第107話 誰もが自分にできることを
その日、俺達は予定通りに三種類六ヶ所の地下農場の【修復】作業を完了させた。
作業は特に問題もなくスムーズに進行し、城下町の復興作業の滑り出しとしては理想的といえた。
『魔王城領域』の天井の発光が薄くなっていき、そろそろ『夜』が近いことを伺わせる。
そろそろ駐屯地へ帰る頃合いだ。
天井の発光が沈静化すれば、ただ暗くなるだけでなく気温も急激に低下するので、屋外作業を続けられなくなってしまうのである。
「先ほどからずっと思っていたのですが、最前線が近い割には落ち着いた雰囲気ですね」
完全に瓦礫と化した町の通りを歩きながら、サクラが率直な感想を口にする。
それに答えたのは同行者である黄金牙の騎士だった。
「魔王軍は全軍が城壁内に撤収し、我々は城壁を包囲して攻撃開始の命令を待っている。いわば完全な睨み合いだ。恐らく、こちらが攻勢に出るまでは平穏が続くだろう」
更にもう一人の騎士が補足を加える。
「これまでの反省から、警戒網は最大限厳重なものとしてあります。以前のように通過を許すことはあり得ませんよ」
「現時点でも『魔王城領域』に魔王軍部隊の存在は一切確認されていない。隠れ潜めたとしても単独行動の斥候程度だろうな」
移動しながら話を聞きつつ、俺はさり気なくガーネットに視線を向けた。
ガーネットは俺に視線を返すと小さく頷いてみせた。
黄金牙騎士団の包囲が万全であるというのは、ガーネットも認めるところのようだ。
「いやぁ、本当に凄いですよ! あのガンダルフの軍勢が城に逃げ込んで動けないなんて! ドラゴン除けの結界も元通りだし、アルファズル様みたいに町も直してもらえるし!」
ドワーフの若者は往路の怯えた態度とは打って変わって、まるで別人のように上機嫌になっていた。
ちなみに、ドラゴン除けの結界は町の四隅を基点に張られていたもので、原理としてはホロウボトム要塞を覆っているものと同一である。
これも魔王軍に寄って破壊されていたが、修理したのは俺ではない。
黄金牙が新品を持ち込んで新たに設置したものであり、騎士団の部隊によって厳重に警護されている。
「では、ルーク殿。明日もよろしくお願いいたします」
瓦礫の町の端まで到着したので、騎士達とドワーフとはここで別れることになる。
騎士達は包囲部隊と共用の駐屯地に、ドワーフは廃墟の町に設けられた専用キャンプに帰っていく。
そして俺達が帰る場所は、廃墟から程近い場所に展開された大規模な野営地だった。
「やっぱり作業場の近くで寝泊まりできるのはいいもんだ。要塞建築のときは毎日の往復が面倒で仕方なかったからなぁ」
この野営地は本格的な天幕がいくつも並べられたものであり、中央には食堂と炊事場を兼ねた大天幕が設営されている。
地上や要塞と城下町の間にはそれなりの距離があるため、毎日往復するのは無駄な時間が掛かりすぎる。
そこで復興作業に協力する冒険者と志願した町民にも、簡易の宿泊場所が用意されたというわけだ。
無論、警備はホロウボトム要塞並に厳重だ。
専用のドラゴン避けの結界が施されているほか、軍事拠点と同様の防壁が用意されているうえ、騎士団の部隊も常駐している。
更に高ランク冒険者とそのパーティも複数宿泊しており、一部では地上より安全ではないかとか、騎士団の部隊より強いのではとかいう冗談まで飛んでいた。
「さてと……夕飯が先か汗を流すのが先か。お前達はどうする?」
「まずはメシがいいな」
「私も賛成です。実はさっきから空腹が酷くて」
「じゃあそうするか。もう準備はできてる頃だろうしな」
夜が近いということもあって、炊事場の方からは美味しそうな匂いが漂ってきている。
炊事場がある大天幕に向かう途中、ガーネットが野営地の隅に設営された別の大天幕を見やりながら、呆れ混じりの声を漏らした。
「にしてもなぁ。まさか本当に大風呂を作っちまうとは」
「しかもあれ、住民が協力し合って自主的に用意したらしいぞ。グリーンホロウの風呂にかける情熱を甘く見てたかもな……」
「私達も使わせていただけるのですから、ありがたくご厚意に甘えましょう」
向こうの大天幕の下にあるのは住民お手製の大風呂である。
もちろん天然の温泉ではなく、地下水の川の水を加熱して沸かしたものだ。
グリーンホロウは温泉地のため、住民達には入浴の習慣が色濃く根付いている。
なので対策会議のときにも『温泉の代わりをどうするか』という議題が当たり前のように提示され、野営慣れした騎士や冒険者を半ば呆れさせながらも、本当に仮設の大風呂を用意してしまったのだ。
ちなみに、俺とガーネットは呆れた側の人間だった。
入浴が可能な環境なら喜んで利用するが、野営のときはきっちり割り切るタイプの価値観である。
そうでなければ、数日がかりの探索や遠征などできるわけがないのだから。
「お疲れ様です、ルークさん」
大天幕の中に入ると、シルヴィアが炊事場の方から笑顔で声を掛けてきてくれた。
「もうすぐメインディッシュが出来上がりそうなんですけど、食べていきますか?」
「ああ、頼めるか? ガーネットとサクラと俺で三人分だ」
「……本当にシルヴィアも降りてきてしまったんだな」
テキパキと働くシルヴィアを眺めながら、サクラが驚きと少しの不安の籠もった声で呟いた。
サクラは本人に聞かせるつもりなどなかったのだろうが、シルヴィアはその呟きをしっかり聞き取っていて、腰に手を当てて自信に満ちた顔で振り返った。
「町を挙げて協力するのに、春の若葉亭が何もしないわけにはいかないでしょ。それにたくさんの料理を一度に作る練習にもなるからね。これも腕を磨くいい機会なの」
「む……修行だと言われると反対できないな」
シルヴィアは接客しかしないタイプの看板娘ではなく、宿の料理にも大きく関わっている。
この前もホロウボトム要塞の大量調理に興味を示していたとおり、自分の得意分野に関する好奇心と向上心はかなりのものだ。
ひとまず大天幕内のテーブルに座って夕食の完成を待つ。
次第に他の冒険者や住民達も続々と集まってきて、食堂の席の半分以上があっという間に埋まっていく。
拠点の守りを担う高ランク冒険者達も勢揃いだ。
黒剣山のトラヴィス、二槍使いのダスティン、ドラゴンスレイヤーのセオドアといった馴染みの面々に加え、最近になってやって来たBランク越えの冒険者も複数いる。
騎士団より強いという冗談もあながち嘘とは思えない顔ぶれである。
そして夕食待ちの人混みの中には、ノワールとアレクシアの姿もあった。
「おや、ルーク君も帰ってきてましたか。作業の進捗はどうです?」
「絶好調。そっちはどうだ?」
「大忙しですよ。この辺じゃ珍しい機巧技師ってことで色んな仕事を任されそうになってまして。まぁ、オーバーワークにならないよう適度にお断りしてますけど」
アレクシアは冒険者ではなく機巧技師の方が本業だ。
俺がとやかく言わなくても、ちゃんと自分で上手く立ち回ってくれるだろう。
「というか、私よりもノワールの心配をしてあげてくださいよ」
「そんなに大変なのか」
「いえ、主に人付き合いの問題が。仕事ぶりは見事なものなんですけどね」
「ああ……」
ノワールは黙り込んだまま、気まずそうに視線を泳がせている。
「……あんまり無理するなよ」
「わ、分かった……無理、せず……頑張る……」
誰しも苦手な分野はあるものだ。
絶対に克服しなければならない道理はないが、苦手でも頑張ろうとする姿勢は応援したくなる。
「なんつーか、後は胡桃街道のエリカがいれば、ホワイトウルフ商店の関係者が勢揃いって感じだな。まぁ、流石にあいつは来てねぇだろうけど」
ガーネットが笑いながらそんなことを言っていると、聞き覚えのある声と同時にスープがテーブルに置かれた。
「いたらダメだったか?」
「うおっ!?」
噂をすれば何とやら。当のエリカ本人が給仕服を着てそこに立っていた。
俺もガーネットほど大袈裟ではなかったが、エリカがここにいたことに驚きを覚えずにはいられなかった。
「そりゃあ、ポーションを供給するだけなら降りてくる必要はなかったけどさ。配膳役が足りないからってシルヴィアに頼まれたんだよ。町を挙げて協力してるんだから、私も自分にできることをしないとな」
エリカは俺やノワールなどの年上と話すときとは違う、同年代と喋るときの気さくで大雑把な態度でガーネットに笑いかけた。
ガーネットが騎士であることを知らないエリカにとって、ガーネットは同じ職場で働く同年代の悪童でしかないのだろう。
だからこそ、エリカの言葉には背伸びも虚飾も感じられない。
心からそう思っているのだということが、はっきりと伝わってきた。
自分にできることをする――ああ、そのとおりだ。
廃墟と化した町や地下農園の【修復】だって、俺にできる協力をしているだけに過ぎない。
神様みたいだと褒められて調子に乗ったりしないように、この初心は決して忘れないようにしなければ。




