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天魔屍侠譚  作者: スキャット
第2話「屍者の街」
16/44

2-8


「ふん……成る程面白いな……」


 リリィの背中に刻まれた魔法陣をしげしげと見つめながら、ヴェステライネンは感心したようにしきりに頷く。

 様々な実験器具や魔術用品が所狭しと並べられた、ヴェステライネンの研究所。壁の本棚には古びた書物が詰め込まれ、床には幾つもの巨大な魔法陣。かつては全く違う目的の建物だったのだろうが、今やどこからどう見ても立派な魔術工房と化していた。


「………………」


 当のリリィはといえば、雷火たちの面前でチューブトップ一枚の上半身をじろじろ見られるという状況に顔を真っ赤にし、恥辱に耐えるように俯き黙り込んでいた。


「あー……」流石に見兼ねた雷火が口を出す。「その……こいつこんなんでも一応年頃の女だし……そんなにジロジロ見てやるなよ……」


「何?」ヴェステライネンは顔を上げ、じろりと雷火を見た。「この俺がこんな貧相な子供に欲情するとでも? それは杞憂というものだ。俺は凡愚には興味もなければ関心もない。こちらから歩み寄ってやる気もない。せめてIQが180を超えてから出直してくるんだな」


「………………」


「雷火! 死んでる! リリィちゃんの目が!」


「相ッ変わらず度し難いクソ野郎だなお前は! お前の性癖はどうでもいいんだよ! 天才ってんなら少しは他人の心情を推し量ってみろ!」


 机を叩く雷火に、ヴェステライネンは眉を顰めて舌打ちをする。


「凡夫の思考を推察などしても得られるものなど何も無い。この俺の貴重な時間の無駄になるだけだ。俺の思考リソースとカロリーはもっと偉大で崇高な目的の為に消費されなければ世界の損失だ! ……だが仕方ない。検分を円滑に進める為だ。……おい! 助手!!」


「じょっ……」


「はーい!」


 ヴェステライネンが手を叩くと、部屋の奥から一人の男が姿を現わす。二メートルを越えるかという長身。爽やかな黒髪短髪にニコニコと人の良さそうな柔和な笑みを浮かべている。


「転写器だ。さっさと持ってこい!」


「はい! ただいま!」


 助手らしき男は元気よく頷いて、小走りでまた部屋の奥へと走っていく。


「助手ゥ!?」


 雷火が驚愕の表情で硬直すると、ヴェステライネンはニヤリと笑った。


「ははん、さてはこの俺が助手を取ることを許したのに驚いているんだな?」


「お前ェーを四六時中世話するのに耐えられるような鋼鉄の精神の持ち主がこの地上に存在していたことにビビってんだよ!!」


「先生、こちらを!」


 助手はまた小走りで駆けてきてヴェステライネンに小さな器具を渡すと、雷火たちに向き直り深々と一礼した。


「初めまして、僕は“牙帯びし霽月”といいます。ここで助手をやらせてもらってます。どうぞよろしく! 先生がお世話になってます!」


「天使か……あー……お前……その……」雷火は霽月に近付いて耳打ちする。「大丈夫なのか? 脅されてたりしない?」


 霽月は愉快そうに朗らかに笑った。


「大丈夫です! 好きでやってますから。それに……」霽月はちらりとヴェステライネンを見て、雷火に耳打ちをする。「ああ見えて意外といいとこあるんですよ、先生も」


「ええーー……? 絶対嘘だろ……」


「何を無駄口叩いてる! 助手! さっさと手伝え!」


「はい! すいません!」


 ヴェステライネンが板状の器具をリリィの背に翳すと、写真が現像されるように陣の写しがじわりと板の表面に浮かび上がってくる。転写が完了した板を霽月が別の器具にセットすると、リリィの背に刻まれたものと寸分違わぬ魔法陣が壁に映し出された。


「では簡単に説明しよう。この術式の基本構成は近代魔術によるものではない。この魔法陣は現在使用されている魔術のどの様式にも属さないからだ。十七世紀以前の魔術━━上代魔術か、一般に全く知られていない異端魔術のどちらかだろう」


 ヴェステライネンは壁の魔法陣を手の甲で叩く。


「だが未知の術式からでも読み取れる文脈はある。こことここ、それにここ。内向きに配置された三つの三角形は秘匿を司る。膨大な魔力を外部に察知させない暗幕の働きをしているわけだ。そして二重円内に大きく描かれた六角形は大抵の場合、封印を司る」


「……封印……」


 リリィが不安げに呟く。


「そうだ。この厳重さからすると、相当に大きな存在を封じ込めているのは確かだろう」


「……人間の魔力ではないとは思ってましたが……」


 想兼は少し俯いて考え込む。


「……それで、一体中にどんなのが入ってるのー?」


「正確には分からん。読み取れるのはそれくらいだ」


 アルテミスの問いに、ヴェステライネンはかぶりを振った。


「はあ!? それだけかよ! 天才天才言う割に役に立たねーヤツだな!」


「ふざけるな貴様ァ!!」


 噛み付かんばかりの勢いでヴェステライネンが食ってかかる。


「言っておくがなあ!! 俺の力が及ばなかった訳では断じてないぞ!! 情報と資料が圧倒的に不足しているだけだ!! むしろ陣を見ただけで構成を読み取る俺の才覚を神の御業と讃えるべきところだろうがァ!!」


「あーはいはい、すごいわマジで、いやマジすげーわ」


「“篠突く雷火”ァ!! 貴様俺を侮りおってェ!! そもそも貴様が碌なアポイントメントも取らずに押し掛けてきたから資料も情報も足りないのだろうがァ!!」


「連絡手段全断ちしてるのはてめえの方だろ!! つーかあの化け物なんなんだよ! マジで死にかけたぞ!」


「化け物? ああ、アレか……」


 ヴェステライネンは目を閉じ、腕組みをした。


「五年と四ヶ月前にここに工房を構えてから、実験で放出される魔力に惹かれて屍者が集まってくるようになってな。どうしたものかと思っていたのだが、その大量の屍者に目を付けてか、奴……名前は知らんが、死霊術師の類……がどこからか越してきてな。あのような怪物をせっせとこしらえては街に放つようになったのだ」


「……先程のあの、巨大な蜘蛛のようなモノは? 街を『視渡(みわた)した』際にあの怪物達と戦う存在が『視えた』ので利用させて頂きましたが」


 想兼の問いを受け、ヴェステライネンは自慢気な笑みを見せる。


「ああ、あれは俺のゴーレムだ。せっかくのいい的が表を彷徨いているのだからな、時々手慰みに造っては戦わせてデータを採っているわけだ」


「お前ヒマなの?」


「貴様ァ!! この俺に無駄な時間的浪費などあるものか!! これはゴーレムの創作を通し試行錯誤により創造的刺激と実戦におけるデータを収集する為の高度な……」


「あーはいはい、分かった分かった、俺が悪かった俺が」


「貴ッ様ァ!!」


 ヴェステライネンは未だ怒りが冷めやらぬ様子だったが、霽月に宥められ一応の落ち着きを取り戻す。


「……で、実際どうなんだ。当てずっぽうでもいい。お前から見て、何が封印されてると思う?」


 ヴェステライネンは難しい表情で壁の魔法陣を睨む。


「お前達はこの陣が人類の屍者化そのものに関わっているのではと思っているらしいが、俺はあまり同意せん。関わっているとしても直接の原因でなく間接的なものだろう」


「その理由は?」


「簡単だ。全世界の屍者を蘇らせるほどの力を持った存在を召喚するのはほぼ不可能と言っていいからだ。死の神は世界に数多いが、生を司るという神はそう多くない。豊穣神を拡大解釈したという可能性もあるが、考えにくいだろう。創造主、造物主ならば能力的には可能だろうが、いずれにせよそんなシロモノを召喚するには世界人口が百億いても魔力が足りないだろうな」


「……蘇生ってのはそんなに難しいもんなのか?」


「そうだ。天使でも悪魔でも、人間を蘇らせる異能を持った者を一度でも見たことがあるか? 屍者という不完全な形だろうと、一度失われた命を蘇らせるというのは世界の摂理に反する行為だ。対象が天使や悪魔なら元々霊的で曖昧な存在故に大量の魔力を費やせば可能だろうが、人間という極めて物質的な存在を蘇生させるのに必要とされる魔力は、対象が一人であろうと計り知れない程膨大なものになるだろうな」


「…………そうか……」


 雷火は険しい顔で俯く。元より夢のような話だったとはいえ、長い停滞の中でようやく僅かに見えた光明。その希望に、早くも暗雲が立ちこめようとしていた。想兼とアルテミスも同じことを思ったらしく、三人は一様に黙り込んだ。


「……あの!」


 沈黙を破ったのは、当事者であるリリィだった。


「……まだ、関係が無いと決まったわけじゃないんですよね!?」


「まあ……そうだが……」


「それじゃあ、もっとよくこの陣について調べる為には何が必要なんでしょうか?」


 リリィはヴェステライネンに向かって足を踏み出す。


「私、知りたいんです! 私自身のこと! それで皆さんの役に立てるなら嬉しいし、もし屍者のことまで解決できたらもっと嬉しいですし! 教えてください、私は何をすればいいんですか?」


 ヴェステライネンは一瞬呆気に取られたように固まって、それからくつくつと笑った。


「おい雷火、割と面白いんじゃないか? こいつ」


「お前に興味持たれるのはいくらそいつでも可哀想だからやめてくれ」


「貴様ァ!!」


「先生まあまあ! まあまあまあ!」


 霽月に制止されてヴェステライネンはひとつ大きな息をつき、手元の紙にペンで何かを走り書き、それをリリィに渡した。


「今足りないのは資料と情報だ。そこに書いてある本を俺のところに持ってこい。そうすればこんな魔法陣、すぐに解析してやる」


「本だあ? どこにあんだよ、そんなもん」


「カルィベーリの大図書館だ」


 平然と答えるヴェステライネンに、雷火は絶望に満ちた表情を浮かべた。

 カルィベーリ。世界最大にして唯一の、生存者達の住まうコロニー。“天使達の街”、“安息の地”、“最後の聖域”。五年前、雷火達が逃げ出してきた場所だった。


「……結局、行かなきゃならないのか……」


「お薬キメてもいいッスか?」


「わたしだけ留守番とかじゃダメー……?」


「何言ってるんですか皆さん! そうと決まれば善は急げですよ! 全員で行きましょう! ほら立って立って!」


「やめてくれよその暴力的な元気……」


 ヴェステライネンに指示され、霽月が室内のシャッターを持ち上げる。その向こうは半径三メートル程の大きな魔法陣が床に描かれた小部屋となっていた。


「転移術式だ。カルィベーリへ内部への直接転移は不可能だが、近くまでは飛ばしてやろう」


「マジで行くのかよぉ……待ってくれ、ちょっとアルバム一枚聴いてからでいいよな?」


「ふふ……私も社会性とか社交性とかそういうツリーにポイント振っておけばなあ……ふふっ……」


「わぁ〜みんな見てよあの雲〜! ブイヤベースみたい! おいしそ〜!」


 各々逃避し始める三人を、リリィは無理やり魔法陣に押し込める。


「はい出発! 出発で!」


「あっこの女! やめろ待て! まだイントロ終わってAメロだろ! せめてサビまで……!」


 ヴェステライネンが手を翳し、転移術式が発動する。魔法陣が青白く光り輝き、四人の姿は光の粒子を残して一瞬で掻き消えた。霽月は不安な顔を浮かべる。


「……大丈夫でしょうか……?」


「はん、知らんな。駄目ならばその時はその時だ」


 ヴェステライネンはつまらなそうに言い捨てるが、霽月は楽しそうに笑った。


「そんなこと言って、心配なんですよね? 先生がこんなに人の世話焼く事なんて滅多に無いじゃないですか」


「ふざけるな。誰があんな凡人共に」


「訊かれたわけでもないのに魔力の制御方法のコツまで教えてましたよね? 普段なら頼まれたって人に教えるなんてことしないのに」


「助手の分際で生意気だぞ! 黙って片付けでもしたらどうなんだ!」


「はいっ! すいませんでした! 先生!」


 肩を怒らせながら部屋を出て行く後姿を見て、霽月は小さく笑みをこぼした。






「酒」


「…………」


「おい」


「は……はっ! 只今っ!」


 巨大な玉座に腰掛ける巨大なシェムハザに、細身の眷属が樽のごとく巨大なジョッキを差し出す。ジョッキを引ったくると、シェムハザは大量の酒を十秒とかけずに飲み干した。

 細身の眷属は死んだ。

 シェムハザがジョッキで彼の頭を殴りつけて陥没させたからだ。眷属は壁際へと吹き飛んで転がった。


「んだよこの酒はぁ? クソ不味いじゃねえか? ああ? どうなってんだ狭霧ィ!!」


 眼鏡を掛けた眷属、“宵烟る狭霧”はシェムハザの前に歩み出し、恭しく一礼した。


「申し訳御座いません。昨日までと同じ銘柄なのですが……以降品質管理を徹底させます」


「チッ……ったくよぉ……」シェムハザは小袋から白い粉末を自らの掌に出し、それを鼻腔から一気に吸い込んでぶるりと身体を震わせる。「ウッ……フウ…………。……で? 報告ってのは?」


「はい。フルーレティ卿との件でお話があります」


「ああ? ……あー、何か言ってたな、そんな話」


「先日フルーレティ卿の配下の陣営を壊滅させた件です。再三の勧告を黙殺し続けてきた結果、我々に対して『十二の比翼』同盟は制裁……端的に言えば弾劾、除名という形の処置を検討しています」


 葉巻の煙を吐き出し、シェムハザは大きな欠伸をした。


「あー、糞怠い。どいつもこいつも終わった事に一々文句ばっかり言いやがってよぉ……。つまりアレだろ? そいつら全員ブッ殺せばいいんだろ? 誰を殺りゃいいんだ? まずフルーレティだろ? 後は? 同盟の奴らか? ったくマジで怠いぜ。同盟なんてまどろっこしくて窮屈なモン入るんじゃなかったな」


「……謝罪をするつもりは無い……ということでしょうか?」


「たりめーだろ。俺がんなことすると思ったか?」


「いいえ。安心しました」


「……ああ?」


 シェムハザは眉を動かす。


「そんなに大勢殺す必要などありませんよ。死ぬのはただ一人だけで十分です」


「あ? マジか? 誰だよ、フルーレティか?」


「いいえ」狭霧はゆっくりとかぶりを振り、彼の主を見上げた。「貴方です」


「…………?」


 シェムハザはその言葉の意味をまるで理解できない様子で、目を丸くして固まった。


「……あ? 何? どういうことだ?」


「貴方には死んで頂きます、シェムハザ様。御安心なさってください。全ての責任を負って自らの命で贖わんとする王の鑑……貴方の死はその様に伝えられるでしょう」


 ぽかんと口を開けたシェムハザの顔が、見る間に歪んでいく。それは魔王の名に違わぬ修羅の形相。額には太い血管が浮き上がり、鋭い犬歯を備えた口からは灼熱の息が漏れ、頭部に生えた巨大な二本角はめきめきと音を立ててさらに肥大化していく。地上有数の魔王の放つ殺気に当てられ、眷属達はある者は膝をつき、ある者は絶望と後悔の表情を浮かべた。


「狭霧ィ…………てめぇぇえええ…………」


 地獄の底から聞こえてくるような憤怒に満ちた声と共に、シェムハザが巨大な拳を振り上げる。

 狭霧は死ななかった。

 彼は即座に飛び退いてその場から離れたが、そもそもシェムハザの拳が振り下ろされることはなかった。腕を振り上げた体勢のまま、シェムハザはその目を大きく見開き、拳のみならず全身をがくがくと震わせて荒い呼吸をした。


「な……? な……なんだ……こりゃ……? テメェ……狭霧テメェ何をした……!!」


「……ようやく効いてきましたか」


 狭霧は額の汗を拭った。シェムハザの震えは収まらず、とうとうがくりと膝を折る。


「魔術師でも雇いやがったか……!? この裏切り者がぁ……!!覚悟しろよ、チャチな呪い程度すぐに……」


「魔術ではありませんよ。どれだけ高度な呪いでも魔王の貴方に対してはほとんど意味を成しませんからね。これはもっと単純な話……」


 狭霧は床に無造作に転がった酒のジョッキに目を向ける。


「毒です」


「……毒……だぁ……!?」


 シェムハザが目を見開く。


「そう、ただの毒物です。ごく普通のフグ毒の一種……まあ、盛った量は人間の致死量の百七十倍ほどですが。未だにそんな元気があるとは、流石というか呆れるというかですね」


「ホラ吹いてんじゃねえぞこの野郎……! ただの毒だと? そんなモンいくら盛ろうとこの俺に効くわけが……」


「効くんですよ、それが。魔王の中でも貴方にだけはね」狭霧は口元に嘲るような笑みを浮かべる。「本来、高位の魔王の身体は無敵と言っていい耐久力を持っている。魔術や呪いといった霊的攻撃にも高い耐性を持ち、物理的な攻撃や毒性は完全にシャットアウトするほどのね。…………そう、本来ならば、いくら大量に酒や麻薬をやろうとも効いたりするはずがないんですよ」


「…………!」


 シェムハザが驚愕の表情を見せる。呼吸はさらに荒く顔面は蒼白となり、大量の吐瀉物をぶち撒ける。


「自覚的にかそうでないかはさて置き、貴方は快楽の為に自ら身体の薬物耐性を下げていた。だから毒が効いたんですよ。まあ……身から出た錆って奴ですか」


「へっ……へへっ……へ……」蹲りながらも、シェムハザは狭霧に向けて笑みを浮かべる。「そうかよそうかよ。そりゃ気付かなかったぜ……。けどよ、それでどうする気だ? 今はこうでもこんなんで死にゃしないぜ? ええオイ? お前らに俺が殺せるのかよ? あと少しすりゃあこんな毒どうってことなくなる。そうしたらお前ら全員……」


「ええ、毒だけで殺せるとは思ってませんよ。いくら弱っても魔王の生命力は余りにも強靭。そのまま耐性でも獲得されては堪りません。ですから……」


 大広間の扉が軋む音と共に開け放たれる。その向こうから現れたのは銃を携えた一人の男。そして、漆黒の外套に鳥骨の仮面を被った悪魔だった。

 悪魔が背中の翼を広げる。二振りの短刀を抜き放つと、その刀身は赤熱し、輪郭は陽炎のように揺らめいた。




「用意しました。貴方を殺す為の武器を」


「…………ッ……!!」


 シェムハザは苦々しく顔を歪める。


「……本当にいいんだな?」


 仮面の下からくぐもった声が響く。狭霧は小さく頷いた。


「……ああ。やってくれ」


 鳥骨の悪魔――アッシュが、蹲ったシェムハザに歩み寄る。短刀を携えたアッシュに見下ろされ、シェムハザは歯軋りをした。


「…………狭霧ィッ!!」


 身体の底から絞り出すような、シェムハザの絶叫。


「てめぇッ!! 本気で俺を殺ろうってのか!? 俺はてめぇの主人だぞ! 親だぞ!! 俺がいなけりゃてめぇはこの世に生まれてこなかったんだぞッ!!」


「ええ、まったく。生まれてくる親を選べないというのが眷属の辛いところですね。……ああ、そこは人間も同じか」狭霧は蹲るシェムハザに目を向ける。その視線には、明確な敵意が込められていた。「……主らしいことも親らしいことも、あんた一度だってしたことあるか? その結果が今のこの有様だろォがよ」


「…………」


「僕達はこれからフルーレティ卿の傘下に入る。あんたはもう用済みだ。せめて最後くらい魔王らしく大人しく死んでくれ」


 シェムハザはぽかんと口を開け、自分を取り囲む眷属達を、狭霧を、そして鼻先に突き付けられた刃を見た。彼は薄笑いを浮かべた。


「そう……そうかよ……ああそうかよ……」


 瞬間、巨大な腕がアッシュの身体を鷲掴んだ。

 その場の誰の反応よりも速くシェムハザは突進し、アッシュを握ったままの拳で分厚い石壁を粉々に粉砕した。


「がッ……ぐぅぅッ……!」


 アッシュは赤熱した短剣を何度もシェムハザの拳に突き立てるが、全く刃が通らない。重金属の塊に剣を立てているような感触。魔王の肉体はアッシュの想像を遥かに上回る、恐ろしい堅固さだった。


「殺せ!! 殺せぇっ!!」


「うわぁああああッ!!」


 周囲の眷属達が一斉に武器を顕現させて襲い掛かるが、シェムハザが放った裏拳だけで数人が羽虫のごとく吹き飛ばされる。

 シェムハザは尚も短剣を突き立てるアッシュの脚を掴み、腕を高く振り上げる。


「…………!」


 そして、振り下ろす。砲弾が撃ち込まれたような地響き。分厚い石造りの床に亀裂が走る。

 シェムハザはさらにアッシュを振り上げ、凄まじい力で振り下ろす。

 振り上げる。

 振り下ろす。

 アッシュが大量の血反吐を吐く。

 振り上げる。

 振り下ろす。

 振り上げる。

 振り下ろす。

 振り上げる。

 振り下ろす。

 振り上げる。

 振り下ろす。


「アッシュ!!」


 篝が叫ぶ。クレーターのごとく陥没した床に横たわるアッシュは全身血塗れで仮面も砕け散り、返事どころかぴくりとも動かない。


「――皆殺しだああああああああッッ!!」


 憤怒に燃え滾る目でシェムハザが絶叫する。さながら怒気を纏っているかのように全身が赤黒く変色し、岩塊のような筋肉が浮き上がる。


「てめぇら……てめぇら……てめぇら全員ッ!! 俺がブチ殺してやるあぁぁッ!!」


 空気が震えるほどの咆哮。圧倒され、恐慌にかられた眷属達が一人、また一人と挑みかかってはゴミのように蹴散らされていく。


「アッシュ!! おいアッシュ!! クソッ!!嘘だろ!?」


 篝はシェムハザに向け自動小銃を連射するも、狭霧がそれを止める。


「やめとけ。魔王にただの銃なんて効かない。他の奴らの邪魔になるだけだ」


「でも狭霧さん! このままじゃ……!」


「ああ。かなりヤバいな」


 シェムハザの眷属達は、その誰もが主譲りの屈強な肉体と卓越した戦闘センスで世に知られる一流の戦士達だ。そんな彼らが束になり、決死の覚悟で挑んでいるというのに、シェムハザは未だ手傷の一つすら負ってはいなかった。肉体の強靭もさることながら、恐るべき反応速度と立ち回りで眷属達を近付けさせず、返す拳は一撃で悪魔達の屈強な肉体を微塵に粉砕していく。普段と異なり得物もない徒手空拳、さらに毒を喰らって青息吐息ながら、その様は未だ卓越した闘士のそれだった。数多の戦場で極限まで研ぎ澄まされた戦闘の天稟は死に瀕した今でも十全に発揮され、ひとつの芸術とすら言えた。


「死にかけではあるはずだ……全力ならこんな城数分と保たない……しかしまさかここまでとは……」


 狭霧は苦々しく呟く。万全の計画を立てたはずだった。側近として最も近くで最も長くシェムハザを見てきた自分ならば、と。しかし知略も人脈も一切無いままただ己の力だけで他の魔王達と同等の地位まで上り詰めたシェムハザの暴力は、狭霧の想定をさらに上回っていた。


「僕達……シェムハザの眷属は、身体能力は高いが何の異能も持たない。……アッシュがやられた時点で、シェムハザを殺せる手段は無くなった。……毒で死ななかった場合の保険のつもりが、まさかその保険まで……」


「…………」


  悲鳴と怒号、破砕音の中、篝は倒れ伏すアッシュを見つめて拳を握り締めた。


「アァァァッシュ!! 何やってんだよお前っ!!」


 アッシュは倒れたまま身動きせず、何も答えない。


「力が欲しいんじゃなかったのかよ!! 一緒にのし上がるって言ったじゃねえかよ!!」


 それでも篝は、力の限り叫ぶ。


「家族を殺した奴に復讐すんだろうが!! そいつが憎いなら!! ぶっ殺してやりてえなら!! こんなところで立ち止まってんじゃねえぞッ!! 馬鹿野郎!!」


 その声に気付き、シェムハザが篝と狭霧の方を見る。


「狭霧ぃぃ……そんなとこに居やがったか…………」


 必死にもがく眷属を片手で握り潰し、シェムハザは地響きを立てて二人に迫る。足元で倒れるアッシュには、もはや見向きもしない。篝は銃を構えた。狭霧は無言で魔力の槍を顕現させ、シェムハザに歩み寄る。


「狭霧……てめぇはタダで死ねると思うなよ……腕も脚も一本ずつ千切って、ジワジワ苦しみながら殺して……」


「魔王のくせにそんな小物臭えセリフしか吐けないのか? そんなんだからあんた皆からバカって言われるんだよ」


 目を見開いたシェムハザの顔面に血管が浮き上がり、口の端から空気の漏れる音が聞こえた。


「ッンんッ!!」


 不明瞭な声と共に、シェムハザが拳を振り下ろす。狭霧は飛び退いて何とか避けたが、分厚い石床には大穴が穿たれて下階が覗いた。


「さァァァぎィィィりィィィィイイ!!」


 最早狂気に近い激憤に任せた攻撃を辺り構わず嵐のように撒き散らすシェムハザは、まさしく破壊の権化だった。彼はその巨体に見合った破壊力と見合わぬ俊敏性を併せ持ち、回避に専念していたはずの狭霧もすぐに広間の隅まで追い詰められた。


「…………死ね」


 巨木のごとき致死の拳が振り上げられる。狭霧はほんの数秒で疲労の色濃く、どこにも逃げ場はない。しかし彼は、その顔に不敵な笑みを浮かべた。


「あ?」


 口を開いたシェムハザに、背後から黒い影が飛び掛かった。

 ――アッシュだ。翼は折れ曲がり、仮面が砕けて血塗れの素顔を露わにし、一体幾つの骨が砕けたのかぎこちない動きながらも、シェムハザの頭部に確としがみつく。


「オオオォォォォッ!!」


「なぁッ!?」


 シェムハザはすぐさま振り払おうとするが、アッシュは体格差を利用して必死に避ける。それを見て眷属達も雄叫びを上げ、主のもとへ殺到する。


「今だッ!! 今しかない!!」


「絶対振り落とさせるな!!」


「殺せぇぇぇッ!!」


 狭霧も槍を振るい、シェムハザに襲い掛かった。シェムハザはさながら蟻に群がられた象のように暴れ狂う。滅茶苦茶に手足を振り回すだけの攻撃だったが、一撃、一撃に容易く悪魔を肉塊に変える威力が秘められている。


「アアァァァッ!! アアアアアァァッ!!」


 獣のような絶叫と共に、アッシュは長髪を振り乱してシェムハザの頭を掴み、赤熱した刃を一心不乱に突き立てる。


「……アッシュ…………!」


 篝はその光景を、食い入るように見つめていた。


「糞がアァァァッ!! 糞雑魚共がァァァァッ!!」


 大量の毒を飲み、無数の悪魔達に斬りつけられながらも尚シェムハザは恐ろしい膂力で暴れ回る。その雄々しさ、猛々しさ、生命力は、殺意を以って彼を見る者にすらある種の畏怖の念を抱かせるほどであった。


 だが、そんなシェムハザの動きが、唐突に鈍った。


「う……? あ……?」

 

 力無く膝を折り、血塗れの両腕は脱力して垂れ下がる。異変に気付き、彼を取り囲む眷属達も一歩引いて様子を伺う。


「なん……だ……こいつは……」


 シェムハザは全身に滝のような汗をかき、手足を小刻みに震わせる。そしてその顔は茹でられたように真っ赤に染まっていた。


「……ようやく効いてきたか」


 シェムハザの頭に取り付いたまま、アッシュが呟く。


「テメェ……な……何を……」


「いくら魔王といえど、肉体を持って顕現している以上、その軛からは逃れられん」


「な……に……を……」


「お前の脳は茹でられた卵だ。二度と元には戻らん。私の復讐の糧となって、死ね」


 “篠突く雷火”の魔力が電気に変換可能であるように、アッシュ・ブラックバードの魔力は熱に変ずるものだった。元は些細なものであったその性質は、彼の異能によって飛躍的な進化を遂げていた。


 アッシュの異能は、殺めた相手の魔力を奪い、自らの魔力を強化するというもの。主であった魔王カイムを介錯したアッシュはその魔力を自らのものとし、さらに篝と契約を結んだことで、今や単なる一眷属に留まらない莫大な魔力を手に入れていた。

 その異能はまさしく、罪を糧に燃え盛る業火。

 その炎は今、地上で有数の魔王の首元にも届き得た。


「ふざ……な……こんな……死にた……く…………」


 シェムハザは死んだ。

 頭から離れ、床に降りたアッシュを掴もうとしたシェムハザの腕は、弱々しく空を切った。

 人体は、熱に極端に弱い。熱中症、熱射病と呼ばれる体温上昇による身体障害は手足の痺れや吐き気などの症状をもたらすが、さらに重症化すれば臓器や血液にも障害を生じさせ、最後には体内の蛋白質を致命的に変成させてしまう。

 魔王の肉体がいくら強固であろうと、人の精神から生まれ、人の身体を模した存在である以上、その構造的欠陥には抗えない。

 シェムハザは地響きと共にゆっくりと倒れ、そのまま動かなくなった。

 静寂が辺りを包む。死闘の末の勝利にも、一つも歓声は上がらなかった。眷属達は皆へたり込むか、その場で茫然と突っ立っていた。


「……アッシュ!!」


 ふらりと倒れそうになったアッシュを、篝が駆け寄って支える。


「よくやったなあ!! おい!! アッシュ!! やればできる奴だと思ってたぜ全く!!」


「……散々……言ってくれたな……お前……」


「結果オーライ! 結果オーライだろ! な!」


「……アッシュ」


 眼鏡にヒビの入った狭霧が二人に歩み寄る。


「……本当に……本当によくやってくれた」


「狭霧さん! 大丈夫でしたか?」


「ああ。俺はな……。報酬の待遇については約束通り用意する。安心してくれ。……とにかく治療者を呼ぼう。それまで客室で休んでてくれ」


「……狭霧さんは?」


「俺は……」


 篝の問いに狭霧は口を開きかけ、何か飲み込むようにまた閉ざした。


「……いや、少し用事がある。とにかく、行って休んでてくれ」

 

 アッシュに肩を貸して篝が出て行くのを見送ると、狭霧は屍山血河の広間をぼんやりと見渡した。


「……狭霧」


 満身創痍の眷属が声をかけてくる。


「……ああ」


 狭霧は一面に転がる眷属達の死体に目をやった。それから一際大きなシェムハザの死体に歩み寄る。

 生まれてこの方、一度たりとも尊敬や親愛の念を抱いたことなど無かった。粗野で野蛮、愚かで短絡的。こうして実行に移さずとも、何度殺してやりたいと思ったことか知れない。

 そんな念願がようやく叶ったはずだというのに、狭霧の心は一向に晴れなかった。


「……死んじまったんだな、マジで」


「……ああ。……僕達が殺したんだ」


 生き残った眷属達は、皆倒れて動かないシェムハザを見つめていた。殺そうと思ってきたはずだった。だが、死ぬところなど想像も出来ていなかった。シェムハザはそれほどまでに、彼らにとって無敵で絶対の存在だった。

 血と雨の匂いの中、彼らはもう動かない自らの主、親、王を眺めながら、いつまでもその場に立ち尽くしていた。







「いやはやお久し振りですねえ。どうなさいました ? ご機嫌斜めのご様子で?」


「……昼間に一週間前に完成したばかりの作品が壊されたうえに、今はこうして招いてもいない客が来たからな」


「こりゃ手厳しい! せっかくこうして遠出してきたのに!」


 軽薄かつ卑屈な笑みを浮かべたその男を、エルドリッチはじろりと見つめた。


「ここには来ないでくれ給えと言っただろう。私は君には微塵の興味も無いのでね」


「またまたぁ! そんなこと言わないでくださいよぉ! あたしゃ寂しいと死んじまうんですよ! 人と話さにゃストレス溜まりまくりなんですよ!」


 少年と見紛うほどの、あるいはそれよりも小さな身体に大人の顔という、さながら童話の小人のような不気味ともユーモラスとも取れる容姿の男は、大袈裟な身振り手振りと共に話した。


「自分のところの悪魔どもと話せばよいのではないかね」


「いやそれが聞いてくださいよ! つい最近ほとんど全員死んじまって話し相手なんていないんですよ! あの人は平常運転だしアスモデウスさんは辞めて帰っちまいましたし!」


「……生者のやることに興味は無いが……一応訳を訊いてやろう。それで君が帰るのならな」


 つまらなそうに手元の少女の死体の顎を撫でるエルドリッチに対し、男は至極愉快そうに語る。


「いやね? 兵士の一人がいきなりトチ狂って他の悪魔を皆殺しちゃいまして! おかげで人手不足のなんのって! 大事な大事な人柱にも逃げられるしもう散々ですよ!」


「……で、どこまでかね?」


 男は首を傾げる。「おや、何がですかい?」


「どこまで君の計算づくなのかね?」


「…………」


 傾いたままの男の口元が次第に裂けるような形に歪んでいき、くつくつと笑い声が漏れた。


「……滅相も無い!」男は短い足でひょこひょことエルドリッチの研究室を歩き回る。「あっしは取るに足らないチンケな小物ですよぉ! そんな大それたこと考えただけで恐ろしい!」


「……まあ、どうでもいいが」エルドリッチは溜息をつく。「……それで? さっさと本題を片付けてくれ給え。今日は何の用なのかね?」


「ああ、そうでした。……どうですか? 研究の方は」


「無論順調だとも。見給え。これが新作だ。従来の作品から強度はそのままに金属部の生体部品への換装によりさらなる運動性の向上を果たし……」


「あ、そっちじゃなくて、あっちです。……『屍兵計畫(リゴル・モルティス)』のほう」


「ああ……」エルドリッチは残念そうに設計図を置いて頷く。「無論そちらも順調だとも。検体も潤沢で、行き詰まる道理がない」


「そうですかそうですか!」男は至極嬉しそうに表情を輝かせる。「そりゃあ良かった! いやァ楽しみですねぇ!!」


 エルドリッチは男に怪訝な目を向ける。


「……理解に苦しむな。君は果たして何がそれほど面白いのかね?」


「全部ですよォ」


 男は歯を見せて笑う。


「性癖なんですよ。アナタが屍者の織り成す全てを愛しているように、あたしは人の織り成す全てに恋してるんです。特に大勢の意思という薪が折り重なって生み出す、大きな大きな炎はね」


「……それと私に、何の関係がある?」


「自覚が無くとも、アナタの研究は素晴らしい『火種』になるんです。人というのはいつもそうです。ただ生きているだけで、大きな渦を生み出さずにはいられない……」


 うっそりと語る男。それを聞いてエルドリッチは憂鬱そうに深い溜息をつく。


「ああ、そうだ。そうだとも。その通りだ。だから私は生者を嫌悪する」


「ひひっ……ひひひひひっ!!」


 男は小さな身体を折り曲げて哄笑した。


「あっしはそうして生まれる渦に、炎に、ほんの少しだけ手を加えるだけです。もっと大勢を巻き込んで、もっと大きく育ちますように、とね」


「……その努力、身を結びそうかね?」


「はい。もうすぐです」


 男は薄汚れた窓から、夜空に浮かぶ月を見上げる。


「人類最後の安息の地にして、白日連合の最重要拠点――カルィベーリ。間もなくあそこで、盛大な大火が上がりますよ」


 クリスマスプレゼントを心待ちにする子供のように、その瞳は期待に輝いていた。


「……どうです? あなたも気になりませんか?」


「ならんな」


「ええー!? そりゃないでしょうよ! 知ってたけどォ! いひひひひひひ!」


 軽薄で卑屈な、短躯の男――ロキは、腹の底から愉快そうに笑った。




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