仮に、君がそれに気づかないとしても。
奈雅井と出会ってから、既に二か月が経っていた。大学の授業の合間の昼休み、キャンパスの食堂で会話をしている。食堂は多くの若者で埋め尽くされ、それぞれが、そのグループの共通の話題について話して盛り上がっている。
「勝、最近も公務員の勉強をしているのか?」
「そうだね。ただ、この前偶然、桜沢市役所の先輩と知り合って、たまに会ったりしているよ」
「お、ラッキーじゃん。でも、民間企業じゃないとコネがあっても意味ねえか」
「まあね。それより、俺の未来視の能力のこと覚えている?」
「あー、使えねー特殊能力な」
「最初は面白かったけど、一時の楽しみ程度だったね」
「そうそう。で、その人もその能力を持っていてさ」
「へえ、そんな特殊な人がいるなんてね」
目の前にいる二人は、僕の大学で唯一と言える友人、晃と健だ。少し口が悪いのが晃で、丁寧な口調の方が健。二人とも、俺と同じでサークルには入らずに自由気ままにキャンパスライフを行っている。実は、サークルの雰囲気が合わず、三者三様にサークルを抜けてしまっていたのだ。
そんなこともあり、この3人で昼飯を食べたり、授業の情報交換をしたりすることが多かった。そして、この2人にだけは、自分の予知夢の力を教えていた。
最初こそ、2人ともすげーと喜んでいたのだが、すぐに飽きたようだった。なんせ、使い道が無いのだから。
ところで、僕の予知夢は、広めれば校内でも話題になるような力だと思う。だけど、こんなのを広めても何にもならない。多少はテレビに出たりもできるだろうけど、面倒さの方が大きいと思う。それが、俺を傷つけるだけだということを2人は分かってくれて、誰にも広めないで秘密にしてくれている。そういうところが、この2人のいいところだ。
きっと、企画サークルとかをしている人たちだったら、きっと大ごとにしてしまうだろう。一時の話題を作るためだけに。
「で、その人が特殊能力とか以前に変わった人でさ。いつも『世界を救う』とか言ってるんだぜ」
「それ、やべーやつなんじゃないの? 勝、洗脳されてねーだろうな。ツボとか売ってくるなよ」
そういって、疑いの目を向けてくる。
「いや、大丈夫だよ。そういう意味では害のない人だから」
「それなら良いけどね。でも、そんな怪しい奴がいる職場に入るもの嫌じゃない?」
「そうだね。まあ、それもあって、将来のことを見直そうと思って」
「お、マジで? お前もこっち側に落ちてきたかー」
「いや、晃、落ちるとか言うなよ。民間企業に勤めるのは王道でしょ? 勝も民間を目指すのかい?」
「それが、民間じゃなくてさ——」
□
その日、授業が終わると奈雅井の家に向かった。奈雅井の部屋に入ると、心に決めた決意を奈雅井にぶつける。
「俺、国家公務員を目指すことにする。奈雅井さんのお陰で、市役所だとできないことも多いって分かったしね」
「そうか。それはお前が決めることだ」
「そうだね。それで、これから勉強に集中するから、当面はここには来られないと思う」
「苦労も多いと思うが、頑張れよ。そうだ、この本をやるよ」
<男 奈雅井が世界を救う話>
「いや、こういう自叙伝は、成功してから書けよ!」
そういいながら大笑いする。しかし、奈雅井は真面目な様子だった。
「いや、確実に成功するから結果は一緒だ。読んで参考にすると良いぞ。サインも書いてあるからな」
いや、それって、しがない地方公務員の妄想ストーリーだからね。でも——
「でも、いつか、奈雅井さんだったら成し遂げるかもしれないね。その時はプレミアがつくかも」
「おう、絶対にそうなるから期待しておきな! じゃあな」 そういって、手をひらひらさせる。また何か新しい企みをしているようで、パソコンの画面に向かってぶつぶつ言いながら、何かをやっていた。
そんな奈雅井を置いて、僕は彼の家を出た。当面はお別れだが、落ち着いたらまた遊びに来よう。そう思いながら、自宅への家路についた。
□
その日の晩飯時に、自分の決意を両親に伝えることにした。
「なあ、オヤジ、母さん。俺、国家公務員になることにする」
「急にどうした? 桜沢市役所じゃないのか?」
「ああ、市役所の人と知り合うきっかけがあってさ。その人が市役所でできることには限りがあることを教えてくれたんだ。俺はできることが多いところにいって頑張りたい」
「国家公務員も楽な仕事ではないぞ。下手をすると民間企業よりも大変かもしれん」 そう真面目な表情で言い切った後、すぐにオヤジは顔を緩める。「ただ、お前の目は決意に満ちているな。久々にお前のそんな顔を見たよ」
「最近は諦めたような表情ばかりしていたからね。私もお父さんも心配していたのよ。でも、非行に走っている様子は無かったから何も言わなかったけどね」
「やってみればいいさ! まだ、お前にはチャレンジする権利も時間も体力もあるのだから」
二人の温かい言葉に目が潤んでいくのが分かる。いや、大人の男としては涙を見せてはならないと、何とか堪えた。その夜は興奮もあって眠ることが出来なかった。
□□□
さて、それから1年半が経った頃だろうか。公務員の勉強も、相当ハードな勉強が功を奏したのか、順調に進んでいた。絶対合格できるという保証はないので気を抜くつもりはないのだが、少し心にゆとりが出来てきていた。そこで、久しぶりに奈雅井に連絡を取ったのだが返事がなかった。家まで行ってみたのだが、引っ越しをしてしまったようだ。こうして、奈雅井との交流は断たれてしまっていた。
今日も大学の授業が終わり、電車で家路につく。今日は専門学校も無いので家で復習をするつもりだった。
「じゃあな、勝、健!」
「おう、また明日ね」
「またな、晃、明日は遅刻すんなよ」
そういって、家に帰る電車に乗り込む。前日、遅くまで勉強していたせいか、参考書を読んでいると睡魔に襲われてきた。スマホを操作し、到着時間にアラームを設定しておく。
◆◇◆
「ご乗車ありがとうございました。次は中里です。お出口は右側です。」
日本中で聞く女性の声が僕の降りる駅名を告げる。それは、人々の耳にはっきりと、しかし、日常に溶け込み、人に意識をさせないような声だ。停車に向けて減速する車両が僕の体を右に傾ける。
目をゆっくりと開けると印象派の絵画のような、光と色が混じり合った世界が徐々に開けて、現実が目の中に飛び込んでくる。車内はそれほど混雑していないが、席は埋まっており、立っている人が何人かいる程度だ。いつも通りの景色だった。
電車の速度が落ち着いてきたところで、立ち上がってドアへと向かう。ドアが開くのを待って、電車から降りようとすると、入り口の人が置いていた荷物に足を引っかけて転びそうになった。そのまま、前のめりでホームに降り立つ。危なかったな、と思いながら駅の階段へと歩いていく。少し歩いたところで、その映像が途切れる。
◆◇◆
「ご乗車ありがとうございました。次は中里です。お出口は右側です。」
日本中で聞く女性の声が僕の降りる駅名を告げる。停車に向けて減速する車両が僕の体を右に傾ける。
目をゆっくりと開けると印象派の絵画のような、光と色が混じり合った世界が徐々に開けて、現実が目の中に飛び込んでくる。車内はそれほど混雑していないが、席は埋まっており、立っている人が何人かいる程度だ。いつも通りの景色だった。
電車の速度が落ち着いてきたところで、立ち上がってドアへと向かう。ドアが開くのを待って、入り口の人が置いた荷物に気を付けながら、電車から降りる。駅の階段へと歩いていこうとしたところで、急に声を掛けられた。
「やっと会えました! ずっとお会いしたかったんです!」
そこには、いつか財布を取られそうになっていた女性が立っていた。白いワンピースが太陽の光を反射して眩しい。
彼女は前に見た時のように、いや、それ以上に美しい姿でそこに立っていた——