02:魔王サマ、把握する
とりあえず夢ではないと認識を改めたのは、用意されたお粥らしきもので腹が満たされてからだった。夢でここまで鮮明に味覚を刺激されることもないだろう、という、まぁ結局は曖昧な基準ではあるのだけれども。
特に腹が減っているという自覚もなかったのだが、実際食べ始めると次々と食が進んだ。三日眠りっぱなしという割には胃に負担を感じるこもとなかった。
「そろそろ話してもいいだろうか」
茶髪の男が声を掛けてきたのは、食後のお茶も飲み干して一息ついた頃だった。
食べている間、男は待てをする犬のようにじっとこちらに視線を向けたまま無言を貫いていた。その視線が若干うざいなとは思ったのだけれど、言い方からしてこの食事はこの男が用意したものなのだろうと察せられて我慢した。
はっきり言って、こちらの男に対する印象は良いものではないので会話をしたいとは思わない。だが食事を御馳走になった手前、また、よくわからないが眠っている間から世話になっていたらしい手前、男の要求を撥ね付けるのもよくないだろう。
渋々、という感情が出ないように表情と姿勢を正して先を促す。
「どうぞ」
男はひとつ頷くと、ひたと目線を合わせて口を開いた。
「まず、ここはあなたにとって、界を跨いだ世界になる」
「ストップ。初っ端から口挟んで申し訳ないけど、それはつまり、いわゆる異世界という意味で合ってます?」
「あぁ、その認識で相違ない」
なるほど。異世界。
まさかそんな馬鹿な、という気持ちと、まぁそうでしょうね、という気持ちが半々。
ぐるぐると色んな考えが出てくるが、この際脇に退けておこう。現在のこれはおそらくチュートリアルに相当するイベントだ。いちいち突っ込みを入れていたら全然進まない気がする。
「中断させてすみません、続けてください」
「あぁ。違う世界のあなたにどこまでこちらの言葉が通じるかわからないのだが、こちらでは召喚術という方法があって、異なる世界のモノを呼び寄せることができる。あなたはその召喚術によって呼び寄せられたようだ。実際に術を行使したのは私ではないが、その者の手にあなたを任せると色々と不都合が生じると判断し、私があなたを保護した形になる」
なにやら不穏な気配が出てきた気がするが気のせいか。
男の説明では、私という存在が召喚主の下にあると男にとって邪魔だから奪ってきた、と言ってるようにも思える。
思わず表情を繕うことも忘れて、眉間に皺を寄せてしまう。やべ、と思ったときには男の眉間にも皺ができていた。
「言っておくが、この場合の不都合はあなたの身にとっても、だ」
「……持って回った言い方をされても、分かりづらいのですが」
「あちらの手にあれば、あなたは命を取られる」
「なるほど。それは確かに、私も遠慮したい事態ですね」
さらっと言われたのでさらっと返してみたが、つまりどういうことだ?
いや、理解できることはできる、が。
「私は殺される為に呼ばれた、と聞こえるのですが?」
「あぁ。そう言っている」
男は、さらっと肯定した。
まじかよ肯定すんのかよ。
え、あれ、異世界転移モノの王道と言えば、あなたが勇者だ聖女だとか持ち上げられて魔王を倒してってあれじゃない?利用するって点では召喚術者クソかよって思う場合もあるけど普通何か利用目的があるから呼び出すわけだろ?利用目的イコール殺すってこと?わざわざ異世界の人間を??え、それ考えたやつクソじゃない?あれか、召喚されたモノはたとえ人間だろうと所有物扱いで殺すことも殺人として罪に裁かれないとかそういう?
ん?―――魔王?
無意識のうちに押し寄せる思考の波の間に、ふと浮かんだ言葉。ファンタジーモノには定番と言える、悪役の名称。
その言葉を、どこかで、最近、聞いたような―――
思い至ったその考えに釣られるように顔を上げると、青い目がこちらを見ていた。
「続けていいだろうか」
「え、あ、はい。どうぞ」
どうやらこちらが思考の海から浮かび上がるのを待っていてくれたらしい。意外と律儀だな。
まだ男が説明したいことは残っているらしいと知って、こちらも聞く態勢に切り替える。
「先に確認したいのだが、あなたはこちらに呼ばれた時のことをどれだけ覚えている?」
「呼ばれた時、ですか」
まずどこからが現実だったんだろうか、と頭を捻る。
まるでそれを見透かしたように、男がまた話し始めた。
「まず、赤い髪の男が目の前にいたのを覚えているだろうか」
「あぁ…赤い髪、いましたね」
あれ地毛なんだろうか。二次元でしかみたことのない鮮やかな赤い髪だった。鮮やか過ぎて目に痛いほどだった。
「そうか。その男が何を言っていたか覚えているだろうか」
「言ってたこと…?」
そう、痛い…目に痛い色だな、と思ったのと同時に思ったことがあったはずだ。
痛い、痛い、イタイ……言葉。
「『魔王』」
とか、言ってたな。うん、そうだ言ってた。
だがしかし、だ。
あの時はイタイなーとか思ってたけど、ここは異世界。ファンタジー。魔王とか王道じゃん。もしかして実在する世界かもしれない。
意識を戻せば、男がひとつ頷いて見せた。どうやら思い出してほしかったのはこの言葉のようである。
「この世界では魔王って実在するんです?」
「いいや、御伽噺にしかいない。空想の産物だな」
ん?
「じゃあ魔王って言ってたのはなんだったんですか?」
というかあれ、―――私に向かっていってた気がするな。
―――あれ?
ふと浮かんだ考えに、思わず口の端が引きつる。
だって、この流れ、……私の配役って。
「あの赤い髪の男は、あなたを『魔王』として召喚した。そしてあの男はあなたを討伐し、英雄と呼ばれることを望んでいる」
わぁい、ビンゴだー…当たっても全く嬉しくない予想だけど。
「本人に聞いたわけではないが、あのお方はいささか子どものような面がおありでな。周囲の人間に認められる方法として、英雄になることを選んだということだろう。その為には悪役が必要になる。だが、わが国はすでに大陸全土を統一して数百年経ち、敵という存在がない。海の向こうには新天地があるとも言われているが、まぁ確かめたものは未だ存在しない。だから本来英雄などなれるはずもないのだが……、『ないなら作ればいい』とでも思ったんだろうな。召喚術という手段を使い、自分にとって都合のいい存在を呼び出すことにした。『魔王』という配役に仕立てやすそうな条件を――具体的な条件は私には皆目検討もつかないが、そんな条件であなたという存在を呼び寄せたのだと、思う」
「ははっ……素晴らしい発想力の持ち主ですね……」
最早笑うしかない。一方的に呼び寄せる召喚術というのもクソいなと思うが、これは更に上を行く。つまり、あの赤髪はクソ・オブ・クソ、キング・オブ・クソだ。ここまでくだらない、迷惑すぎる発想をする輩もそうは居まい。
「それで、あなたが私を保護してくださったのは、殺される私を哀れに思ってのこと、ということですか?」
男は敵対というより巻き込まれ同盟に近いのだろう。『あのお方』という言い方をしたということは、赤髪は上司だとか身分が上だとか、この男にとっては目上の人間だとあたりがつく。赤髪はいいとこの坊ちゃんなのかもしれない。だとしたら、この男は世話係か。何であれ、尻拭い役なのは間違いないだろう。
「……まぁ、そのようなものだ」
答える前にわずかに視線が揺らいだような気がしたが、男は肯定の言葉を口にした。