1-1
――勝てない。
じわじわと絶望が胸に去来する。
そもそも格が違うのだ。こちらのどんな攻撃も通用しないのに、相手の攻撃は一撃ごとに確実にオレの身体を抉っていく。
どこからだ。
一体、どこから間違えた?
そんな無駄な思考が、あるいは逃避が致命的だった。
無慈悲な斬撃が、オレの胸を深々と切り裂く。
「ああぁっ!! クソッ!!」
激痛が走る。傷口から命そのものが溢れ落ちていくのを感じる。
せめて一矢報いようと繰り出した苦し紛れの攻撃も、まるで難なく躱される。
そして返しの刃が閃く。言葉を発する間もなく、オレの首は切断され、無様に宙を舞っていた。
一体、どこから間違えた?
この世に生を受けたあの時か?
戦いから、責任から、すべてを捨てて逃げ出したあの時か?
それともやはり、あの時。あの女を助けた時から――。
◯
屍者の頭に、金槌を振り下ろす。
一発では足りない。二度、三度と金槌で頭蓋を叩く。特に顎は念入りに砕いておかないと、後の作業で危険だ。
次に手足を刃物で根元から切り分ける。頭を潰してもまだ動くので注意を怠ってはならない。肘、膝の関節でも分割し、動かないのを確認したら処理は終了だ。まだ動いているようなら、さらに細かく解体する必要がある。その後は焼却するか、地面に埋めるかで処分するのが理想的だ。
天使、“篠突く雷火”はその日も、いつもと同じように地上にうごめく屍者を狩っていた。もう数年間は日常的に続けている作業だ。嫌気と倦怠感は山ほどあれど、特別な感慨などは微塵もない。
周囲は廃墟と化したビル街。住む者のいなくなった街は荒廃し、ひび割れたアスファルトの隙間からは草木が顔を出している。かつては極東で最も栄えた都市のひとつ――確か東京とか呼ばれていた――が、今や見る影もない有様だった。かつて行きかう人々で賑わったであろう大通りには、今は屍者の呻き声だけが響いている。
「楽しいことがしたい……」
白い服が返り血で汚れるのを苦々しく思いながら、足元で暴れる屍者の頭蓋を金槌で砕く。背には大きなギターケース、ポケットには音楽プレイヤー。そして頭に着けたヘッドフォンからは最新――ただし十年前――のロックナンバー。
「くっだらねえ……」
誰に言うでもなく吐き捨てて、吠えながら襲ってくる屍者の頭を鉈で叩き割る。
刃の血を払って一息ついた時、雷火は突然背中に柔らかい感触を覚えた。
「雷火ぁ、セックスしよう?」
「しない」
背後から抱きついてきたのは、一人の女。それなりに長身の雷火より尚高くありながら女性らしい体躯、雪のような肌に絹糸のごとき長髪。まさしく絶世の美貌だった。だが、いつの世も内面が外面に伴うとは限らないのが世の常だ。
「えーっ……? なんで〜……?」
「なんだその意外そうな顔……いい理由が一個も無いだろ……真昼間だし野外だし、お前仮にも処女神だろ……」
「雷火って聖書系だから中性でしょ~? ってことはー、ノーカンじゃない? ノーカンだよー」
「そういう問題でも、ノーカンでもない」
「……? そっかあ……」
口をぽかんと開けた阿呆面を見る限り、本当に分かっているのかはかなり怪しかった。彼女はギリシア神話に描かれる狩猟の女神、アルテミス。アルテミスといえば理知的で気高いはずの女神だが、目の前にいるのは数年来の付き合いである雷火がどう贔屓目に見ても常にニコニコしているだけが取り柄のポンコツだった。
「じゃあセックスする〜?」
「話聞いてたか? やめ……胸を弄るな! ……それよりモイはどこ行った? そろそろ寝床を探さないと」
「モイちゃん? んー、分かんないー。また例のあれでもやってるんじゃないかなー?」
雷火にベタベタと引っ付いて話しながら、アルテミスは手にしたライフルを無茶苦茶な姿勢で放つ。振り向いてさえいないのに、その弾丸は背後の屍者の頭部や脚の関節を的確に撃ち抜いていく。
雷火は溜息を吐いてアルテミスを振り払い、もう一人の友人を捜して歩き出す。
「モイー、どこだー?」
名前を呼びながらしばらく歩いてみたが、その声は無人のビル街に虚しくこだまするばかりで、返事はない。どうしたものかと考えた時、雷火の鼻を独特の甘い匂いがくすぐった。
「…………」
匂いを辿って歩いていくと、正面の自動ドアが大きく破損したビルの中、元は受付であっただろうカウンターに腰掛け、大きなガラスパイプを咥える少女の姿があった。
「……おい」
雷火の呼びかけに、少女がゆっくりと顔を上げる。その顔は青白く、目の下には深いクマが刻まれ、不健康そのものといった様相だ。服で隠れてはいるが、その下の手首が洗濯板の如き惨状になっているのを雷火は知っている。
「 ……何スか?」
「そろそろ夕方だ。 寝床探しに行くぞ」
少女は死んだ魚の目でじっと雷火を見つめてから、
「……そうっスね、それがいいでしょうね」
そう言って俯き、またパイプをふかしはじめる。
「……いや、おい」
想兼が顔を上げる。
「……何か?」
「とりあえず、クスリを、やめろ」
少女は露骨に嫌な顔をしながらもパイプを置いた。
「……あ、雷火さん……。首に虫が付いてるっスよ」
「えっ!? 嫌っ……!? …………。……いや、付いてねえよ」
「すいません、間違えました。なんか、ピンクの肉々しいおはじきみたいなのが、いっぱい張り付いて……ウワッ……」
「……だから、付いてねえよ」
「ンンッ!! ンーッ!! オゥッ!!」
想兼は喉に何か詰まらせたかのような奇声を上げながら、頭を抱えて激しく上下に振る。雷火はげんなりした顔を浮かべた。少女の名は日本神話に名高い知恵の神、想兼。だが脚と下着を大きくさらけ出し、二つにまとめた髪が床に擦れるのも気にせずに濁った目でパイプをふかす姿からは、およそ知性というものが微塵も感じられなかった。
「……お前、大丈夫だろうな……」
「ええ……万事大丈夫っスよ。何せ想兼 a.k.a 知恵の神なので。何か問題でも?」
問題しかないだろ、と口から出かかったが、黙っておく。
想兼がのっそり立ち上がろうとすると、その懐からぼろぼろと幾つもの飴玉にも似た錠剤が零れ落ちた。想兼は悲鳴を上げて地面に手を付き、必死にそれを拾い集める。
その惨めな後ろ姿を見ながら、雷火はまた深い溜息を吐く。仮にも天使、善神であるはずの連中が地上の快楽に溺れ、この有様だ。自分もその例外ではない。職務から逃げて遊び呆ける姿は、ほとんど堕天使のそれだろう。
黙示録の鐘が鳴る前に、世界は滅びた。
十年前のある日を境に、人類は突然、自由に死ねる権利を失った。眠りにつくはずの死者は起き上がり、血を求めて生者を襲う屍者となり、そうして死んだ死者もまた屍者となった。
地上のあちこちで暴動、内乱、戦争が続発し、最初の一発を皮切りに、膨大な核爆弾の雨あられが全世界で炸裂した。
それから半年も経たずに文明は崩壊し、人類は晴れて絶滅危惧種の仲間入りを果たすことになった。
全滅の危機に瀕した人類を救うべく、屍者を滅さんと天使達が次々と地上に降り立ったが、時を同じくして人類の堕落と破滅を望む天使の敵――悪魔達も現れたことで状況は一変した。
生者も屍者もそっちのけに始まった神話の再現たる戦いは、十年が経った今も尚この地上で続いている。
今や地上の大半は大勢の眷属を率いる魔王達によって支配され、人間の生存領域はごく僅かだ。
生き残った僅かな人類も全滅はせずに済んでいるが、結局は奴隷か家畜のような飼い殺しの状態に置かれていた。
蹲り、薬物についた埃を必死に払う想兼を見て、雷火は深い溜息を吐いた。
「……これでもお咎めなしだなんて、随分お優しいんだな……神様ってのは」
その小さな呟きは、誰にも聞かれる事なく消えた。
◯
「……それじゃあ、手分けして寝床を……。……雷火さん、何を一人で黄昏れてるんスか」
無言で立ち尽くす雷火に、想兼が眉をひそめる。
「……なあ、オレ達、こうして暮らし始めて、もう何年になる?」
「え? えーと……どのくらいだっけー?」
「五年ほどっスね。……それがどうかしたんスか?」
「…………」
雷火は深々と溜息を吐き、二人に向き直る。
「……そう、五年だ。五年だぞ。その間毎日毎日ひたすら屍者を狩って、悪魔からも天使からもコソコソ隠れて……。一体いつまで、こんな生活を続けるんだ?」
今なお続く、地上の覇権を巡る戦争。かつては雷火達もそうした戦いに参加していたが、いつ終わるとも知れない無益な戦いに嫌気が差し、五年ほど前にほとんど脱走のような形で前線から離れ、以来こうして各地を当てもなく放浪しながら屍者を狩る日々を送ってきたのだ。
変化のない暮らし、終わりの見えない日々に、雷火は心底うんざりしていた。だがそんな雷火に、想兼は冷たい目を向ける。
「……それじゃ、どうしようって言うんスか? また昔のように、悪魔と朝晩殺し合う生活に戻りたいとでも?」
「……それは……」
雷火は言葉に詰まる。毎日生死の境を綱渡りし、泥と血に塗れて這いずり回る生活を思い出し、身震いをする。あの生活に戻るのは、二度とごめんだった。
「ふ、二人とも、ケンカはやめてよー……」
「……大体、たとえ戻りたいと言ったところで、ほとんど脱走同然で逃げてきて、今更帰ったところで何の手柄も無しに受け入れて貰えるわけがないっスよ。よくて前線送り、悪ければ処刑でしょうね」
おろおろするアルテミスを無視して、想兼の表情はどんどん暗く沈んでいく。ドラッグが悪い方にキマっているのだ。
「……一生こうしてゾンビの頭をかち割り続けるか、戦場に戻ってゴミのように殺されるか……。それとも何か別の案でもありますか? 雷火さんは、一体どうしたいんスか?」
「……オレは……」
口を開きかけてふとアルテミスを見ると、彼女は鋭い目つきで、雷火達とはまったくの別方向を食い入るように見つめていた。
「……アル? どうした?」
「……何か来るよ」
「……!」
どうしようもないバカとはいえ、アルテミスの狩猟者としての感覚は本物だ。雷火も同じ方向に目を向ける。
立ち並ぶ高層ビルの谷間、広々とした道路。放置されたアスファルトにはヒビが走り、瓦礫の類が散乱しているが、特に変わった様子はない。
疑問を口にしかけた時、ビルの間から突然、三つの影が現れた。
「あれは……」
想兼が僅かに目を見開く。影はこちらに近付いてくる。かろうじて顔が判別できる距離だ。
先頭を走るのはどうやら少女。修道女を思わせる動きにくそうな真紅のローブで、必死にこちらに走ってくる。
それを追う後の二つは、異形。片方は二メートルに及ぶかという巨大な剣を持ち、四本腕に筋骨隆々の体躯。もう片方は鳥の頭蓋のような仮面を被り、ボロボロの黒い外套を纏っている。
遠目でも見まごうはずもない。
「――悪魔だ!!」
雷火は一瞬逡巡した後、弾かれたように駆け出す。それに気付き、追われる少女が叫ぶ。
「そこの人逃げて! 早く逃げてください!!」
この状況で他人の心配かと内心呆れながら、雷火は全力疾走で少女のもとへ辿り着き、瞬時に魔力を練り上げ、使い慣れた斧槍を顕現させる。
「伏せろッ!!」
「うぇっ!?」
咄嗟に身を屈めた少女の頭上、雷火は力任せに斧槍を振り抜く。
「なっ……!?」
突然現れた雷火に驚きながらも、二体の悪魔は素早く跳び退りそれを回避した。
「なんでこんなところに天使がいる!?」
四本腕の悪魔が叫ぶ。
「そりゃこっちの台詞だっての……」
小声で毒づきながらも、距離を置きじりじりと様子を伺う悪魔に対し、雷火は少女を庇うように間に入る。
「そこのお前! 向こうでオレの隊が野営してる! そこまで逃げろ!」
「は……はい!」
少女に呼びかけると同時に悪魔達にハッタリをかましてみる。正直なところ、これで退いてくれるとありがたかった。
「た、隊だってよ……どうする?」
「落ち着け、ハッタリだ」
四本腕には効果があったようだが、鳥骨にはすぐに見抜かれる。思わず舌打ちをした。
「見たところ大した天使じゃない。二人で片付けるぞ」
「んだと?」
鳥骨の態度が癪に触り反論しようとしたが、そうもいかなかった。既に四本腕の悪魔が全ての腕を用い、大剣を振り上げていたからだ。
四本腕が怒声と共に大剣を振り下ろす。剣自体は躱したが、粉砕されたアスファルトの破片が皮膚を切り裂く。
その隙を突き、鳥骨が赤熱した一対の短剣を繰り出す。速い。斧槍の柄で防ぐが、続く双剣の猛連撃に、捌くのが精一杯になる。
まずい――。
雷火は焦りを覚える。少し打ち合っただけで分かる。手練れだ。動きのキレが凡百の雑魚とは違う。とても二対一でどうにかできる相手ではない。
細かい裂傷を負いながら必死に鳥骨の攻撃を捌く雷火に向け、四本腕がまた大剣を構えた。だが雷火はそちらを見ずに、目の前の鳥骨に集中する。
「くたばれ!!」
渾身の力を込められた大剣は、しかし振り降ろされることはなかった。その直前、その腕に三発もの弾丸が撃ち込まれたからだ。
「なぁっ!?」
四本腕は驚き、大剣を取り落としそうになる。銃撃の方向に向けられたその両目に、再びの銃撃。アルテミスの狙撃だ。
「があぁッ!!」
「何だと!? フランツッ!」
突然の横槍と相方の苦悶の声に、鳥骨が一瞬攻めの手を緩める。雷火はその隙を逃さなかった。双剣を捌いた斧槍を反転させ、石突を鳩尾に叩き込む。
「おっ……ぐっ……!」
たたらを踏む鳥骨。雷火は確かな手応えを感じ、すぐさま身を翻す。両目を抑えて狂乱する四本腕に近付き、断頭台めいて斧槍を振り下ろす。噴き出す夥しい鮮血。ごろりと首が転げ落ち、四本腕の悪魔は声もなく絶命した。
もう一体の鳥骨の悪魔にも止めを刺そうと振り返ると、既に悪魔はよろよろと飛び去ろうとしていた。その背と脚に、すかさずアルテミスの弾丸が放たれる。
「ぐぁッ!」
鳥骨の悪魔は短い悲鳴を上げて体勢を崩しながらも、なんとか翼を広げて飛び立ち、ビルの影に隠れてしまった。
「雷火ー、追いかけるー?」
アルテミスと想兼が小走りに駆け寄ってくる。
「いや、逃げるなら今は深追いしなくていいだろう」
「……ん、そっかー」
どんな能力を持っているかも分からない相手を深追いし、藪蛇を突いて想定外の負傷を追うのは避けたかった。仲間を呼ばれれば厄介だが、どの道この辺りからはすぐ発つ予定だ。
雷火は傍らの悪魔の死体に手を触れ、魔力の残滓を吸収する。全身に充足感が満ちていくのが感じられた。
「……あの……」
その時、すぐ近くから声がした。見ると先程助けた少女がこちらに歩み寄ってきていた。
「助けていただき、ありがとうございます。本当に、どうなることかと……」
「あ? あー、ああ……」
少女は感謝しているようだったが、雷火はその安堵の表情を見て少し後ろめたい気分になる。
実を言えば先程悪魔に追われる少女を見た際、ほんの一瞬だけ関わり合いになるのを避けて見捨てようかという考えが頭を掠めたのだ。
「あの、あなた方は一体……」
「天使だよ〜」
「天使の方でしたか!」
簡潔極まりないアルテミスの説明で、少女は納得してくれたようだ。そんな少女に対し、想兼は訝しげな視線を向けた。
「……あなた、人間っスか? こんなところで何してたんスか? 他に仲間は?」
十年前の大災厄以降、生き残った人間は天使に保護されているか、悪魔に奴隷のように扱われている。自分達の力で生き延びている集団も僅かに存在するが、それにしてもこんな所に一人でいるとは考えにくかった。
「それは……」
想兼の問いに答えようとして少女は顔を上げ、そこで顔色を変える。
「け……怪我してるじゃないですか! 大丈夫ですか!?」
「ん? ああ……」
言われて自分の身体を見ると、確かにあちこち血が滲んでいる。先程の戦闘で負った傷だ。
「このくらい何でもないだろ。 放っとけば治るから大丈夫だ」
「大丈夫じゃないです! ちょっといいですか……」
少女が雷火の傷に手を翳す。と、その手から淡い燐光が溢れ出す。雷火は僅かに目を見開いた。何事かと思う間もなく、全身の細かい傷が瞬く間に治癒していた。痛みすら嘘のように消えている。
「……はい! これで大丈夫です」
雷火は少女の顔をまじまじと見つめる。
「……お前、『魔法使い』か……?」
「……?」
雷火の問いが理解できなかったのか、少女はきょとんとした顔を見せる。
「それにしても、まさか天使さんに助けていただけるだなんて……これも神の思し召しですね!」
嬉しそうな少女のその言葉に雷火はぴくりと眉を動かすが、少女は気付いた様子も無く笑顔で続ける。
「私、リリィといいます! どうぞよろし……く……?」
少女――リリィは、言葉の途中で不意に脱力してその場にへたり込む。
「おい、どうした!?」
血相を変える雷火に、リリィは弱々しく微笑した。
「……お腹……空きました……」
「…………ああ?」
雷火は怪訝な表情を浮かべる。既に夕陽は沈みかけ、辺りは橙に染まっていた。
〇
『――このご時世に生存者を見つけただあ? 仲間も無しで一人? それも魔法使い? マジで言ってんの?』
およそ五年振りに念話で連絡を取った上官は、雷火の報告に懐疑の色を隠そうともしなかった。
比較的状態の良かった廃ビルの一室。元はオフィスだったようであるその薄暗く埃っぽい部屋を、ランタンの灯りだけが照らしていた。
『いや、オレも信じられないけど、マジなんです。人間の女で魔法使い、歳は……』
雷火は言葉に詰まり、リリィに目をやる。彼女は何故か胸を張って答えた。
「十五歳です!」
『……あー、十五だそうです』
『子供じゃねえか。 ……雷火お前、今のそこの座標、ド辺境だろう? 何でこんなご時世にそんなところで子供が一人で見つかるんだ? 怪しさしかないだろ』
『確かにそうなんですが、それを今からよく確かめるところなんです』
『……ほーう……』
値踏みするような、あるいは訝しがるような上官の声色に、雷火の鼓動は早まった。
『……まあいいや。それで? ただの報告だけじゃないだろ? 何の用事だ? 応援でも送ってほしいのか?』
胸を撫で下ろしたのも束の間、想定外の言葉に再び動揺する。応援の人員など送られれば、その流れで雷火達も本拠地に帰らざるを得なくなるだろう。そんな事態は何としても避けたかった。
『いえ! いえ! 応援は結構です! あの……実は食料が足りなくてですね……折角見つけた生存者が空腹でダウンしてまして。何かその……こちらに送っていただければと……』
『……そりゃ構わんが……。……まあ、とにかく一度こっちに戻ってこいよ? その子供だけ置いて顔出さずに逃げでもしたら承知しないからな? じゃあな、雷火。会うの楽しみにしてるぞ』
「あ、ちょっ……!?」
勝手に取り付けられた帰還命令に反論するより前に念話は途切れ、雷火は息を吐く。上官の言葉に先が思いやられたというのもあるが、それだけではない。
怠惰な日々に突如降って湧いた乱入者。新たな出会いに期待を抱かないでもなかったが、それ以上に雷火の胸には、何か嫌な予感が渦巻いていた。退屈ながら平穏な日常が今まさに足元からぐらついているかのような、何か漠然とした不安が。
「……雷火? どうかした〜?」
アルテミスの呼びかけにも、雷火はしばらく押し黙っていた。
――そうして雷火達が夜営する廃ビルの下、その様子を伺う者があった。それは背と脚に負った弾傷を庇いながら物陰に息を潜める、鳥骨の仮面の悪魔だった。
「…………」
悪魔は憎悪を湛えた目で上方を一瞥し、誰にも知られることなく夜闇へと飛び去った。