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act.3 フィアールカ(2)


 ******





「フィア、今日はセツの花をあつかったんだな」

「え? セツの花?」


 ウィーゼンの言葉を、思わずフィアは聞き返した。


 自分を引き寄せているウィーゼンのそばから、少し顔をあげる。

 ウィーゼンといえば、そんなフィアの戸惑いも気づかぬように、ただ幸せそうに腕の中の錆色の髪に指を通してはフィアの髪の感触を楽しんでいる。


 さらさらと毛先まで指を通してはその髪先をいじる大きなウィーゼンの手。それは一見武骨に見えるごつごつした手だが、実は彼の指先はフィア自身よりも繊細に優しく髪を梳く。

 あまりに気持ちの良い手櫛。その感触に思わずうっとりしそうになる。

 だが、今はフィアの薬草師としての疑問が、そんな自分を引き留めた。



 ……セツの花? 今日の手当に使ってないのに、なぜ?



 今のフィアとウィーゼンは、先日、紆余曲折の果てにやっと正体をさらし、積年の想いを言葉にした間柄となっていた。

 とはいえすぐウィーゼンの身体の状態にしても、フィアの性格にしても、想いを告げ合ったからすぐに「べったりの恋人同士」になれるはずもなく、その後もこれまでと同じようにフィアはあくまで「薬草師として」、ウィーゼンの家に通っていた。


 今日もいつもと同様に、薬店の仕事を終えた夕方、エディの迎えとともにウィーゼンの家に来て、ウィーゼンの手当を終えたばかり。

 ただ少し違うのは手当を終えて、エディが盥や使い終わった布を片付けて不在にしている間……つまり、つかのまの二人きりの時間に、ウィーゼンがそっとフィアを手を引いて傍に寄せることだった。


 抱き寄せるとまではいかない、手をそえて引き寄せるような仕草。

 それはまるで花束をそっと抱えるような静かでやさしい腕だった。身体もそれほど密着するわけではない。

 目の回復がすすまないウィーゼンは、まだ暗闇の中にあり、フィアの存在を確認するために、傍に引き寄せる――そんな所作なのだ。そうして、ウィーゼンは指でそっとフィアの髪を梳くのだった。

 それ以上に触れようとはせず、ただ、髪を愛しそうに指で梳く。ときに、そっと髪先に口づける。


 かつて、ウィーゼンとフィアは、床を共にした仲だった。

 でも、さまざまなことがあり、別れがあり、再会したときには互いに心身の状態がまた大きく違っていた。けれども惹かれあうことは止められなかった。

 そうしてやっと先日、互いに想いあう気持ちを口にできたのだが……そうそうに昔ほどにすべてを晒して密着するほどにはまだ近づけずにいる。想いを交わしあったときだけは抱きしめられたが、それからは、情熱的な態度は互いにとったことがない。


 それは彼の体調のせいというよりも、まだ想いを確かめ合ったものの、お互いにどうしたらいいか距離をつかみかねているゆえの、気恥ずかしさのせいな気がした。

 すくなくともフィアは、そうだった。

 ウィーゼンに触れたいと思っても、薬草師としての施術以外で、自分から彼に触れようと手を伸ばすなど……想像するだけで、全身が真っ赤になってしまう。

 もどかしい気持ちをうまく表にすることもできない。 


 そんな二人の逢瀬的なことといえば、薬草の施術が終わるとウィーゼンが遠慮がちにフィアをそばに引き寄せて髪を梳く――これに尽きた。そして別れ際、ときどき、手指をそっとつなぎあわせる。それがやっとの、今の二人なのだ。

 照れるけれど、くすぐったい嬉しい気持ちがフィアの胸に満ち溢れる――そんな触れ合いのひととき。


 今もまさに、そんなささやかな触れ合いのまっただ中だったのだが――……、フィアはウィーゼンの言葉が妙にひっかかりをおぼえ、首をかしげた。


 ……セツの花?


 フィアは、今、自分がいるウィーゼンが横たわる寝台の枕元の周りを見回し、自分が持参した香油瓶や薬の瓶に目をやる。


 ……今日のウィーゼンの手当の薬や香油には、セツの花入りのものはないはずだ。


 今日は雨模様だったこともあり、さっぱりとした使い心地で香りも清涼なものになる薬や香油を使った。今も、自分の指先も今は鼻通りがよくなるようなスッとした香りが若干残っていることだろう。


 それに対して、ウィーゼンの言う「セツの花」とうのは雨期明けに咲く、甘い香りの花。

 ふうわりと頬がゆるむような甘く優しい匂いは、フィアの大好きな香りであるものの、今日、ウィーゼンの手当には使っていない。


 どうしてそんなことを言うのだろう、どこからセツの花の香りがするのだろう、と問おうとした、まさにその時。

 髪をすいていたウィーゼンが、フィアの髪先を少し取ったかと思うと、口づけた。

 フィアの髪をいつくしむような優し気な表情と、味わうようにゆっくりと髪先に口づけるウィーゼンに、フィアは照れのような恥ずかしさのようなむず痒いものが身体に沸く気がした。

 恥ずかしくって、身をよじりたい……。

 なのに、自分の髪に口づけるウィーゼンの形のよい男らしい唇から目が離せない。


 その形良い唇が開いて、ウィーゼンが言った。


「髪からセツの花の匂いが香っている。今日、仕事でセツの花を扱ったんだろう?」


 楽しそうに弾んだウィーゼンの言葉に、フィアは納得がいった。


 ……あぁ、なるほど髪から香っていたのか。


 フィアはうなづいた。


「よく気付いたな、ウィーゼン。そう、今日は朝からずっとセツの花を扱った。セツの花は煮出すと匂いがとんでしまうから水蒸気蒸留を使うけれど……とにかく大量に花が必要なんだ。店内もセツの花の甘い香りに満ちていた」

「この花は、あの昔くれた草かぶれの軟膏にも使っていただろう? なんだか安心する香りで、好きだ」


 ウィーゼンの言葉にフィアは気持ちが弾み、フィアもまた自分もセツの花の香りが好きなことを言おうとした時だった。


「こうしてフィアの髪を梳いていると、フィアの仕事場が少しでも感じられて楽しい気持ちになる」

「……仕事場?」

「あぁ、フィアは薬店で働いているだろう? 草木の仕入れ時期や調合の予定で変わるんだろうが、日々変化する香りで、フィアがきっとたくさんの薬草を前に真剣に仕事をしている姿が思い浮かぶ」


 ウィーゼンの言葉の中に、フィアは、再び引っかかりを感じた。


 ……日々変化する香り?

 ……たくさんの薬草を前に仕事する私?


 フィアはおそるおそる、ウィーゼンにたずねた。もともと、素で話すと男言葉が抜けないのだが、さらに強張った口調になる。


「その……本当のところを聞きたいのだが、私の髪は、そのように毎日、香りが変わっているのだろうか……」

「あぁそうだ。そうか、フィア自身は気づいていなかったんだな」


 ウィーゼンが嬉しそうに言った。そして、まるで味わうかのようにフィアの髪先にもう一度口づけてから言った。


「今日はセツの花。昨日は、おそらくアミデの葉かな? スッとする匂いだった。一昨日は私も知らない匂いだな……あぁ、咳に効く薬液があるだろう、あれの匂いが濃くなった感じだ」

「咳……きっと、ヌルの草だな……」

「その前の日……あれはたぶん、ギジリ草の匂いだ。砦にこんもり生えていて、手が空いた者達で草刈に励んだが、刈っても刈っても生えてくるのを思い出した。あれも薬草になるんだな」

「……あぁ、そうだ」

「それからその前日は……あれは、ドグの薬草茶の匂いだった。身体が健康になりそうな香りだな」

「……」


 ウィーゼンが嬉しそうに、ここ数日の匂いの記憶を告げてゆく。

 告げてゆくたびに、フィアはだんだん気が遠くなる気がした。


 ……まさか、まさか、髪に匂いがしみてるのか……。


 呆然としているフィアに、ウィーゼンはその男らしい顔を、ほんの少し照れたようなぎこちない表情をうかべた。


「フィア。髪の香りに固執するなんて、私はすこしおかしいのかもしれないが……今の私にとって香りは重要な情報源なんだ。フィアのおかげでこうして上体を起こしていられるようになった。痛みが軽くなり、頭の中が整理されるようになったから、目は見えないが、過去の情報をずいぶんとエディに口述筆記してもらえるようになっている。昔の上司や部下とのつながりから、軍術指南役をしてもらえないかと声がかかりはじめたくらいだ」

「そうなのか? よくわからないが、先生みたいなものか?」

「まぁそんなものだが……さすがに、引き受ける返事はまだしていないが……。とにかく、こうして、フィアの髪を梳くのは好きなんだ。心がやすらぐ。焦りが消えて、ゆっくりとでも、一つ一つ、挑戦してみようと前向きになれる」

「あ、あぁ……そう思ってもらえるなら……うん、嬉しい」


 そうは答えたものの、フィアは今にもウィーゼンの手をふりほどいて、恥ずかしさで絶叫して家にひきこもりたいほどだった。


 ……今日は、いいんだ、セツの花、だから……。香りの人気が高い、セツの花だから……。そりゃ、安らぎの香りになるだろう……。


 言い聞かせるようにして、フィアはウィーゼンの髪を撫でる指先を今まで通り心地よく味わおうとする。

 だが、どうしてもうまくいかなかった。


 ウィーゼンが、ここ数日の香りとして並べた草。ここ数日、フィアが朝から夕まで真剣にとりあつかってきた草の種類。

 それは、独特の香りのものたち。


 ……アミデやヌルなら、まだ、かろうじて許せる匂いだろうが……。

 ……ドグの草……。


 フィアは、ぐっと手を握り締めた。



 ドグの草……それは、まるで煙にいぶされたような、渋く苦々しい香りのする草として有名な草。

 はっきり言ってしまえば、あからさまな人間であれば「鼻をつまむ」匂い。


 ……あれは、ぜったい、癒しの香りにならないだろう。


 フィアは後悔した。

 「逢引き前には洗髪と着替えが鉄則」――……という薬草店につとめる者たちの教訓、先輩の助言を失念していたことを、激しく後悔したのだった。



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