3-19
「嘘だろオイ……マジでザドキエルかよ……!?」
憧れのロックスターに出会った少年のように、アスモデウスはその表情を輝かせた。
「一度でいいから戦ってみたかったんだよ……! なあオイ……! いいんだろ……!? 今ここで俺と戦ってくれんだろ……!? そうだよな!?」
「うわー、初対面でグイグイ来るな、お前。そういうのホント苦手なんだけど……」
ザドキエルは引いた顔を見せながらも、アスモデウスに冷たい目を向ける。
「……逃すわけ無えだろ? お前にはここで死んでもらうよ」
「…………!」
ぶるりと身を震わせて獰猛な笑みを浮かべ、アスモデウスはそわそわと逸るように脇差を握る指をしきりに動かした。
「……ザドさん!」
満身創痍の雷火は、突然現れたザドキエルに叫ぶ。
「よう、雷火。……これまでよく耐えたな。リリィちゃん連れて下がってろ」
「……はい……!」
雷火は言われた通りリリィの手を引き、身体を引きずってその場を離れようとする。
「ら……雷火さん! ザドキエルさん一人じゃ……!」
「……あの人なら大丈夫だ。むしろ今の俺たちじゃ足手纏いになる。下がってろ」
「え……でも……!?」
雷火とリリィが遠巻きに見つめる中、屍山血河の地獄絵図と化した中央広場で、アスモデウスとザドキエルは相対した。
「……得物は?」
大量の脇差と本差の大剣、鎧で武装したアスモデウスは、脱力した自然体のままのザドキエルに問う。
「いらねえよ」
ザドキエルはゆっくりと摺足を動かし、半身の構えを取る。その腕には何も握られていない――徒手空拳。
「俺はコレだ。遠慮しなくていいぞ。さっさと来い」
裂けんばかりに口元を歪ませ、アスモデウスは飢えた獣のように双眸を輝かせる。
「いいぃぃぃねェェェェ……! 最ッ……高……だ……!」
二者は無言の内に向かい合う。互いに隙を伺い合う、恐ろしいほどの静寂。緊張が極限まで張り詰めた時――
「しゃあッ!!」
先に動いたのはアスモデウスだった。ボゥッ、と空気を切り裂く音。虚空に溶けるかのように一瞬で間合いを詰める。
脇差の突き――ザドキエルは僅かに首を傾け回避。返す刀、超至近距離でアスモデウスの胸に拳を叩き込む。
吹き飛ぶアスモデウス。衝撃を殺すべく自ら後ろに跳ねたのだ。だが着地より先にザドキエルがジャンプし、空中で彼に追い付いた。無防備な腹に踵落としを叩き込む。
「はッ!!」
「ヅッ……お……!」
石畳に叩き付けられる直前、アスモデウスはくるりと体勢を立て直し着地。そして空中のザドキエルに脇差を振るう。逃げ場の無い対空攻撃。だがザドキエルは斬撃に蹴りを合わせ、刃を足場にしてさらに跳躍した。砕け散る脇差。彼は空中で身を翻し、悠々と着地する。
「ふッ――」
呼気と共に、弾丸の如く地を蹴るザドキエル。刃を振るい止めようとしたアスモデウスの手首にジャブ――目視困難なスピード。続けて顎に一撃。僅かコンマ一秒の怯み。だがそれで十分だった。両の拳で、嵐のような連撃が始まる。防ぐことも逃げることも許さない、凄まじいラッシュ。常人には彼の腕が残像めいたコマ送りに見えただろう。致死の拳を超高速で、悪魔の身体に叩き込み続ける。
「ぐ……お……オォッ……」
猛攻を受け、アスモデウスの意識に一瞬の隙が生まれる。ザドキエルはそれを逃さなかった。瞬時に身を入れ替え、腕を掴んで投げに移行。アスモデウスの脳天が、石畳に叩き付けられる。
「…………!!」
そしてそのがら空きの背に、渾身のサッカーボールキックが叩き込まれた。車でも衝突したような凄まじい音と共に、アスモデウスが軽々と吹き飛ぶ。
「…………」
「…………」
雷火とリリィはそれを呆然と眺めていた。リリィの目にはほとんど何が起きているのか理解できなかった。雷火はザドキエルのことはそれなりに知っているはずだったが、完全に呆気に取られ――いや、ドン引きしていた。
「……ふーー……」
死体の山の中から、アスモデウスがゆっくりと起き上がる。鎧はほとんどベコベコにへこみ、もはや用を成していない。髪は乱れ全身痣だらけ、頭からは血が垂れているが、その表情は至極愉快そうなものだった。
「……まだ生きてんのかよ?」
ザドキエルが呆れたように言う。アスモデウスは歯を見せて笑った。
「最高だ……来た甲斐があったぜ……」
アスモデウスは鞘から本差の大剣をずらりと抜きはなった。幅広の巨大な刀身に、びっしりと呪文と紋様が彫り刻まれている。ザドキエルの表情が変わった。その大剣からは、凄まじい魔力が感じられた。
「んじゃァ……本番行くぜ」
脇差を投げ捨て、大剣と共にアスモデウスが疾走する。迎え撃たんと構えるザドキエル。
「オォォォォ……ッラァァァァッ!!」
凄まじい膂力で放たれる大剣の一撃。ザドキエルは正面からは受けず、身を引いて躱す。瞬時に反撃の拳を放った彼のその瞳に、小さな光が揺らめいた。
爆炎。
一瞬で巨大な真紅の炎が巻き起こり、ザドキエルを襲った。
「ぐぅ……ッ……!?」
彼はなんとか跳び退って距離を取るが、全身至る所が焼け焦げ、煙が燻っていた。凄まじい威力。明らかに尋常の炎ではない、輝かんばかりの鮮やかな紅。魔力によるものだ。
「……それ……お前の魔力じゃないな」
ザドキエルは大剣に目をやって言う。アスモデウスは頷いた。
「今のだけで分かるか。そうだ。こいつの中にはとある火神が封じてある。冒涜召喚された、純粋な炎の塊としてな」
「んだよそれ……反則くせぇ〜……」
文句を垂れるザドキエル。アスモデウスは笑う。
「使えるもんは何でも使う主義なんでな。銃相手に素手の奴が卑怯だの何だの言うのは、そいつが馬鹿だってだけだろ」
「……ま、確かにな」
ザドキエルは未だ煙の上がる服を手で払い、大きな息をつく。
「んじゃあ……俺も本気で行かせてもらうわ」
言うや否や、ザドキエルの背から、暗い青灰色の巨大な翼が顕現する。翼というより人の腕に近い形状のそれは、その数五本を数えていた。
ザドキエルの魔力が、さらに爆発的に上昇する。アスモデウスはそれを見て、興奮の色を隠そうともしなかった。