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act.3 フィアールカ(4)

 

 *****




 翌日の夕方、フィアは仕事を終えて一目散に部屋に戻り、湯を沸かし髪を洗った。そうして念入りに洗髪した後、髪を布で拭いて乾かそうとした。

 だが、いざ布で湿り気をふいても限界があることに気付いた。いつもわざわざ髪を洗った後、どれほどの時を必要とするのか考えたことなどなかったフィアは慌てた。

 案の定、エディがフィアの自室をたずねたとき、フィアの髪はまだ乾ききっていなかった。


「すまないエディ。布でさっきから拭いているんだが、髪がなかなか乾かないんだ。もう、編み込んでしまうから、どうかここに座っていてくれ」


と慌てたように叫び、フィアはエディに部屋の中のダイニングの椅子をすすめるほかなかった。

 けれど、エディは首を横にふった。


「さすがに女性独り住まいの部屋の中に入るわけにはいかないので。廊下で待ってます。ウィルに殺されたくないんで」


と言い、廊下に戻った。

 フィアは、必死にまだ湿った髪を指で編み込んでいった。錆色の髪をいくつかの束にわけて、三つ編みをしていく。ふんわりと編みこみながらも、外れてこないようにところどころ飾り紐で留める。

 急いだ割りになかなかの出来栄えだと鏡を確認してから、フィアは部屋を飛び出した。もちろん着替えはすべて終えていた。

 廊下に現れたフィアに、エディが「匂い対策は十分ですか?」と問いかけてきた。フィアは反射的に、


「に、匂うのか?」


と聞き返すと、エディは苦笑した。


「いえ。全然。まぁ、強いていえば、石鹸の香りはしますけど。いい匂いですよ。甘すぎなくて、果実っぽい。……ウィルの反応が楽しみですね」


 エディがそう感想を聞いて、フィアはほぅっと肩の力が抜けた。そこでやっと、ウィーゼンの待つ館に出発する気持ちになったのだった。




 ウィーゼンの家につくと、フィアはまず、ウィーゼンの体調、動きの上体をみることから始める。今日も、少々洗髪のせいで遅くなったものの、わざわざそれを説明するのも気恥ずかしくて、何も言わず、体調や身体の動きを診ることから始めた。

 痛みの部位を効いて、薬の濃度も確認する。それから薬草を浸した布を用いて目の手当を行う。湯も使い身体や首回りも温めるように心がけて行う。

 こうして一通り薬や手当を終えると、エディはいつもの通り、使用した濡れ布や盥などを片付けに寝室を出た。


 これはいつもの流れだった。エディは、片付けるために部屋をでると、まるでしばらくフィアとウィーゼンを二人きりにしてくれる時間をくれるかのように戻ってこなくなるのだ。

 エディに言わせると「片付けとお茶を入れているだけです」とのことだったが、他の使用人に任せることもできる内容なので、やはりフィアとウィーゼンのささやかな逢瀬の時間を作ってくれているんだとフィアは思っていた。


 二人きりになると、ウィーゼンがそっとフィアの腕に触れる。フィアが拒もうと思えば拒める距離と強さで、フィアの意志を確かめるように触れる。

 今日も、同じくウィーゼンはそっとフィアの腕に触れた。

 それは、まさに花束をそっと手にするときのような優しさだ。このときの優しげな腕の伸ばし方がフィアは好きだった。

 フィアも応えるようにして、ウィーゼンに負担にならない程度にそっと身体を寄せる。

 昨日は匂いのことが気にかかってから、ほとんど記憶がぐちゃぐちゃだった。でも、今日は髪も洗って万全なはず――……すくなくとも、石鹸の香りのはずで、臭い薬草の匂いはしていないはずだ。

 そう思いながらフィアがウィーゼンの腕に身をゆだねようとした――まさに、そのとき。

 フィアの視界の中で、ウィーゼンの眉がすこし上がった気がした。


「……髪、今日は編んでいるのか」


 手を伸ばした背にフィアの髪が触れなかったからだろう。ウィーゼンは、そう問いながら、髪を探すようにフィアの背に手をさまよわせた。その手は、ふいに首筋に行きついた。

 くすぐったくてフィアが肩をすくめると、ウィーゼンの手は、フィアの髪がまとめ上げられているのを確かめた。


「うなじを、さらしてるのか? 編み上げている?」

「あぁ。今、王都で流行した編み方なんだ。編み込みながら、三つ編みでまとめている」

「……そうか」


 ウィーゼンのゆびさきがおずおずと少し髪をたどるようにして、後れ毛を撫でた。だが、そうしてウィーゼンの指先が髪を撫でるようにしたとき、その手が不自然の止まった。

 髪を撫でていない方のフィアの腕を引き寄せていた手に、若干、力がこもったようにフィアは感じる。


「ウィ―ゼン? どうした?」 

「……髪が湿っていないか? 編むために濡らした? いや……これは、薬草ではないな。もっと何か甘い匂いがする」

「え、それは……仕事を終えたときに髪を洗ったからで……」

「髪を洗う?」

「うん。薬草の匂いが染みつくし……あ、今日の甘い匂いっていうのは、石鹸の香りだと思う。セツとはちがった甘くて、まるで果汁みたいな甘い匂いだろう?」


 フィアがそういうと、「そうだな」とウィーゼンは返事した。

 だが、その後の会話がうまく続かない。フィアは焦って言葉をつないだ。


「エディが部屋まで迎えにきてくれたっていうのに、まだ完全には乾ききれてなくて待たせてしまったんだ。乾かしきれないから、編むことにしたんだけど……髪を編むのも慣れてなくて……今日は、少しここに着くのも遅れてしまったんだ」


 そこまで言ったとき、ウィーゼンがそっとフィアの髪から指先を放した。


 ……え? ウィーゼン?


 ウィーゼンのあたたかな手が離れた瞬間、ふっと寒くなり、フィアは瞬いた。


 いつもなら、髪を梳くあいだ、もう片方の手はそっとフィアの腕にそわされている。それも静かに放されていた。

 髪も腕も、ウィーゼンの体温が遠のいて、フィアは突然ぽつんと一人になった気がした。

 思わず、「ウィーゼン?」と呼んで、彼の光のささぬ目を追う。


「あぁ? どうした、フィア」


 ウィーゼンはただ穏やかに返事をしてくれる。その表情にも仕草にも違和感がない。なのに、なにか突然、自分とウィーゼンに間に距離ができた気がしてフィアはさらに焦りが募る。


 とはいえ、フィアは、「なぜ撫でてくれていた手を放してしまったのか」とは問えなかった。 


――……『なぜ撫でてくれないのか』なんて聞いたらそ、まるで「撫でてほしい」「触れてほしい」とねだっているみたいじゃないか……。


 そう思って、初めてフィアは気づいた。


 ――…そうか、私は、ウィーゼンに触れて欲しいんだ。


 一気にフィアの頬が熱くなった。

 自覚した途端、心の中にぶわりと沸き起こる、気持ち。


 ――……ウィーゼンに、髪先を梳いてもらって、そして、そっと寄り添って……慈しむように触れられたい……触れたい。


 なのに、編み上げてしまった隙のない髪では、それもうまくねだることができないのだとフィアはわかった。編み上げてしまったら、手櫛をしてもらえなくて当たり前ではないか。

 同時に、ウィーゼンもきっと、私の「肌」に触れるほどには、まだ互いの距離がつかめなくて――それで、垂らした髪先をそっと梳いてくれていたのではないかと思えてきた。


 そもそも思い返せば、昨日、ウィーゼンが「フィアの髪を梳くのが好き」と言ってくれていたではないか。それなのに、翌日にはこんな編み上げて会いに来ていては、まるで髪を梳かれたくないみたいではないか。

 フィアは自分の行動に青ざめた。

 染みついた髪の匂いをとることばかりに気を取られて、昨日、ウィーゼンが「フィアの髪を梳くのが好き」と言ってくれていたことを忘れていた。髪の匂いだって、情報源だと言ってくれいた。

 いや、でも、さすがに薬の匂いをさせて恋人に近寄るのは、辛い……。かといって、今から髪をほどいて「触ってくれ!」なんて、さすがに……言えない。フィアの中で、気持ちがこんがらがっていく。


 そばに近寄りたい。

 けれど、きっかけがないとつかめない。

 そのきっかけがきっと、「髪」だったのだけれど――……。


 フィアは心細くなりながらウィーゼンを見上げた。

 ウィーゼンは目を伏せている。

 彼の目はまだ癒されておらず、フィアと視線を合わせることがない。彼は視覚には頼れないのだ。

 触れて、香りをかいで、耳で聴いて、味わって、互いを知りあっていくのだ。

 なのに、今、自分とウィーゼンは触れてもおらず、香りを感じるほどに密着もしておらず、互いに黙りこくってしまい、もちろん味わう口も閉ざされたまま。


 今まさに、ウィーゼンとフィアは、もう少しで触れるというのに、触れられないまさに髪一筋の間をとって、ただ黙ってそこにたたずんでいるのみ。

 療養中ため、寝台で上体を起こしているウィーゼンと、そばに腰かけているフィア。

 何気なくいつもなら髪に触れながら話しているのに、髪にすら触れず、距離が保たれていると、互いの相手の気持ちもわからなくなっていくようだとフィアは感じた。


 そのとき、突然、扉をたたく音が響いた。


「エドラストです。入ってよろしいですか」


と声がして、エディが部屋に入ってきた。風が動く。茶器の爽やかなお茶の香りが漂う。

 エディ―は茶器をのせたトレーをもったまま、ウィーゼンとフィアを交互に眺めた。


「お茶を持ってきたのですが……二人とも、妙な顔つきですね」


 エディの言葉に、フィアは息をのんだ。その横で、ウィーゼンが、


「妙とは?」


と、落ち着いた声でたずねる。

 フィアはそのウィーゼンの声音があまりに平坦なので、逆に少し落ち込んだ。フィアからすると、今、ウィーゼンとフィアは、微妙に距離ができていて、ここ数日の親密さからすると「妙な」具合になにかすれ違ったような雰囲気だった。

 けれど、ウィーゼンはあまりそんな風に感じてないのかもしれない……。フィアから手をはなしたのも、触れることがないのも、単に気のせいだったのかもしれない……。


 だが、エディは重ねて言った。


「妙ですよ、二人とも。フィアは、妙に硬い表情ですし、ウィルは……」

「私?」

「ウィルは、”フィアが足りない”って顔ですかね」


 エディの言葉にフィアは驚き、ウィーゼンの顔を見た。だが、どこからもエディの言うようなことは読み取れない。目は閉じられているが、引き結ばれた口元も、眉も頬も、別にゆがむことなくひきつることなく、穏やかなようにフィアには思えた。


「……エディ、何を言う」


 穏やかな顔つきのまま、ウィーゼンがエディにそう言った。さすがに声が若干低くなったようにフィアにはとらえられた。


「何って、そのままです。フィアと触れ合ったり、話したりする時間が足りなかったのかな、と。私は、もうすこし、後で来ますね」


 エディは飄々とそう言うと、茶器をサイドテーブルに置いて、部屋を出て行こうとした。その横顔に、フィアは思わず叫んでいた。


「待って!」


 思いのほか大きな声になり、部屋に響いた。驚いたようにウィーゼンがフィアを見るのが目の端に捕らえられた。エディの方はまるで予想していたかのように平然とフィアを見返してくる。


「何です?」

「い、や……あの、もう少し、ここに……」

「なぜ、私が必要なんです」

「え……あ、なんというか」


 フィアはしどろもどろになった。どうして呼び止めたんだろう――……ウィーゼンと二人きりになるのが嫌なわけではない、むしろ、ドキドキとして胸があたたかくなる。でも、今は、今日は……どうしていいかわからなくて……。

 助けを求めるみたいに、エディを見上げた。

 すると目があったエディはフィアに、すっと細めた目を向けた。

 見下ろしてくる切れるナイフのような視線に、久しぶりにフィアはゾクッと背筋が凍り、身体の動きが完全に止まる。


「勘違いしないでください。あなたが話し、わかちあうべき相手は、”ウィーゼン”でしょう。私を会話の逃げ場にするなんて、無意味ですね」


 久しぶりに、エディから冷えた言葉を投げられた気がした。

 エディは――……最初からそうだったはずだった。エディにとっての一番は「ウィル」であり、主であるウィルのため、ウィルが望むから、フィアの相手をして話しているのだった……ということを、フィアは思いだした。 


「あ……あぁ、うん」


 フィアは、よくわからない返事をして、頷いた。


「では、失礼。それから、ウィル、フィアに、きちんと、話した方が良いですよ」


 謎めいた言葉を残して、エディは部屋を出て行った。



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