地上へ
地下から地上に部隊が送り出されます。
「私がですか!?」
水原はまた大きな声で驚いていた。
「そうだ。水原君、君は私の付き添いとして地上へ派遣されるチームの一員となることが決定した。」
上野教授が繰り返し事実を伝えた。
「困ります…だってまだ会議に参加させてもらえているのかさえもはや分からないし、わたしなんか教授の研究に関しては何の役にも立てません。」
「私だって君を最初から選んだわけではないんだ。もともと一人付き添いを連れていく予定はあったのだが、先ほど青島君から連絡が入ってぜひ君を連れていくようにと言われたのだよ。」
「でも私はハルの面倒を見ないといけないですし…」
「そのことについてだがハル君も今回は同行してよいらしい。」
「ハルも行かせるって言うのですか!今回は安全面だって十分ではないのでしょう?そんなところにハルを連れていくわけにはいきません!」
ハルは私の大事な家族だ。失う可能性が少しでもあるところに連れていく気にには到底なれない。
「危険、確かにそうかもしれない。でもハル君だって外を見たいと思っているとは考えないのかい?今はちょうど秋の季節だ。地上に出れば木々は紅葉しているだろう。一生地下で過ごす可能性がある子供から外の世界を見ることのできる唯一のチャンスを握りつぶすことが本当に正しいのかい?」
上野教授の言葉で私の表情は相当険しくなっていたらしい。教授はちらりと私の顔を見るとうつむくように振り返ってドアのほうに顔を背けた。
「私だって危険なところにハル君が行くのは心苦しいし、君にだってこんな対立の重荷を負わせたくはないよ。」
少し区切ったあと彼はつづけた。
「でも今の研究施設のすべては地下政府に掌握されている。研究室存続のためには彼らの言うことを聞く以外に僕たちに残された手段はないのだよ。研究室のため、そう思って参加してくれ。」
それだけ言うと教授はドアの向こうに消えた。
どんどん巻き込まれていっている。おそらくここらがもう引き返せないあたりなのだろう。今ならまだすべてを投げ捨てる覚悟があるなら従わない道もあるのかもしれない。でもそんな勇気は私にはなかった。
「ハル、今度外に出ることになったから。」
家に帰るなり私は告げた。
「外ってどこだよ。」
ハルは当然施設の外だなんて夢にも思っていないだろう。
「言葉通り、この地下の外。地上よ。」
「え?!お母さん地上に出かけるの!」
まだ完全には理解していないものの地上ということばだけにハルは興奮を抑えきれないようだった。
「ハルもいくのよ。」
私は絞り出すようにその言葉を告げた。
「まじで!やった!」
私の心配とは裏腹に興奮のあまり踊りだしそうなハルだった。でも私の顔を見るなり何かがおかしいと思ったんだろう。ハルは私の前にストンと座って見上げてきた。
「お母さんは行きたくないの?」
私はなんて答えたらいいのかがわからなかった。地上に出たいという気持ちは常々持っていた。ハルにも見せてあげたかった。あの山の美しさを、太陽の輝きを二人で一緒に見たかった。
でも今回のは想像とははるかに違った。交渉材料としてだけ連れていかれること。見捨てた人たちへの捨てきれない罪悪感。どれをとっても不安で仕方がなくなってしかるべき要素だ。
「それでもいくしかないのよ。」
私はぼそっとつぶやいた。なら楽しんだもの勝ちなのかもしれない。私ははっと顔を上げる。そしてハルの顔を両手で挟む。
「いい?地上は決して安全な場所ではないわ。一歩間違えれば毒素を取り込んでしまう可能性もある。外には危険な動物がいる可能性だってある。お母さんはそれが不安なの。」
ハルはまだ私の目をじっと見続けている。
「でも美しいものもたくさんある。ハルもきっと気に入るわ。だからそんな不安は今は忘れる。二人で思いっきり地上を満喫しましょう!」
そこからハルに地上の今頃見ることのできる景色を教えてあげたりしながらわいわいと荷造りをした。
私は母親失格なのかもしれない。私には確かに地上に行きたい理由がわいてきていた。そしてそれは美しい景色を見たいことでも、見せたいことだけでもなかった。
あの男にもう一度会いたい。そしてすべてを聞きたい。取り残された人々がどうなったのか、そのあとどう生活を立て直したのか。せめて聞くことが罪滅ぼしになるとさえ思った。そのために今ハルを危険な場所に連れていこうとしている。ハルの本当のお母さんに知られたらハルを取り上げられてしまうかもしれない、そう思った。
そして地上に出発する日が来た。行くメンバーは上野教授と私とハル。そして青島さん。そして他、技術職の方、政府関係者の方数名だった。
「準備はいいかね?」
上野教授の声がマスクを通して部屋に響く。実に三年ぶりにこの施設から出ることになる。期待と不安がおかしくも気分を高揚させる。ハルも私の服をぎゅっと握ったまま来るべき衝撃に身構えているかのようだった。
「それでは行こう。」
そしてハッチがギシギシと音を立てながら徐々に開かれていった。
出たすぐの視界は決して良いものとは言えなかった。あたりに充満した空気が濁っているのがはっきりと分かった。普段は気にも留めない空気が見えるだけでこれほど景色が変わるのか。ガスマスクの排気音が時折響く中私たちは静寂の中をゆっくりと歩き進んだ。
「お母さんなにも見えないよ…」
出てすぐに美しい景色をみることができると思っていたハルの幻想は打ち破られたようだった。
「山を登るまでの我慢よ。」
自分にも言い聞かせるように私はハルの頭を撫でた。
町の市街地を抜け山道に入ると徐々に視界を遮る靄が薄くなってきているように感じた。道の脇に生える木々もはっきりと見えるようになってきていた。かつて利用されていたであろう道を伝ってさらに私たちは歩き続けた。
「ここら辺でいいだろう。」
教授はセンサーの数値を見ながら言った。
「マスクを外そう。」
それは視界が完全に透明に戻ってから一時間ほど登ったころだった。全員が一斉に頭に手をまわしてマスクを取る。私は自分のを取り終わるとハルのも手伝って外してあげた。
ふう。誰もが安堵の表情を見せた。ここまで来ればあとは毒素の心配はない。マスクの異常でもあれば、死に直結する環境から抜け出せたことに私も正直ほっとした。改めてみんなとあたりを見渡した。まさに紅葉の真っ盛りだった。上のほうで風がそよぐと木々がさざめいて鮮やかな葉っぱが舞った。地面に積もる落ち葉をかき分けるように私たちはすすんだ。長年人が使ってこなかった道だ。もうアスファルトのほとんどが落ち葉か土に覆われていた。時折鳥の鳴く声がした。ここにはまだ生き物が生きていることを実感した。地下の施設内にも多少は植物も植えてあったけど、野生の動物なんているはずもなかった。
なにか新しい生き物の気配があるたびにハルに今のはなんの声、と聞かれたが私にはさっぱりわからなくて困ってしまった。
「あれはブッポウソウよ。」
私たちのすぐあとについてきていた青島さんだった。
「今聞こえたようにゲッゲッって鳴くけれど、かつてブッポウソウという鳴き声が聞こえたとき、このように鳴くのは美しい鳥に違いないって勘違いしてこの鳥に名前が付けられたの。ほんとうにブッポウソウと鳴くのはコノハズクなのよ。」
さすがは偉いお方の秘書。野鳥にもある程度は精通しているのだろうか。
そこからハルは尊敬のまなざしで青島さんに聞くようになった。さっきまで難しそうな顔をしていた彼女を激しく警戒していたのになんと子供の変わり身の早さよ。青島さんも優しそうにいろんなことを詳しくハルに解説してくれていた。もともと好奇心の強いハルだ。こうなることはわかっていたとはいえ、やっぱり頼れる知識豊富な母でありたかった。帰ったら少しはちゃんと山について学んでおこうと思った。
「そろそろつくぞ。」
教授はあと数分もすれば地上側が指定してきた小屋にたどり着くとした。そしてついに小屋が見えた。そこにはすでに数人の人が立っていた。
「ようこそ。おまちしておりましたよ、みなさん。」
出迎えてくれたのは女の方と男性数名だった。
「初めまして。上野と申します。こちらが今回のメンバーたちです。」
紹介を始めようとする教授を女の人は手で遮った。
「左から青島冴子さん、大鳥マコトの秘書。水原あさみ、上野教授の研究室の若手職員。」
そのあとも全員の名前と職種を読み上げていった。いつの間に調べ上げたのだろう。上野教授たちもぽかんと聞いているしかなかった。
「ところで、そこにいる小さな男の子だけは誰かよくわからないのですが教えてもらってもよろしいですか?」
そこにはなぜこんな子を連れてくるのかわからないといったニュアンスが含まれているようにも感じた。
「僕はハルだよ!」
だれが答えるか大人たちが困っているうちにハルが自分から答えた。
「こらハル!」
私はつい叱ってしまった。
「すいません。子供を連れてくるのは非常識だとは思ったのですが、この子供は私の子でして私が一時も目を離したくないと主張しましたら例外的に連れていくことを許可されまして、どうか今回の調査に参加させてください。」
私は頭を下げた。ここで離ればなれにされることのほうがよっぽど怖かった。不思議にも彼女はすんなりと引き下がった。てっきりもっと足元を見られるような事を言われると思っていた。
「そうですか、ではハル君。お仕事の邪魔にならないようにお母さんの言うことをよく聞くんだよ?もし時間があれば集落の子供たちにも会えるようにしてあげるからね。」
女はそう言うとすくっと姿勢を戻した。
「自己紹介が遅れましたね。私は土屋ミキ。白石指令の補佐を担っております。本日指令は後程合流する予定ですので、それまでは私が僭越ながら案内をさせていただきます。」
「本日はどうぞよろしくお願いします。」
お互いにあいさつを済ませると早速私たちは観測機器が置かれている場所に向かった。
観測機器にまつわることは私には専門外だったし、やれることは大してなかった。上野教授が中心となり土屋さんたちにセキュリティーコードについてやデータの取り込み方。他にもデータが示す意味など必要な知識を伝えていった。土屋さんについてきた男たちは技術系の職務を担当しているようで、彼らが一番熱心に教授の説明をメモに残していた。
しばらくすると土屋さんが機器から離れた。まだ教授たちは話し合っているようだったけど機械的な細かい話になったのかもしれない。土屋さんは私とハルが暇をもて余して座り込んでいた岩のほうに歩いてきた。
「あと30分もすれば大体の仕事は終わるらしいわ。」
はあ、とあいまいな相づちをうつと、相手は不思議そうな目で私を見た。
「あなたの専門分野ではないの?」
「そうですね、私の直接的な研究分野ではないですね。教授の研究室のもとで働いてはいるんですけど…」
彼女はますます不思議そうな顔をした。
「じゃあどうしてあなたは子供を連れてきてまで参加したのかしら。」
「私にもよくわからないんです。メンバーが決められて来ただけなもんですから。」
私は正直に答えた。うまくごまかす力なんて元からなかったし、同じ人として私は彼女たちに敵意を持っているわけでもなかった。
「おそらく私が白石という方の知り合いであったからというのが大きな理由なのかもしれません。知り合いと言っても一度話した事があるだけなのですが。」
「指令を知っていたの?」
これには土屋さんも初めて驚いた表情を見せた。
「はい、あの日を迎える前に一度だけ。」
「そうだったの。」
彼女はいろいろ考え込みながらも、ようやく少しは納得したようだった。そのころハルはというと少し離れたところで石を積み重ねて遊んでいた。外で土遊びをするのも当然初めてなのだ。楽しくてしょうがないようで一人で夢中になっていた。
しばらくそれを眺めていた。こんな楽しそうにしてくれて私の罪悪感は多少薄らいだ。連れてきたのは間違いではなかったのかもしれない。
「ところでもう一つだけききたいんだけど。」
土屋さんが再び口を開いた。
「あの子あなたの実の子ではないでしょう?」
「えっ?どうして...」
ただでさえ子供を連れてきたことを非難されそうだったにましては実の子ではないことがばれたら事態がややこしくなると思って黙っていたのにどうしてわかったのだろう。
「だってあなたまだだいぶ若いもの。あの年齢の子供がいるにしては若すぎるわ。それになんとなくわかるのよ、こう互いに話している雰囲気というか。たまたま今の組織内で近くに似たような関係の人がいるから気付けたのかもしれないけど。」
「そうですか。」
私は見破られたこと自体よりも、わたしたちが実は血のつながりがない事が外から見てわかるんだという事実に落ち込んだ。まだお互いに本当の家族になれていないことを突き付けられた気がした。
「そう気にすることはないわ。」
彼女は言った。
「大体私以外は気づいていないし。第一男なんか、子供の年齢なんか見たってわからないだろうし、絶対気づかないわよ。言いたくないんだったら黙っておいてあげるわ。別に大した情報の価値もないものをわざわざ広めることもないしね。」
「ありがとうございます。できればそういうことでお願いします。」
教授たちはすでに知っているとは言え、山の人たちにいちいち説明して回るのも厄介だったし、それはまるで自分とハルが他人ですと主張して回ることになるように感じた。そんなことは絶対にしたくはなかった。
土屋さんが言っていたとおり、しばらくしたら教授たちの仕事は終わったようだった。
「水原君、土屋君。終わったよ。」
ハルを呼び寄せ、私たちは再び合流した。そこからひとまず今日は山に泊まらせていただくことになっていたため案内に従って宿を目指した。技術職系の男たちは自分たちの仕事が一段落ついたからだろうかずいぶんと表情も緩み、教授たちと談笑していた。相変わらずハルは青島さんに生き物について質問攻をしていたし、土屋さんは先頭に立って淡々と山道を目的地に向かって突き進んでいた。
夕方頃には泊まるところについた。全員ある程度疲れて玄関に座り込んでいたところに彼はやってきた。
「白石指令!」土屋が慌てて立つと回りもそれにつられて立ち上がった。
「いやいやそんな大げさにふるまわないでくださいよ。今日はみなさんお疲れさまでした。大変だったでしょう?こちらに夕飯を用意してあるのでせっかくなので一緒に食べましょうよ。」
教授をはじめ、白石の会談の時の鋭さが見えないことに皆戸惑いつつも空腹のほうが強かったみたいでぞろぞろと食堂のほうに移動していった。
全員が席に着くと再び白石は口を開いた。
「本当に今日はお疲れさまでした。地下のみなさんは本当にこんな山奥まで大変だったでしょう。大変感謝しております。」
その言葉は本当に感謝しているように感じられた。本当は優しい人なのかもしれない。上野教授がお返しに招待してもらったことへの礼を述べると、一気に団らんの食事が始まった。雰囲気は終始和やかで青島さんさえも周囲の人と明るく話すように努めていたように感じられた。
ハルは最初は料理がおいしかったらしく夢中で食べていたけど食べ終わると一気にやることがなくなって部屋中をきょろきょろ見渡していた。窮屈そうに椅子に座り、立って歩き回りたいというのが如実に伝わってきた。どうしようかと困っていたとき入口のドアが少し音を立てて開いた。そこに現れたのはハルくらいの年ごろの女の子だった。
「にいちゃん。入ってもいい?」
知らない大人たちがたくさん座って食べているこの部屋は彼女にとっては恐怖だろう、声が随分もごもごしていた。それにしてもにいちゃんとは白石指令の妹さんなのだろうか。
「おおー!千夏いいところに来た。ハル君が食べ終わってずっとそわそわしてるんだ。一緒に遊んであげてくれないか。」
許可を求めるように私をみてくるハルに私は行っておいでと言ってあげた。おそるおそるお互い近づいてこっそりとしゃべりながら彼女たちは二人で食堂を抜け出していった。
「いやあ、あれは私の妹でしてね。いつでも私にくっついてくるんですよ。食事が終わるまで待ってろって言ってあったんですけどね。どうも我慢し切れなったみたいですいません。」
白石は軽くみんなに頭を下げた。
「かわいらしい妹さんですな。」
教授たちは気にしてないですよと示すように言った。
「身内びいきと言われてしまうかもしれませんが、ほんとうにいい子で。私にとってかけがえのない大事な家族です。」
うんうんとうなずく教授たち。彼らは白石という男が優しい家族思いの人なんだともう考えているようだった。もちろん青島さんはそんなこと思ってはいないようだったけど。
「ハルも遊び相手が見つかって助かりました。いつ立ち上がって一人でどこかへいってしまうかとても不安でしたし。」
私は感謝した。施設の外で同年代の子に会えるのはとても貴重な機会だ。その後は別の新しい話題が入って会話がしばらく続いた。それでも1時間ほどすぎると皆の手は大体止まっていた。食べ終わった皿がテーブルに並び、箸は箸置きにおかれていた。
「さてみなさん。食事も大体済んだ所で締めの挨拶をさせていただきたいと思います。」
白石はそういうなり席を立った。
「ご存じのとおり、私たちはあの日、生き残るべく山に避難し集まった人の集合です。そしてこのように取引の結果、地下のみなさんとこのように来てもらうことになりました。確かに私たちの間に意見の食い違いもあります。それによって時には争うことがあるかもしれません。」
白石は少し間を置いた。
「でもたぶん私たちが考えている事と、みなさんが考えていることに大きな違いがあるとは思えないんです。どちらも生き残りたい。ただそれだけだと思うんです。なら共に協力できる道はあるはずです。願わくば今回の合同調査がその礎となりますように。以上です。」
スピーチは拍手をもって迎えられた。誰もが納得できるものだった。私たちは同じ人間。もとは同じ国の国民。ただ立場が異なってしまっただけ。白石の言葉を聞いていると本当にいつか仲良く暮らせる日が来そうな気がした。
食事が終わると、それぞれ割り当てられた部屋へ入っていった。私はその前にハルを迎えに行かなければならなかったから二階に上っていく人にはついていかず、玄関に向かった。
「すいません。いまハル達がどこで遊んでいるか分かりますか?おんなじくらいの女の子と居たはずなんですけど...」
私はそばにいた人に尋ねた。
「ああ!千夏ちゃんと遊んでた子ね!最初の内は室内で遊んでいたけど飽きちゃったみたいで今は建物のすぐ後ろの広っぱで遊んでるわよ。あそこは建物からの灯りが届いてそんなに暗くならないから。」
「ありがとうございます。」
丁寧にお礼をすると私はくつをはいて玄関を出た。裏手に回ると少し離れたところにハルたちはいた。肌寒くもあったし、すぐに声をかけようと思っていたんだけど、あまりにハルが楽しそうで声を呑み込んでしまった。自分にもこんな時期があった気がする。友達の家に遊びに行ってお母さんが帰って来るまで遊ぶことができる。お母さんがなるべく遅くきてほしいと思った。帰るよと言われてからも友達と隠れたりして抵抗した。
「混じりたくなったか?」
ふいに後ろから男の声がする。振り向くとそこには白石が立っていた。
「あいかわらず若干人を馬鹿にしてますね。」
ある程度図星だったのでなおさら少し不愉快だった。不機嫌さはすぐに伝わったみたいで白石は苦笑する。
「水原だっけか。まだ勝手にリュック持ったこと根に持ってるの?悪かったって。」
「そんなんじゃありません。第一今日を含めたってまだ話すのは二回目ですよ?それはまだ他人だって事です。」
悪い奴じゃないのは分かってるけど、ずかずか入って来られるのは性に合わない。出会いが出会いだけに、なんとなくつんとした態度で対応してしまっている。
「それはすこし傷つくなー。俺なんか三年間一度も忘れずに思い続けていたのに。」
「うそでしょ。」
「うそだよ。」
しれっと白石は認めた。
「でも忘れてたわけじゃないよ?実際会談の映像が映った瞬間にあれ?なんか知ってる人がいるってなったし。」
「私はあなたと知り合いになっていたせいでこんな危険な地に子供連れて来なければならなったのよ。少しは責任を取ってよ。」
「はあ、それにしてもお前が子持ちになっていたとはなぁ。」
白石が癖なのか顎をすこしさすりながらつぶやいた。
「でもいや待てよ?あの子どう見ても5歳は過ぎてるし...初めてあった時にすでに母親だったのか!えらい若いときに産んでんだな。15くらいの時?」
「そんなわけないでしょ!」
言ってからすこし迷った。でもなんとなくこいつになら説明しても良い気がした。
「ハルは地下に避難してから引き取った子なの。」
「へえ。そうだったのか全然気づかなかったわ。でも仲よさそうじゃん。」
「本当に家族だと思ってるし、ハルもそう思ってくれていると思う。でもやっぱり本当の家族にはなりきれていないみたい。だって土屋さんにはすぐに見破られてしまったもの。それがなによりの証よ。」
「土屋かーあいつは鋭いからなぁ。でも俺は気付かなかったぜ?」
「あんたが鈍いだけなんじゃないの?」
「ひどい言われようだけど、おれからしてみれば本当の家族ってなんだって話だよ。それは血のつながっていることなのか?実際の親子なのに破綻する事だってある。でもお互いが互いに必要としていてその関係が成り立っているならそれは立派な家族だろう。家族は周りが定義するものじゃない。当事者同士がどう思っているかなんだ。」
「わかったような事言うじゃない。でもそう簡単じゃないのよ。」
私はどうしても心の中でハルを子供と思い切れない時があった。大切なのに、一時も離したくないのに。
「わかるよ。俺には。」
白石から今までとは違い静かなトーンで返ってきた。
「お前は気が付かなかったかもしれないが、千夏とおれは血がつながってない。母親が違うとかそういうレベルではなく完全に赤の他人だ。」
「うそ...」
おにいちゃんと呼んだあの子の声は絶対的に白石君のことを信頼していた。たしかに年は離れているなとは思ったけどそれでもあの場の誰もが疑わなかったはずだ。
「それでも千夏は俺にとって今いる唯一の家族であり、俺は妹だと信じている。確かに俺たちのような関係とって正解はない。外部から見ればそう思いこませているだけのように見えるかもしれない。でも俺らは紛れもなく家族として暮らし、家族として生きてきた時間がある。そしてそれはおれが千夏を家族だと信じ、守り続ける理由として十分すぎるものだ。」
なんて答えたらいいかわからなった。この男の強い覚悟が伝わってきた。私もこんな覚悟を負えるのだろうか。白石は返事を待つことなく千夏を呼びに行った。まもなくハルもかえってくる。私はどんな顔をして迎えてあげればいいのか。
「お母さん?」
ハルはもう目の前まで来ていた。ハルの目を見る。ああ、ハル。ハルはかけがえのない家族だ。それはもう揺らぎようがない。もう二度と揺らがせるものか。
「何でもないわ。千夏ちゃんと遊べて楽しかった?」
「うん!初めて見るものばっかだったけど千夏ちゃんが教えてくれるんだ。彼女外遊びについては僕よりもいっぱいものを知っててさ。代わりにこっちはいろいろ研究所のことを教えてあげたり。すっごい尊敬の目で見られてまいっちゃたよ。」
のろけなのかはよくわからなかったけどとても楽しかったということが目からびんびん伝わってきた。
「へえ~じゃあ惚れちゃったんじゃない?」
いつも通りならでもやっぱり僕よりは幼いねの一言が返ってくると思っていた。でも返事が返ってこないから、ん?と思って顔を覗き込むと赤面したハルが立っていた。
「...ぼくのこと好きになってくれるかな。」
えっ、本気で女の子を好きになっているハルを初めてみる。白石君たちがいないのを確認して改めて聞き直した。
「あんた自分より大人な人が好きだったんじゃないの?」
「別にそんなことにこだわるほど僕は子供じゃないよ。」
相変わらず頬っぺたを赤く染めてうつむきながらハルは言った。
「第一千夏ちゃんは俺よりよっぽどものを知ってる。山のことも生き物のことも。僕らが地下に潜むだけでは知る術もないこの大きな自然をはるかに僕より見てきてる。それに...」
「それに?」
「いやなんでもない。」
恥ずかしそうにしているハルが珍しくって、ついからかいたくなった。
「そこまで言ったならいいなさいよー。」
「...髪が綺麗だなぁって」
言いながらさらに真っ赤になるハルがこの上なく愛おしい。
玄関まで戻ると白石君たちは待っていてくれていた。
「今日はありがとうなハル君。千夏も研究所の話が聞けてすごい楽しかったそうだ。な?」
千夏ちゃんは白石君の足の後ろから恥ずかしそうにうなずいた。
「水原もありがとうな。そういやお前に渡すものがあるんだった。」
ごそごそとポケットに手を突っ込ん何かを探しだすと私の方に差し出した。
「ほれ、通信機だ。ま、いわゆる携帯みたいなもんだ。たぶん地下からでも使えるようになっているはずだ。表だって連絡を取り合うわけにはいかないけど、どうしてもおれに連絡しないといけないことがあったらさ、遠慮なくかけてきな。そこの赤いボタンを長押しすれば自動的に俺のところに繋がるようになってる。」
「直接連絡するような用事...?」
「おれの声が聞きたくなったらでもいいよ。」
「それは遠慮しておくわ。」
「冗談だって。地下政府や俺たちだけではどうしようもないことだって今後起こるかもしれない。そんなときに内密に連絡取れる人同士がいたほうがいいだろ?」
「そういうことなら一応受け取っておくわ。」
後ろのポケットに滑り込ませる。大した厚さもないから外からは見えなさそうだった。
このやり取りだけすると白石君たちは別の建物に泊まるようでお別れをした。
「お母さんだって人の事言えないじゃん。あの白石って人とデレデレしちゃって。最終的には携帯までもらってるし。」
ハルはこっちをみてにやにやしながら言った。
「バカ、そんなんじゃないわよ。」
ハルの頭をぺしんと叩いて私たちも部屋に戻った。
次の朝はもうほとんど帰るだけだった。戻るのに半日程度かかる上、夜道の山道を歩くことはできるだけ避けたかった。お世話になった人達に挨拶を済ませると私達は来た道を戻り再び太陽の当たることのない地下に戻った。
この二日間何年振りにもなる外の世界を感じた。もう忘れかけていた世界。太陽の光、赤く色づいた森。地下に潜った私たちは本当に幸せなのだろうか。命の危険は小さくてもモグラのように地下に住み続ける私たちは果たして人と言えるのだろうか。危険にさらされながらも懸命に生き抜いている山の人たちのほうがはるかに人間として生きることができているのではないか。
それでも山の人は好んで外に住んでいるわけでもない。日々毒素の脅威に怯えながら暮らさなければならない彼らをけっしてそのままにしてよいとも思えなかった。
何が正解なのか。一度見てしまったものは忘れることができない。
そのうえで私たちは生きていく道を見つけていかなければならない。ポケットを軽くさすりながら私は自分の研究を再開する準備を始めた。
7話は、物語のカギとなるお話です。