一か八か
こんなに魔術書を読み込むのはいつ振りだろうか……。
ユウタの居なくなった家の中は、火が消えたように寂しい。
ふと顔を上げると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
魔術書を読み始めたのはまだ、日の高いうちだったから、相当の時間がたったのだろう。
ユウタをこの家から追い出した私は、家に眠っていた古今の魔術書を読みふけ、異世界間を転移したものを元の世界へと返す手立てを探っていた。
以前私が他人の目が怖くて怖くてたまらなかったとき、ユウタは私に『魔法で人々に幸せを分けてあげればいいんですよ。良い魔女になればいい』といってくれた。
今はきっと、魔法でユウタに幸せを分けてやるときに違いない。
長い時間をかけたが、ユウタを戻す手立てを見つけることはできなかった。
少し目が疲れた。
右手で目頭を強く抑えた後、大きく伸びをする。
「ユウタ、コーヒーでも……。」
そこまで言って、ユウタがもうこの家にいないということを思い出す。
習慣はなかなか取れない。それだけ、私の中でユウタが大きな存在になっていたんだな。と改めて自覚した。きっと、私はユウタに恋してるのだと思う。自分で気づいたのではなく、ウィルに指摘されて意識し始めたのは、とても悔しいが、そのくらいで気持ちが変わるほど私の心は弱いものではないらしい。
ウィルのように学術書を読むことも、オニキスのように剣術書を読むことも苦手だったが、魔術書の知識だけは負けなかった。
自慢ではないが、私の家にある魔術書はかなりの数と種類が揃っている。
それでも、転移者を元の世界に戻す術は、どの書物にも記載がなかった。
そもそも、異世界転移術自体、かなり高難易度な魔法だ。
まずやろうとする魔法使いなどいない。だから、火山の国の王も私が異世界転移魔法の研究をするといったときに、感銘を受けてくれたのだ。
もともと知識を持つ者がいない魔法。書物に書かれていないのは当然といえば当然なのだが……。
駄目だ。
集中力が途切れてしまった。
ソファーに横になると、一気に睡魔が襲ってきた。
ユウタ、必ず私が帰してあげるから、それまで、がんばるのよ。
「ユウ。」
薄ぼんやりとした意識の中で、目を開けるとそこには黒髪の人物が私の顔を覗き込んでいた。
一瞬ユウタかと思い、飛び起きるが正体は親友の一人、オニキス・アディスだった。
私の様子を、ウィルを介していつも心配してくれるが、彼女がここに来るのは珍しい。
女王直属の占い師ということもあり、多忙な日々をオニキスは送っているためだ。
「どうしたの?オニキスがここへ来るなんて珍しいのね。」
「どうしたの?はこっちの台詞。来てみたら、ユウが寝込んでいるからびっくりした。……どこか、調子でも悪いの?」
オニキスはいつも、私のことを案じてくれる。とても優しい女性だ。自慢の親友。
「そういうわけじゃないの。ちょっと、魔術書を読んでたら眠くなっちゃって、少し仮眠をとってたのよ。」
机の上に乱雑に積まれている魔術書の数々を見て、オニキスは驚く。
「これを全部……?凄まじい量じゃない。」
オニキスが驚くのも当然だ。
私の持つ魔術書は机の上だけでは収まりきらず、床の上に置かれ、天井近くまで積みあがっているのだから。
オニキスは大きく溜息をつくと、切れ長の眼でキッと私を睨みつける。
小言が始まる合図だ。私のことを心配してくれて小言を言ってくれるのだが、申し訳ないが今はその時間も惜しい。
「ところで、オニキスこそ何かあったの?」
急いで話題を変えるとオニキスは思い出したように片手をポンとつく。
「ウィルに頼まれたの。あなたをある場所へ連れて行ってほしいって。」
「ある場所……?っていうか、それが目的なら、わざわざオニキスに頼まなくても、ウィルが来てくれればよかったのに。」
「それがあの男、珍しく忙しいみたいでね。何をやってるのかわからないのだけど……。ちょっと調べなくてはいけないことがあるからって、私に頼んできたの。」
ウィルのことも気になるが、それよりも気になるのはある場所だ。
いったい、オニキスは私をどこへ連れて行くつもりなのだろうか。
オニキスの手を取ると、一瞬にして周りの景色が変わる。
人気のない小高い丘だ。
少し先に見えるのは、火山の国の繁華街か。
「ユウ、悪いけど変化術を使ってくれる?」
「え?どうして?」
「あなた、何度か国民の悩みや問題を魔法で解決してあげているでしょ?“銀髪の天使様”なんて言われて、ちょっとした有名人になってるのよ。……できたら、あまり目立ちたくないし。」
確かに、ユウタに言われてから、たびたび町へ行っていたがまさかそんなふうに言われているとは思わなかった。怖がられていた時代には想像できない変わりようだ。
これも全てユウタのおかげだな。
心臓の辺りにあったかい感触が生まれた。
「ここよ。」
オニキスに連れられやってきたのは、一見の食事処だ。
二階では宿屋も経営されているようだ。
店内はとても混みあっていてかなり繁盛しているように見える。
「オニキス様ではありませんか……。」
私たちのもとにやってきたのは、この店の店主と思しき人の好さそうな顔をした、恰幅の良い男だった。鼻の下のちょび髭が可愛らしい。
店主が挨拶をすると、店内にいた客の視線は一気にオニキスへと集中する。
目立ちたくないとオニキスは言っていたが、女王付きの占い師が街を歩いていたら、目立たないほうがおかしく感じる。
「二人、入れるかしら?」
「もちろんです。貴族様用の個室がございますので、そちらにご案内致します。」
「そんな大層な席じゃなくていいわ。」
せっかくの店主の申し入れを断ったオニキスはキョロキョロと店内を見渡す。
「あそこにするわ。」
オニキスが指さしたのは、調理している様子が見られるカウンター席だった。
美味しそうな匂いを嗅げるのはいいが、椅子は木でできているし狭いからとてもじゃないが、居心地がいいとは言えない。
食事をするために連れ出したのなら、せめて良い席に座りたかった。
むすっと席に座る私にオニキスは黙って、厨房の奥を指さす。
そこには、ユウタがいた。
「ウィルに連れられてやってきたみたいなの。彼の作る料理とっても評判が良いのよ。」
「……そりゃそうよ。ユウタの作るご飯はとっても美味しいんだから、繁盛しないほうがおかしいわ。」
予めオニキスが注文をしてくれていたのか、席についてすぐに料理が運ばれてきた。
どの料理もユウタの作ってくれた味付けだ。とても美味しい。
何より、楽しそうに料理を作るユウタの顔を見られたことが私はとても嬉しかった。
ウィルは、ユウタの様子を見させるためにここへ私を連れ出したに違いない。
やはり、あの男は異常に気の回る男だ。
ユウタの作る料理を食べれたことで、疲れがぶっ飛んだ。
むしろやる気がわんさか沸いてきた。
軽快に丘まで歩く私を後ろから見ていたオニキスは不思議そうな顔をしている。
「話かけなくて良かったの?」
「今の私が、ユウタに話しかけたらユウタを追い出したのが水の泡になっちゃう。……本当にユウタが居なくなった時、寂しくてどうにかなっちゃうよ。」
女友達だからこそ、本音で話すことができる。
涙が出そうになったので、顔をあげ、少し疑問に思っていたことをオニキスに尋ねた。
「そういえば、何でわざわざ元の丘まで行くの?あの店の前からちょちょいと帰れば良かったのに。」
「ユウと違って、私は空間転移魔法が上手くないのよ。元の場所に戻るためには、元来た順路を辿らないと、魔法の成功率が下がってしまうの。」
「へえ。そういうものなんだ……。」
それって、同じ転移魔法なら、異世界転移魔法にも言えることではないのか……?
ユウタが現れた場所から、ユウタを元の場所へ帰すことができたとしたら……。
一か八か。やってみる価値はあるかもしれない。
物語の終わりが見えてきたような気がします。
11月までに完結させる目標です。