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天魔屍侠譚  作者: スキャット
第3話「動乱のカルィベーリ」
29/44

3-8



 悲鳴、銃声、爆発音。街は既に混沌の最中にあった。そんな中、リリィは息を切らして走っていた。リリィを逃がすため悪魔と戦いその場に残ったアルテミス。一刻も早く雷火と合流し、彼女を助けに行かねばならない。


「はぁっ……! はぁ……っ……!」


 痛む足、早鐘のような心臓。悲鳴を上げる身体に鞭打って走り続ける。ついこの間まで十年間も狭い石牢に閉じ込められていたというのに、思えばここのところ走らされてばかりだ。今はこうして雷火と合流すべく走り、ほんの一、二日前には屍者の群れから逃げて走り、そして牢を逃げ出す際には夜闇の中を必死に走った。

 リリィを助け、牢から逃した一人の悪魔。リリィにとっては恩人であり、父のようにも思っていた彼は、一体あれからどうなったのだろうか。自由の身になってからも、ずっと考えていたことだ。誰かに訊ねようとも、リリィは彼の名前すら知らないのだ。

 彼がいなければ、リリィはきっと自由を手にすることも、雷火達と出会うことも無かっただろう。

 せめて、名前だけでも――。

 そんなことを考えていた時、リリィは奇しくもその答えを知る者と巡り合うことになった。


 集合地点としていた中央広場に足を踏み入れ、リリィは慄然とした。ほんの一時間ほど前まで平穏そのものだった広場は、一面惨憺たる地獄絵図と化していた。折り重なった血肉と臓物の中で、ただ二つ動くものがあった。ひとつは鎧姿の悪魔。返り血にまみれながら笑みを浮かべている。もうひとつは、少女。胸を悪魔の脇差で貫かれて(もが)いている。その足元には同じ装備をした仲間らしき身体が倒れているが、全身に脇差を突き刺され、剣山もかくやといった状態だ。


「が……ぁっ……!」


 胸を刺された少女は一矢報いようと必死に剣を振るおうとするも、悪魔には届かない。


「……もう終わりか? その身体(カラダ)にはビビったが……。まあ、退屈凌ぎにはなったぜ」


 悪魔は剣を振るい、少女の全身を一瞬でバラバラに解体する。血を浴びて笑うその顔に、リリィは見覚えがあった。


「……あなたは……!」


「……あん?」


 リリィは血の海を歩き、悪魔に近付く。確かに見たことのある顔だ。リリィが牢にいた時、何度か食事を運んできたことがある。その名は――


「……アスモデウスさん……でしたね?」


「あ? ……ああ! お前まさか……あのガキか!?」


 アスモデウスはようやくリリィに気付いたのか、驚いたようにじろじろと顔を見つめる。彼はかつてリリィが幽閉されていた古い城塞にいた大勢の悪魔の内の一人だった。


「何だってこんなところにいるんだ? つーか生きてたのかよ?」


「……あなたには訊きたいことが沢山あります。ですがその前に……」リリィは周囲の血の海を見て、「何故あなたは人を殺すのですか?」


「……あー? 違えよ、俺が殺ったのはそこの二人だけで、周りの連中はもう死んで屍者だったっての」


 アスモデウスは面倒そうに答える。


「問題は数の大小ではありません。ではその二人は何故殺したのですか」


「簡単だ。俺とこいつらは戦った。で、俺のほうが強かった。それだけだ」


「人を殺すのは悪い事です。神がそう言っています」


「神だぁ? 何の神だよ? ゼウスか? 仏陀か? ヤハウェか?」


「神は神です。私の神です。そしてあなたにもあなたの神がいるはずです。その神はあなたに語らないのですか? 他者を傷付けるのは悪であると」


 迷いの無い目で語るリリィに、アスモデウスはぼりぼりと頭を掻いた。


「知らねェよ! 意味わかんねえ、禅問答なら他所でやれ! ったくよぉ……そういやあいつも意味分かんねえこと言ってたなあ……似た者同士か」


 アスモデウスのその言葉を、リリィは聞き逃さなかった。


「……知ってるんですね!? あの人のこと!」


「ああ? あー、そりゃあ……」


「教えてください! あの悪魔さんは……今どうしてるんですか!?」


 必死に詰め寄るリリィにアスモデウスは一言、


「死んだよ」


「……え…………」


「奴は死んだ。俺が殺した」


 リリィの身体から力が抜け、ふらりとよろめく。

 薄々、分かってはいたことだった。だが――。

 リリィは震える声で、絞り出すように口を開く。


「どうして……ですか?」


「簡単だ。俺のほうが強かった」

 

 先程と同じ、極めて簡潔な答え。だがそれは、アスモデウスにとっての歴とした『真実』だった。


「……あの人は、なぜ……」


 目を伏せるリリィに、アスモデウスは「それだ」と口を開く。


「俺からも聞きてえんだがよ……何だってあいつは俺に挑んできたんだ? お前を逃がすためか?」


 その問いにリリィは己の無力さへの後悔を押し殺し、頷く。


「……恐らく、そうでしょうね」


「……でもな、あいつ言ってたんだよ。俺と戦っても勝てないってのは分かってた……ってな。……なのに挑んできた。全力でだ。ギリ勝てるかもならまだ分かるけどよ……お前なら、理由が分かるか? 俺にはさっぱり分からねえ」


「それは……」


「いや……待てよ」


 不意に、アスモデウスが目を見開く。


「あいつは分かっていてもそうせずにはいられなかったと……つまり……そうか……それは……」


 アスモデウスはリリィに向き直り、


「そうか。お前の言った『神』か」


「…………え?」


 突然の言葉にリリィは固まった。


「お前の為に命をも捨てる……奴はそうせずにはいられなかった。俺にはその理由が分からなくて……ずっと考えてた。だが、そうか……。

 ……分かるぞ。それが正しいだとか、どんな結果になるだとか、そんな事は関係無かったんだな。あれは奴が奴でいる為の、抗いようの無い価値観に従った結果なわけか。奴にとってはそれが『真実』で……。……なるほど……つまりそれがお前の言う……。お前にとっては『神』か」


 唐突に天啓を得たかのようなアスモデウスに、リリィは呆気に取られながらもこくりと頷いた。彼の中にも、何か通じる価値観や感覚があったのだろう。


「……ええ……。その通りです」


 アスモデウスはようやく納得できたというように何度も頷き、くつくつ笑った。


「なるほどな……ようやく腑に落ちたぜ。そういうことなら、俺にも分かる。何故人を殺すのか、俺に訊いたな?」


「……はい」


「俺は別に殺したいんじゃない。戦いてえんだよ。戦って戦って、ひたすら強くなる。それが俺にとって唯一の『真実』だ。俺にとっての『神』の意思だ」


「……たとえその為に他者を傷付け、殺めても?」


「ああ」


 迷いのない答えだった。


「では、私とは相入れませんね」


「だろうなぁ」


「……ひとつ、教えてほしいのですが」


「何だ?」


「……あの人の名前を、教えていただけませんか」


「…………。……名前、ね」


 アスモデウスは片目を瞑る。


「……なあ。俺ぁさっき言ったよな? 強くなることが俺にとって唯一の真実だって」


「ええ、言いました」


「なら、分かんだろ? 俺ぁなあ、弱え奴には興味無えんだよ」


 疑問の答えを得た途端、再び面倒になったというようにアスモデウスはそっぽを向く。


「弱い奴とは戦う意味も無い。答える義理も無え。さっさと消えろ。殺すのが好きなわけじゃねえが、別に抵抗があるわけでもねえぞ」


 興味を失ったように脇差の血を拭い始めるアスモデウス。だが、リリィは違う。互いにあの日から抱え続けてきた疑問の答えを知る相手に出会い、アスモデウスは答えを得た。だが、リリィはまだだ。彼女は一歩歩み出た。


「では、私が勝てば教えてくれるのですね?」


「……ああ?」


「もし私があなたに勝てば……あなたの『真実』に照らし合わせても価値のある人間になりますね? そうすれば、あの人の名前を教えてくれますか?」


 アスモデウスはしばらくきょとんとして――噴き出して爆笑した。


「……あの……何がおかしいんですか……?」


「ぐっ……くくっ……ああ、ああ……なるほどな。確かにそういう理屈になるわな……。……本気かよ、お前?」


「え……本気ですが……?」


 何がそんなにおかしいのか分からないというふうに憮然とするリリィに対し、アスモデウスは顎で地面に転がる一振りの剣を示した。


「はっ……。ならそいつを使え。それなら俺を斬れる。俺はこの脇差と腕一本しか使わねえ。まあ、ハンデとしちゃあ足りないが……」


 彼の示したそれはリゴル・モルティスの銀の剣だった。リリィは剣を手に取り、


「私が勝ったら、人を殺めてきたことを反省して償ってもらいますよ」


「ああ、分かった分かった。約束する。……でも、俺が勝っても恨むなよ?」


「分かりました。……行きます」


 銀の剣を構え、斬りかかるリリィ。素人丸出しの攻撃。アスモデウスは難なく捌き、その腕を軽く斬りつけた。


「っ……!」


「ほら、やめとけよ」


 そう言ってアスモデウスは、斬られたリリィの腕の傷が即座に塞がっていくのを見て眉をひそめた。


「……なるほど、再生持ちか」


「はあっ……!」


 再び斬りかからんとするリリィ。がら空きのその腹に、脇差が深々と突き刺さる。


「あ……がっ……!」


 大量の返しが付いたギザギザの刀身を引き抜くと、肉がズタズタに引き裂かれた。


「……………………!!」


 あまりの激痛に声無き悲鳴を上げて蹲るリリィ。アスモデウスはそれを見下ろして溜息を吐いた。


「なあ、お前さあ……俺が何て呼ばれてるのか知らねえのかよ? もうやめにしようぜ」


 そんな制止も聞かず、リリィは再び立ち上がる。腹の傷は既に完治していた。


「……やめません」


 どうやら面倒なことになったと、アスモデウスは内心で後悔していた。







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