第102話 穏やかなるも不穏なる夜
やがて今日一日の業務が終わり、俺達は揃って春の若葉亭へと足を運び、そこで今日の夕食を済ませた。
食事が終わった後は個室の浴室を借りて一日の汗と疲れを洗い流し、後は家に帰ってベッドで眠るだけとなったが――
「……っと。また上がるのが早すぎたか」
廊下にもエントランスにもガーネットの姿が見当たらない。
これは割といつものことだ。
俺はそんなに長風呂をする方ではなく、逆にガーネットは心ゆくまで入浴を楽しむタイプなので、同時に風呂へ行くと俺の方が待たされることが多くなる。
だが、待たされるのが不愉快だとか、改善して欲しいだとか、そんなことは全く思わない。
「ん? あれシルヴィアか?」
宿の玄関に向かって歩いていく人影を見つけ、何気なく注意をそちらに向ける。
あれがシルヴィアだと断定できなかった理由は、至って単純明快。
積み上げた箱を抱えてえっちらおっちら歩いていたので、顔や背格好がよく見えなかったからだ。
とりあえず近付いてみると、予想通り仕事中のシルヴィアだったのだが、こちらの存在にはまだ気がついていないようだった。
「大変そうだな、手伝おうか?」
「ルークさん、いらしてたんですね。これくらい大丈夫……おっとっと!」
「まぁまぁ、せっかくだし一個くらいは持たせてくれよ」
それなりに重みのある箱を一つ抱えて、シルヴィアの隣を歩いていく。
「ありがとうございます。いつも力仕事を任せてるジャックさんが、急病で休みになっちゃいまして」
「ジャックっていうと、ああ、やたらガタイのいいおっさんか。どこに持っていったらいいんだ?」
「宿の近くに廃品置き場所があるので、そこまでお願いします。お酒や調味料の空き容器ですから気をつけてくださいね」
言われてみれば、一歩進むたびに瓶や陶器がこすれ合う音がカチャカチャと聞こえてくる。
間違って落としたら大変なことになりそうだ。
それから何の問題もなく目的地までたどり着き、回収待ちの廃品置き場に箱を積み上げる。
町で最大の宿ともなると、出入りするモノの量もひときわ多くなる。
目立って分かりやすい接客や調理だけがシルヴィアの仕事ではなく、こういう裏方での仕事も毎日のようにこなしているのだろう。
俺の半分程度の若さで本当に大したものだ――と、柄にもなく年寄りくさい感想を抱いてしまった。
「そういえば、ルークさん。冒険者の方って、あちらこちらを旅するのが普通なんでしょうか」
「人によるとは思うけど……まさか冒険者絡みで何かあったのか? 何ならギルドに掛け合って解決を……」
「いえっ、違うんです! 本当にただ何となく気になっただけですよ」
シルヴィアは胸の前で両手を振って懸念を否定した。
どうやら、単なる雑談を持ちかけただけであって、トラブル云々は俺の思い過ごしだったらしい。
それならよかった。一応の同業者が迷惑をかけたのなら申し訳ないところだった。
「ほら、うちの宿やギルドハウスに来る冒険者の人って、みんな他の土地から来た人じゃないですか。やっぱりそれがどこでも普通なのかなって、いまさら気になったんです」
廃品置き場から春の若葉亭までの短い夜道を歩きながら、シルヴィアが持ちかけてきた雑談に花を咲かせる。
「都市と地方で変わってくるな。都会は冒険者を志した地元民と、依頼の多い都会で一旗揚げようっていう他所の連中が半分ずつってところだ」
「うちみたいな田舎だとどうなんです?」
「ダンジョンが近くにあるなら九割以上が外から来た奴で、そうじゃないなら逆にほとんどが地元出身ってとこだ」
「なるほど、グリーンホロウの場合は『日時計の森』があるから外の人が多いんですか」
シルヴィアは納得がいった様子で、何度かうんうんと頷いている。
「皆、普段から国中を飛び回ったりしてるんですね」
「それも人によるな。積極的にダンジョンに挑戦する奴は一年中ずっと旅をしたりもしてるけど、目標に向けて金を貯めるために何年も一つの都市で稼いでるやつもいるんだ」
十五年も冒険者を続けていると、本当に色々な行動指針を持つ冒険者と出会う機会があった。
アレクシアのように本業の一助とするため登録した奴もいるし、ダンジョンには一度も潜らず日銭稼ぎの手段と割り切っていた奴もいる。
ウェストランド各地のダンジョンに潜ってはその数を自慢する奴もいるし、特定の高難易度ダンジョンに固執して長年に渡ってアタックを繰り返している奴もいる。
そんな話を簡潔に語って聞かせていると、いつしかシルヴィアの眼差しに羨望の色が混ざってきていることに気がついた。
「……シルヴィア。お前はそんなに遠出したりはしないのか?」
「うーん、そうですね。宿も忙しいですし、山の麓の町に行くのが一番の遠出だと思います」
シルヴィアは笑顔を浮かべてはいたが、やはりどこか物寂しそうな感じがした。
「お客さんから知らない土地の話をよく聞くので、知識だけはたくさんあるんですけどね。たまに羨ましくなっちゃいます」
「そうか……だったら、この騒動が終わったら皆でちょっとした旅にでも出てみるか?」
「えっ?」
俺の唐突な提案を聞いて、シルヴィアはぱちくりと目を丸くした。
「魔王軍との戦争が終わったら、騎士団も人員の何割かを引き上げるだろうし、それ目当てで来てた一部の冒険者も稼ぎ場を変えるだろうからな」
「えっと、それってつまり……」
「もちろん『魔王城領域』や更に奥の探索が残ってるから、町が寂れることはないだろうけど、少なくとも今みたいな忙しさは収まるはずだ。うちの店も春の若葉亭もな」
現在の過剰な忙しさは、すぐ近くで魔王戦争が繰り広げられていることによる、ある種の戦争特需だ。
戦争が終われば、俺が町にやってくる前まで戻ることはあり得ないとしても、多少は落ち着きを見せることだろう。
「そうしたら俺もお前もまとまった休みを取れるだろ? 皆を誘って遠出してみるのもいいんじゃないかと思うんだ」
「す……すごくいいと思います!」
シルヴィアは興奮の高まりを抑えきれないかのように、その場で何度か小さく跳ねた。
「エリカにサクラに、ガーネットにノワールさんに! 皆で旅行ですね! ええと、でもまだ誘えそうな人が……」
「ずいぶん大所帯になりそうだな。まぁ、この騒動がいつ終わるのか分かったもんじゃないし、ゆっくり考えればいいんじゃないか」
もちろん、俺達の全員が無事に魔王戦争を切り抜けることができれば――ではあるが。
そのことはシルヴィアには言わなかったし、言いたいとも思わなかった。
こんなに嬉しそうにしているのに、俺達の誰かの死を想像させるような真似なんかできるわけがない。
やがて春の若葉亭の玄関先まで戻ってきたところで、銀翼騎士団のエンブレムを付けた若い騎士と鉢合わせた。
「これは、白狼の森のルーク殿! それと春の若葉亭の女将の御息女でございますね!」
俺とシルヴィアは顔を見合わせ、代表して俺が事情を尋ねることにした。
「どうかしましたか」
「このようなご夜分に申し訳ありません。ホワイトウルフ商店と春の若葉亭にこちらの書状をお届けするよう、フェリックス副長から仰せつかっております」
「……これは?」
仰々しい封書に包まれた書状を見ただけで、ただならぬ事態が進行している予感が一気に湧き上がってくる。
不安そうなシルヴィアをこれ以上怯えさせないためにも、できる限り動揺を露わにしないよう心の準備を固めながら、若い騎士からの説明を待つ。
「銀翼騎士団と黄金牙騎士団の連名で執り行われる緊急会議への召喚状です。あなた方の他にもグリーンホロウ・タウンの複数の有力団体が召喚を受けております」
それはまさしく、平穏な日常の終わりを告げるにふさわしい一言であった。