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天魔屍侠譚  作者: スキャット
第2話「屍者の街」
12/44

2-4


 鉈についた血を軽く払って、雷火は息をついた。その足元では、頭部を失った屍者がばたばたと藻搔いている。

 マンホールから降りた下水道で、雷火とリリィは開けっ放しの蓋から落ちて追いかけてきた数体の屍者達を何とか片付けた。水路はほとんど乾いており、水流は僅かだった。

 雷火は壁に手をついて俯く。アルテミスと想兼の二人とはぐれてしまった。恐らくはまだ無事だろうが、屍者の溢れるこの街で予定のルートから外れ、さらに人数まで半分に減れば危険極まりない。それは雷火達も同じだった。

 早く連絡して合流を――。そう思ったところで、雷火は舌打ちをした。唯一の通信術式は想兼に渡してしまっていた。おおまかに魔力を探ろうにも、大量の屍者のせいか全く探知できない。

 状況は極めて悪かった。仲間とははぐれ、辺りには大量の屍者。目的地への道も分からない。雷火一人ならともかく、守るべきリリィまで抱え、連絡手段も無い。そして何より、先程見た巨大な異形。あれは一体何だったのか。


「ワケわかんねえよ……ああクソッ……どうすれば……」


「雷火さん! 後ろ!!」


 リリィの声にハッとして振り向く。頭部を失ったスーツ姿の屍者が、すぐ目前まで近付いていた。思案に集中しすぎて気付かなかった自分を心中で罵倒しながら、肉厚の鉈を振るった。

 刃は屍者の胸に深々と食い込み、どす黒い血を噴出させるとみしりと鈍い音を立てて止まった。さっと血の気が引く。鉈は押しても引いても動かない。肋骨のどこかに引っかかってしまったのだ。武器を捨てるべきかと悩んだ一瞬が命取りだった。ぼろぼろに擦り切れたスーツを引っ掛けた屍者の腕が、雷火の左の肩口を殴り付けた。


「うぁっ……!」


 雷火は苦悶の声を上げた。朽ちた身体での殴打自体はそう大した威力ではないが、ほんの少し触れただけでごっそりと身体の力が奪い取られる感覚があった。左手に嫌な痺れを感じる。鉈から手を放し、屍者を蹴り飛ばした。リリィが慌てて駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


「いや、それよりさっき金槌貸しただろ、あれを……」


 雷火は目を見開く。元来た方向とは逆、下水道の暗がりから、さらに二体の屍者が姿を現したのだ。水路は狭く、避けては通れない。来た道を引き返せばまだ先程倒した屍者達がいる。彼らは脚を破壊して追ってこられなくしただけで、側を通れば襲い掛かってくるだろう。

 仲間との合流など考えている場合ではなかった。今置かれた状況が、まさしく窮地そのものだ。


「次から次へと……!」


 迫り来る屍者達に向けて金槌を構えた雷火の背を、胸に鉈を食い込ませたままのスーツの屍者が後ろから殴りつける。


「てめぇッ……!」


脱力感と吐き気を覚えながらも、雷火は屍者の太腿に金槌の釘抜き部を突き立てる。だが痛覚のない屍者には少しの足止めにもならない。彼らの歩みを止めたければ、脚を完全に潰すか切り落とすしかない。雷火はネイルハンマーを捻って力任せに振り抜き、太腿の肉をごっそりと削ぎ落とす。もう片方の脚も破壊しようと釘抜きを突き立てた時――。


「危ないっ!!」


 リリィの叫び声。既に雷火の背後まで、一体の屍者が迫ってきていた。元は筋肉質の男だったらしい上半身裸の屍者。渇いた肌、落ち窪んだ目、剥き出しの歯がすぐ眼前にあった。

 屍者の唸り声。硬直した雷火と襲い掛かる屍者の間に、リリィが割って入る。突き出された彼女の指を、大口を開けた屍者が噛みちぎった。







 雑居ビルの最上階、アルテミスが机を引きずって扉を塞ぐと、想兼は脱力してうなだれた。

 元はマッサージ店だったらしいそのフロアは、受付とその奥のいくつもの個室で構成されていた。道路に面した窓にはほとんど剥がれかけたピンクの文字と扇情的な女体のシルエットが見て取れた。

 矢の階段を上りきってビルの屋上に上がったアルテミスと想兼は、そこから何棟かの屋上を伝って屍者達を撒き、ようやくこの雑居ビルに立て籠もった。今のところは屍者も異形もビルを上ってくる気配は無かった。

 室内は多分に漏れず埃っぽくひどく散らかっていた。おまけにまだ午前中だというのにほとんど陽の光も入らない。

 想兼は急いではぐれた二人に連絡を取ろうとして通信術式を取り出したが、それが雷火のものであることを思い出して愕然とした。つまり雷火達は今、何の連絡手段も持っていないということだ。どうすれば合流できるだろうか。いっそ狼煙(のろし)でもあげようかと思ったが、やめた。先程見た巨大な異形は、明らかに人為的に造られたものだった。制作者が悪魔にせよ何にせよ、敵には違いない。今派手に合図など送れば、その敵にも位置を知られることになるだろう。それは避けたかった。


「……モイちゃん?」


 異変に気付いたアルテミスが声を上げる。

 想兼は深く俯いたまま、ぶつぶつと小声で思考を垂れ流していた。


「二人はマンホールから下水道へ……屍者の数は? リリィさんを連れて戦える? 逃げられる? 魔力も使えないのに? ……あの怪物は一体だけ? 他に仲間は? 誰が造った? 悪魔? 人間? 天使? 合流……とにかく合流を……魔力……ヴェステライネン……屍者……合流……雷火さん……」


「モイちゃん? 大丈夫? 落ち着いて……」


 アルテミスは想兼の肩を揺さぶる。想兼の呼吸は次第に早まり浅くなり、その目は見開かれて小刻みに震えていた。

 その場にうずくまる想兼の脳裏には最後に見た雷火とリリィの姿が浮かび、追い込まれた二人が群がる屍者に食い殺される絵図が描かれていた。どうしても嫌な想像が拭えない。負の思考の連鎖は加速を止めてくれなかった。状況は最悪に近い。何故こんなことになってしまったのか。この状況を作り出したのは誰の責任なのか。


「私……私のせいだ……全部私のせい……。雷火さんも……リリィさんも……私がちゃんとしてれば……こんな……。嫌……嫌だ……こんな……」


 想兼はうわ言のように呟き、懐に手をやる。


「……モイちゃんっ!!」


 掌からぼろぼろと溢れるほどの大量の錠剤を取り出した想兼を見て、アルテミスが血相を変える。しかし遅かった。想兼は夥しい錠剤の山を、一息で飲み込んだ。







 雷火の目の前で、リリィの指の歪な断面から鮮血が噴き出す。屍者は食いちぎった指を鈍い音を立てて噛み砕いた。


「お前っ……!」


 雷火は言葉を失ったが、次の瞬間にまた驚愕することになった。数秒もしない間に、リリィの失われた指の断面から骨が生えてゆき、盛り上がった肉を皮膚が覆い、瞬く間に何事も無かったかのように元の姿を取り戻したからだ。

 リリィが屍者の膝に後ろから脚を引っ掛けると、屍者は水飛沫を上げて転倒した。リリィは振り向いて叫ぶ。


「雷火さん! 鉈っ!」


 呆気に取られていた雷火は我に返り、力任せにスーツ姿の屍者の胸から鉈を引き抜き、床面に滑らせるようにしてリリィの方へ放り渡す。彼女はそれをブーツの底で受け止めた。それを拾うよりも速く、さらにもう一体の屍者が牙を剥いて彼女に襲いかかった。


「リリィ!!」


 雷火が叫ぶ。リリィは屈み、左の前腕を盾のように突き出す。当然、屍者はそこに喰らい付いた。腕からぼたぼたと血が垂れるが、リリィは片手で鉈を拾い上げ、自らに歯を立てる屍者の頭に深々と刃を突き立てた。さらに刃を滑らせ、その首も切り裂く。骨は断てなかったが、咬合力は弱まったのか屍者は腕から口を放す。その時には既に、リリィの腕には傷跡ひとつ無かった。


「……雷火さん、脚を」


「……あっ? あ、ああ……」


 鉈を手渡され、雷火は屍者達の脚を斬り落とす。リリィはその様をまじまじと見つめていた。


「……すいません、どうか安らかに眠ってください」


 尚も床面で水に濡れながらもがく屍者達に向けて祈りを捧げるリリィに、雷火は溜息をついた。


「……お前なあ、ああいうのは先に言っとけよ……」


「ああいうの、って何でしょう?」


「治癒魔法の事だよ!! 自分に対してなら一瞬で治せるとかそういうことは……!」


 ああ、とリリィは合点したというように頷く。


「すいません、私も今まで大きな怪我をしたことはなかったので、確信があったわけではないんです。でもまあ、行けるんじゃないかなあと思って……」


 軽い雰囲気で言うリリィに、雷火は絶句した。何の経験もないぶっつけ本番で、そう易々と自分の身体を危険に晒せるものだろうか。そもそも治るからと言って、指を食いちぎられたり腕に喰らい付かれたりして痛くはないのかと訊こうとしたところで、雷火は何となく癪に触り舌打ちをしてやめた。


「……ったく無駄に焦らせやがって……」


「……心配してくれたんですか?」


「誰がするか。調子に乗るな」


「ええー?」


 他にはもう敵の気配は無いようだった。雷火とリリィはそこからしばらく下水道を歩き、入ってきた地点から大分離れた位置のマンホールから恐る恐る顔を出した。そこは繁華街の道路らしく、下水道に入った地点と同じように様々な店や雑居ビルが建ち並んでいた。辺りには数体の屍者が歩いていたが、あの巨大な異形の気配は無いようだった。


「……大丈夫そうだな。とりあえずその辺の建物に入るぞ」


「あそこがいいです!」


 リリィが指差したのは、チェーン展開していたファストフード店の廃墟だった。露骨に嫌な顔をする雷火に、リリィは一度行ってみたかったと熱弁する。


「本で見てからずっと食べてみたかったんですよ! ハンバーガー!」


「全面ガラス張りじゃねーか! 外から丸見えだぞ!」


「でも、どうせ屍者の皆さんは魔力に引き寄せられてこっちに来るんでしょう? 関係ないんじゃないですか?」


 言われてみればそうだと頷きかけて、雷火はふと一つの疑問に気付いた。


「……そういえばお前、あんだけ馬鹿でかい魔力溜め込んでる割には、普通程度にしか屍者が寄ってこないよな? あんな魔力量、街中の屍者が群れてきてもおかしくないような気がするんだが……」


「そうなんですか?」


「そうだ。どうなってるんだ……? 背中の術式に魔力の隠蔽か遮断機能でも含まれてるのか……?」


「きっと神の御加護ですよ! さあほら! はやく行きましょう!」


「お前そればっかりというかそう言えば適当に流せるとか思ってないよな!? おい! 待て!」


 一人で駆け出すリリィを追って、雷火も廃店舗に足を踏み入れる。店内は机や椅子が倒れて散乱しており、窓もそのほとんどが割れていた。色褪せて塗装も剥げたマスコットキャラクターの立像が、無人の店内に満面の笑みを投げかけている。

 興味深そうに店内を見回すリリィを横目に、何か無いかと厨房を覗いた雷火は、テトラポットを這うフナムシの如く物陰に逃げ込むゴキブリの大群を目にしてこの世の終わりのような悲鳴を上げた。


「出ようぜもう……こんなところ早く出ようぜ……」


「落ち着いてくださいよ! とにかくこれからどうやって合流するか考えないと……」


「そうは言ってもなあ……」


 くたりと首を倒して何となく外を見た雷火は、すぐさま身を翻しリリィを引っ張った。


「おい隠れろ!」


「わあ! 何ですか!?」


 倒れたテーブルの裏に身を隠した雷火とリリィは、慎重に顔を出して店外の様子を窺う。

 店から三十メートルほど離れた道路に、それは歩いていた。大きく太い二本の脚に、尻尾を模したらしきワイヤーが別の生き物のように動いている。胸から上は人間のもので、両目はカメレオンのようにぎょろぎょろと別々の方向に向けられ、首をしきりに動かして何かを捜しているようだった。果たして何を捜しているのか。当然雷火達だろう。

 もう一体同じような異形が遠くに見え、そしてさらにもう一体は雷火達の隠れる廃店舗からすぐ目と鼻の先の道路をゆっくりと歩いていく。青白い肌。生気のない瞳。猟犬を思わせる挙動。

 雷火とリリィは息を殺して様子を伺う。彼らはこの街にさらに同じ型の異形がまだ沢山いるのだろうと推察されるような、所謂『量産型』の雰囲気を帯びていた。


「……あのデカいのだけじゃなかったんだな」


 異形達が遠ざかっていくのを確認し、雷火は押し殺した声で呟く。リリィは悲しみとも怒りともつかぬ表情で異形達に視線を向けていた。

 薄々想像はしていたが、ヒトの形を色濃く残した彼らを見て確信する。先程見た人馬型の異形。あの青白い肌の巨像も、今目にした猟犬のような彼らも、見た目通りにおそらく屍者の身体を繋ぎ合わせて造られたものだろう。そう考えれば、アルテミスの放った魔力の弾丸が効かなかったのも頷ける。


「……ああして素材として使われた屍者達も、元は生きた人間だったでしょうに」


「……そうだな」


「……死者を冒瀆するのにも限度があるでしょう! あんなの……!」


「死んだ奴は何も思わない。オレ達だって屍者を切り刻むぜ?」


 雷火は皮肉っぽく言う。


「……でも……! うまく言えないけど、それとこれは……!」


 リリィは適切な言葉を見つけられない己の無知を悔いるように俯いた。紅潮したその顔を見て、雷火は溜息をついてかぶりを振った。


「……いや、悪かった。……分かってるさ、そんな事は」


 リリィは顔を上げて雷火を見る。


「あんなのは納得できない。世の中クソみたいな事が山程転がってるが……あれはその中でも特にクソッタレな、納得しちゃいけないもんだと思う」


「……もう! そうですよその通りですよ! 分かってるじゃないですかひねくれないでくださいよ!」


 リリィは嬉しそうに雷火の脇腹に貫手を叩き込んだ。小型の異形達が完全に去ったのを確認してから、二人は外に出た。遠くまで見渡せるような高い建物を探している途中、リリィが声をあげた。


「雷火さん! ちょっとちょっと!」


「ああ? 何だよ……」


「これ! これ見てください!」


 リリィの足下には、白っぽい塊が転がっていた。それはつい今しがた見た小型の異形、その残骸だった。

 身体はほとんど真っ二つになり、動く気配はない。周囲には壊れた機械部品が転がっており、その状態から察するにしばらく前からここにこうして転がっているようだ。防腐処理が施されているのか腐ってはいないが、青白い肌が雨露に濡れて魚のようにてらてら光っていた。


「……屍者の仕業じゃないな」


「どうしてですか?」


「見れば分かるだろ、ほとんど一撃で真っ二つにされてる。断面も綺麗だ。まるで馬鹿でかくて鋭利な棘が一瞬で突き刺さったみたいな……。屍者には無理だ。最初に見たデカい馬の怪物の攻撃でも無さそうだ」


「……天使か悪魔でしょうか?」


「そこは何とも言えないが……。少なくとも、オレ達でも屍者でもこいつら怪物でもない、ヤバい何かがこの街にいるのは確かだろうな」


 雷火の不吉な推測に、リリィは身を竦ませた。





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