第108話 真夜中の語り合い
夕飯を食べ終わった後で、俺は野営地を護衛する騎士団の天幕に呼び出され、簡単に今後の【修復】の方針説明を受けた。
内容は特別なことではなく、全体的に予定通り進んでいるから計画に沿って進めてほしい、という確認をするだけの形式的な手続きだ。
その説明が済んだ頃には既に空が――地下空間の発光する天井が――真っ暗になっていて、僅かな残光が星のようにちらちらと輝いていた。
気温も下がってきたので、冒険者達は防衛担当を除いて天幕の中に引っ込んでいる。
だが、グリーンホロウ・タウンの住民達はそうではなかった。
地下空間の夜空がよほど珍しくてしょうがないのか、わざわざ毛布を羽織って寒さを凌いでまで、屋外での夜空見物を楽しんでいた。
しかもよく見れば、シルヴィアとエリカの二人もそれに混ざっていたのだった。
「まぁ……そういう楽しみ方も有りかな」
邪魔をするのも悪いと思い、声を掛けずに自分の天幕へ向かう。
天幕の手前で、見張りの兵士が停止を命じながら近付いてきたが、すぐに俺だと気付いて警戒を解除した。
「失礼しました。お通りください」
「大袈裟ですね……見張りなんて必要ですか?」
「それはもう必要ですとも。ルーク殿の役割は代えが効かないのですから」
客観的に考えれば確かにその通りだが、野営地の守り自体が盤石なのだから、ここまでしなくてもいいのではないだろうか。
「おっと。ルーク殿の天幕は右側です。左側はホワイトウルフ商店の女性従業員の方々に割り振られた天幕ですので。間違いのないようお願いします」
「分かってますよ」
間違いのないように、というのは天幕を間違えるなという意味だよな? ……と一瞬だけ思ったが、口に出すのは止めておいた。
さて、今日一日の仕事は全て終わったわけだが、これからどうしようか。
予定通り大風呂を借りて汗を流すか、それともすぐに眠って睡眠時間を長めに確保するか。
そんなことを考えながら、天幕の入り口の布を潜ると――そこには既に先客がいた。
「――――」
「――――」
硬直したガーネット。お湯を湛えて湯気を立ち上らせる水桶。
濡れたハンドタオルを握る手は、露わになった白い上半身を拭う途中でぴたりと止まっていた。
お互いに固まったまま何秒か見つめ合った後で、俺は何も言わずに後ずさって入り口の布を閉じた。
「おいこら、何か言え」
「……すまん、思いっきり油断した」
ガーネットは表向き男ということになっているのだから、こちらの天幕が割り振られるのも、大浴場を利用できないのも当然だった。
何故かここ最近は、うっかりそのことを忘れそうになってしまう。
大反省だ。ちゃんと気を引き締めてかからないと、人前でボロを出してしまいかねないじゃないか。
――それから、俺はガーネットの湯浴みが終わるのを待ってから着替えを取り、大浴場での入浴を済ませて天幕に戻った。
もう夜も更けてきたので、流石にそろそろ眠らなければならない時間だ。
明日は地下農場の【修復】を一気に終わらせる予定なので、睡眠不足で集中力を落とすわけにはいかない。
どんな状況であっても、睡眠時間の不足は作業効率を落とす要因にしかならないのだから。
「さてと……」
天幕に用意された簡易寝台のシーツを整え、眠る準備を全て終わらせる。
簡易寝台は二人用の天幕の両端に一つずつ置かれていて、それぞれを俺とガーネットが使うことになっている。
「お前も早く寝ないと……」
「そりゃっ!」
ところが、いざ布団に入ってランプを消そうとしたところで、ガーネットが寝台を力任せに移動させて、俺の寝台に隣接させてきた。
「お、おい! 何だ?」
「ちょっと話したいことがあんだよ。外には聞かれたくねぇからな」
ガーネットはベッドを隣接させた状態で平然と布団に潜り、俺の承諾を待たずにうつ伏せになって語り始めた。
「お前、この前さ。兄上と二人で話したことあっただろ。オレ、実はちょっとだけ立ち聞きしちまったんだ」
「……どの辺りの話を?」
「母上のこと。聞こえてすぐにヤベェって思って離れたんだけど、兄上のことだから、どうせオレが騎士になった理由とかも聞かされたんだろ?」
「ああ……そうだな」
誤魔化そうという気は起こらなかった。
幼い頃に、母親をミスリル密売組織の逆恨みの報復と思しき襲撃によって殺され、その犯人を自らの手で捕らえるべく騎士を目指したという過去――
それをガーネットの兄であるカーマイン騎士団長から伝えられたのは、隠しようのない事実だ。
「アガート・ラム。それが最も有力な容疑者の組織名だ」
ガーネットが急にこんな話を始めた理由は分からない。
しかし俺は何も言わず、何も問わずに耳を傾けた。
「本当のことを言うと、オレはお前のこと、アガート・ラムを引きつける餌だと考えてたんだ。未だに尻尾を掴ませねぇアガート・ラムも、こいつにだったら食いつくんじゃねぇかってさ」
「なるほど。そいつは確かに食いつきの良さそうな餌だ」
「……最初は、だぞ? 今は違うからな?」
「分かってるよ。俺の護衛任務を受けた動機がそれってことだろ?」
返事はない。否定が返ってこなかったことが、暗に肯定の意志を示していた。
「で、今はどう考えてるんだ?」
「分かんねぇ」
ガーネットはうつ伏せのままで枕に顔を埋めた。
「けどよ、最初はそういう風に考えてたんだってこと、隠しとくわけにはいかねぇよなって気がしたんだ。なんつーかほら……ええと、アレだ……よくないことっつーか……」
さんざん言葉選びに悩んだ末に、ガーネットは俺から顔を逸らすように頭の向きを変えた。
「……幻滅したか?」
「まさか」
俺からの返答は単純明快。
これ以外の答えなど全く思い浮かばない。
「むしろ最初からそう言ってくれてたら、できる範囲で協力しようとしたと思うぞ。何なら今からしたっていいくらいだ。ああ、いや……流石にこの騒動が終わってからだな」
「へへっ……ありがとな、白狼の」
視線はどこかに向けたままだったが、嬉しそうに笑っているのが声だけでもしっかり伝わってきた。
もしかしたら、ガーネットはこの不安をずっと抱えていたままだったのかもしれない。
だとしたらとんだ取り越し苦労だ。俺がそんな理由でガーネットを否定するはずなんかないのに。
俺は簡易寝台の枕元に置かれたランタンに手を伸ばし、消火スイッチを捻って明かりを消した。
「流石にもう寝るぞ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
就寝の挨拶を交わし、暗い天幕の中で眠りに落ちる。
慣れない寝台だったが、今夜の睡眠は穏やかで健やかなものになりそうだった。
――しかし俺達の心地よい眠りは、夜明け前に何の前触れもなく破られることになる。
魔王城の方角から響き渡る複数の轟音と、大気を揺るがす激しい衝撃によって。




