにとっては好都合だ。
使われていない空き倉庫を出て、物音を立てないよう気をつけながら廊下を通り抜け、地下へ続く大階段へとたどり着く。
それを下った先には広大な地下室が広がっていた。
「前から思ってたけどよ、地下空間の中に地下室があるってのは妙な感じだよな」
ガーネットは地下室を見渡しながら呆れ気味に呟いた。
天井はかなり高く、壁も含めて土と岩肌が剥き出しになっている。
土の天井には魔力照明が規則正しく点在し、城の外――『魔王城領域』の空ほどではないものの、地の底とは思えない光量で地下室を照らしている。
そして固く踏み固められた土面の上には、飾り気のない住居が大量に軒を連ねていた。
住居の大きさは一軒につき住人一名程度であり、それが少なくとも百以上。
白い土壁の立方体と表現できる形状で、窓と出入り口は単に四角い穴が空いているだけで扉はない。
装飾性、娯楽性、文化性。そういったものは綺麗さっぱり排されている。
見るからに、非番の兵士が休養を取るという用途に特化した作りである。
「こいつは確かに、町じゃなくて城塞の居住スペースだな。魔王軍には『一般人』がいなくてほぼ全員が『兵士』だっていうのも納得だぜ」
建物の裏手を通って目的地を目指す傍ら、ガーネットが周囲の光景を観察した感想を漏らした。
それを聞いたサクラが何気ない疑問を口にする。
「魔王とはいえ、王を名乗るからには国民が必要なはずですよね。魔王ガンダルフの国民は一体どこにいるのでしょう」
「あん? そりゃあ……ドワーフ共がいうには、もっと深い階層から現れたって話なんだから……『魔王城領域』よりも下の階層、なんだろうな、多分」
ガーネットの解答はどうにも自信がなさそうだった。
これについて確信を持って返答できる人間は誰もいないだろう。
少なくとも俺が知る限り、魔王軍と魔王ガンダルフのバッググラウンドは謎に包まれている。
元々どんな場所に住んでいたのか、何を考えて軍備を整えていたのか――
『魔王城領域』よりも更に深い場所から現れたということも、ドワーフからの伝聞に過ぎないし、これが正しかったとしてもどんな環境の階層なのかは分からない。
軍備を整えていた具体的な目的も不明だ。
もちろん、アルフレッド陛下が率いる王宮が、調査と検討を重ねた上で『地上に害を為す』と判断したのだから、その点については間違いないといえるだろう。
だが、何故そんなことを目論んだのかまでは分かっていないようだ。
純粋な領土的野心なのか、それともまた別の事情があるのか。
意図が明白でないのは不気味としか言いようがない。
「……そろそろ目的地みたいだな」
囁くような声量でのやり取りをしながら、無味乾燥でこじんまりとした建造物の合間を慎重に通り抜け、ようやくナギに指定された場所の近くにたどり着く。
大階段を降りた頃から聞こえていた小さな水音も、今では水路の音だとはっきり聞き取れる。
もう少し先に進むと、建造物のない開けたスペースが広がっていて、その向こうに目当ての水路が流れているのが目に入った。
「警備兵は最低でも五人……サクラ、ガーネット、いけそうか?」
「お任せください。ガーネット、まず私が上流側から強襲する。その直後に下流側から一気に攻めてくれ」
「おう。こんくらいの距離なら一息でいけるぞ」
サクラとガーネットは水路にもっとも近い建造物の陰で武器を抜き、簡単に一言二言の相談を交わしてから、素早く警備兵の排除へ移行した。
まず最初に動いたのはサクラだった。
【縮地】を発動させて最も離れた場所にいる兵士に肉薄し、反応の隙すら与えずに斬り伏せる。
更にもう一人に斬りかかったところで兵士達がサクラに刃を向けるも、そのタイミングでガーネットが反対側から肉薄して挟み撃ちを仕掛けた。
まさに電光石火。それから先はもはや戦いとは呼べないほどに一方的であり、ものの十数秒で五人の兵士が完全に排除された。
「流石だな、二人とも」
二人の合図を受けて、俺も水路の方へと駆けていく。
しかし、サクラとガーネットはどちらも警戒心に満ちた態度を崩していなかった。
「妙ですね……霧隠が言っていたよりも、警備が格段に薄いようです。少なくともこの倍はいるものかと」
「あいつが侵入したのは包囲が始まった後で、その時点では十数人はいたって話だよな。まさか今更、城壁防衛の方に引っ張り出されたのか? いや、いくらなんでも……」
警備兵が少なくて運が良かった、などと楽観的に考えることができるほど、二人の戦闘経験は浅くはなかった。
幸運よりもむしろ違和感を強く覚え、不測の事態が発生する危険性を考えずにはいられないのだ。
「白狼の、とにかく脱出するぞ。何か起こってからじゃ遅ぇからな」
「ああ、急ごう」
とにかく魔王城から逃れるべく、地下水路脇の通路へ駆け込もうとする。
水路と狭い通路だけで構成されたトンネルのような穴――そこへ駆け込もうとした瞬間、トンネルの奥で大量の水が弾けて舞い上がった。
「なっ……!」
トンネルの入口から少しだけ踏み込んだ場所で足を止める。
ガーネットが素早く俺の前に立ち、サクラが最後尾で後方への警戒を強める。
ばしゃり、ばしゃり――トンネルの奥で、水路から通路へ何者かが上がってくる音がする。
そして、ぺたりぺたりと足音が近付き、大柄な人影が入り口から差し込む光の中に姿を現した。
「ふぅむ! 騎士どもに焼かれた傷を冷やしている間に、何やら一騒動起こったようだな!」
ノルズリに匹敵するほどに屈強なダークエルフだ。
鎧や武器は身に付けておらず、上半身は裸で、鍛え抜かれた肉体に斜めの火傷と深い裂傷が走っている。
まるで燃え盛る剣で斬り裂かれたばかりのような負傷である。
「侵入者、いや、この通路を通ってきたのなら、最初に俺が気付いているか。つまり貴様ら、脱走を試みているわけだな。それなら納得だ!」
屈強なダークエルフは、まるで世間話をするかのような気軽さで、耳が痛くなるほどの大声をトンネルに響かせている。
俺の前に立つガーネットが、それに負けないほどの声を張り上げる。
「逃げろ! 脱出は失敗だ! こいつ……尋常じゃねぇぞ!」
「はははっ! 逃がすわけにはいかんなぁ!」
ガーネットがミスリルの剣の魔力紋を起動させ、防壁を展開する。
直後、ダークエルフの戦士が片腕を力強く振るったかと思うと、空気の壁が突っ込んできたと錯覚するほどの突風が巻き起こり、防壁越しでありながら俺達三人を軽々と吹き飛ばした。
「ぐうっ……!」
油断なく着地するサクラとガーネット。
しかし俺だけは無様に地面に叩きつけられてしまった。
顔を上げて土を拭う。
ダークエルフの戦士は悠然とトンネルから水路脇の広場に出てきて、丸腰のまま腕を組んで立ちふさがった。
「今! この城から逃れようとする者は、恐らく唯一人! 第三被検体が連れ去ってきた男! 白狼の森のルークだな!」
ダークエルフ特有の肌の色をした顔に豪快な笑みが浮かぶ。
「ならば逃さぬ! 魔王軍四魔将が一角、嵐のアウストリの名にかけてなぁ!」




