意志の魔法使い
どうやら俺はどこか知らない国に突然やって来てしまったらしい。
神隠しみたいなものだろうか。
言葉が通じるのは不思議だが、所々イントネーションが違っていて方言の強い地域に国内旅行をしている気分だ。
こんな悠長なことを考えているのは、きっとまだ自分がおかれている状況をよく理解できていないからだろう。
じめじめとした地下室のような場所で赤い髪をした人たちに詰め寄られている。
どうやってここにやって来た?とさんざん聞かれているが、それは俺が聞きたい。
子供のときからあまり泣いたことはなかったが、今回限りは状況が飲み込めず混乱して泣きそうだ。
「黒髪……は、魔女の……。」
「やはり……置いておくのは……危険だったのだ……。」
ぼそぼそと、聞こえた声から、魔女という不穏な言葉が聞こえて身震いする。
外国には、魔女がいると信じられている文化があると何かで聞いたことがあるが、まさかテレポテーションまでしてしまったのか?
ガタッと、立て付けが悪い扉があく。入ってきたのは、黒い髪に黒いワンピースをきた女性と、銀色の髪に白い制服をきた男性だった。
女性の姿をきた俺は、すぐにこの女性が魔女であるということを理解する。
真っ赤な口紅に白い肌、美しいのにどこか怖さを感じる姿は正しく、魔女だ。
「彼が、城に忍び込んだという不届き者?」
「そうだが……一体なんのようだ?占い師様がここに来る理由はないだろう?」
俺に詰め寄っていた赤髪の男は、威圧的に黒髪の女性へ告げる。
敵意剥き出しだ。派閥というやつだろうか。
「それが、あるんだよなあ。」
黒髪の女性の後ろにいた銀髪の男性がぐいっと前に出て、赤髪の男に持っていた紙を見せつけた。男の顔、すぐ前で広げているため中身は全く見えないと思うのだが……赤髪の男は憎々しく紙を奪い取ると、内容に目を通した。
「……女王の命令というわけか。」
「そ、王族の指示なんだからあ、貴族の君は早く彼を僕らに引き渡してもらおうか?」
赤髪の男は大きく舌打ちをすると、部屋にいた部下を全て連れて出ていった。
ひとまず安堵する。俺は助かったらしい。
「悪いけど、あなたを助けに来たわけではないからね。」
黒髪の女性は俺の目の前に座って、キリッと俺を睨み付けた。
助かったわけではなかったらしい。
「あの男は赤髪以外の者を蔑視する傾向が強くてね、それだと公平な取り調べができないから、僕らが変わることにしたのさ。」
人懐っこい笑顔を見せる銀髪の男性ははしゃがみこんで俺の顔を覗きこむ。
「それじゃ、そろそろ話してもらおうかな?城の中にいた理由をさ。」
「何度もいいましたけど、俺も分からないんです。突然目の前が真っ白になって……気づいたらここにいて……。」
「全く話にならないな。黒髪を持つということは魔力を持っているのでしょう?私に気づかれずに侵入をするなんて、並大抵の力ないと不可能。あなた、何者なの?」
銀髪の男性の問いに素直に答えたつもりだったが、望まない答えだったようだ。
そうはいっても、真実なのだから仕方ない。
「そもそも、ここはどこなんですか……?魔力っていったい……?」
黒髪の女性は大きく溜息をつくと、立ち上がり俺に背を向けた。
入れ替わるように、銀髪の男性が座り、引き出しの中から取り出した一枚の紙を俺に差し出した。
「まあ、とりあえずさ。この紙に名前と住所書いといてくれる?ゆっくり話は聞くつもりだから。」
にこにこと接してくれる男性に警戒を緩めた俺は、差し出された白紙の紙に名前を書く。
「……その文字。」
いつのまに俺の横にいたのか、黒髪の女性が俺の書いている字を見て驚いている。
あまり真面目に学校に通っていたとはいえないが、少なくとも俺は自分の名前は書き順通りに書けているはずだ。もしかして、今まで間違えて覚えてしまっているのだろうか。
ペンの尻を使って頬を書いている隙に、銀髪の男性もすっと紙を抜き取り、まじまじと俺の字を見つめる。恥ずかしいからあまり見ないでほしい。
「君、この文字をどこで習ったんだい?」
「どこって言われても……ずっと、自分の書いている文字は正しいと思って生きてきたんで……。間違ってるなら書き直しますから、正しい字を教えてくださいよ。」
「すまないけど、僕も正しい文字を知らないんだ。……これは君の名前かな?なんて読むんだい?」
「ユウタです。」
「……そうか、ユウタくんか。悪いんだけど、ちょっとこの部屋で待っててくれるかな。」
銀髪の男性は、黒髪の女性に軽く目くばせすると、立ち上がり、俺を部屋に一人残して去って行った。
「ウィル、あの文字って、この大陸の古代文字よね……?」
廊下に出た二人は、誰にも聞かれぬよう、最新の注意を払い会話を始める。
「オニキスも気づいてたようだね。そうだよ。もう読むことができる人なんて数えるほどしかいない希少文字さ。書ける人はいないんじゃないかな?」
「それをあの男が、何の淀みもなく書いたということは……。」
「何か、ありそうだよねえ。少なくともこの城の牢屋に押し込んだりするのは可哀そうだ。」
「だからって、侵入者を野放しにしておくわけにはいかない。殺さないにしても、何等かの処罰を与えないと。」
ウィルはオニキスの言葉になかなか返答をしない。
腕を組み、右手の人差し指を上唇に当て、何か思案しているようだ。
「……彼の言った、“目の前が真っ白になった”というのがどうも気になるんだよねえ。できたら、僕が観察しやすいところに置いておきたい……。いったん僕に預からせてもらうよ。」
オニキスはようやく返ってきた答えに大きく溜息をつくと、ふふっと微笑んだ。
「そうね。あなたの手元に置いておかれるのはある意味、牢獄に入れられるよりも辛いことかもしれないわね。」
「待たせてごめんね。ユウタくん。」
入ってきたのは銀髪の男性だけだった。黒髪の女性は美人だが、ちょっと怖かったためほっとする。
「とりあえず、自己紹介がまだだったからさせてもらうね。僕の名前はウィル・ヴァーチュ。かつて“モノクロの三魔”と恐れられた魔法使いの一人だよ。」
銀髪の男性―ウィルさんはいたずらっ子のように微笑んで自己紹介してくれた。
俺の予想していた通り、冗談が好きなのだろう。俺が驚いているのを楽しんでいるに違いない。
「魔法使いって……そんな冗談通じるような年に見えますか?」
これでも二十は過ぎている。
若く見られることも多いが、さすがに間に受けるのは無理がある冗談だ。
「冗談じゃないよ。」
そういうと、右掌を机の上で広げる。
しばし、睨みつけると、掌の上で銀色の光が円状に輝きだし、炎を上げた。
「ええええ!!?」
思わず、声が裏返ってしまった。
本当に、驚いた。
頭の中が混乱する。
「まあ、僕は簡単な魔法しか使えないんだけどさ。……挨拶はこの辺にして、真面目な話をしようか。君の処遇は僕が決めることになった。……君はどうしてほしい?」
「どうしてほしいって……。」
「今すぐ殺してほしいかい?それとも、故郷に帰りたいかい?それとも、ここで生きたいかい?それとも、ここの牢獄に閉じ込められたいかい?……僕は君の意志を聞きたいんだ。」
「俺の意志……?」
「そう、いったろ?僕の名前はウィル・ヴァーチュ。ウィルとは古代の言葉で、“意志”という意味なのさ。だから、僕は意志を聞く。」
正直、元の場所に戻っても頼れる人もいない。
祖母が死んでからただ、生きるために働いていただけだ。
俺なんていつ死んでもいなくなっても誰も困りはしない。実は、何度も自殺しようと思ったことはあった。でも、できなかった。しようとするたび、俺の脳裏に母の笑顔が映し出されたからだ。
死ぬことが怖いのなら、俺に残された道は一つしかない。
「俺はここで生きたいです。」
ウィルさんは口角を上げてにっこりと微笑んだ。
昔読んだ絵本に書いてあった、悪魔との契約を俺は何故か思い出した。
毎月14日は意志の日だそうです。