05:魔王サマ、連れ戻される
視界に入った天井に見覚えは無かった。―――いや、あるな。見慣れたものではないけれど。
というかこの目覚め方には大いに覚えがある。それもごく最近。
嫌な感じがむくむくと育っていく。
あーなんだろ、よくわかんないけど、嫌な感じ。ひたすら嫌な感じ。
腹の底から息を吐き出すと、すぐ近くで衣擦れの音がした。
「おはよう、お姉さん」
男の声、だと思う。女性の声にしては低すぎる気がした。
何故疑問系かと言えば、体を起こして音のほうを向いたら、目に入ったのが全力で顔を見せる気はないと主張するような口許しか見えない状態のフード姿の人物だったからだ。体の線がわからないローブのようなものを着ているせいもあって、性別が判断できない。
「自己紹介を先に始めた方がいい?それとも、ここはどこか、なんて状況説明の方が先?あ、ちなみに朝食の用意もできてるから、そっちを先にしてもいいよ?」
軽い。一瞬脱力してしまうほどに軽い物言いだった。
フードの人物をまじまじと観察してみる。とはいっても口許という顔の一部しか見えないし、髪の毛も短いのか綺麗にフードの中に収納されているのか、一本たりとも見えない。せめて口許の見える位置に目立つ黒子でもあれば個人を判別する特徴となろうがそんなものも見つからない。唯一見える口は、笑っているのだろうと思えるような形になっていた。
「朝御飯、を、食べながら、説明と自己紹介をお願いしていいのであれば、それが一番いいんですが」
「おっ、なるほど。手早くざっくりをご所望だね?お望みとあらばそうしよう」
「その前に、ひとつ私にとって重要なことをお尋ねしたいのですが」
「うん?どうぞどうぞ?」
「ここって……名称はわからないですけど、砦、というか……一度私が出て行った部屋に思えるのですが、私、森にいたはずなんですけど」
「うんうん、合ってる合ってる。キミは一度この場所を出て森に行ったけど、ボクが連れ戻しちゃったんだなー。お帰りー」
「あ、はい、ただいま……?」
つい普通に挨拶を返してしまってハッとする。ダメだ。この人のペースに巻き込まれている。
「あの、ここが同じ場所っていうなら、あなたもあの男の仲間、ですよね?」
私にとってはとても重要なことだ。あのいけ好かない男は、ここにいた。そして連れ戻したというからにはこの人も無関係のはずがない。
「あの男?」
フードの人ははて?と顎をさすりつつ首をひねる。
まぁ確かに「あの男」だけで分かるわけもないのだが、それ以上に言いようがなかった。相手は名乗らなかったし、こちらも聞かなかったのだから。
「なんか、偉そうな…焦げ茶色の髪して無表情というか無愛想というか……なんていうか……名前は知りません」
「偉そうで茶色の……うーん、ボクもここの隊員全員把握してるわけじゃないから断定はできないんだよね。お偉いさんも茶色の髪の人も愛想ないのもいっぱいいるしなぁ。まぁ、でも、」
ふと言葉を切ったフードの人は、すっと顔ごと視線を動かした。何かを示すようなその行動に倣って動かした先にあるのは、扉だ。
パチン、と、指を鳴らす音が響く。まるで呼応するようにカチャリとひとりでに扉が開いた。
「この人のことなら、まぁ仲間といえなくもないかもしれないね。ねぇ、隊長殿?」
呼びかけるようにして、フードの人が声を大きくした。
一拍遅れて、扉から出てきたのは。
「げっ、腐れ野郎……」
盛大に顔が歪んだ自覚がある。ご登場くださったのはまさしく私が示したかったあのいけ好かない男だった。
男は部屋に入り数歩とせず足を止める。私とフードの人を見比べた後はぁと盛大に息をついた。
「ユーグ・フォークナー。名乗ってやるからその汚い呼び方は止めてくれ。女性らしさの欠片もない口の聞き方は聞くに堪えない」
「ちっ」
だったら聞くな。人間らしさの欠片も備えてない野郎に言われたかない。そう口から出そうになるのを抑えたのは、この男と会話すると脱線して罵り合いに発展しかねないからだ。舌打ちだけだとこっちが言い負かされたみたいでかなり不快だが、舌打ちは脊髄反射だから仕方ない。
ともあれ、男は無視してフードの人に向き直る。
「あんたのお仲間らしいあの男は私が野垂れ死のうが構わないらしいのに、連れ戻した理由を聞いても?」
「んん、ボクのほうは野垂れ死なれて困るから、かな。王子と『魔王』の話は聞いたんだよね?」
「あぁ、王子様殺したいんならそっちで勝手にやってくれ」
「うんうん……うん?」
首をかしげたフードの人は数拍分黙り込んで、迷うように何度かぱくぱくと口を動かした後にようやくと言った風に言葉を落とした。
「……殺す?」
口許しか見えないながらに戸惑っている雰囲気を感じる。
まさか聞いてないのだろうか。
ちらりと男の様子を伺うと特に表情を変えることなく平然と壁にもたれてこちらを見ていた。弁明する気は元より口を挟む気もないらしい。
「……あんたらは『魔王』に、使えない馬鹿王子を殺してほしいんだろ?」
確認を兼ねて言葉にしてみると、フードの人は「うへぇ」と言わんばかりにぐんにゃりと口を曲げた。
「何?そんな物騒なお願いされたの?そりゃあ交渉も決裂するよ……」
どうやらこちらと話した内容は聞いていなかったようだ。しかも目的は違うらしい。仲間と言う割りに一枚岩ではないということか。謎だ。謎だがこの人は男よりマシに思えた。
「うーん、困ったなぁ。もっとうまく煽ってくれればまだしも、そんな真っ直ぐぶん投げたら頷くわけ無いよねぇ。ってことは仲間って言葉、最悪じゃない?どうしよう、お姉さんどうしたらオレのこと信用してくれる?隊長殿とは確かに手を組んでるけどさ、オレとしてはお姉さんの味方のつもりでいるんだ。『魔王』役の話もさ、お姉さんにも一利くらいはあるんだよ?まぁ半分以上こっちの都合ってのは間違いないんだけどね?」
頭を抱えて俯いてしゃべり始めたと思えばぱっと顔を上げて言い募り、最終的にはベッドの端に移動し腰掛けて同じベッドに座ったままの私の手を取り首を傾げてくる。早口であることから焦っているようにも思えた。一部こちらに聞かせるためではなさそうな言葉も混じっていた気がする。
「……あの、」
「あ、安心して?隊長殿が無理強いしないようにオレがお姉さんを守るよ。こう見えてもオレもね、ちょっと特殊だからね。隊長殿と違って剣は得意じゃないんだけどね。って言ってもわかんないよね、百聞は一見にしかずっていうもんね、ちょっと見ててね?」
言葉が切れたと思ったので口を開いたのだが、息継ぎだったのか、こちらの声は掻き消えてしまった。
うん、このひとどうしたら口閉じるんだ?疑問符がついたような話し方してる割に全然話聞かないな?
とりあえず本人の気が済むまで話させて終わりを待つしか選択肢がないらしいことを悟ったあたりで、フードの人がくるりと体を反対側に向けた。『隊長殿』と呼ばれた男のほうに、ピッと人差し指を向ける。
「ケル!ゴー!」
まるで犬に向けた合図のようだなと呆けた私と違って、男がざっと体勢を変えた。
いつの間にか剣は抜かれていて、しかしすぐにガチャンっと重い金属が落ちる音が響く。腕を後ろで拘束されたかのように背を逸らしている男の口を猿轡のように黒い縄のようなものが覆っていた。黒い縄は腕から這って肩までにも巻きついている。後ろに引きずられるようにがくんと沈んだ男はしかし、片足を何かを蹴るように動かす。
フードの人が体を傾けた。
べちん、と何かを払いのけるような音がしたのと、黒いものが目前で鞭のようにしなったのは同時だったろうか。そしてまた、盛大な音を立てて重いものが落ちた。
遅れて音の方向へと顔を向けて、男の剣が壁に叩きつけられて落ちたのだ理解する。
つまり?
「さすが隊長殿。ベルがいなかったらお姉さんに突き刺さってたかなぁ」
頭の中を整理してみる。
男が反撃として剣を蹴り上げた。あの体勢からどうやってとかそこらへんは気にしないことにしておく。
そしてそれを察したフードの人は避けた。
避けた代わりに、何かわからない黒いのが剣を払いのけて、私は助かった。
「あはは、思わず避けちゃったなぁ。けどまぁ怪我はなかったんだからいいよね?しかもベルはオレのだからね!ほら、どう?これで信用できる?ね?ボク、お姉さんの味方だよ!」
「……理解した」
少なくとも、自分の命より私の命を優先する気はない、ということは。まぁ人間誰しも我が身が一番可愛かろうけれど。
よかったーと胸を押さえて安心したようにフードの人は息をついた。体勢を整えてまた向き合う形を取る。
「とりあえず自己紹介しておこうか。ボクはハーミット。呼びにくければハミィって呼んでね?一応キミの味方で、キミがきっと一番望んでいることのお手伝いをしにきたんだ。勿論慈善事業としてじゃなくて、ボクにもキミを利用してやりたいことがあるから。お話し、聞いてくれるよね?」
ハーミットと名乗ったフードの人は、こてりと首を傾げた。
タロットカードが一瞬浮かんだが、この人には隠者という呼び方は似合わないな、と思った。それから多分、オレとか言ってるから男の人なんだろう。
先ほどの一分ともたない攻防のお陰でわかったこともある。攻撃手段を持たない私には全く歯の立たない相手であるということだ。彼らは二人とも戦闘慣れしている。それも訓練だけじゃなくて、命のやり取りをした経験があっても不思議じゃないレベル。無闇矢鱈に喧嘩を吹っかけるのはやっぱり良くないらしい。瞬殺されれば御の字、最悪じりじり痛めつけられて殺される。あの男も、やろうと思えばきっとやれるんだろう。
それから。
「術師殿、こちらはあなた方なしでも一向に構わないのだが?」
「はいはい、悪かったとは思ってるって。ごめんねー?でも、より楽なほうがいいってのも本音でしょ?隊長殿丈夫だから、ちょーっとボクらに遊ばれるくらいなんともないじゃない」
いつの間にやら解放されて新たな武器を構えていた男とフードの人が言い合っているのを聞いて確信する。
この人たち、私が思い描く『仲間』という関係性とは絶対に違う。