3-7
「何故この街に悪魔がいる!?」
部下と共に街を駆けながら、如月菜乃は通信機に向け叫ぶ。入念な準備のもとに決行されたこの作戦。しかし決行本番になって、全く予想外の事態が起きていた。天使の街カルィベーリ。当然対処するのも天使だけでいいはずだったが、突如として市街地に大量の悪魔が現れて人々を襲い始めたというのだ。難攻不落のはずのカルィベーリが史上初めて悪魔に破られるのが、何故よりにもよって菜乃達の作戦と同日なのか。菜乃は不運に歯噛みした。
「分かりません! 天使側も混乱しているようで……! あの隊長、どのようにすれば……!?」
通話先の隊員が悲鳴じみた声を上げる。彼女の第三班は臨時拠点を構え、術式展開と諜報、状況把握、各員への連絡取りまとめを受け持っている。おそらく相当に情報が錯綜しているのだろう。
菜乃は走りながら少し逡巡して、
「……まずは作戦が最優先だ。交戦は極力避けるのを基本方針とする。だが無関係の民間人が巻き込まれた場合はその限りでは無い。それで作戦遂行に遅れをきたしたとしても、私は責任を追及はしない。以上だ」
「りょ……了解です!」
通信を切り、菜乃は部下達を振り返る。
「聞こえていたか!」
「はい!」
「よし!」
あとは脇目も振らずに疾走する。石畳の舗道。縦横に流れる水路と、それを彩る鮮やかな薔薇。そして丘の上から全てを見下ろす巨大な聖堂。菜乃が生まれた時から慣れ親しんできた街だ。数年前にはこの街を出ることも、こんな立場で戻ってくることになることも、まるで考えもしなかった。
「隊長っ」
部下が叫ぶ。
「ああ」
菜乃は腰に提げた拳銃に手をかける。菜乃達の走る向こうから、武装した天使達がこちらに向かってきていた。
「止まれーッ!」
「今すぐ武器を捨てろ!」
天使達の静止にも一切足を緩めず、菜乃は拳銃の引き金を引いた。弾丸が天使の頭を易々と貫き、びしゃりと脳漿を弾けさせる。
「薄汚い悪魔共がぁっ……!」
激昂した天使の一人が魔力で大盾を練り上げ、菜乃達へと突っ込んでくる。なるほどただの弾丸であれば、魔力の盾をそう易々と貫けはしないだろう。――ただの弾丸であれば。
菜乃は躊躇せず発砲。放たれた弾丸は大盾を構えた天使のもとへ吸い込まれ――堅牢なはずの盾を、紙切れのように貫通した。
「は」
鮮血。驚愕する間も無く、大盾の天使の胸に大穴が穿たれる。
「なっ……なっ……!?」
「ええっ……!?」
仲間の死に戸惑う天使達まで数メートルの距離に詰め、菜乃は銃を収めて直剣に手を掛ける。それを見て先頭の天使も剣を構える。
「ふッ!!」
居合の要領で剣を抜き打つ。天使はそれを剣で受ける――はずだった。
ぐにゃり、と。
熱したナイフでバターを切るように、菜乃の剣は天使の剣を両断。そのまま天使本人をも真っ二つに斬り裂いた。重鎧で完全武装した天使を。
「なぁっ!?」
「うわぁっ!」
天使達の悲鳴。ぼとりと転がる、胴体で分かたれた身体。菜乃の手にある鈍く光る剣を見て、一人の天使が叫ぶ。
「……銀! 銀だ!」
「嘘でしょう……!?」
天使達の顔に戦慄と動揺、そして恐怖が走った。
天使の言葉通り、菜乃の持つ剣や弾丸は、全てが銀で造られていた。
銀は古来から魔除けの力があると言われているが、それは歴とした事実である。電気に対する絶縁体のように、銀は魔力の根幹たる魔素を通さず、魔力の流れを遮断する。その銀から造られた武器で、全身を魔力で構築する天使や悪魔を攻撃すればどうなるか。結果は今起きた通りだ。
菜乃を警戒して天使達は距離を取り、弓や銃を顕現させる。銀に触れないよう射程外から攻撃する算段らしい。
だがそこに、銃弾の雨が降り注いだ。天使達は悲鳴を上げ、蜂の巣になって倒れる。菜乃の部下達によるものだ。当然、彼女らの武器も銀製だった。菜乃は息をつき、返り血を拭った。
「……先を急ごう。時間が無い」
その後も何度も天使や悪魔と遭遇しては叩き伏せ、菜乃達は一心不乱に進む。中央に向かうにつれすり鉢状に高くなるカルィベーリを、ひたすらに上へ。銀の武器を扱えるのは人間だけだ。天使と悪魔は銀に非常に弱く、刃のみ銀製の武器ですら腕が焼け爛れて持つ事もできない。彼らにとっては銀で攻撃されるなどほとんど初めての経験だろう。まるで対抗手段を持たない相手を倒すのは容易かった。
そして彼女達は、やがて第一区画中央広場に辿り着く。そこは既に、地獄と化していた。
むせ返るような血の臭い。辺り一面を埋め尽くす腕、脚、臓物、生首――切り分けられた人体の山。広場は足の踏み場も無く、生け垣やベンチに至るまで肉片がこびり付いている。その中央に立つのは、鎧を纏った一人の男。返り血にまみれ、じゃらじゃらと吊り下げた大量の脇差の一本を用い、今まさに最後の屍者を切り刻むところだった。
異様な光景に、菜乃と隊員達は足を止める。
「……アスモデウス……」
隊員の一人が驚愕と共に呟く。
「……知ってるのか」
菜乃の問いに、部下は焦燥を押し殺すような表情で頷いた。
「……有名な悪魔です。悪魔で構成された傭兵団の団長……相当手強いです」
菜乃達に気付き、アスモデウスは散らばる臓物を踏み付けながらゆっくりと近付いてくる。
「……何だ、テメェら? 天使じゃあ無さそうだが……。……いや待て、面白そうだな」
にたりと笑みを浮かべるアスモデウスに、二人の隊員が剣を抜き放つ。
「隊長、行ってください」
「何を……!」
口を開きかけた菜乃を、剣を構えた隊員が制する。
「奴は我々を逃しはしません。しかし構っている暇はありません」
「私達で足止めします。隊長達は先に行ってください」
「…………!」
菜乃は怒りの表情で言葉を発しかけて――飲み込んだ。逡巡は数秒に留め、「分かった」とだけ呟く。
「だが無理はするな。危なくなったらすぐに撤退しろ、いいな?」
「分かりました」
「隊長達もお気を付けて」
残った隊員達と共にその場を離れようとする菜乃を、アスモデウスが追いかける。
「あ、おい、待てよ!」
そこに銃撃。だが弾丸は脇差に易々と弾かれた。銀の弾丸を防ぐ剣。魔力で練られたものではない。実体を持つ剣。奇妙なギザギザの刀身。
「あ? なんだ、残るのお前らだけかよ? ……まあ、その分気合い入ってるっぽいし……いいか」
鞘からさらに脇差を抜き、二刀流の構えとなるアスモデウス。菜乃達の背が遠ざかっていくのを見て、戦闘員の少女達は互いに微笑を交わす。
二人の少女は悠然と歩み来るアスモデウスに向け、それぞれ銃と剣を構えた。
「……行くわよ。合わせてよね?」
「そっちがね」
血肉を蹴り飛ばし猛然と駆け出す少女達に、アスモデウスは獰猛な笑みを浮かべた。
○
突然の緊急通信を受け、静粛であった図書館内は騒然となっていた。慌ただしく出て行く者やどこかへ連絡を取ろうとする者、反応は様々だったが、想兼はとにかく目当ての本を探そうとしていた。非常事態だからこそ何より先に、ここに来た目的を果たさねばならない。悪魔の侵入など前代未聞だ。単なる誤報か、或いはテロか、はたまた開戦の狼煙か。最悪、明日にはこの大図書館どころかカルィベーリ自体が無くなっている可能性すら考えられた。
「どこ……? どこどこどこ何処にあるの……!?」
慌ただしく駆け回る天使達の中で想兼はひとり書架を漁るが、気が逸るばかりで一向に見つからない。ヴェステライネンとも何度も連絡を取ろうとするが、やはり全く繋がらない。
「あっ……あっ……やばい……無理……」
ポケットのピルケースから錠剤を掌にぶち撒け、一気に噛み砕こうとした時――。
がたん! と、目の前の書架が揺れた。何冊かの本がばたばたと落ちてくる。
「おわ!? おっ!?」
思わずキャッチしようとするがとても手が足りず、終いには落ちてきた本の角で頭をしたたかに打たれた。
憮然とする想兼。と、その時、微かに聞こえてくる弱々しい息遣いと喘ぎ声に気付いた。目の前の本棚の向こうからだ。本の隙間から覗くと、誰かが棚に背を預けて腰をついている。どうやら女のようだ。棚が揺れたのは彼女がぶつかった所為らしい。
「あっ……はぁっ……だっ……誰か……」
「…………?」
何やら只事ではない様子だ。想兼が本棚を回り込んで様子を伺おうとした時、ひたひたと足音が近付いてきた。
「ひぃっ……! 嫌あぁぁっ……!」
女の怯えた声。本の隙間から棚の向こうを覗くと、倒れた女に向かって何者かが近付いてくるところだった。
極めて細身。全身かたかたと小刻みに震え、至る所にぶら下げた奇怪な金具が不気味な音を立てている。両目は白濁し、どこを見ているのかも判然としない。
何あれ、キモッ――!
想兼は慌てて書架の後ろに身を潜める。そんな彼女には気付かず、細身の男――恐らくは悪魔は、天使であろう倒れた女に近付いた。
「おお……おー……中々いいな……」
「ああ……た……助け……」
細身の悪魔は異様な外見に似合わぬ小さなポラロイドカメラを取り出し、女に向けてカシャカシャと何度もシャッターを切る。排出された写真を眺め、満足気に頷く。
「うっう……うん……よぉし……」
悪魔はポラロイドカメラを仕舞い、代わりにビデオカメラを取り出す。それを片手に女に近付き、服を破って胸元をはだけさせた。
「ひいっいぃぃ……! 嫌……嫌ぁ……!」
それを見て想兼は拳銃を構える。
「……ヤバいっスね……」
想兼は悪魔がそのまま暴行に移るのかと思ったが、違った。悪魔は全身に吊られた金具の内、鉤のような先の曲がった小さな針を手に取り、見せつけるように女の眼前に突き出す。終始無言だ。
「…………」
「あっ……あああ……ああ……?」
悪魔はカメラを回しながら、女の胸元に鉤針を突き立てた。
「ぎっ……ぃあああああっ!! 痛いっ!! 痛いぃっ!!」
「ああ……いい……」
悪魔は皮膚と肉を引き裂きながら、ぎりぎりと鉤針を滑らせる。女はさらに大きく苦痛の悲鳴を上げた。
「あいつ……!」
想兼はリボルバーに弾丸を装填していく。その最中、さらに図書館のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。悪魔は他にも大勢いるらしい。
「……ああもう……早く逃げないと……!」
想兼は棚の陰から慎重に身を出し、尚も女に鉤針を突き立てる悪魔の頭に向け、リボルバーを発砲する。悪魔の頭に大穴が空き――その身体がぱちん、と弾けるようにして掻き消えた。ビデオカメラだけが残り、床に落ちて転がる。
「ッ……!?」
何らかの魔術、あるいは異能。詳細は分からないが、とにかく悪魔は消えた。想兼は女を抱え起こす。
「大丈夫ですか!? 歩けますか!?」
「ああ……あ……ありがとう……ござ……」
胸元の痛々しい傷からどくどくと血を流しながら、女は想兼の手を取ろうとして――その顔を恐怖に引きつらせた。
「あ……ああ……あああああああ……!!」
女の異様な反応に想兼が振り返ると、そこには先程消えたはずの悪魔が、二人を見下ろして突っ立っていた。
目を見開く想兼。悪魔は大口を開け、鼓膜を震わすほどの大声で叫ぶ。
「俺ェ!! こここっここにもいたっぞォォ!!」
「…………!!」
想兼は発砲。叫んだ悪魔を弾丸が貫くと、やはり全身が弾けて消えた。
「早く! 立てますか!?」
女を助け起こそうとする想兼。そのすぐ近くから、ひたひたという足音が聞こえた。
「あっあっああ……マジか……いい……」
書架の陰から、さらに別の、しかし同じ外見の細身の悪魔が姿を現わす。想兼の顔面を凝視し、その手にはまたもやビデオカメラが携えられていた。
「一体何人……!」
すぐさま発砲しようと銃を構える想兼。その腕が、背後からぐいと捕まれる。総毛立つ想兼。すぐ後ろに、また細身の悪魔が立っていた。悪魔は白濁した目で想兼の顔を覗き込む。
「オッ……やっぱいっ……いいな……メッチャ可愛い……」
「……キモいっ……!」
すぐ眼前の悪魔の顎に発砲。またシャボン玉のように弾けて消える。
「…………ぼぁ」
すぐ傍からのくぐもった声に、ハッとして振り向く。見ると想兼の足元、胸を抉られた女のもとにまた細身の悪魔が座り込み、女の耳の穴に金具を深々と突っ込んで引っ掻き回していた。女の身体が激しく痙攣し、不明瞭な声が漏れる。
「ぶっ……べぁ……も……」
「あ……あ〜……じゃあお前もう……いいいや……」
「うッ……!」
想兼は戦慄する。気付けばその周囲を、五人もの同じ姿の悪魔達が取り囲んでいた。
「かカメラ回してるか……おっ俺……」
「そそそそっちの俺が回してるぞ……俺……」
「まっまっまさかこんなすぐに……ここんな可愛いの見つかるとは……」
「どどどこからやる? お俺……」
「じじっ……じっくりやりたいよな……顔は最後で……ままずは……うっ腕とかだろ……」
「二台で別アングルから撮っ……撮るか……」
「で……電池保つよな……? 編集してう……売れるぞ……」
冒涜的な形状の金具を手に不吉極まる相談をする悪魔達に、想兼は全身の血の気がさっと引いていくのを感じていた。
悪魔の名は“双鏡の”ダンタリアン。美少女と嗜虐を何より好む、生粋の変態だった。