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天魔屍侠譚  作者: スキャット
第2話「屍者の街」
11/44

2-3

 雷火は双眼鏡を手に、目的の人物が住む住居までのルートを探ろうとしていた。建ち並ぶ様々な商業施設の廃墟たちが、かつてのこの街の隆盛を窺わせる。空には重い雲が垂れ込め、辺りには黒い灰が舞っていた。


「……やっぱりかなり多いな。迂回しても同じだろう。なるべく安全かつ短いルートを探すしかなさそうだ」


「面倒ッスね……あの人に連絡して迎えに来て貰えないんスか?」


「あいつ電話嫌いなんだよ、通信術式の類は一つも持ってないんだ」


「ねーだからそれ誰なのー? 誰に会いに行くのー?」


「はいはい! 一つ訊いてもいいですか?」


 リリィが不意に挙手する。


「何だ」


「皆さんあんなに強いのに、そんなに屍者を警戒する必要があるんですか? 動きも遅いし、頭もよろしくないし、簡単にどうにかできるように思えるんですが……」


 リリィの言葉に、天使達三人は唸る。


「……確かにそう思うのも無理はないッスね」


「そうだねー、撃つのも逃げるのもよゆーなんだけどねー」


 アルテミスはそう言って笑う。リリィは首を傾げた。


「……そもそも屍者がどういうモノなのか、お前知ってるか?」


 雷火が双眼鏡を片手に問う。


「……それが、あまり……。よく覚えてませんけど、十年前まではいなかったですよね?」


「そうだ。十年前のある日を境に、死んだ人間は屍者として蘇るようになった。なんの前触れも無くな。当初はよくあるホラー映画みたいにどこかの軍か製薬会社がばら撒いたウィルスか何かが原因って説もあったが、すぐに違うと分かった。原因はほぼ確実に霊的、魔術的なものだ」


「どうしてですか?」


「屍者の発生が全世界で一秒違わず完全に同時だったからだ。そして、屍者化は屍者に襲われて死んだ人間だけじゃなく、怪我や病気に老衰、屍者とは全く関係の無い原因で死んだ人間にも必ず起こる。まるでそういう風に、世界の法則(ルール)が突然書き換えられたみたいにな」


「…………」


 リリィは自身がその原因に関わると目されているのに思うところがあったのか、背の魔法陣をちらりと気にする様子を見せた。


「……で、だ。どうして極力相手にしたくないかって言うと……目で見たほうが早いな。アル、頼む」


「はーい」


 アルテミスは魔力を練り上げ、淡い光を放つ弓と矢を顕現させる。弓に矢をつがえ引き絞り、眼下の道路を歩く屍者の一体を射った。寸分違わず屍者の頭部に迫った矢は、しかし命中する直前で霧散するようにかき消えてしまった。


「えっ!?」


 リリィが驚きの声を上げる。アルテミスはもう一度別の屍者を射ってみせたが、やはり命中する前に魔力の矢は消えてしまった。


「……どういうことなんです?」


「屍者の身体からは常に魔力が失われ続けてて、それもカラになると黒い灰のように全身が崩壊する。だから屍者は魔力に惹かれて人間や天使を襲うんだ。

 結論から言えば、屍者には魔法が効かないんだよ。屍者の身体は乾いたスポンジみたいに魔力を吸収しちまう。逆に魔力で身体を維持してる俺達は、少し触られただけで致命傷になりかねない。だから屍者と戦う時は魔力で生み出した武器じゃなく、実体のある普通の武器を使うんだ」


 雷火は荷物から鉈とネイルハンマーを取り出して見せる。アルテミスも実銃に実弾を装填し、ビルの下の屍者を一体狙撃してみせた。弾丸は消える事なく、的確に頭を撃ち抜いた。


「……だから屍者が沢山いる場所を抜けるのは危ないんですね」リリィは納得したように頷き、それからほんの少し目を伏せて訊ねる。「……あの、屍者になった人が……元の人間に戻る方法は無いんですか?」


「無い」


 リリィの問いに、雷火は撥ね除けるように答えた。


「……絶対にですか?」


「絶対にだ。屍者になるのは死んだ人間だけだ。屍者になった時点で、本来その人間はもう死んでるんだよ」


「……そうですか……」


 リリィは哀しげに天を仰ぎ、小さく祈りを捧げた。それが痛ましい現実への嘆きなのか、彼女なりの一つのけじめなのかは判らなかった。ただ、黙祷するリリィの姿に不意に目を奪われそうになり、雷火は慌ててかぶりを振った。


「あー……。さて、色々準備しないとな……。おい、何か売れるもの持ってるか?」


 雷火は小さく折り畳まれたシートを広げる。そこには一メートルほどの魔法陣が描かれていた。


「……これは?」


「転移術式だ。うちの基本は物々交換でな。売る物と希望する物品のメモを拠点の商会に送ると、向こうから商品が送られてくる仕組みだ。……モイ、何かあるか?」


「本が何冊か。それと花の種があります」


「いいな。アルは?」


「本当は売りたくないんだけど……みんなの為だもんね。このかっこいい枝とセミの抜け殻。持ってって!」


「…………。 ……いや、そんな大事なもの受け取れねえよ。お前が持っとけ。 ……で、オレはこのCDを出そう。これで買える物と言えば……」


「ロープと誘引弾は要るでしょう。後はアルテミスさん用の弾薬も」


「アイス! あと飴とケーキ!」


「ロープと誘引弾と弾、と。ついでに塩も買って……こんなもんだな」


「アイスと飴とケーキ!」


「よしモイ、頼む」


「アイスと飴とケーキは!?」


 想兼が魔法陣に触れて魔力を込めると、陣が光に満たされる。上に載っていた本と種、CDたちの輪郭がぼやけ、空気に溶けるようにして消えていく。

 それから数分も待つと、再び魔法陣が光り始めた。最初は透けるように薄く、やがてはっきりとした存在を持って、先程注文した品々が陣の上に現れる。リリィが目を輝かせた。


「オワーッ凄いですね! 本当に来た!」


「ロープ、誘引弾、弾丸。……塩は無いか。まあ仕方ない」


 不貞腐れるアルテミスを横目に、雷火は小さな球状の物体――誘引弾を手に取る。音と光、そして魔力を発して屍者を誘き寄せる優れ物だ。使用する前に予め魔力を込めておく必要がある。


「あっ! 雷火さん!? ちょっと!」


「あん? 何だよ」


 想兼の言葉より前に、雷火はいつもしている通りに誘引弾に魔力を込めた。


「――ぶぇっ!?」


 その鼻から血が噴き出した。そのままどさりと血の海に突っ伏す。


「雷火ーー!?」


「雷火さん!!」


「やっぱり……」


 想兼は手で顔を覆う。リリィに抱え起こされ、雷火は弱々しく呻いた。未だ鼻血は止まらず、目も真っ赤に充血している。


「な……なんだよこれ……」


「この前ので分からなかったんスか? 今の雷火さんはリリィさんから供給される莫大な魔力を完全に持て余している状態です。言わば巨大な河に小さな蛇口だけが着いているようなものです。少しでも緩めれば決壊しますよ。魔力は絶対に使わないでください、特に敵の前では」


「なんだそりゃ……それじゃ宝の持ち腐れじゃねーか……どうすりゃいいんだよ……?」


「蛇口を大きくする……つまりは雷火さんの身体のほうを強くすればいいんじゃないッスか? 具体的な方法については分かりませんが。専門家に聞いてください」


「…………」


 リリィに治癒を施され、ようやく雷火は気怠そうに起き上がる。その目の前で、想兼は魔法陣の描かれた小さな札を置いて、スカートを履いたままするすると下着を脱ぎ始める。


「……おい……。……おい?」


「……何か?」


「何か、じゃないだろ。何してんだよ」


「……何でもありませんが?」


「何でもなくないだろ! その下着売ってクスリ買うつもりだろ!? そういうのやめろって何回も言ってんだろ!」


「はいぃ?」


 想兼は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。


「……何でそんなこと言われなくちゃいけないんスか? ママ? あなた私のママですか?」


「お前はいつもそうやって……何というかもう少し……」


「自分を大切にしろだとか、娼館で説教する中年みたいな事言わないでくださいよ? 大体私自身は指一本触れられてませんから。私はお薬が買えて嬉しい。どこかの誰かは可愛いモイちゃんの下着が買えて嬉しい。それでいいじゃないッスか」


「そういう問題じゃないだろ! 大体お前は……」


「雷火、モイちゃん、ケンカはやめなよー……」


「そうですよ! 二人とも落ち着いてください!」


 リリィとアルテミスの制止にも聞く耳持たず、雷火は想兼の送受信用札を引ったくる。


「とにかくやめろよ! というかそもそもクスリもやめろよ! 身体にも悪いし早死にするし! ロクな目に会わないぞお前!」


「あっ! 何するんスか。返してくださいよ、ちょっと」


 陣の描かれた小さな札を、二人は力の限り引っ張り合う。


「大体どうして私にだけそんな事言うんスか? 他にも同じ事してる天使なんていっぱいいるじゃないッスか。雷火さんが嫌なだけでしょう? エゴでしょうそれ?」


「そうだよ! お前がお前だから言うしオレが個人的に嫌だから言ってんだよ!」


「はあぁん? 意味がわかりません。雷火さんはいっつもいっつも……あっ……」


 ほんの少し裂け目が走ったかと思うと、二人が引き合っていた札は見るも無残に真っ二つに破けた。無論そこに描かれていた魔法陣も同様だ。想兼が悲鳴をあげる。


「あーーーーっ!! どうしてくれるんですか! 私これ以外に通信手段ないんスよ!? どうしてくれるんスか!」


 稀に見る剣幕で捲したてる想兼に、雷火は流石にバツが悪そうな顔で、自分の通信手段である一本のペンを差し出す。


「……いや……悪い……。……代わりにこれ使ってくれ」


「こんなの渡されても!」想兼はそれを引ったくる。「業者のところに通じるのはあらかじめ認可された術式だけなんですよ!」


「だから! そもそも売り買いするなっつってんだろ!?」


「二人とも! いい加減にしてください!!」


 リリィは間近で口論する二人の後頭部を引っ掴み、強かに額と額をぶつけ合う。苦悶して額をさする二人に対し、リリィは無言の内にアルテミスを指し示す。アルテミスの表情は怯えと不安に染まっていた。


「…………」


 しばし無言で睨み合ってから、想兼は溜息を吐き、雷火は舌打ちをして互いに離れる。ひとまずその場は収まったものの、二人の間の険悪な空気は消えないままだった。







 天使達を乗せたミニワゴンが、無人の街を駆ける。

 元は繁華街だったようで、辺りには様々な商店や飲食店が軒を連ねている。だが、今やどこも余さず荒れ果てた廃墟だ。

 道路には放棄された自動車や倒れた標識等がちらほらと転がり非常に散らかっていたが、想兼の算出したルートは屍者も少なく、車は順調に進んでいた。

 屍者の成れの果てである黒い雪が降り積もり、あるいは風に舞っている。それだけこの街に大量の屍者がいるという証だ。

 エンジン音、或いは四人分の魔力に反応して寄ってくる屍者達を、想兼は巧みなハンドル捌きですいすい避けていく。


「……雷火さん」


 想兼が助手席の雷火にぽつりと口を開く。


「……何だ」


「目的地、駅を挟んで向こう側の一際大きいビルでいいんスよね?」


「ああ。一回だけ行ったことがある」


「ねえねえ!」笑顔のアルテミスが後部座席から身を乗り出す。「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのー? 一体誰に会いにいくのー?」


 想兼は無言で顔を顰め、雷火は重々しくかぶりを振った。


「……だ」


「え?」


「ミカ・シルヴェスタ・ヴェステライネンだ」


 アルテミスの笑みが、凍りついた。そのまま車窓を開け、ライフルに弾を込めると、無言で道行く屍者を撃ち始める。それを見て不穏なものを感じ取ったのか、リリィも激しく動揺する。


「えっ……ちょっ……ちょっと! 一体どんな方なんですかその人!? 私にも説明してほしいんですが!」


 肩をがくがく揺らされて雷火は重苦しい溜息を吐き、渋々口を開く。


「……ヴェステライネンは……魔術師だ。それも超一流のな。術式構築から解呪、果てはゴーレム製造まで、少なくともオレは魔術に関して奴以上の人材は一人も知らない」


「凄い人じゃないですか! そんな方がこの街にいるんですか?」


「……確かに凄い。けど……けどな……」


「……才能とは常に人格を伴うものではないという事です」


 手で顔を覆った雷火に代わり、想兼が続ける。リリィは首を捻った。


「それは……どういう……?」


「……奴の人間性について、一番分かりやすい話がある。七年前の話だ」


 雷火は遠い目で語り始める。

 七年前、天使達の連合――白日連合では、ある異例の人事登用が成された。世界最大にして唯一の生存者コロニー、カルィベーリの防衛術式担当という最重要部署に、天使ではない人間の魔術師を採用したのだ。当時齢十七のその青年こそ、後年悪名を世に轟かせることになる大魔術師、ミカ・シルヴェスタ・ヴェステライネンだった。

 ヴェステライネンは元々カルィベーリに収容された生存者であり、大災厄以前からの魔術師でもあった。その類稀な才能を買われて防衛術式担当部署に配属された彼は、当時の防衛術式を一瞥して周囲に訊ねた。


「何故『Dxx(ダブルクロス)』でなく『Hutt(ハット)』なんだ?」


当時カルィベーリで採用されていた術式言語である『Hutt』は汎用性に優れ扱いも容易な、一般に魔術師達に人気の高い術式言語だった。かたやヴェステライネンの言う『Dxx』は極めて高い処理速度とカスタマイズ性を有するものの、習熟の難易度が非常に高く、人気の薄い術式言語だった。


「こんなヤワな防御、少しでもマシな頭の敵に攻撃されたら藁の家以下だ。これを組んだのはどんな素人だ? 全て構築しなおせ。それも『Dxx』でな」


 白日連合の叡智を結集して構築された防衛術式に対するその提言は、単なる妄言として黙殺された。当時の防衛機能が実際にどれほど脆弱だったかはさて置き、登用されたばかりの新人、それも天使ですらない人間に大口を叩かれた先任者たちがいい思いをしなかっただろう事は容易に想像できるだろう。

 そうしてヴェステライネンは着任早々針の筵に座らされることになり、様々な嫌がらせや不当な扱いを受け、度々食堂の隅や辺鄙な外壁で独り食事をする光景などが目撃されたが、当の本人は一向に気にする様子も見せなかった。それどころか、彼はその後更にとんでもない事をしでかした。


 ある朝、防衛術式担当の魔術師が出勤して普段通りにメンテナンスをしようとして、何やら普段との違和感を覚えた。術式の構成を調べてみて、彼はカルィベーリ全体に響き渡ったと語り継がれる絶叫を上げた。

 前日まで何の異常も無かった全ての防衛術式が、一夜の内に丸ごと全て書き換えられていたのだ。使用されていた術式言語は『Dxx』。無論、実行者はミカ・シルヴェスタ・ヴェステライネンだった。

 大勢の天使達に問い詰められて、彼は悪びれもせずに言った。


「報酬はいらんぞ。あんな穴だらけの防衛システムの中で生活するのが耐えられなかっただけだ。『D××』が扱えない? 今から覚えろ。一月もあれば出来るだろう? なに、出来ない? 俺は三日で覚えたぞ?」


 大口を叩くだけあって、彼の構築した術式は索敵・防衛・排除・燃費効率等全てにおいて以前のそれとは比較にならない程に高性能だった。先任者達は黙らざるを得ず、それ以来ヴェステライネンに表立って歯向かう者はいなくなったが、その孤立は以前に増して強まることになった。

 ヴェステライネンが道徳に悖る実験や様々な軋轢で半ば追放に近い形でカルィベーリを離れた後も、彼の組んだ防衛術式は今尚現役で運用されている。しかし、彼の術式構築は常人には殆ど理解出来ない程に複雑怪奇であり、『何故これで正常に動いているのか分からない』という状態の箇所を大量に抱えた術式は下手に他人が弄る事もできず、まるで腫れ物に触るかのように恐る恐る綱渡りで運用されているのだという。


「……まあ、いつの世も、能のあるクソ野郎は手に負えないってことだな」


 リリィはぽかんと口を開けてそれを聞いていた。


「……その人が……この街に……?」


「ああ。カルィベーリを出て、新居を構える時に一度だけ呼ばれた事がある。ここに世紀の大工房を構えるって豪語してたが、結局どうなったんだかな」


「そういえば雷火、ミカさんと仲良かったよねー?」


 笑顔でそう言うアルテミスに、雷火は口を尖らせる。


「仲良くねえよ。誰があんな奴と……」


「えー? でも、昔よく一緒にご飯食べてなかった? 私たちと知り合う前にさー」


「あれは……!」雷火は少し口籠もり、それからぼそぼそと呟く。「オレもあいつも友達いなかったから、それでなんとなく一緒にメシ食べるようになって……」


 車内の全員から注がれる憐れみの視線に気付き、雷火は「オレの事はどうでもいいんだよ!」と叫ぶ。


「モイ! 後どのくらいかかる? 無事に着けそうなのか?」


「……はい、それを今から確かめるところです」


 言うや否や、想兼は片手でハンドルを握りながらもう片方の手でポケットから大量の錠剤を取り出し、口に含もうとする。


「おい待て! ちょっと待て!」


「……はい? 何か?」


「何か、じゃねえだろ! さっきやめろって言ったばっかだろ! なんでまたキメようとしてんだよ!」


「はいぃ?」


 想兼はフクロウのように首を傾けて雷火を見る。


「分からないんスか? 集中力を高めようとしてるんですよ。この辺りは出発地点から遠くてまだ不鮮明ですからね。早いところ……」


「そういうことを聞いてるんじゃねえよ!」


 再び言い争いを始める二人に、アルテミスはまたオロオロと狼狽し、リリィは目を覆った。


「大体雷火さんだって他人の事言える程マトモに生きてるんですか? 雷火さん基本的にチンピラじゃないですか。チンピラムーブじゃないですか。胸を張ってそっちの主神に顔向けできるような天使ですか、あなた?」


「……ッ……そうは言わねえよ……でもそれとこれとは話が違うだろ……?」


「何が違うって言うんです? 自分の事でもない事に、増してや自分の事すらちゃんと出来ない人が、口を出さないでくださいよ」


「……お前……っ!」


「お二人とも!! いい加減に……!」


「わーーー!! みんな!! 前!! 前!!」


 言い争う雷火と想兼も、それを制止しようとしたリリィも遮ってアルテミスが前方を指差して叫ぶ。


「ああ? 何……」


 ふてぶてしく前を見た雷火を含め、車中の全員が絶句した。

 ミニワゴンの進行方向前方およそ数十メートルに現れたそれは、大型トラック程の巨体の――見たこともない、異形。

 まず目を引くのは頭部と胸部だけを残して他の全てを削ぎ落とされたような、全裸の少女の身体。その下に不釣り合いに巨大な四本足の胴体が付いているシルエットは、歪な人馬(ケンタウロス)を想起させる。その身体には血の気が無く肌は病的に青白い。それもそのはずであり、よく注視してみるとその全身が複数の人体で構成されているのが分かった。ただ縫い合わせたようなものでなく、まるで溶かして接ぎ合わせたかのように奇妙に人体と人体が融合している。各所には金属あるいは機械の部位も備わっており、この異形が人の手で造られたものであることを明確に示していた。

 異形はこちらに向かって四つ脚で猛然と疾走してきており、さらにその周囲にはおびただしい数の屍者の群れが付き従うかのように蠢いていた。


「なっ……何……はっ……!? おまっ……はぁっ……!?」


 全く未知の異形との遭遇と、一刻の猶予もない切迫した状況。雷火の思考は完全に停止、酸欠の魚のように口をぱくぱくさせた。


「なんですかあれーーーーー!!」


 リリィの絶叫を皮切りに、静まり返っていた車内は一気に恐慌状態に陥った。


「ななな何だよあれ!! 悪魔か!? 魔獣か!?」


「分かりません!! 何も分かりません!! やだ!! やだ!! 怖い!! やだ!!」


「モイちゃん!! ぶつかっちゃうよぉ!! 曲がって!! はやく!!」


「どこどこにも道無い無い無いです!! ああああ!! なんなのあれえええ!! こわいよおおおお!! ママーーーーー!!」


 雷火たちが慌てふためいている内にも、異形と屍者の群れはすぐそこまで迫ってきていた。


「想兼さん!! とにかく止めてください!! 止めて!!」


 意味不明な叫びを上げながら、想兼が急ブレーキを踏み込む。車体は大きくつんのめり、シートベルトを着けていなかったアルテミスが天井に頭を打ち付けた。雷火が顔を上げると、ほんの数メートルの間近まで巨大な異形が地響きを立てて迫っていた。


「全員逃げろ!! 速く出ろ!!」


 四人は一斉に車を飛び出す。直後、ハイヒールめいた形状の巨大な脚が、ミニワゴンの天井を飴細工のように踏み抜いた。

 異形が吼える。甲高く掠れ切った女のような不吉な声だ。それに呼ばれるかのように、後ろから大量の屍者達が追いついてくる。

 その時異形の背部が目に入り、雷火の顔面から血の気が引いた。遠目からでは分からなかったが、異形の背には鋭利な槍のようなものがいくつも突き出しており、そこには大量の死体が百舌の早贄の如く串刺しになっていた。死体は損壊が激しく断定は難しいが、恐らく天使のものだろうと思われた。異形に群がる大量の屍者達は、この天使の死骸が放つ残留魔力に惹かれているのだろう。


「イかれてやがる……」


 目の前の異形よりも、むしろそれを造った創作者の狂気に対して雷火は激しい嫌悪と恐怖を覚えた。どんな技術、どんな思想で製造したのかは分からずとも、誰がどう見ても正気の沙汰ではないだろう。

 想兼が魔力の弾丸を装填し、ライフルで四つ脚の異形を銃撃する。的確に頭部を撃ち抜くかと思われた銃弾は、しかしその肌に触れた瞬間、虚しくかき消えてしまった。


「あれっ!?」


 アルテミスは更に何度も発砲するが、いずれも異形に傷を負わせることなく霧散してしまう。


「なんで!? なんでなんで!?」


 狼狽したアルテミスは何度も自身の銃を確かめる。


「なんだよアルどうしたんだよ! くそっ……!」


「待ってください」


 戦闘体勢に入ろうとした雷火を、想兼が制止した。


「忘れたんスか? また魔力を使ってこんな時に気絶するつもりですか? 少しは頭を使ったらどうなんです?」


「ああ!? お前なあ……!」


「お二人とも今はそんな場合じゃ……!」


 そうしている間にも四人の、あるいは天使の死骸の魔力に惹かれてか、どこからともなく屍者の群れは増え続けていた。気付けば四方は山のような屍者に埋め尽くされ、退路は完全に絶たれていた。

 異形が咆哮し、背中の槍を一本自らの鋼の腕で引き抜き、叩きつけるように振り下ろす。雷火はリリィを抱えてなんとか転がって回避する。槍に刺さっていた死体がどす黒い血を撒き散らしながら抜け落ちて転がり、屍者がわらわらと群がった。


「どうすんだよこれ、逃げ場も無いぞ……!」


「みんな!」


 アルテミスが巨大な魔力の弓を顕現させ、目にも留まらぬ速さで大量の輝く矢をすぐ近くの雑居ビルの壁面に突き立てる。矢は階段状になっており、魔力で保持されたその矢の階段にアルテミスは脚をかけた。


「はやく!! 長くは保たないよ!!」


「よし! いいぞ!」


 アルテミスと想兼は急いで階段を上っていく。リリィを抱えた雷火がそれに続こうとした時、眼前に巨大な脚が振り下ろされた。


「うおっ!?」


「ギャー!?」


 アスファルトが砕かれ、破片と土煙が撒き散らされる。顔を上げた雷火の目の前に、四つ脚の異形が立ち塞がっていた。


「雷火ぁ!!」


 既にかなりの高さまで上っていたアルテミスが叫ぶ。


「嘘だろ……!?」


 リリィを抱えたまま四本の脚と屍者の群れを掻い潜って矢の階段を上るのは不可能だろう。戦おうとしたところで、今の雷火には魔力が使えない。状況はまさしく絶体絶命だった。


「まずい……まずいまずいまずい……!」


 どこかに活路は無いかと辺りを見回すが、屍者達はほとんど隙間なく四方八方を取り囲み、じわじわとした足取りで近付いてくる。これ以上包囲が狭まれば、異形の攻撃を避けることも叶わなくなる。

 どうすればいい、どうすれば――。

 朽ち果てた屍者達の顔がすぐそこまで迫った時、


「雷火さん!!」


 リリィの叫びで雷火は我に帰る。リリィが指差していたのはすぐ足下のアスファルト、否、そこにあるマンホールだった。灯台下暗し、脇道や包囲の切れ目ばかり探していて地面には目が行っていなかった。


「よし、掴まれ!!」


 雷火はリリィを背負って走り出す。異形が放つ槍の一突きをなんとか身を屈めて躱し、その低い体勢のまま転がるようにしてマンホールの蓋を開け、リリィと共に潜り込む。遠くからアルテミスと想兼の声が小さく聞こえた気がしたが、返事をしている余裕など無かった。





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