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天魔屍侠譚  作者: スキャット
第1話「始まりの鐘は暁に響く」
6/44

1-3

「おいしい……おいしい……」


 アルテミスが満足気な顔で肉を口に放り込む。

 雷火と想兼もせっせと具材を口に運ぶ。先程の猪肉と萎びた野菜を入れただけの鍋だが、空腹には格別だった。


「おいしい……おいしい……」


 リリィもまた幸せそうに肉を食べている。その蕩けきった顔を、想兼がじっと見つめた。


「リリィさん、でしたね? 貴女、これからどうするつもりなんスか?」


 リリィは俯き、目を瞑る。


「……これから、ですか……。……実はまだ、何も決まってなくて……」


「リリィちゃんは何か、やりたい事とかないのー?」


「……やりたい事……」


 アルテミスの問いに、リリィは顔を上げる。


「……私、知りたいです。自分が何者なのか、どうして私はあの牢に居なければならなかったのか……」


 その目が雷火に向けられた。


「……教えてください。私って……魔法使いって何なんですか? 天使と悪魔は、どうして戦ってるんですか?」


「……そうだな……」


 雷火は座り直し、リリィに向き合った。


「お前みたいな世間知らずのお嬢様にも分かるように、このオレが子供でも分かるくらい優しく教えてやろう」


「はい! お心遣いありがとうございます! とても助かります!」


「皮肉だろ今のは! オレの良心をいたずらに傷ませるのやめろ!」


「雷火さん、始まる前から話の腰が折れてます」


「…………」


 想兼に促されて雷火は咳払いをし、ゆっくりと話し始める。


「天使と悪魔は、人間の放つ精神の力――魔力から生まれ、魔力から力を得る。植物の生み出す酸素が無ければ動物が生きていけないように、人間が発する魔力が無いと天使と悪魔は生きていけない。だから人間という『資源』を奪い合うわけだ。多くの人間を確保すれば、それだけ自分達の力も強くなるからな」


「人間は皆さんにとって必要不可欠なわけですね。……え……でも、それじゃあ……」


 リリィは眉間に皺を寄せ、怪訝な表情を浮かべた。


「……どうして悪魔の中には、人間を襲って殺めようとする方たちが……?」


 その言葉に、雷火は嘲るように笑う。


「当然の疑問だな。おかしいと思うだろう? そう、矛盾してるんだよ、悪魔なんて連中は。自分も人間から生まれてくるくせに、その人間の堕落と破滅を望まずにはいられない」


「……そうじゃない悪魔も、いるんじゃないですか?」


「いないね。もしもそうなら、天使と悪魔は殺し合わずに済んでるよ」


「何でそう言い切れるんですか? 全部の悪魔と会って話をしたんですか! 優しい悪魔さんもいると思うんですけど! どうなんですか! そこのところ! どうなんですか!」


「いきなり興奮するのをやめろ! 何なんだお前は! 近い! 離れろ!」


 リリィに迫られたじろぐ雷火をよそに、アルテミスは既に脱力しきり涅槃の体勢を取っていた。


「そうだよね〜。天使も悪魔も、みんな仲良くできたらいいのにね〜」


「無理な話だ。天使と悪魔は最初から、殺しあうように出来てるんだよ」


 リリィは未だ納得いかないという表情だったが、手元の水をぐいと飲み干し息をついた。


「そこのところはまた後でじっくりお話するとして!」


「しないぞ? ……で、問題はここからなんだが……」


 雷火が一息ついて鍋に箸を伸ばすと、かちんという虚しい音が響いた。眉を顰めて下を見ると、具材を満載にしていたはずの鍋は、既にすっかり空っぽになっていた。視線を上げると、至極満足気な顔で寝転がるアルテミスと目があった。


「…………。……どうしてだ?」


「雷火たち、話すのに忙しそうだったから。わたしが頑張ってみんなの分まで食べなきゃ! って思って〜」


「そんな善意と分業いらねえよ! どうすんだよ! まだ全然食べてないのに!!」


 空鍋を振り回して叫ぶ雷火を、想兼が宥める。


「まあまあ雷火さん、いいじゃないスかお肉くらい。また話の腰が折れてますよ」


「お前はアルに甘すぎるんだよ! そんなんだからこいつがこんなポンコツになっちまうんだよ!」


「ごめんね雷火……わたしバカでごめんね……。身体でよければいくらでも償うから……」


「あっ、ほら雷火さん。アルテミスさんが落ち込んじゃったじゃないっスか。謝ってください」


「…………!? …………。…………ああ、はい……。ごめんなさい……オレが悪かったです……」


 項垂れて謝罪する雷火。それを見てリリィは目を剥いた。


「いいんですか雷火さん!? この流れで謝っていいんですか!?」


「いいんだ……もう……。……五分だけ話しかけないでくれ……英気を養いたい……」


 言うや否や、雷火はいそいそとヘッドフォンを着けて目を瞑り、俯いて爆音でロックを聴き始める。リリィは呆気に取られてそれを見ていた。


「……あの、雷火さんはいつもこんな感じなんですか?」


「いつもこんな感じだよー?」


「ははあ……」リリィは感嘆したように何度も頷く。「外には色んな人がいるんですねえ……」


「いや、そうそういないと思いますが」


 たっぷり五分半の後、雷火は深々と溜息を吐いてからヘッドフォンを外し、また話を再開する。


「……天使と悪魔が戦っている理由は何となく分かりました。……魔法使い、っていうのは何なんですか? どう関わってくるんですか?」


「普通の人間は魔力をただ垂れ流すだけだが、魔法使いってのは自分の意思で魔力を操り、自由に変質できる連中のことだ。分かりやすい例だと炎やら水やらを出したり、って感じにな。お前の場合は自分の魔力を傷を癒す力に変質してる、ってことになるな。

 で、魔法使いは常人より圧倒的に多くの魔力を保有する、貴重な人材だ。まあ早い話が高性能な電池だな。場合によっては数十人、数百人分の魔力にも匹敵する。だから天使も悪魔も出来るだけ多くの魔法使いを確保したがるわけだ。うちのボスなんて、旧世界の大司教と契約してアホみたいな魔力を独占してやがる」


 その言葉に想兼もしきりに頷く。


「あれマジでワックですよね。元々強いんだからさらに恵まれる必要とか無くないスか?」


「本当だよ、大司教と契約なんてしたらオレだって魔王の一人や二人サクッと倒してきてやるよ」


「えっへぇ〜? 雷火には無理でしょ〜」


「へへへっ、無理でしょうねぇへへへへへ」


「お? イジメか? イジメなのか?」

 

「……あのー、魔法使いについても何となくは分かったんですが……もう一つだけいいですか?」


 リリィがおずおずと手を上げる。


「何だ、まだ何かあるのか?」


「……あのですね……ずっと気になってたんですが……。……雷火さんがずっと背負ってたそれ、何なんでしょうか?」


 傍らに置かれたギターケースに恐る恐る視線を向けるリリィに、雷火の表情が俄然輝いた。


「こっ……これか!? 興味あるのか!?」


「あっ」 想兼が硬直する。


「はい。本で読んだことしかないんですが……もしかして、ギターという楽器……でしょうか?」


「そう! そうだよ! 分かるのか!? なあ!」


「えっ……ええ、まあ……実物を見るのは初めてですが……」


「そうかそうか! 分かってくれるか! ギターは……ロックはな……いいんだよ! オレの心を癒してくれるのはロックだけだよ!」


 肩を掴まれがくがく揺らされ、異様なテンションに困惑してリリィが視線を送ると、想兼とアルテミスは諦めたように首を振った。


「……雷火さん、演奏できるんですか?」


「ん? ああ! 勿論! 聞きたいか!?」


「いいんですか? ぜひ!」


「結構です」


 割って入った想兼に、雷火の喜色満面のニコニコ顔がムッとした不機嫌なものに変わった。雷火は口を尖らせる。


「何だよ、オレがギター弾いちゃダメなのかよ?」


「ダメです。雷火さんの爆笑するほど下手でもないけど決して褒められるほど上手くもない絶妙に駄目なギターは聴いてる側もどう反応したらいいのか分からなくて微妙な空気になるので」


「…………」


 見る見る内に、雷火の元気が萎んでいく。


「モイちゃん! あんまりだよモイちゃん! 」


「何スか? 確固たる事実でしょう」


「確かに雷火のギターは愛想笑い以外にどんな反応したらいいのか分からないし本当に好きならもっと真面目に練習したらいいのにとは思うけど〜、言っていいことと悪いことが……あっ! ほらぁ!」


 アルテミスが目をやった雷火の顔は真っ赤に染まり、その肩は小さく震えていた。


「雷火泣いちゃうでしょ! ほらモイちゃん!謝って!」


「ええー……? マジ? マジスかアルテミスさん? マジ? 今のマジ?」


「うるせぇーーー!!」


 叫び、雷火は勢いよく立ち上がる。


「お前らこの……バーカ!! もうっ……おまっ……お前ら……嫌いだ!! お前ら嫌い!! バーカ!! もう知らないからな!! もう……もう……。……バーカ!! バーカバーカ!! バーーーカ!!」


 その場の全員をしきりに指差して罵倒し走り去っていく雷火に対し、リリィはひたすらオロオロし、アルテミスと想兼は無言で見送った。


「えっ……ど……どうしましょう……!? 雷火さん、あんなに怒って……!」


「うーん……大丈夫じゃない? いつもの事だよー」


「テンパると語彙が死滅するんスよね、雷火さん」


「でも……わ……私、追いかけてきます!」


 リリィは慌てて雷火の後を追っていき、残された二人は顔を見合わせた。


「……大丈夫かなー、雷火?」


「メンタルの弱さはそう簡単に治りませんよ。……大体、雷火さんは生きるのが下手クソなんスよ。もっと色々となあなあで済ませて受け入れた方が、楽に過ごせるでしょうに」


「ん〜……でもさあ?」アルテミスは首を傾げる。「雷火がそんなんだから、モイちゃんもほっとけないんでしょ?」


「……それは……。……まあ、そうかもしれませんね」


「でしょ〜? 多少のがっかりポイントは大目に見てあげないと! ……にしてもリリィちゃん色白で可愛くない? 夜這ってもいいのかな?」


「どこ? どこ判断材料にしました? 普通に駄目っスからね?」


 想兼はいつもの食後の習慣で、懐から『鎮痛剤』を取り出そうとして、はたと手を止める。


 そういえば――。


 先程からのゴタゴタで、すっかり頭から抜け落ちていた事をようやく思い出す。


 そういえば、あの時逃した悪魔はどうなっただろう――?










「探知出来ました。アッシュの情報通り、あのビル街です。数は一、二、三……」


 廃墟の街、瓦礫や廃車が転がる悪路を、大量の軍用車とバイクが走る。その内の一両にカイムも乗っていた。カイムとその眷属は鳥の性質を持つゆえに空を飛ぶ事も出来るが、それには魔力の消費が大きい。長距離を移動する際は専ら陸路だった。

 カイムの隣に座る探知能力を持つ眷属は、梟を思わせる頭を指でしきりに叩いている。


「……天使が三人、それに人間……恐らく魔法使いが一人……ですが、これは……」


「……どうかしたのか?」


「……何らかの力が働いて、正確な保有魔力量が探知できません。恐らくは何らかの術式が働いているものかと。もっと間近で見ないことには……」


「……ふむ……」


 カイムは顎に手をやる。


「……最重要指令が出されるくらいだ、何らかの事情はあって当然だろうな。……天使のほうはどうだ?」


「……使い走りの下級天使ではありませんが、それほど強力な魔力でもありません。カイム様ならば、何も問題は無いかと」


「そうか……」


「カイム様、カイム様なら大丈夫です!」

「そうです、私達も付いてますから!」


 車内の眷属達の明るい声に、カイムも頷きを返す。

 天使が三体、増援も無し。未来が予知できないのも、術式が所謂ジャマーのような働きをしているだけだろう。

 何も問題は無い。その筈なのだが、やはりカイムの胸中には何か小さなしこりが残り続けていた。

 されど車は闇の中を止まる事なく、カイム達を乗せて廃墟の街を走り続けていった。









 天使、“篠突く雷火”は神を信じない。

 たとえ居たとしても、絶対にろくでなしだろうと思っていた。


 世界中どこの神話を探しても、“篠突く雷火”などという名は登場しない。アルテミスや想兼のような、確固たる個として神話に描かれた者達と異なり、雷火は幾千幾万の名も無き天使――端的に言えば『その他大勢』の一人に過ぎない。だが実を言えば、本来はそうなる筈ではなかったのだ。


 九年前、質・量共に圧倒的に勝る悪魔達の猛攻に対し、当時北米に築かれた天使と人類の重要拠点では、起死回生の一手としてある強力な天使の召喚を試みた。それが主天使を率いる偉大なる天使、ハシュマルである。

 本来、強力な天使の召喚には相応の魔力と時間が必要になる。当時の術者達はそれらを補うべく、大量の貴重な霊的触媒と緻密に練り上げられた高度な魔術式を用意した。コストは莫大なものとなったが、ハシュマルの召喚が成功すればそれを補って余りある成果となる筈だった。


 だが、召還は失敗した。


 術者達の苦難の末、ハシュマルがいよいよ顕現しようとしたその瞬間。媒体として用意された赤燐に対し、同時に悪魔――名前すら定かではない、極めて矮小なもの――が顕現を試みたのだ。

 同じ瞬間に同じ場所で二つの霊が同じ媒体に対して顕現しようとするなどまさしく天文学的確率であり、通常起こり得ない、誰にも想定外の事態だった。

 だが実際に、その天文学的な不運は起きてしまったのだ。大天使にとってはほんの些細な存在といえど悪魔は悪魔であり、混入した異物によってハシュマルを構成する魔力は著しく汚染され、拡散し、こぼれ落ち、最早ハシュマルとしての個を維持することすら出来なくなった。

 そうして残された、ハシュマルには成れなくなった僅かな魔力と肉体は、代わりに『その他大勢』の天使としての個を獲得するに至った。


 そうして生まれたのが、“篠突く雷火”だ。誰の祝福もなく生まれた、望まれなかった、期待はずれの天使。

 当然そんな雷火に絶望的な戦況をひっくり返す力などあろう筈も無く、ハシュマルの戦力で立て直す見込みだった戦線は崩壊。多数の犠牲者を出すに至り、人類の生存領域は著しく後退した。


 誰もが口々に雷火を蔑み、罵った。曰く、お前のせいで負けた、お前のせいで仲間が死んだ、お前のせいで何もかも失った。そんな罵倒と陰湿な嫌がらせが何か月、何年と延々続いた。

 身に覚えのない罪悪で糾弾されて、納得など出来るはずがなかった。知ったことか、俺のせいじゃない。そう叫んで回りたかったが、出来なかった。

 雷火のちっぽけな誇りと自尊心は踏み躙られ、蹂躙され、能力と人格の全ては否定された。誰もが敗戦の責任をどこかの誰かに求めていた。そしてそこには彼という格好の標的がいた。言ってみればそれだけのことだ。

 地上に降りたばかりの、かつて清白で純真だった雷火の自我は、そうして次第にやり場のない怨嗟と押し付けられ上書きされた罪悪感で摺り切れ、削れ、汚れていった。






 冷たい夜風が雷火の髪を揺らした。

 雷火は地上に出て、ただぼんやりと瓦礫に座って夜空を眺めていた。無人の街、ビルに囲まれ隔てられて尚、星は美しく輝いていた。ヘッドフォンから流れるのは、UKロックの名盤。

 音楽が、特にロックが好きだった。嫌な事ばかりの地上で、ロックを聴いている時だけは嫌なことを忘れられた。よく飽きもせずと笑われても、暇さえあればロックを聴き、CDショップの廃墟に赴いては掘り出し物が無いか必死に漁った。


 あの時本当に悪かったのは誰なのだろうと、何度も考えた。

 飛び込んできた悪魔か。事態を想定しなかった術者か。力を持たず生まれてきた自分か。恐らく、正解など無いのだろう。

 誰かに責任があるとすれば、このような運命を与えた神とやらにだろうと思った。神使として地上に降りた天使にこのような仕打ちを与えるなど、許されていい筈がない。

 故に、雷火は神を信じない。そして同時に、天使や悪魔たちが語る『当たり前』の常識も。


 天使達が崇高なものとして語る大義。大多数の者が当たり前のものとして信じる価値基準だが、雷火はそれにどうしても馴染めず、また意味を見出せなかった。

 大義とは何か。何の為に戦い、殺し、死ぬのか。誰に訊いても返ってくる答えは同じだった。曰く、人の為。世界の為。正義の為。天使達は皆、当然のようにそう答えた。

 嘘をつくな。そう思った。自分以外の天使は、皆そんな不明瞭で抽象的で形のないものを本気で信じているというのだろうか。雷火はどうしても納得できなかった。そんなものの為に、彼らは戦っているというのだろうか。

 雷火には出来なかった。信じられなかった。納得も信用も出来ない価値観の為に戦い、殺し、死んでいくことなど絶対に嫌だった。

 けれどだからと言って、悪魔達が嘯く刹那的な利己・快楽・享楽主義を受け入れる事も出来ず、そして代わりに己の指針に出来るほどの強い意志や信条を持ち合わせているわけでもなく。

 その結果として、雷火はこうして数年もの間、無為で無軌道な日々を過ごしてきたのだ。

 当たり前の価値観に迎合し、歯車の一つになって生きることが出来ればどれだけ楽だっただろう。それが出来ない落伍者の雷火は、大勢の歩む正道から外れたどこまでも続く暗闇の荒野で、自分なりの道を照らす指針すらも持ち合わせず、ただ立ち尽くすことしか出来なかったのだ。


 そんな雷火に神の救いが差し伸べられたことなど、一度たりとも無かった。


「……どうすりゃいいってんだよ……」


 見上げた星がじわりと滲んだ時――。


「雷火さーん!」


 後方から名を呼ぶ声がした。慌てて目頭を拭う。

 走ってきたのはリリィだった。弾む息を整えて、雷火のすぐ側に腰を下ろす。


「……なんだよ」


 低く唸るような雷火を意に介す様子もなく、リリィは笑顔を見せる。


「雷火さん、急に出て行ってしまうから……一人では危ないですよ、中に戻りましょう?」


 雷火は意識の隅で警戒を絶やさないでいた。リリィの語った話はまるで信用に足らない。置かれた状況も異常すぎる。最悪の場合、悪魔が人間の振りをしているということすら考えられる。だとすれば、一人で出てきた今の雷火は格好の獲物だろう。


「……別に、このくらい何でもない。近くに悪魔もいないはずだし、屍者の気配も無い」


「でも、やっぱり危ないですよ! 私、雷火さん達には感謝してるんです。もしも何かあったら……」


「……感謝?」


「はい!」リリィは大きく頷く。「昼間、悪魔さん達に追われた時……一瞬、もう駄目かもしれないと思ったんです。でも……雷火さん達に助けて頂いて、おかげで私は今もこうして生きています」


 リリィは雷火に笑いかける。


「これも神の御加護ですね!」


 その言葉に、何故か無性に腹が立った。


「……違う」


「……え……?」


 雷火は立ち上がり、呆気に取られた様子のリリィを見下ろす。


「お前を助けたのは、オレだ。神様の計らいなんてもんじゃない。オレ達の意思で、オレ達が助けた」


 リリィは困惑の表情を見せた。


「それは……勿論、その通りです。雷火さん達には本当に、心の底から感謝しています。でも私は、私がそうして助けられるように運んでくれた神への感謝を……」


「だから、違うって言ってんだよ」


 跳ね除けるような口調だった。


「定められた運命なんて、無い。神なんてこの世に居ないんだからな。お前が助かったのは、オレ達がたまたまそこに居て、お前を助けてやろうと思ったからだ。そうじゃなきゃ、お前はあの場で死んでたんだよ」


「てっ……」リリィは目を瞬く。「天使が神を否定するんですか……? いいんですか、それで……?」


「はっ」雷火はそれを嘲笑する。「天の御使と書いて天使。確かに自分の存在否定にも等しいだろうな。でもな……」


 雷火はリリィの語る信仰に泥を塗りたくるかのように、否定の言を並び立てる。


「天使なんて、お前が思ってるほど大した存在じゃないんだよ。神話に描かれる存在を原典、本物だとすれば、オレ達は精々それを元に造られた、意識を持った玩具(フィギュア)程度のもんだ。

 本当に神がいるかなんて青臭い話はしたくないが、地上に降りた天使なら、言葉にはせずとも皆気付いてるんだよ。全知全能の神なんて馬鹿でかいもの、どれだけの魔力を費やしても地上に降りるなんて叶いやしない。

 ……そもそも、人がいなければ魔力が生まれないんだから、世界と人を作った創造主なんて存在、初めから矛盾してるんだよ。天使も悪魔も神も、人の妄想の産物に過ぎないってことだ」


 雷火は無性に腹が立っていた。神への信仰を口にするリリィの諭すような口調も、それに食ってかかる自分の幼稚さも、世界も、現実も、天使も、悪魔も、何もかもが嫌だった。


「信じるべきものなんて、ほんの一握りだ。この世の中は何もかも、無価値な紛い物だらけだ」


「……何故、そんなに疑うんです?」


「後悔したくないだけだ。俺は散々色んなものを信じて、そのほとんどに裏切られてきた。もうそんなのはごめんなんだよ」


「……でも」


 リリィは腰を上げる。自分に比べればずっと小柄なはずだが、その強い瞳に見据えられ、雷火はほんの少したじろいだ。


「人は何かを信じる事で生きていけます。いいえ、信じなくては生きていけません。少なくとも、私は」


「……天使のオレが居ないと言ってるのに、それでもお前は神だとか運命なんて物を信じるのか?」


「はい」


 リリィが頷く。欠片の迷いも感じさせない答えだった。


「何も他の人……雷火さんにも信じてほしいだとか、そういう押し付けをしたい訳じゃないんです。ただ、私は神を信じます。それだけの事なんです」


「理解できねえな。お前の話が本当だったとして……敬虔な信徒を十年も牢屋に閉じ込めたままにしておくような神に、信じるだけの価値があるのか?」


「でも、十年目で出られました」


 雷火は歯軋りをして、


「悪い事は自分の所為、いい事は神様のお陰ってか? ふざけろよ。神なんてどこにも居ないんだよ。願えば救ってくれる神なんて都合のいい存在、居るわけ……。……ないだろうが」


 そこで雷火はようやく、先程からの己の苛立ちの理由に気が付いた。その苛立ちはきっと同情であり、そして――同族嫌悪でもあった。

 雷火は無意識の内に、神を信じると宣うリリィの姿にかつての自分自身を重ねていたのだ。まだ一個の人格として目覚めたばかりの自分。純粋に神を信じ、救いを求め、そして裏切られた、かつての愚かな自分に。

 だが――。


「そうですね。そうかもしれません」


 だが、リリィの返答は予想外のものだった。


「…………。…………は?」


「雷火さんの言う通り、神なんて本当はいないのかもしれません。普通に考えればそれが正しいですよね。確かにその通りです」


 リリィはあっけらかんと話す。


「でも、私は神を信じます。信じてるんです。信じられてるんです。今のところ」


「……い……」眩暈がしそうだった。「意味がわからない」


「祈り願えば神が救ってくれるなんて、流石に思っていませんよ。神を信じたその上で救いまで求めるだなんて、都合が良すぎるじゃないですか」


 至極当然のことのように言うリリィだったが、雷火にはその言葉の意味が少しも理解出来ず、支離滅裂で矛盾した文言にしか思えなくて、思わず頭を抱えた。


「お前……何だよそれ、分かるように言えよ。一体どういう……」


 そこで雷火は不意に口を噤んだ。

 小首を傾げるリリィをよそに、素早く周囲を見回す。首筋を嫌な汗が伝った。


「雷火さん……?」


「……何だよ、これ……。……嘘だろ……?」


 鼓動が速まり、呼吸が浅くなる。

 感知能力に乏しい雷火ですら分かるほどの大勢の魔力が、こちらに近付いてくるのが感じられた。恐らく悪魔のものであろうそれら大量の反応の中に、さらに一つだけ、飛び抜けて膨大な魔力を放つものがある。こうして感知するだけで怖気が走る、雷火など比べるべくも無く強大な存在。

 考えるより先に理解が及んだ。

 雷火は掠れた声で呟く。


「……魔王だ……」


 廃都の夜闇と静寂を、幾つもの軍用車のライトが切り裂いた。






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