04:魔王サマ、嘲笑う
王子を潰して欲しい。
なんて物騒な。その前にこの男、王子と近しい立場の人間なのではなかったのか。
思わずぽかんと口を開けてしまう。どれだけ見つめても男の感情は読めない。
こちらの反応などお構いなしに淡々とした声が続ける。
「殿下は“遊び惚けている”と民の噂に上るほど、政務にも何にも見向きもしない。陛下は殿下に対して機会を与えた。民の噂を消せるだけの功績を成せ。それが出来なければ廃嫡も辞さない、と。とはいえ功績と一口に言っても難しい。陛下としてはその為に文武どちらでも良いから努力をする姿勢を見たかったのだろうと思う。だが、あの方が選んだのは『英雄を創り出す』という子どもが夢想するような方法だった。あの方ももう成人をしたいい大人なんだがな。正直に言えば廃嫡し次の跡継ぎを立てたほうが早い。そう思っている臣下は多いだろう。現王には弟妹もその子らもいらっしゃるからな。殿下は、『英雄』となる過程――魔王討伐中に命を散らすなら、本望ではないかと思う。自分の夢に殉じるのだから文句もなかろう」
命を、散らす。
夢に、殉じる。
言われたことを脳内で反復して。
「……ふ、ははっ!!腐ってんなぁ、異世界!!」
笑った。
なんなのこの世界。なんなのこの世界の人間。馬鹿なの?死ぬの?いや、死ねって言われてるの私か。
笑いが止まらなかった。これで笑うなというほうが無理だろう。
異世界に呼ばれた理由が『魔王として死ね』。そして帰る前に元凶を『魔王として殺せ』。
あまりの好待遇っぷりに笑うしかない。
「なぁ、王太子殿下とやらもクソだけど、お前もクソだな。それさぁ、自分の手を汚さず邪魔者消したいってだけだろ?つまり、赤髪の手から私を掠め取ってきたのも、自分の駒にしたかっただけってわけだ。腐ってるねぇ、あんた。王子は馬鹿かもしれねぇけど、あんたは腐ってる。直接私に王子を殺せって言わないあたりも卑怯。最悪。なぁ、異世界の人間って馬鹿で腐ってるクソ野郎しかいないわけ?」
男はじっと私を見ているだけで、言葉も返さないし態度も特に変わらなかった。それが余計に怒りを煽ると知っているのかもしれない。
「あぁ、これじゃ足りないかな。こっちの意思も明確に言葉にしておこうか。―――お断りだよ。勿論、『魔王として死ね』ってのも『魔王として殺せ』ってのも、どっちもお断りだ。この世界じゃどうなのか知らねぇけどさ、私がいた世界は人殺しって犯罪なの。『死ね』ってのは単純に嫌だからって理由だけど、『殺せ』ってのも最終的に罪人として死ぬことになるからね。結局同じ。嫌。無理」
これでお断りできただろうか。
あぁ、でももう一言。
男に向かってにっこり笑う。
「むしろてめぇらが死ねよ、クソどもが」
残念ながら、男の思惑通りに殺してやるほどお人好しでもない。
だから私の知らない見えないところで勝手にくたばって欲しい。この男も、赤髪も。
冷静に考えれば、この対応が下策も下策なんだろう。この男が何者かは知らないが、確かなのは私の今いる場所が敵陣の真っ只中ということだけ。『死ね』だの『殺せ』だの言われる世界だ、ここで殺されたって日常の範囲内かもしれない。
だがここまで虚仮にされて黙っても居られなかった。私は短気だ。クソにはクソと言ってやらねば気がすまない。
「あぁ、それから。人として一応言っておくけど、寝床と食事、三日間も保護してくれてありがとう。例えそれが自分の駒にするっていう下心からだとしても、感謝しておくよ。あと馬鹿王子から掠め取ったこともね。私にとっては今こっちにいるほうが結果としてよかったんだろうから。お世話になりました。それからさようなら、あんたとは二度と会いたくないや」
言いたいことは言い終えた気がする。気分はいくらかすっきりした。
さて、どこが出口かな。
食事が終わった際に、目覚めた時にいた金髪少年が出て行った扉があった。その扉が通路に繋がっているのではないかと当たりを付けて立ち上がり、そちらへと向かう。
「あなたはこの世界のことを何も知らない。あなたの常識が通用するとも限らない。金もないだろう。どうするつもりだ」
男は立ち上がらず、声を掛けてきた。
扉に手をかけたところで振り返り、無表情でこちらを見ている男にもう一度笑ってみせた。今度はこちらが馬鹿にしてやる番だ。そういう表情に見えているといい。
「私はクソ王子に押し付けられた配役に則って死ぬのも御免だけど、腐った野郎の駒になって人殺しになるのも御免なんだよね。いっそ野垂れ死ぬほうがマシだ」
そんな風に格好つけても、当たり前だがマジで死にたいわけではない。だがここは日本でもなければ地球ですらない。
というか、そもそも人が見当たらない森の中です、現在。
私が眠っていたあの場所は、どうやら城砦のようだった。外観を一言で表すなら城。外に出てしばらく歩いた後、その城壁を含めて見渡して「ファンタジー…」と呟いてしまうほどに、城。なるほど異世界と妙に納得してしまった。砦かなと思ったのは見た目より、いけ好かない男といた部屋から外に出るまでに見かけたのが、胸当てとか肩当てとか金属製っぽいそれらを身に付けた男たちだけだったからだ。
そういえば赤髪も剣を抜いていたような気がするし、男に吹き飛ばされた時になにか金属が当たったと思った気がする。あの部屋に居た時の男はそんな装備はなかったが、着ていたのは詰襟の軍服っぽかった。金髪少年も似たような詰襟だった。つまりあの名も知らぬ男は、兵士とか騎士とかそういう職なんだろう。あの口調といい王子様と近しいらしいことといい、近衛みたいな職か単純にお偉い上級武官か。
ともあれ、その城砦を抜けて道なりに歩いていたはずなのだが、気づけば森の中、現在に至る。
始めのほうは舗装されているとは言い難いものの、人が通ることを想定された道だった。それがいつからか獣道っぽくなってきて足元にしか注意を払っていなかったから、どこかで道を逸れてしまったのかもしれない。ううむ。上を見上げれば、空にはすでに赤色が滲み始めている。日が暮れる前にとりあえず人里に辿りつきたかったのだけれど、そう上手くはいかないようだ。
どうしたものか。
今後のことについては正直何も考えていない。人里を目指してはいたが、それだって運よく人の善意に頼れないかなという他力本願な考えゆえだ。赤髪といいあの男といい、腐った奴らだとは思うが、本気でこの世界の住人すべてが腐っているとは思っていない。だいたいにして情報が無さ過ぎて他人に頼るくらいしか方法を思いつかない、ともいう。
このまま森の中で一夜明かすのもどうなのかと思う。
こちとら現代地球産の文明の利器に慣れきった日本人である。生まれ育ちが多少田舎ではあっても、電化製品様サマの生活が身に染みている。アウトドア派でもないから、何の装備もなく森で野宿ができるだけの知識もない。
現在の装備品を確認してみる。
まず黒い長袖膝丈ワンピース。黒いストッキング。この二つはところどころ破れアリだ。そういやなんか最初に怪我した気がする。靴は、見覚えの無いものだからたぶんあのいけ好かない男が用意してくれたんだろう、茶色いブーツ。ジョッキーブーツっぽい。まぁ普通に専用サイズがあるはずもなく、大きさはあってないので歩きにくい。これ結果的に盗って来たことになるのかと思うとちょっと持ち主に悪いことしたなと思った。多分誰かの予備だと思うし。
以上。
心もとないにもほどがある。着の身着のまま飛び出したのだから、そりゃそうだろう。どうせ靴も貰っちゃったわけだから食糧とか使えそうな道具とか情報とか持ってくりゃよかったんだよなぁ。あの時はさっさとあの場から離れたい、ただその一心だった。仕方ない、自分の性格だ。
ともかくこれで夜を越せるだろうか。ひたすら歩いている為今はちょっと暑いくらいだし、部屋から砦の外へと出たときも寒さは感じなかった。だが夜になるとどうだろう。今の季節がどうなのかも分からない。さらには森の中。これだけ自然豊かなら獣の類もいるだろう。召喚術とかいうものがあるなら、魔物みたいな得体の知れないものもいるかもしれない。それらをどうやって裂けようか。
もしくは、一縷の希望に縋り、人里目指して更に先に進むべきだろうか。
あー…めんどい。だんだん考えるのも面倒になってきた。
うーっと唸りながら顔を上げる。空は夕焼け色を増したように思える。もうこれあれじゃない、マジで野垂れ死にルートじゃない?でも生きたまま獣に食われるのはやだなぁ。
そんな想像するのも恐ろしいことを考えていると、ふと目に付いたものがあった。
「あ……?」
赤くなりつつある空の中に、白い点。雲ではない。気のせいだろうか、その大きさは点を越して丸になって――落ちてくる、ような。
「紙……?」
目を眇めたからというより、本当に落ちてきたからそれが何かわかった。紙片。これまた気のせいか、淡く発光しているようにも思えた。
ちょうど私の真上から落ちてきたので、何とはなしに掌で受け止める。コピー用紙のように真っ白ツルツルではなくて、ザラ紙に近い。
四つ折に折られていたので、開いてみると、中には図形――というか、いわゆる魔方陣のようなものがあった。インクで描いてるのだろうか、なんだか玉虫色というか、不思議な色だ。無意識のうちにその線に指が触れる。
「え」
ぶわっと何かが――勢いが良すぎるのと間近で起こった所為かソレをなんと呼ぶのかも分からないが、白い何かが一斉に吹き出て視界を埋め尽くし、体を包み込む。
そこで記憶は途切れた。