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「却下だ」
「ああ!?」
カルィベーリの出入管理窓口を訪れた雷火達は、いきなりの門前払いを喰らいそうになっていた。
分厚い眼鏡をかけた係員の天使は、眉間にしわを寄せて雷火達をじろじろと怪しげに眺めた。
「外出記録が無いだと? そんな訳がないだろう。天使がカルィベーリから外に出る際は必ず記録が残るようになっている」
「だから、そんなシステムが出来る前から外にいたんだよ!」
「……四年以上? そんなに前から外で何を? 別の拠点にいたんでもないんだろう?」
「うっ……」
言葉に詰まった雷火をさらに疑惑の目で見つつ、係員は分厚い帳簿を取り出す。
「ふん……一応確認はしてやろう。お前、名前は?」
その問いに雷火は目を瞬いた。
「……え……お前、俺のこと知らないの?」
「……何?」係員は怪訝そうに首を傾げて雷火の顔を眺めたが、ふんと息を吐いて帳簿に視線を戻した。「お前など知らん。名を名乗れ」
雷火は目を見開いてアルテミスと想兼を振り返る。二人も驚きの表情を浮かべていた。
かつて強大な主天使ハシュマルの召喚失敗の副産物として地上に生を受けた雷火は、その召喚失敗に端を発する悲惨な負け戦の責任を一身に負わされ、白日連合で知らぬ者のいない極めて悪い方向での有名人だった。五年前までは大手を振って表を歩くことすら出来なかったというのに、目の前の天使はその雷火を知らないという。
人の噂も七十五日とはいうが、この五年間で少しは悪名も薄れたかと考え、雷火は思わず口元を緩ませた。
「……おい、何をにやついている」
「ああ、いや。……雷火。“篠突く雷火”だ」
「……“篠突く雷火”……!?」
係員の天使は眼鏡の奥の目を大きく開き、雷火を凝視した。
「お前が、あの……!? はははっ! 生きてたのか! なんだ、何しに戻ってきたんだ? 責任に耐えきれずに失踪したんだろ? 贖罪でもしてきたか? うん?」
「……なんだってここじゃあテメェみてえなクソ無礼な野郎を門番にしとくんだ?」
上機嫌が一転して憮然とする雷火に、係員は嘲りの色を隠そうともせずに帳簿を開いた。
「いや、悪い悪い……はっ……ははっ! ……で? 残りのお前らは?」
「一人は天使じゃなく人間だ、そっちの小さいほうは想兼。多分登録されてるだろ」
「オモイカネ……知らんな。どこの生まれだ」
「日本神道です……」
「はん、道理で知らんわけだ」
マイナー扱いにショックを受ける想兼を無視し、係員はアルテミスに顔を向ける。
「それで、お前は」
「あっ、アルテミスです〜」
「……アルテミス?」
係員は帳簿から顔を上げる。
「……どういうことだ? アルテミスは死んだはずだろう」
その言葉に雷火と想兼はぴくりと反応し、リリィは驚いたようにアルテミスを見る。当のアルテミスは困ったような笑みを浮かべた。
「……あの〜……そっちじゃなくて……“終天凪の”アルテミスです……」
おずおずとそう言ったアルテミスに対し、係員はようやく合点がいったというように笑い出す。
「ははははっ! なるほどな! そういえばいたな、そんなのが! すっかり忘れていた!」
「あは〜……」
アルテミスはやはり困ったように眉を下げて笑う。
「なるほどな、“篠突く雷火”に“終天凪の”アルテミスか! はははは! 納得した!」
係員の天使はアルテミスを見て口の端を歪める。
「お前がハズレのアルテミスか。それならあの“篠突く雷火”といるのも頷ける。どんな気分なんだ? ええ? 皆の厚い期待を裏切ってのうのうと……」
係員の鼻骨と分厚い眼鏡がへし折れた。雷火が彼の頭を掴み、机に叩きつけたからだ。
「ぶっ……!?ぶごぉあぁっ……!?」
「なんだなんだ〜〜〜? なんだこいつは〜〜〜?」
雷火はさらに何度も係員の顔を机に叩きつける。大量の鼻血がぼたぼたと垂れて飛び散り、分厚い帳簿を汚した。
「ごっ……おばっ……おばぇっ……!」
「なんだこいつは〜〜〜きったねえなお前なあ〜〜〜」
「ちょっとおぉ! 雷火さん!!」
「何してるんですか!?」
想兼とリリィが雷火の腕を掴む。
「ああああもう! 何なんスか! なんでいつもいきなりそうやってチンピラ行為かましてくれるんスか! どうするんスかこれ! バッカもうバカこのバカ! アホアホマン!」
「うっせえな〜〜ケンカ売ったのはコイツだろうがよぉ〜〜〜」
「いくら安売りでも買わないでくださいよ!」
「ごぼっ……おまっ……お前ぇっ……」
「そうだよ雷火〜……」アルテミスは力無い笑みを見せる。「わたしなら慣れてるからさ〜」
「そういう問題じゃねえんだよ。大体お前……」
「お前ぇぇっ!」
係員の天使が絶叫して顔を上げる。割れた眼鏡のレンズがぱらぱらと零れ落ちた。天使はその腕に魔力の剣を顕現させる。
「なんだよお前、いいのかよそんな事して?」
「ごろずっ……!」
係員はふうふうと荒い息をしながら、血走った目で雷火を睨み付ける。雷火も身につけた鉈に手を伸ばし、一触即発の緊張が張り詰めた時――。
「はいそこまで〜〜〜〜」
部屋の奥の扉が突然開け放たれ、一人の男が姿を現した。くたびれた黒髪の中年。その顔を見て、係員と雷火が同時に表情を変える。
「ザドキエル様!?」
「ザドさん……!?」
その男は天使、ザドキエル。天使達の集う白日連合でラジエルに次いで二番目の地位にある実力者かつ権力者にして、かつての雷火の上司でもある男だった。
「なぁーにやってんだお前らバカだねぇ〜〜」
「ぐえっ!!」
「ぶっ……」
小気味いい破裂音と共に、ザドキエルの平手打ちが立て続けに炸裂する。雷火は頰を真っ赤に腫らすだけで済んだが、係員は脳を揺らされたのかその場で気絶してしまった。
「来るなりこれかよお前ら、トラブルが趣味なわけ?」
「好きでやってるわけじゃないっすよ……」
頬をさすりながら口を尖らせる雷火を見て笑い、ザドキエルはリリィに歩み寄る。
「散々な出迎えになっちまったなあお嬢ちゃん。……お前さんが雷火の言ってた……」
「はい! 初めまして、リリィと申します!」
「おー、元気元気。まあ、何はともあれだ」
ザドキエルは部屋の奥の扉を開け放つ。扉の先、長い通路の向こうからは光が差し込んできており、光の中には大勢の天使達が行き交う様子が見て取れた。
「ようこそお嬢ちゃん。そして三人は……よく帰ってきた。歓迎しよう。ここが天使の街、カルィベーリだ」
生まれて初めて見る光景に、リリィはその目を輝かせた。




