表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天魔屍侠譚  作者: スキャット
第3話「動乱のカルィベーリ」
26/44

3-5



 乾いた木材が割れるような音と共に、何もない宙空に真っ黒な裂け目が生まれた。


 幅は狭いが、直径は数メートルほど。カルィベーリ市街地、中央広場の只中に突如として生まれたその得体の知れない亀裂に、周囲の人々の間に驚きと困惑のざわめきが生まれた。彼らにとっては完全に未知の現象。だがその困惑も緊張も、まるで切実なものではなかった。彼らはその大半が生まれついてのこの街の住人だ。天使に庇護された文字通りの楽園に暮らす者が警戒心を失うのは、ある種当然のことだろう。


 そんな牧歌的(・・・)なざわめきの中、黒い裂け目が軋むような音を立てて膨らんだ。深淵がごとき真っ暗な闇を讃えるその亀裂の中から、ぬうっと籠手を着けた腕が生えてくる。不可視の闇の中から現れたのは、じゃらじゃらと大量の脇差を携えた鎧姿の悪魔――アスモデウスだった。


「おお? おー、マジで繋がったか」


 裂け目が浮かぶ地上一メートルほどの高さから軽く飛び降り、アスモデウスは辺りを見回した。周囲の人々は、口々に囁きあい首を傾げたりしながらそれを見守っている。

 裂け目からはアスモデウスに続き、さらに続々と悪魔達が現れる。皆初めて見る――おそらく世界中の悪魔でも彼らが初だ――カルィベーリの様子に、興味深そうに周囲をきょろきょろしている。


「おおースゲー、マジでカルィベーリ?」

「めっちゃ綺麗じゃねーか、こんなとこ住んでんのかよ」

「写真撮ろうぜ! こっちこっち!」


「お前ら、あんまはしゃぎすぎんなよ?」


 わいわい騒ぐ悪魔達をたしなめるアスモデウスだったが、修学旅行中の学生じみた彼らのテンションは一向にとどまることを知らなかった。周囲の住人達はといえば、凶悪な武装に身を包み異形の爪牙や翼、尻尾を持つ悪魔達がぞろぞろと現れる光景に現実感を失ったのか、遠巻きに見物する野次馬までもが集まってくる始末だった。

 

 やがて最後の悪魔が転移を終えると、黒い亀裂はするすると小さくなり、何事も無かったかのように掻き消えた。そうして中央広場に現れたのは、その数およそ百に届かんばかりの大量の悪魔達だった。


「で、大将? どうすんだよ?」


 一人の悪魔がアスモデウスに問う。


「あー? いつもと同じだ」


 アスモデウスは歯を見せて笑う。


「好きに殺して、好きに死ね。飽きたら撤収。文句ねえだろ?」


「おうよ!」

「さすが大将! 話が分かる!」


 悪魔達は下卑た笑みを浮かべ、殺気を漲らせる。一刻も早く暴れたくてたまらないといった様子だ。異変に気付いてか、それまで興味深そうに彼らを眺めていた周囲の野次馬達にも小さなどよめきが起こる。


「よし……じゃあそういうことで。……解散! 暴れろお前らぁ!!」


「よっしゃあああぁぁ!!」

「行くぞオラ殺すぞォォォ!!」

「ひゃぁっはあぁぁぁ!!」


 アスモデウスの号令に、雄叫びのような歓声が上がる。間髪入れず、待ち侘びた悪魔が観衆の一人に飛び掛かり、棘だらけのメイスで頭を叩き潰した。


「あっ!? えっ!? うわああああ!!」

「なっ……逃げっ……ぎゃぁああっ!!」


 野次馬達が自身の愚行を理解するより先に、殺しと血に飢えた悪魔達は我先にと競い合うように無差別な殺戮を繰り広げていく。


「やめっ……やめやめやめギッ……!」

「助けっ助けてっ助けてくださ……! …………」

「よぉ、お前どっちの方行くよ?」

「痛いっ痛い痛いぃぃっ!! いだいぎぃぃっ!!」

「あー、目立つとこがいいなー。人間だけじゃなくて天使も殺してえし……オラッ!」

「はっ……はぁっ……たしゅ……たしゅけ……」

「じゃあ俺北のほう行くからよ、人でも天使でも髪が金で短めの奴いたら呼んでくんね? 半殺しまででよろしく。あー、やっぱ金髪なら長くてもいいや」

「お願いしますっ……! 子供は……子供は……!」

「おー、分かった。あ、じゃあ俺は……」

「巨乳だろ? 分かってるって」

「死にた……くな……や……やだぁぁ……」

「よし、んじゃ生きてたらまた後で」

「おー、金髪頼むぞー」


 玩具で遊ぶ子供のように、悪魔たちは楽しげな顔で逃げ惑う人々を殺し、犯し、弄ぶ。母の眼前で子供の臓物を抉り出し、凌辱される恋人を助けようと向かってくる男の四肢をもぎ取り、少年に武器を持たせて友人同士で殺し合わせ、哄笑する。

 ほんの数分で、平穏だった中央広場は阿鼻叫喚、屍山血河の地獄絵図と変わり果てていた。まるで殺戮に飽き足らぬ悪魔達はさらなる獲物を求め、四方八方へと散っていく。

 そんな中、アスモデウスは何をするでもなくただ座り、悪魔に殺されていく人々を退屈そうに眺めていた。


「……アスモデウスさぁん」


 そんなアスモデウスに声を掛けるものがあった。空洞の眼窩、傷だらけの全身にねっとりした口調の悪魔。


「あなたはどこかぁ……行かれないんですかぁ? せっかくのカルィベーリなのにぃ……退屈そうですねぇ?」


「俺は殺しじゃなくて戦いが好きなんだっての。ザコなんざいくら殺しても何の意味も無えよ」


「おやおやおやぁ……そうでしたねぇ……しかし……ここで何をぉ?」


「待ってんだよ。ここは街のド真ん中だろ? やりがいのある強え奴も引っかかりやすいと思ってな」


「なるほどぉ……そうですねぇ……」


「お前らもせいぜい派手に暴れて騒ぎをデカくしてくれよ? ……つっても、お前が好きなのは殺しでも戦いでもねえか」


「ええ……ふふっ……お恥ずかしい限りですぅ……」


 悪魔は目玉の無い顔で照れくさそうにはにかんでみせた。


「……ではぁ、私もこれで……。ここならいいヒトが見つかりそうですしぃ……。ふふっ……」


「おう、せいぜい加減間違えんなよ」


 傷だらけの悪魔を見送り、アスモデウスは周囲を見回す。既に人々は皆逃げるか殺され尽くし、悪魔達も他の標的を求めて去っていった。ほんの少し前まで悲鳴と怒号が響き渡っていた中央広場は今や静まり返り、残されたのは死体の山だけだ。


「さて……暇潰しにしちゃあ退屈だが……」


 静寂の中に小さな呻き声が生まれる。やがてその声は大きくなり、幾つもの声が重なっていく。

 ゆっくりと起き上がりつつある死体の山――否、屍者の群れに向け、アスモデウスは脇差のひとつを抜き放った。







 カルィベーリが誇る大図書館は、蔵書量九百万冊を数える巨大施設だ。しかし一般人の利用者が閲覧できる蔵書は厳しく選定・検閲されたものに限られるため、全体の一割にも満たなかった。魔道書すら含むというその貴重な蔵書を自由に閲覧できるのは、天使にのみ許された特権だった。


 想兼はこの大図書館に、ヴェステライネンの指定した魔術の資料を探しにやってきたのだが――。


「うーむ……うぅーむむむ……」


 館内の片隅で、彼女はひとり唸っていた。

 既に指定された資料の大半は確保していたが、最後の一冊だけがどうしても見つからないのだ。非常に貴重な魔道書であり、確かにこの大図書館に所蔵されているはずなのだが、病的な人見知りの想兼がなけなしのコミュニケーション能力を振り絞って司書に訊ねてみてもやはり見つけられなかった。

 手早く用事を済ませて読者に耽ろうと考えていた想兼にとってこの事態は痛手であった。もっとも、彼女は純粋に読書という行為が好きというわけではない。ただ、ひたすらにがむしゃらに頭に情報を詰め込んでいる間は、常に彼女を苛み続ける不安と焦燥がほんの少し和らぐのだった。


「はあぁぁぁ……」


 重苦しい溜息を吐き、想兼は小さな護符――彼女の通信術式を取り出して中庭に出る。


「話したくないなぁ……疲れるんだもんなぁ……でもなぁ……」


 ぶつくさと文句を垂れながら、想兼は渋々術式を起動した。護符から周囲にぼんやりとした光の粒子が放たれる。それから十秒ほどすると、想兼の頭に無闇に溌剌とした威勢のいい声が響き渡った。


「“遥かなる朧星”の想兼か! どうした! 何の用だ! 俺は忙しい! 手早く簡潔に用件を述べろ!」


「…………」


 通話の相手は想兼達をこの街につかわせた張本人、魔術師ミカ・シルヴェスタ・ヴェステライネンだった。想兼は早くもげんなりした顔を浮かべる。


「……ヴェステライネンさんですか? ……あの、いま指定された本を探してるんですが……最後の一冊だけがどうしても見つからないんスよ」


「何だと? どの本だ?」


「えーと……ちょっと待ってください」想兼は資料のリストのメモを取り出して眺める。「……『妖蛆の秘密』ですね」


「何ィ!?」


「アアッ! いきなり大声出さないでくださいよ!」


「そのリストの中で最も重要なのが『妖蛆の秘密』だぞ! 他の資料は単なる補足に過ぎん! その魔道書が今回の主役なのだぞ!」


「えー? そういうことは最初から言っといてくださいよぉ……」


「言われなければ分からんのか、凡愚め! それでも知恵の神か! とにかく他のものはどうでもいい、『妖蛆の秘密』だけは必ず確保しろ! いいな!」


「んなこと言ったって無いものは無いんだからしょうがないじゃないっスか!」


「馬鹿者が! いいか! そもそもあの魔道書はだな……」


 その時。ぶつり、と。まるで受話器を置いたように、唐突に通信が途切れた。


「あれ? ちょっと、もしもしー?」


 何かの手違いかと思い、想兼は再度通信を試みるが、一向に繋がらない。術式の不具合でも、着信を拒否されている反応でも無かった。


「うーん……? 何だろう、これ……?」


 想兼が首を捻った時、突如としてけたたましいアラームと共に通信術式が起動した。


「うわ!?」


 ヴェステライネンからの着信かと思ったが、違った。念話の護符が示したのは平時であれば使われないチャンネルだった。そして通常では双方の同意がなければ通信は始まらないのだが、想兼の頭には問答無用で聞き慣れぬ声が響き始める。周囲を見回すと、同じようにして通信術式が勝手に起動して戸惑っている天使達が大勢見受けられた。


「……緊急回線……!?」


「……市街地内の全ての天使へ緊急連絡! こちらは術式管理棟…………」


 想兼は息を呑む。

 それは平時であれば使われることのない回線――非常事態にのみ使用される、白日連合の緊急通信だった。







 雷火はザドキエルと共に、ちびちびと酒を飲んでいた。ザドキエルは先程から押し黙り、目を掌で覆っている。


「……何とか、ならないんですか?」


「ならねーなあ……」


 ザドキエルは目を隠したまま口を開く。


「そもそも現状でカルィベーリの統治は完璧とは言い難い。下層は半ば貧民街のようなもんだし、民衆の統制もラジエル個人の異能に頼りきったものだ。個人の技能に依存したシステムなんざ国や街どころか企業レベルの組織だってそう長くは持たんよ。……でもな、この街はこれで五十年回ってきちまった。その平穏を崩した時の混乱は……最悪、大勢が死ぬようなものになるだろうな」


「異能……。……ラジエルの異能って……」


 そう言いかけた時、雷火の通信術式が起動した。発信元はアルテミス。


「あ、ちょっとすいません。……アル? どうした?」


 小さな十字架のアミュレットが糸のようにばらばらに解け、ものの数秒で金色に輝く小鳥の姿を形作る。空中でせわしなく羽ばたくこの小鳥が雷火の通信術式だった。連合で広く支給されている量産品だ。


「雷火! リリィちゃんをそっちに向かわせたから急いで合流して!」


「ああ? 何だよ迷子か? なら……」


「悪魔に襲われてるんだよ!」


 アルテミスの切迫した声色に、雷火は顔色を変える。


「私一人じゃ守りきれないから逃したの! 早く拾ってあげて! あっ! あとわたしも助けて!」


「悪魔って……なんでこの街に……いやいい! 分かったすぐ行く! 場所は!?」


「さっき決めた集合場所! 中央広場に行かせたよ!」


「分かった! 待ってろ!」


 通信が切れると、雷火はすぐさま立ち上がる。


「ザドさん! オレ行かないと! ……いや、ザドさんもきてくれますか!?」


「ああ? なんだよお前どうしたの、悪魔とかって……」


「オレも詳しくは……! とにかく……!」


 その時、再び雷火の通信術式が起動する。先ほどとは違うアラーム。同時にザドキエルや、店内の他の天使の術式も一斉に起動した。


「この回線……」


 術式を確認し、ザドキエルの目付きが変わる。


「……市街地内の全ての天使へ緊急連絡! こちらは術式管理棟…………」







「はあ……幸せ…………」


「幸せですね……」


 アルテミスとリリィは緩みきった表情で街を歩いていた。二人は目につく店という店の品々を食べ尽くし、貨幣の無いこの街に入った際支給された食券を、既に全て使い果たしてしまっていた。

 小さな公園を見つけ、二人はベンチに座る。穏やかな木陰の下、僅かに風が吹いていた。


「いいところですねえ……」


「そうだね〜。街にはあんまり天使もいないし……」


 何でもないようにそう口にしたアルテミスにリリィは僅かに俯き、ちらりとその顔を伺った。アルテミスはそれに気付いて首を傾げる。


「ん、何? どうかした〜?」


「あっ、いえ、何でもありません!」


「ん〜? ……ああ、そっか。もしかして、さっき入口で言われたことが気になるの〜?」


「いっ……いえ! そんなことは……!」


 図星だった。カルィベーリの出入管理窓口で、係員が見せた反応。アルテミスの名を聞いて死んだはずだと言い、さらには彼女に対して『ハズレ(・・・)のアルテミス』などとのたまった。一体どういうことなのか、リリィには皆目見当もつかなかった。


「いいよいいよ、気にしてないからさ〜。えーと、どこから話そうかな〜?」


 そうしてアルテミスは、ぽつぽつと話し出す。


「まず、わたし達天使や悪魔は大勢の人の想像(イメージ)から生まれてくる……っていうのは知ってるよね?」


「ええ、前に雷火さんに聞きました」


「うん。……だけどさ〜、同じ天使に対しても、一人一人の人間が持ってるイメージって、それぞれ違うと思わない?」


「……え? どういうことです?」


「例えばわたし……アルテミスって女神に対しても、全然知らない人、名前だけ知ってる人、神話を何となく知ってる人、詳しいとこまで知ってる人、アルテミスを元ネタにした原典とは全然別のモノだけ知ってる人……。色々いると思わない?」


「なるほど……確かにそうですね」


 リリィは合点がいったように頷く。


「……でも、そんなゴチャゴチャ入り混じったイメージからでも、生まれてくる『アルテミス』は一人だけなの。……さて、どうなると思う〜?」


「…………」アルテミスの問い掛けにリリィはしばらく考え込んで、「……折衷案……でしょうか?」


「すごいねリリィちゃん! その通り!」


「えっへへへへ!」


 アルテミスに頭を撫でられ、リリィは嬉しそうに笑う。


「そう、ゴチャゴチャのイメージからランダムに少しずつ要素を抜き取って、一つの人格を構築するの。顔はこのイメージ、髪型はこのイメージ、身長は、性格は、特技は……ってね。

 そこにはイメージした人の知識や常識も含まれるから、大抵の天使と悪魔は現代の知識も持ってるんだ。時々変なものが混ざることもあるけどね〜。すごい強い魔王が、何故かコンビニのレジ打ちのやり方知ってたりするのはそのせいだね〜」


 リリィは関心しきりといったふうに何度も頷く。


「……それで、こっから本題ね。まあ、よーするに、わたしの前にもアルテミスって天使がいたんだよね〜」


「えっ……そうなんですか!?」


 驚愕の表情を見せるリリィに、アルテミスは頷く。


「うん。まあ、大昔から数えたら何度目かは分からないけど……いま知られてるアルテミスっていうのは、わたしの一代前のアルテミス。十年前に地上に降りた、“(やま)穿つ極光”のことだね〜」


「……十年前……」


 リリィも朧げながら聞いていた。十年前の大災厄以降、天使と悪魔は激しい戦いを繰り広げていたと。


「先代はとっても強かったらしいんだよね〜。魔力もすごくて、一撃で相手の城に大穴を開けたとか、敵軍の一角を吹き飛ばして突破口を開いたとか……それはもう、大活躍だったらしいよ〜」


「すごいですね……!」


 感嘆するリリィに、アルテミスは複雑な表情を見せた。


「うん。すごいよね〜。……でも、そんな先代も戦争で死んじゃって……。……自分で言うのもなんだけど、アルテミスっていうのはかなり人気がある女神だからさ。それからすぐに次のアルテミス……つまりはわたしが生まれたわけなんだけど……」


 アルテミスはほんの少し言い淀む。


「……前から間を置かずに地上に降りたからか、別の理由かは分からないけど……わたしに先代ほど大きな力は無かったの。でも、周りには『あの』アルテミスならきっと強いはず、戦況を一変させてくれるはず……っていう期待されちゃってさ。みんなをガッカリさせちゃったんだ〜」


「そんな……」


 リリィは悲しげな顔を浮かべたが、アルテミスは困ったように笑った。


「あ、気にしないでね〜? わたしは全然気にしてないんだ〜。先代と比べてわたしがしょぼいのは本当だし……。……でも、わたしがそうやってバカにされると、雷火とモイちゃんはすごく怒ってくれるんだ〜。……だから、それで十分なの」


「…………」


 リリィはどう言葉を掛けていいか分からずに口を噤んだ。

 アルテミスは笑っているが、きっとこの街を訪れるのは辛いことだったはずだ。自分と同じはずの、自分は知らない、しかし自分より優れていたとされる存在。そんな手の届かぬ相手と常に比較され、勝手に期待されては侮辱され、見下される。それは果たして、どんな気持ちなのだろうか。


 俯くリリィに、アルテミスは慌てて笑いかける。


「リ……リリィちゃん! あんまり気にしないで! わたしもホントに気にしてないからさ〜!」


「でも……アルテミスさん……」


「本当だって! わたしはわたしだからさ! 他の人と比べられたって意味ないよ! そうでしょ〜?」


「それはそうですが……」


「それにさ! 雷火が前に教えてくれたんだけど……前のアルテミスってさ……」


「ぎゃあああぁぁあっ!!」


 アルテミスの言葉を、突如上がった悲鳴が遮った。

 二人が驚いて辺りを見回すと、近くの道に人が倒れていた。


「えっ!? なに!?」


「大丈夫ですか!?」


 リリィとアルテミスは道路に走り出る。道路に横たわる人物は血まみれで、既に息をしていなかった。


「一体何が……」


 その時さらに、複数の悲鳴。曲がり角の向こうからだ。


「……リリィちゃん、下がって」


 アルテミスは銃を構え、足音を殺してゆっくりと角の向こうを伺う。その向こうには、全身傷だらけの悪魔が立っていた。片腕は肩から先が欠損している。悪魔はもう片腕で一人の男を絞め上げ、その首をごきりとひねり折った。


「あはぁ……羨ましいですねぇ……」


「……動くなッ!!」


 アルテミスは悪魔に銃を突きつける。悪魔は驚いてそちらを見た。その眼窩には眼球が無く、空洞だったが、悪魔はアルテミスの顔を見て(・・)にたりと笑みを浮かべた。


「これはこれは……。知っておりますよぉ。“終天凪の”アルテミスさん……でしょう? まさかお会いできるとはぁ……」


「……あなた、どこの所属!? こんな事許されない!」


「おやおやおやおやぁ……」悪魔は愉快そうに首を捻った。「なるほどぉ……この街にいるわけがない、と考えているのですかぁ……? 違いますよぉ……私は悪魔。“追想する蘇芳”……。中国では饕餮(とうてつ)として知られております……。以後お見知り置きを」


「……悪魔……!?」


 アルテミスは激しく動揺する。カルィベーリは白日連合の最重要拠点だ。悪魔の侵入などあり得るわけがない。だが目の前に立つ異形の男が放つ空気は、確かに天使のそれとは程遠かった。アルテミスは背後の角にいるリリィをちらりと伺う。リリィは息を殺して様子を伺っていた。


「……いや、それにしてもアルテミスさんとはぁ……。私は本当にツイておりますねぇ……」


「動かないで!!」


 アルテミスの静止など聞こえぬように、饕餮は悠然と彼女へと歩み寄る。


「私、貴女の先代ともお会いしたことがありましてねぇ……。いやぁ、あの方は本当に……」


 立て続けに三発。アルテミスのライフルから目にも止まらぬ速さで銃弾が放たれる。銃弾はわずかなカーブの軌跡を描き、狙いにあやまたず饕餮の肩、肘、手首に命中した。


「アァアアッ……あぁあああああ〜…………」


 傷口を庇いながらも饕餮は悲鳴ではなく恍惚としたような声を上げ、よろよろとたたらを踏んだ。


「動くなって言ったでしょう! 次は頭!」


「ああーー……。いいですねぇぇ……」


 天を仰いだ饕餮の三つの銃創から、青白い魔力の光が溢れ出す。それは瞬時に弾丸を形作った。


「……!?」


 アルテミスは目を見張る。当人だからこそ分かった。その魔力の弾丸はまさしくアルテミスの放った弾丸そのものだった。


「ひぃぇあっ!!」


 甲高い怪鳥音と共に弾丸が放たれる。アルテミスはコンマ一秒にも満たない逡巡をして――自らも発砲。三発と三発が空中でぶつかり合い、青白い魔力の爆発と共に相殺される。速度も威力も、鏡合わせのように全く同じだ。


「あはぁーー……なるほど……」


 饕餮は目玉の無い眼窩を細める。


「貴女の異能……。先程軌道が曲がった際は、『必ず命中する弾丸』を生み出すものかと思いましたが……どうやら違うようですねぇ……? ……放った弾丸の軌道を操作する……といったたぐいのものでしょうかぁ……?」


 アルテミスは答えない。威力も速度も全く同じ魔弾。軽く推測するに饕餮の持つ異能は、おそらく相手の魔力特性や異能をコピーするタイプのものだろう。まだ断定は出来ないがさらに隠し球がある可能性も大いにある。一筋縄ではいかない強敵なのは確かだった。


「……リリィちゃん!」


「……はいっ!」


「雷火に連絡をするから合流して! さっきの中央広場! わたし一人じゃ守りきれない!」


「でも、アルテミスさんは!?」


「わたしは大丈夫だから! 行って!」


「おやぁ……誰かお連れの方がいらっしゃるのですかぁ……?」


 饕餮が興味深そうにアルテミスの背後を伺う。


「……行って!」


「……すぐに雷火さんを連れてきます!」


 ここにいても足手纏いになるだけと判断し、リリィは走り出す。アルテミスは饕餮の行く手を阻むように立ち塞がった。


「……ここは行かせない」


「ああ……素晴らしいですねぇ……その目……ぞくぞくしますねぇ……」


 アルテミスは懐の、月桂樹の枝葉で作られたタリスマン――彼女の通信術式を起動する。


「……アル? どうした?」


 念話の向こうからは聞こえてくるのは、雷火の声。


「雷火! リリィちゃんをそっちに向かわせたから急いで合流して!」


「ああ? 何だよ迷子か? なら……」


「悪魔に襲われてるんだよ!」


 言いながらアルテミスは立て続けに銃撃。だが饕餮は両腕を前面に構えて頭と胸を守り、何度も銃弾を浴びながらもゆっくりと前進してくる。


「私一人じゃ守りきれないから逃したの! 早く拾ってあげて! あっ! あとわたしも助けて!」


「悪魔って……なんでこの街に……いやいい! 分かったすぐ行く! 場所は!?」


「さっき決めた集合場所! 中央広場に行かせたよ!」


「分かった! 待ってろ!」


 通信が途切れる。アルテミスは改めて眼前の悪魔と対峙した。何度も銃撃を浴びせたというのに、まるで倒れる気配が無い。相当身体が強靭なタイプの悪魔なのだろう。銃弾も貫通せず、血すらほとんど流していない。


「……この程度ですかぁ……? だとしたら……がっかりですよぉ……?」


「うるさいなぁっ……!」


 アルテミスはライフルに魔力弾を装填する。彼女は内心で焦っていた。彼女の主な攻撃手段である魔弾が有効打にならない以上、このまま勝つのは難しいだろう。彼女の異能も自ら大火力を発揮できるものではない。勝機があるとすれば、饕餮がアルテミスの異能に対しこのまま(・・・・)誤った認識を持ってくれることか、助けが来るのを待つことだが――。


「ひょぉうっ!」


 饕餮が一気に距離を詰め、手刀を放つ。跳び退って避けたアルテミスのすぐ目の前に、饕餮の突き出された腕。その肌には、大きく重い火傷の跡があった。


 瞬間その火傷から、凄まじい爆炎が噴き出した。


「……っあッ!?」


 思考を奪う閃光と熱波。仰向けに倒れるようにしてなんとか炎から逃れる。ほんの一瞬だったが、凄まじい火力だ。アルテミスの髪の幾分かが焼け焦げ、右腕が炙られて強い痛みを発する。


「うっ……!」


「どうですかぁ……? 素晴らしい炎でしょう……?」


 饕餮はうっとりと、その火傷の跡を愛おしそうに舌で舐める。


「八年前の冬、とある天使に焼かれたものです……。名前こそ知りませんが、彼はとても強かった……。大勢の悪魔がこの炎に焼かれ、私も危うく黒焦げになるところでしたよぉ……」


 思い出話に浸るように、饕餮は遠い目で語る。


「…………」


「それから……」


 饕餮はステップで一気に距離を詰め、その勢いのまま回し蹴りを繰り出す。対応しきれず、アルテミスの脇腹に饕餮の足が叩き込まれた。骨が軋む。


「あっ……!」


 そして打撃の瞬間――饕餮の靴を突き破り、鋭利な氷柱が現れてアルテミスの腹を貫いた。


「く……ああぁぁあッ!!」


 氷柱はすぐに消失したが、アルテミスは脇腹からぼたぼたと血を垂らして悶絶する。饕餮は氷柱に破られた靴をいそいそと脱ぎ、素足を晒した。その足には指がなく、皮膚は爛れていた。凍傷の跡だった。


「これは五年前、魔王アバドンの配下に拷問された時のものですねぇ……。足を鋭利な氷で貫かれたまま、延々尋問を受けました……。いやぁ、思い返しても素晴らしい体験でした……」


 アルテミスは荒い息をする。思考がうまく回らない。


「どうですぅ……? 素晴らしいでしょう……? 自慢っぽくてすいませんねぇ……しかし貴女にも体験してもらっているのですから、お互いに得ですよねぇ……?」


 饕餮は至極人の良さそうな笑みを浮かべた。

 銃創から弾丸、火傷跡から炎、凍傷跡からは氷柱。アルテミスは必死に冷静さを保ちながら、目の前の悪魔の異能を推測しようとする。饕餮の持つ能力。それは恐らく、『傷跡からその傷を負わせた攻撃を再現する』といったたぐいの能力。その威力や特性は饕餮の魔力でなく攻撃を放った者に依存するとすれば、先程コピーされたアルテミスの魔弾が威力も速度も全く同じだったことにも辻褄が合う。

 そこまで考えて、アルテミスは歯軋りをした。目の前で対峙している饕餮の身体は、全身至る所満遍なく、大小様々な傷跡で満たされていたからだ。


「……痛いのが好きなの?」


「ええ、大好きですよ」


「……わたしは嫌いだから、やめてくれないかな?」


「ははは、まだ目覚めていないだけですよぉ」


 饕餮は朗らかに笑った。やはり話が通じる相手ではない。アルテミスが再び銃弾を装填しようとした時、懐の通信術式がひとりでに起動した。


「……市街地内の全ての天使へ緊急連絡! こちらは術式管理棟! 市街地内に悪魔と見られる未確認の魔力反応を大量に感知! 無差別に住民を襲っている模様! 総員至急対応を! また現在、市街地外部との通信が一切遮断中! 目下確認作業を……」


 非常事態を告げる通信を聞きながら、アルテミスは早くもリリィを一人で行かせてしまったことを深く後悔していた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ