3-13
「これまで何を見ていたんだ? 貴様達は」
過去数年間に渡る大結界の観測データに目を通し、ヴェステライネンは侮蔑の表情を浮かべた。その間も両手は端末を操作し続けている。
「二年前以上からかなりの頻度で侵入されているぞ。何故気付かない? どいつもこいつも節穴すぎる。無能もここに極まれりだな」
「えっ!?」
天使達が慌ててデータに目を通す。ヴェステライネンが問題の箇所を指し示すが、天使達は怪訝な顔を見せる。
「あの……これは単なる定期的な魔力のゆらぎなのでは……?」
「何? 分からんのか。そう見せかけて結界を中和しているのだろう。収束があまりにも穏やかで一定すぎる。どう見ても人の手による物だろうが」
そう言われて再びデータと睨み合っても、あまりにも感覚的すぎて天使達には全く理解が及ばなかった。ヴェステライネンは舌打ちをして再び結界の解体に集中する。
「助手!」
「はい!」
彼の助手である霽月も、ヴェステライネンの隣で端末を打鍵する。
「非活性化した経路の復帰はお前に任せる。復帰次第こちらに回せ」
「はい、最適化は?」
「それも任せる。基本定義は『六角山猫』と『トリスメギストス』の混合。防衛は主に『黒の湖』を16×2、それに用途別に数種類を並列運用」
「『六角山猫』とはまた渋いですね」
「ああ。何か拘りがあるのかもな」
「……あの、我々にも何か……」
天使の一人がおずおずと提案するが、ぴしゃりと跳ね除けられる。
「いらん。足手纏いだ。見学はさせてやる。黙って見ていろ」
「…………」
ヴェステライネンと霽月は侵食した術式を解析し、それを足掛かりにさらに攻勢を強めていく。先程まで天使達が束になっても傷一つ付けられなかった術式に、徐々に亀裂が生まれはじめていた。
「周期で対処パターンが変化。まあ当然だな。どれくらいかかる」
「五分あれば対応の雛形は作れるかと」
「一分だ。俺の結果をそっちに送る」
「了解です」
炒ったコーヒー豆を直接ボリボリと噛み砕きながら、ヴェステライネンは術式の概要を丸裸にしていく。戦闘員や指揮官は未だやきもきしていたが、魔術師達は誰もがその手際に我を忘れて釘付けにされていた。
「……凡才だな、こいつは」ヴェステライネンがぽつりと呟く。「……天使や悪魔ではない。人間だ。……若いな。三十も行っていないだろう」
「……分かるのか!? 術式を見ただけで!?」
思わず、といった調子で一人の魔術師が声を上げる。
「何故分からん? 術式は術者の映し鏡、術式戦は術者同士の直接対話だ。式を見れば製作者の人物像など手に取るように分かるだろう」
異常な感覚をさも当然のように語るヴェステライネンに、魔術師達は顔を見合わせる。
「……凡才……凡才、と言ったのか? 我々総出で掛かってもまるで歯が立たなかった、この術者が?」
一人の問いに、ヴェステライネンは深く頷いてみせる。
「ああ、凡才だ。肉体と頭脳のスペック自体は貴様達の方がよっぽど上だろう。こいつは悲しいくらいに凡人だ。自分に天稟が無いことを理解している。……だからこそ、強い」
その言に不可解な顔を浮かべる天使達。ヴェステライネンはコーヒー豆を噛み砕く。
「一つだけ講義してやる。かつて偉人が言ったように、天才とは九十九パーセントの努力と一パーセントの才能から成り立つ。言い換えれば、凡才と天才の差はその一パーセントのみということになる。……さて、どんな分野であろうとその道を極めようとした時、この一パーセントはその道のどこに位置すると思う?」
端末を操作しながら、ヴェステライネンは魔術師達を振り向く。
「飲み込みの速さを決めるスタート地点か? 成長の豊かさを決める中盤か? 違うな」
常に人を嘲るようなヴェステライネンの声色に、確かな熱が篭る。
「最後だ。九十九パーセントに加える一パーセント。それは一つの道を極めたものが、最後の最後に辿り着く境地――そのさらに先に位置しているのだ。人生と人間性の全てをその道に捧げて、ようやく手が届くか届かないかが分かる……その領域が凡才と天才の境目だ。僅か一パーセントだが、その差は決して埋まらない。絶望的な差だ。道を極めた者なればこそ、その差の深さをどうしようもなく理解できる」
ヴェステライネンは魔術師達を睨む。
「お前達はどうだ? 与えられた能力に胡座をかき、常に努力を怠ってきた。未だ才能の有無を語れる土俵にすら立っていないというのに、だ」
その眼光に、魔術師達は思わず怯んだ。
「この術者は、その領域に達している。理解しているのだ。自分が最後の一パーセントに手が届かない側の人間だと。だからこそ全力で足掻く。自身の限界を見極め、その中で力を尽くそうとしている。だからこそ俺は勝たねばならん。天才として、人の先頭に立つ者として、この術者に打ち勝ってやる責任がある。才を持つ者は、その才の奴隷となるべきなんだ」
己を律するかのようなヴェステライネンの言葉に、傍の霽月はほんの一瞬、端正な顔を痛ましげに歪めた。
「……無駄話で時間を食ったな。助手、『クロームレイス』に『金華猫』を被せて侵攻させるぞ。そっちのリソースを……」
瞬間、けたたましいアラートが鳴り響いた。カルィベーリを覆う大結界。その状態をモニターする各データが、爆発的に変動する。ヴェステライネンは舌打ちをした。
「……まずいな……。大口を叩いたばかりだと言うのに……」
物理的通行と魔力を遮断する特殊結界が被さって、肉眼ではカルィベーリ内部の様子は確認できない。だが、何か途方も無い事態が起きているのは誰もが理解できた。
ヴェステライネンが苦い顔で言う。
「……これは、試合に勝っても勝負に負けたかもしれんな……」
○
「あーっ! マジで無理だってぇーッ!! 何なのよこの化け物は!! 頭おかしいってのーッ!!」
頭を抱えたミランダが叫んだその瞬間、カルィベーリの空が割れた。幕が引き裂かれるように、青空が灰色の空へと変わっていく。
「……あれ……? ……あれ? やった……?」
眼鏡のズレたミランダは呆然と呟く。
「おいやったぞミラ! 隊長達がやったんだよ!」
「ホントに!? 何とかなったの!? うわー! やったー…………じゃなくて!!」
周囲の隊員達から一斉に歓声が上がる。ミランダも思わずフランツェスカとハイタッチしようとして、慌てて端末へと戻る。フランツェスカの両手は虚しく空を切った。
「おォーい? 何だよ? どうした?」
「喜んでる場合じゃないわよ! 隊長達が戻ってくるまでここを保たせなきゃ意味無いでしょ!」
「あっ! そっかいっけね! 忘れてたわ!」
目標は果たしたとはいえ、脱出しなければ意味が無い。通行を妨げる結界が破られれば、天使達が一斉に雪崩れ込んでくるだろう。そうなれば一巻の終わりだ。
――だというのに、結界を守る防衛術式は刻一刻と解体されようとしていた。パターンを解析されたのか、その速度は更に速まっている。ミランダが数年前からこつこつと造り上げ、今回の作戦の為に特別にチューニングした、無敵を自負していた術式が。
「ムカつく……ムカつくわ……どう考えても天才よ、向こうにいる奴……。それでいてプライド高くて人の話聞かない社会性皆無のクソ野郎だわ……!」
「お前、見たワケでもねーのにそこまで分かんのかよ?」
「分かるわよ! そうに決まってるわ! でも絶対顔が良いのよねコイツ……一回見てみたいかも……」
「ほーん……そんなもんかねぇ……」
興味無さげに視線を外したフランツェスカ。その表情が、一瞬で変わった。
「ミラ……みんなと一緒に下がれ」
「はぁ? こんな時に何を……」
「いいから下がれッ!」
切羽詰まったフランツェスカの様子に、ミランダは腰を上げる。フランツェスカの眼光の先には、複数の悪魔の姿があった。皆武器を持ち、こちらに向かってきている。その顔には下卑た笑み。
「おいおいおい、どうもハズレの方向引いたと思ったら……大当たりじゃん! 何人いるよ?」
「一、二、三……まあ俺らよりは多いだろ。足りる足りる」
「いや、ここはあえて一人を全員でという手も……」
フランツェスカは深く息をつき、両手剣を構える。戦闘員は彼女一人。対して悪魔達は、ゆうに八人を数えていた。




