3-17
「って……ちょっと待ってください! 肝心なことを!」
不意にリリィが慌てた顔で雷火の袖を掴んだ。
「ああ? 何だよまた……」
「アルテミスさんです! 私を助けるために悪魔と戦って……! 助けに行かないと!」
「…………」
雷火は一瞬逡巡したが、かぶりを振った。
「そんな余裕無えだろ。目の前の敵に集中しろ」
「でも……!」
食い下がるリリィに、雷火は笑みを見せた。
「あいつなら大丈夫だ。普段があれだから忘れたか? あいつはアルテミスだ。オリュンポス十二神の一柱……。俺達の中で一番強いのは、間違いなくあいつだぞ」
○
饕餮の失われた片腕の断面から、膨大な魔力が放たれる。余剰魔力が霧散し、ほんの一瞬些細で矮小な霊的存在――妖精――となって、ひそひそという囁き声が辺りを包む。かつて大戦の戦況すら左右したとされる、“嶽穿つ極光”、先代の一撃が、今アルテミスに向けられていた。
「…………!」
アルテミスは息を呑む。個々の持つ魔力にはそれぞれ異なる性質や傾向――感覚的で言語化しがたい『色』のようなものがある。青白く巨大な光の矢から放たれる魔力は、なるほど自分のものとどことなく似通っていた。
「貴女の先代は素晴らしい方でした……。もっとも私などは歯牙にも掛けてはいただけませんでしたが……。軍勢に放たれた一撃が掠っただけで、これです。ウッ……! ……失礼、思い出し絶頂を……ンウッ……! オッほ!」
饕餮は肩から先の無い右腕をうっとりと愛おしげに見つめた。性質こそ似通っているとはいえ、はち切れんばかりの魔力を溢れさせる光の矢は、アルテミスの魔弾とはまるでスケールが違った。考えるまでもなく、まともに喰らえば一瞬で蒸発させられてしまうだろう。
月光めいた光に目を奪われるアルテミス。饕餮は矢の先端を彼女に向けた。
「さて……何か、親しい方にお伝えしたいことはありますかぁ……? 運良く出会えたら、お伝えしておきますがぁ……」
「んー……」
アルテミスは唇に指を当て唸ったが、パッと顔を上げ、
「無いかなー。だって、わたしが勝つし」
饕餮は一瞬固まって、それから悲しげにかぶりを振った。
「…………ああ……愚かな……」
光の矢から放たれる放たれる魔力が、さらに高まっていく。不可視の弦が張り詰めているかのように、周囲の空気がぎりぎりと音を立てた。
「貴女の人間性は友にもなれそうなものでしたが、これも巡り合わせです……。せめてこの最高の一撃をもって、葬送らせていただきましょう……」
「それは無いかな〜。わたし、楽しんで人を殺せるような人とは、どんな出会いかたでも同衾できないし。あなた、趣味じゃないもん」
「ああ……それは残念ですねぇ……」
カン! と、乾いた甲高い音。輝く矢が放たれ、爆風のような衝撃波が吹き荒れる。極大の破壊力を秘めた光の矢は、刹那アルテミスに迫り――。
その顔の横を、通り過ぎた。
「…………お、ぉ?」
饕餮が間の抜けた声を上げる。一瞬遅れて凄まじい強風が吹き抜け、アルテミスの髪をなびかせた。輝く矢は既に遥か上空に遠く、小さな星のように見えるばかりだ。
「あなたの能力……あくまで受けた攻撃をそのまま再現するだけで、能力までコピーできるわけじゃないんでしょう?」
アルテミスが口を開く。饕餮は戸惑うばかりだ。
「……え、……?」
「だから、相手の能力の本質を理解することは出来ない。上辺をマネするだけ。あなたを体現したような能力だよね。SMはお互いの対話が何より大切なのに、あなたはただ自分だけがやりたいように楽しんでるだけだもん。オナニーと変わらないよ」
「な……何を言って……」
「……だから、わたしの能力も読み違える」
アルテミスが銃を放つ。咄嗟に饕餮も複製した魔弾を放ち、相殺しようとするが――そうはならなかった。
アルテミスの魔弾と、饕餮が複製した魔弾。二つの魔弾は激突する直前でまったく軌道を変えて曲がり、アルテミスの周囲を衛星じみてくるくると回りはじめる。饕餮は驚愕の表情を浮かべた。
「んな……何ですかぁ……それはぁ……!?」
「あなた、わたしの異能を『自分が撃った弾丸の軌道を操作する』ものだと読んでたんでしょう? だから、その勘違いに乗っからせてもらったの」
「……勘違い……?」
遥か遠くの上空で、何かが小さく光った。
「そう。わたし自身の力では、あなたを倒せない。だからひたすら待ったの。あなたが自分から、強力な攻撃を出してくれるのを……」
強い輝きは次第に二人に近付いてくる。それは先程彼方へ消えた、“嶽穿つ極光”の光の矢だった。
「あっ……あ……あ……!?」
「わたしの異能は、全ての矢弾、飛道具、飛翔体を支配下に置くこと。だからこの名前なの。あなたも知ってるでしょう? わたしは先代――“嶽穿つ極光”じゃない。わたしは、“終天凪の”アルテミスだよ」
「ああっ……あっあっ! アァーーッ!!」
光り輝く巨大な矢が、饕餮の身体を一瞬で撃ち抜いた。
○
大聖堂が崩れ落ちる轟音が、遠くから響いた。饕餮は胸から下を吹き飛ばされ、ゴミのように地面に転がっている。アルテミスはそんな彼に歩み寄った。
「ねえ、まだ生きてる?」
「……え、えぇ……」
弱々しく声を上げる饕餮。うつ伏せだった彼を仰向けに転がし、アルテミスはしゃがみ込んで話し掛ける。
「最後にひとつ訊きたいことがあるんだけど、いいかな? あなた、先代に会ったことあるって言ってたよね?」
「ええ……そうですが……」
「じゃあ訊きたいんだけど……先代の髪の毛さ、……ピンク色だったって……本当なの?」
「……? ……ええ……そうですがぁ……それが何かぁ……?」
「…………。……そっかそっか! ……そうなんだね。ありがとう」
「……何故、そんなことをぉ……?」
不思議そうな饕餮に、アルテミスは目を伏せる。
「……友達から聞いたんだけどね。大災厄の前、人気だったゲーム……ソーシャルゲーム、って言ってたかな? それにね、アルテミスをモチーフにしたキャラクターが登場してたらしいの。その人気キャラの髪がね……ピンク色だったらしいんだ。……十中八九、先代の髪色はその影響だろうって」
瀕死の饕餮は、楽しげに苦笑する。
「……それはまた、なんとも……」
「ね、笑っちゃうでしょ? それを聞いたら、天使とか悪魔とか、色々悩むのもバカらしくなっちゃってさ〜。……少し、気が楽になったんだ」
「……ええ。我々など所詮は、泡沫の幻に過ぎませんよ……」
饕餮が口から血を吐き、咳き込む。
「……どうする? トドメ、刺そうか?」
「……いいえ、許していただけるのならば……もう少しこの痛みの余韻を楽しみたいのです。死……というのにも、興味がありますし」
「そう。……じゃあ、わたしはもう行くから。友達のところに行かないと」
「……アルテミスさん!」
立ち去ろうとしたアルテミスを、饕餮が呼び止めた。
「お礼を言わせてくださいぃ……。二度とは味わえぬと思っていた一撃を、最後にまた受けることが出来て……私、幸福の極みですぅ……」
「そう? それならよかった」
「……貴女の先代……“嶽穿つ極光”は、確かに素晴らしく偉大な方でした。天使達にとっても、きっとそうなのでしょう。ですがぁ……」
饕餮は両目の無い傷だらけの顔に、爽やかな笑みを浮かべた。
「私には、先程の貴女の一撃のほうが、気持ち良かったですよ。五回出ました」
「うわぁ、キモいよ〜。やっぱりトドメ刺そうか?」
「ふふ……遠慮しておきますぅ……」
そうして饕餮をその場に残し、アルテミスは駆け出した。後にはまだ、放たれた魔力の残滓が燻っていた。