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天魔屍侠譚  作者: スキャット
第3話「動乱のカルィベーリ」
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3-4


「なあ、雷火。この店……二年前に作らせたって言ったよな?」


 ザドキエルは不意に雷火に問い掛けた。


「え? ええ……」


「この店の様子をよく見てみろ。……本当にそう思えるか? 二年前に出来た店だと」


 言われて雷火は店内を見回す。それまで意識していなかったが、確かに床や壁には年月を経た傷や汚れが見て取れた。調度品の類も随分と年季が入っているように思える。確かに、とても二年前に作られた店とは思えなかった。

 怪訝な表情を浮かべる雷火に、ザドキエルは辺りを憚る小声で、


「……この酒場は、もう築二十年は経ってる」


「はあ? さっきは二年って……」


「まあ、聞け。確かにこの酒場はここに二十年前建てられたもんだ。……だが、俺の主観では二年前なんだよ」


 そうしてザドキエルが語った話は、俄かには信じがたいものだった。


 五年前、白日連合の盟主となったラジエルは、人間の生存者達を保護する居住区の建設に取り掛かった。だがその街は、単なる居住区には収まらなかった。

 徹底した民衆の管理と教育、反乱分子の粛清、屍者化の兆候の偏執的な抑制。そして――街を包む巨大な結界内における、時間の加速。それらによって成されたのは、人口の爆発的な増加だった。

 天使は人間の信仰によって力を得る。人口の増加は、天使にとって非常に大きな利益となるのだ。

 天使が悪魔と戦うべく、強い信仰心を持つ人間を効率的に増やすために造られた箱庭。それがカルィベーリの本質だった。


 雷火は唖然としてそれを聞いていた。


「……この街が……?……時間の加速って……そんなことができるんですか!?」


「俺も専門家じゃあないが……限定空間内での時間流の操作ってのは、大掛かりではあるがそう難しいことじゃないらしい」


「……それに……粛清って……ザドさんはそれでいいんですか……!?」


 街の方針に疑念を抱く者を粛清し、年老いた者や病の者は屍者化を未然に防ぐべく処分する。カルィベーリで行われているのは、まさしく人道に反する所業だった。平和そのものに見える街の真実の姿を知り、雷火は戦慄した。


「……俺だって納得はしてないさ。……でもな、生存者の人口が短期間で飛躍的に増えたのは事実だ。……俺には、それが悪だとは言い切れない」


「……だからって、そんなの……!」


 歯噛みして俯く雷火に、ザドキエルは大きく溜息を吐いた。


「……一度動き出した歯車は止められない。走り出した車を無理に途中で止めようとすれば、何もかも巻き込んでぶっ壊れちまう」


 ザドキエルは沈痛な面持ちを見せる。その表情には普段の彼の万事やる気無さげで飄々とした姿からは想像もつかなかった、深い悔恨の念がまざまざと見て取れた。


「……だから、後悔してるのさ。五年前、指導者の席をラジエルに譲ったことを。……たとえその座からは退いたとしても、こんな計画は何としてでも止めるべきだったとな」


 ザドキエルは大災厄より遥か以前、天使と悪魔の実在が人に認知されていなかった時期から地上に降り、悪魔と戦い続けてきた古参の天使だ。大災厄の直後には、出身も宗派も違う天使達を纏め上げ、際限なく攻めてくる悪魔の大群に対抗した。彼がいなければ、現在の世界を取り巻く状況は大幅に変わっていただろう。ともすれば、天使と人間は全滅していたかもしれない。


 それ故に、ザドキエルが指導者の座を退いたのは、当時白日連合全体を揺るがす一大事だった。大量の天使達による質問責めに対し、彼はただ「元々向いてないんだよ、おっさんもう疲れたって。ラジエル様は俺よりずっと高位だし、上手くやってくれるって」とだけ答えたのだった。


「……この事を知ってるのは?」


「カルィベーリの天使ならみんな知ってる。勿論非難の声も無くは無いが……ラジエルはやり手だ。自分の地位が揺らぐようなことにはさせないさ」


「……街の住民は?」


「知らない。……知ってしまえば粛清されることになってるからな。ただ、それもきっと百パーセントじゃない」


 ザドキエルの言葉に、雷火はぴくりと顔を上げる。


「粛清から逃れ、この街の真実を知る人間は必ずいるはずだ。……だがラジエルは人間のことを単なる駒か資源程度にしか思ってない。俺にはそいつがどうにも不安でならんのよ」


「……どういうことすか?」


「支配され抑圧され、虐げられ搾取された人間の取る行動は限られる。……ひとつは、ただじっと耐えること。もうひとつは、そこから逃げ出すこと。そしてもうひとつは……」


 ザドキエルは雷火の瞳を見据え、口を開く。


「――戦うことだ」







「結界の中和作業を終了。全隊、侵入完了しました」


「よし、ご苦労」


 カルィベーリ市街地外壁のすぐ側、街全体で最も人口密度の低い僻地。普段は滅多に人影のないその場所に、数十人の武装した兵士が集まっていた。集団を率いるのは二人――如月菜乃、そしてクロと名乗る女。

 彼らは天使達も気付かぬうちに確保した侵入経路を用い、街を外界と隔てる結界をも中和し、市街地内への侵入を果たしていた。


「総員、最終確認の後に整列。ここは既に敵地と心得ろ。一瞬の油断が隊全体を危険に晒すことになるぞ」


 菜乃の指示に従い、物々しい装備に身を包んだ少女達が一糸乱れぬ動作で三つの隊に分かれる。


「如月さぁん、そんなに固くならなくていいじゃない。みんなまで緊張してしまうよ?」


 ヘラヘラと笑うクロを、菜乃は睨み付ける。


「馬鹿を言うな。ここで気を緩めるわけにはいかん。そもそも私は緊張などしていない」


「嘘ばっかり。いつもより眉間のしわが2ミリ深いよ?」


 クロは親指の腹でぐりぐりと菜乃の眉間のしわを伸ばす。


「触るな! 伸ばすな! 何なんだお前は!」


「隊長ー、イチャイチャしないでくださーい」

「副隊長! どさくさ紛れに隊長に触らないでください!」


「静かにしろ! 整列! お前もだ!」


 クロを蹴り出し、菜乃は整列した隊員達の前に歩み出る。


「最後にもう一度確認しておく。一班と二班はこれから所定の地点に移動、三班が術式の展開を完了次第、それぞれ行動を開始する。目標達成後は速やかに現地点に帰投、あるいは状況に応じて合流する」


 作戦は綿密に練り上げてあった。街の地理も全員が路地の一本に至るまで頭に叩き込んでいる。心身のコンディションも万全。彼らはこの日、この時の為に心血を注いできたのだ。


「交戦は極力避けろ。だが天使が立ち塞がれば躊躇うな。容赦無く切り捨てろ。お前達に罪は無い。全ては命じた私の責だ」


「如月さん」


 クロがにこりと菜乃に微笑みかける。


「……何だ」


「そんな気遣い、必要ないみたいだよ」


 クロは首を動かし、背後の隊員達を示す。数十に及ぶ隊員達は皆、信頼の眼差しで菜乃を見つめていた。その瞳は、菜乃一人に罪を負ってもらう必要など無いと雄弁に語りかけていた。

 菜乃はほんの少し驚いて、それからふっと息を吐いて頷いた。


「……いいだろう。それではお前達にも、私と地獄に付き合ってもらう」


 菜乃は燃えるような眼差しで、高らかに宣言する。


「――行くぞ。 リゴル・モルティス、これより行動を開始する!」


 カルィベーリの空の下、隊員達の力強い声がそれに応えた。







「大将ー、大将よォー」


 凶悪な形状の棍棒を持った悪魔が野太い声を発する。周囲には同じく大量の悪魔。いずれも様々に武装し、そして一人も余さず血と殺しの匂いを漂わせる、凶悪な殺人者の雰囲気を放っていた。

 廃棄されて久しい、粗末で寒々しい砦。ここは彼ら――黒貂熊(くずり)傭兵団が集合場所として利用している砦だった。


「あんだよ?」


 彼らの中心で椅子に座るのは、鎧姿の大柄な男。過剰にすら思える大量の脇差をじゃらじゃらとぶら下げ、本差であろう幅広の大剣を無造作に床に着いている。柄の悪さ極まるこの集団の中でも、彼はひときわ強い威圧感と覇気を漂わせていた。彼は悪魔アスモデウス。大災厄以降の戦争を経験した者ならば誰もがその名を知る、凄腕の戦士だった。


「ずーっとどっか行ってたと思ったらいきなり集合って何なんだよ? 俺らにだって予定ってモンがあるんだぜー?」


「そうだそうだー!」

「その通りー!」


 悪魔達から次々に同意の声が上がる。アスモデウスは気怠そうに耳の穴をほじくった。


「ああん? お前らの予定なんてどうせ人殺すか女犯すかだろうがよ?」


「そうだよォ? だから忙しいんじゃねえか」


「そうだそうだー!」

「その通りー!」


「あーうるせえうるせえ、ったく面倒くせえなあ……」


 その時、わいわいと騒ぎ立てる悪魔達の中から、一人が歩み出る。頭部からは捻じ曲がった二本角が生え、口には牙。眼窩はその両方が空洞だが、動作に差し支える様子はまるで無い。何より目を引くのが、全身至る所に刻まれた傷跡。切り傷、銃創、火傷に咬み傷。右腕は肩から先が無かった。

 傷だらけの悪魔はねっとりとした声で口を開く。


「アスモデウスさぁん……お久しぶりですねぇ……しばらくお会いしませんでしたが……何か収穫はありましたかぁ……?」


 その問いに、アスモデウスはにやりと笑う。


「収穫ゥ? ……ああ、あったぜ。聞きてえか? ………………“果てなき薄暮”と()ったぜ」


「はぁ!?」

「マジかよ!?」


 アスモデウスの言葉に悪魔達が色めき立つ。我先にとアスモデウスに詰め寄り、口々に質問を投げかける。


「どこで!? いつだよ!?」

「どっちが勝った!? 死んだのか!? 殺したのか!? 」

「テメーあいつは俺がその内殺そうと思ってたんだぞアアン!?」

「強かったですか? 得物は?」


 アスモデウスは自慢げに頷く。


「野郎は強かった。最高だったぜ。ここ一年じゃ一番だ。……でも俺が勝った」


 息を飲むような歓声が上がる。尚も騒ぎたてようとする悪魔達だったが、一人がそれを遮ってアスモデウスの前に歩み出た。


「たっ……た……大将…………」


 極めて細身の悪魔。至る所に大小様々な形状の金具や刃物を身に付け、常に全身がたがたと震えているためにかちゃかちゃと金属音が鳴り止まない。その目は白濁し、どこに視線があるのか分からない。


「じっ……じじ自慢するために呼んだのか……よォ……? ええええぇ……? だったらてっ……テメェ……ぶぶぶぶっ殺して豚にくく食わすぞ……ォ……?」


「なわけねぇーだろうが! 焦んじゃねェよボケ! 今から話すっての!」


「あ……ああ……ああ……?」


 アスモデウスは深く椅子に座り直し、悪魔達を見回す。


「お前らよォ……最近どうよ?」


 いきなりの世間話めいた質問に、悪魔達は顔を見合わせる。


「……退屈じゃねえか? どこもかしこも、ぬるま湯みててえな戦争しかやってねえ。天使はザコしかいねえ。同盟が出来てから、魔王連中も引きこもっちまって出てきやしねえ」


「そうだ!」

「ああ、そうだ!」


 ぽつぽつと賛同の声が上がる。

 彼ら“黒貂熊傭兵団”は、アスモデウスを首領にした悪魔の傭兵団だ。構成員は主を失ったか最初から持たない、所謂野良の悪魔ばかり。そしてその誰もが卓越した戦士だった。

 彼らは何より戦いと殺しを愛し、欲していた。目的の為に戦うのでなく、戦いそのものを目的とする戦闘狂達だ。

 傭兵とはいうが、彼らの求める報酬は金銭や宝物ではなく、地獄のような戦場そのもの。故にどんなに報酬を積まれても依頼を引き受けないこともあれば、逆に呼ばれてもいないのに現れて戦場を荒らしまわって去っていくこともあった。

 だがここ数年は目立った戦争も無く、平和を忌み嫌う彼らとしては退屈で鬱屈した日々を送っていたのだ。


「そこで質問だ。もう一度、世界を十年前みてえな最高に楽しい地獄絵図に変えられるっつったら……お前らどうする?」


 悪魔達がざわつく。首をかしげる者、周囲と話し合う者、反応は様々だ。


「なんだそりゃ、なんか策でもあんのかよ、大将?」


 一人の質問に、アスモデウスは凶暴な笑みを浮かべる。


「ああ、あるぜ。…………カルィベーリを攻める」


 ひときわ大きなどよめきが起こった。戸惑い、疑い、そして焦り。


「おいおいおい! あんなとこ襲ってどうすんだよ、無駄死にはごめんだぜ!」

「そうそう! そもそも近付けもしねーだろ!」


「慌てんな。策があるっつったろうが」


 問い詰められても自信満々なアスモデウスの様子に、悪魔達の反応が次第にひとつの色に染まっていく。それは期待と興奮だった。


「俺が聞きてえのはたった一つだけ。やるのか、やらねえのかだ」


 悪魔達がしんと静まりかえる。彼らの目は皆一様に、ぎらぎらと期待に輝いていた。


「そんなのよォ…………」


 やがて、一人が口を開いた。


「やるに決まってんだろォがあああああ!!」


「うおおおおおおおおおおお!!」


 それを皮切りに、地を揺らさんばかりの咆哮じみた凄まじい歓声が巻き起こった。


「殺すぞ!! 殺すぞ!! 殺すぞぉぉぉぉお!!」


「さっすが大将だぜえええええ!!」


「さっ……ささ……最高だぁぁぁああ……」


 久々の戦いの予感に湧く悪魔達を前にして、アスモデウスはロキから受け取った小さな魔装を眺め、獣のような笑みを浮かべた。



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