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00:始まりを告げる黒雲

その日は、国のそこかしこで明るく騒がしい祭りが行われるはずだった。


けれども今、バルコニーから見下ろせる場所に集まった人々のざわめきに楽しそうな様子は全く見受けられなかった。不安、困惑、そんな言葉がしっくりくる。

それもそうだろう、先ほどまで彼らの気分を表したかのような晴天だったのに、唐突に雷鳴を伴った暗雲が上空に集まりだしたのだ。しかもそれは、ちょうどこのバルコニーから直線上に辿った空にのみ。正しく黒いと表現できる雲は人々が集まる広間に重苦しい影を落としている。一方で視線を遠くにやれば、変わらずの青空。明らかに異様と言えた。


しかしそんな奇妙な光景を目にしながら、心を躍らせている青年がいた。

青年の心音は、眼下に集まる民衆とは正反対の感情から高鳴っている。それがわかっていたから、青年は努めて表情が緩まぬように全神経を集中させていた。同時にこの素晴らしき記念日になるこの時を、叫びだしたいほどの歓喜を、民衆たちと分かち合えないことがもどかしくて仕方なかった。


やっとだ。やっとこの時がきたのだ。もうすぐ自分は“英雄”になれる。


青年は己の未来を想った。己の雄姿が語り継がれる様を閉じた瞼の裏に想像して、体を震わせた。


強い光が、目を射る。


しっかりと開いた双眸で、青年はその光景を脳裏に焼き付けようと食い入るように見つめる。

ここからが始まりだ。

子供心に憧れた英雄譚を、自分の力で創りだして行くのだ。


上空を覆っていた黒い雲が薄く広がっていく。人々の目を刺すような強さを伴った閃光が、黒雲から零れ落ちて幾何学的模様を作り出していた。明滅するそれは、何かの鼓動のようにも思えた。

不意に光りが消え、しばらく後にずるりと黒雲から塊が落ちる。真上からゆるゆるともどかしい速度で落ちてくるそれがいったい何なのかと見極めようと、人々は一様に目を眇めた。口々に疑問の声をあげ、ざわめきを大きくしていく。


青年は知らず口の端を上げていた。その手が無意識のうちに、腰に下げた剣の存在を確かめる。装飾の多いそれはカチャリと音を立てた。

魅入るように黒の塊を見ていた青年は、近くで見ていた騎士の男が渋面を作るのには気づかなかった。


黒い塊はするするとその大きさを縮めていく。その形が遠目に見るには消えるほどに小さくなった瞬間、落下速度が増した。


――――ドンッ!!


悲鳴があがったのは、重いものが落ちた音が周囲に響いて一拍置いた後だった。

青年は期待に満ちた輝く瞳のままに、バルコニーから身を乗り出して確認する。

幸いにして落下地点はちょうど人のいない場所、広場の中央に鎮座する記念碑とそれを覆うように作られた花壇のあたりだったようだ。記念碑が破壊されたのだろう破片が散らばり、運悪く近くにいた人々が折り重なるようにして腰を抜かしている。

勢いが良過ぎたのか土埃が上がっている為、落下物の正体は判然としない。



けれど、――()()()()ことはわかった。





「っ、殿下!!」


次は己の番だとばかりに青年はバルコニーから飛び降りた。そこから眼下の広場まで落ちれば、何もしなければ下手をしなくても体を損傷する高さはある。けれど青年は地面にぶつかる前にぶわりと風に煽られて一瞬体を浮かし、多少ぎこちないながらも怪我することなく着地した。ふらりと頼りない足取りながら、落下物の元へと歩みを進める。

制止の声を上げた騎士は青年の無事を見ながら舌打ちして、追いかけるように飛び降りる。青年と比べるまでも無く滑らかな着地を行い、ふらつくことのない足で青年の前に出て腕を広げて睨みつけた。だが、青年は足を止めはしても、騎士を見向きもしない。騎士は諌めるための言葉を口にしかけたものの、音になることはなかった。


「貴様、魔王だな!?」


そんな、青年の荒唐無稽な言葉と大音声が騎士の思考を止めさせた。


「あのいかにも怪しい黒い雲から出てきた上に、全身黒尽くめのその異装、貴様がかの異形を従わせて人の世界を脅かすという魔王だろう!」


青年は子どものように目を輝かせたまま言い募る。

魔王。その言葉が成人を迎えてすでに数年経っているはずの青年の口から出てきたことが、騎士の顔を引きつらせた。魔王なんてのは、御伽噺にしか存在しない。


唖然としつつも釣られたように青年の視線を辿って、騎士は眉根を寄せた。


そこにいたのは、黒に彩られた人間だった。

当たり前だが御伽噺に出てくるような、人では有り得ぬと主張する角も羽も尻尾も生えてはいない。

ただ、黒い。

首が見える程度に整えられた黒い髪に、見慣れぬ黒い服。服の丈は膝を隠す程度で、黒い靴との間に見えるふくらはぎは黒いうす布に覆われているようだった。顔や首元など見える肌の色は、白というには色味が強い。そしてぼんやりとこちらを見ている双眸もまた、黒。

間違いなくただの人間と言える容貌だが、それにしても濡れたように艶を放つ黒髪黒目は珍しいのは確かだった。

髪が男のように短いものの、全体的にほっそりした体は女のようにも見える。幼く感じられる顔立ちがまた、年齢と性別を判別しにくくしているが、おそらく少女だろうと騎士は判断した。


その黒い少女は、青年をじっくりと見た後でこてりと首を傾げた。同時に膨れ上がる、魔力の気配。騎士は反射的に腰に下げた剣に手をかけ、一瞬の躊躇から鞘に収めたまま構えた。

かすかに、血の匂いがした。

少女の目が不思議そうに瞬いて、自分の姿を見下ろしている。そしてまた、魔力が膨れ上がる気配。先ほどよりも強い。ぶわっと大きく風が起き、黒い靄がかかる。悲鳴と、人が倒れる音が重なる。


「ば、ばけもの……」


引きつるような細い女の声が響いた。



騎士の隣で、青年が笑った。



「おのれ卑怯な!戦う力を持たぬ民衆から狙うとは!!」


まるで芝居のような台詞を吐きながら、青年が自身の剣を抜き放つ。

それを視界の端に捉え、これが茶番だと騎士は理解した。


黒い少女の前に躍り出る。肩を捕まえ、剣の柄の部分を少女の腹に向けて打ち込んだ。耳に届いた呻き声は、思いの外低かった。少女という認識は間違っているのだろうか、と泡のように疑問が浮かぶがすぐに弾けて消える。


「このまま飛ばす、受身を取れ」


相手にだけ聞こえるように呟いて、剣を一度引き戻しつつ鞘から抜き出す。くるりと返した刃を突き刺すように勢い良く少女へと向けた。風が、ゴウっと唸る。黒い少女は騎士の言葉通り、顔の判別さえつかない中空へと飛ばされていた。

その身が、また落下することはなかった。

黒い靄が再び現れ、少女を包み込んでいく。騎士はその様子から視線を外さぬままに怒号をあげた。


「皆、建物の中へ!!兵士は誘導を、術士は結界を!」


はじかれたように、周囲の人々が動きはじめる。

蜘蛛の子を散らすように、人々が広場から逃げ去っていく。その中で騎士の後ろで遅れを取った青年は、その傍に囲うように他の騎士たちが集まっても尚微動だにしなかった。


「貴様、何故邪魔をした」


不満をぶつけられた騎士は、振り返って刺すような視線を正面から受け止める。


「リカルド殿下。得体の知れぬ相手にむやみやたらに挑むものではありません。どうか御身を大切に」

「何を言う。あんな弱そうな相手に、俺が負けるとでも?」


心底馬鹿にしたように鼻で笑ったリカルドに、騎士は口の端を吊り上げた。


「あなたに負けるような相手が、魔王、ですか」

「!!貴様、俺をなんだと!」

「お言葉を返すようですが、万が一にあなたのお言葉通りアレが魔王とやらだったとして、民に、国に、害為す者を排除するのは我らの役目です、王子殿下」


リカルドが言葉に詰まったのは、騎士の言葉にではなく、彼から発される威圧するような空気のせいだ。


「それから、差し出がましいことを言うようですが、先ほどのように民衆の前で不用意な言動は慎まれるべきかと。あれでは、国に対する不信不満を煽るようなものです」


けれどもまぁ、と続けて口を動かした騎士は、それ以上言葉を音にすることはなかった。

代わりのようにひとつ息をつき、王子の傍に立つ己の部下たちに顔を向ける。


「早く殿下をお連れしろ」


ちっと盛大な舌打ちをしながら踵を返したリカルドの背に、こちらが舌打ちをしたい気分だと騎士は思う。鬱屈した気分を払うように頭を振って、彼の消えた方向とは逆の空を見上げる。

黒い靄は綺麗に消え去り、何事も無かったかのような青空が広がっていた。

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