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act.2 ウィリアム・ローウェル4


 彼女と出会ったその夜は、久々に雨も上がり、比較的涼しい夜だった。

 私は宿を探しをしている雇われ剣士のなりをして、安宿が並ぶトエルの裏道を歩いていた。

 

 日の落ちた夜の街だが、ランプの灯りを持った春を売る女がいて、けっして真っ暗闇にはならない裏道。すでに客と思わしきものと連れ立って歩くものたちもさざめいている。

 性がさまざまな形でうごめく夜の街。

 そこで身体を売る者は、高級娼館にいるような「肉感的な女」だけとは限らない。年端もゆかぬ少女も白髪交じりの高齢な者も、少年も男もいる。

 あからさまに口にはしにくいであろうそれぞれの性癖を抱えた者達が、相手を探しもとめる街だ。布で顔を半分ほどかくして歩く者たちも多い。私もまた「雇われ剣士」という仮の姿で大差はない。


「さて、今日こそ見つかるといいが……」


 ひとりごちて、背の大剣を背負いなおしたときだった。

 遠く、薄明りに浮かび上がる銀色が目をかすめた。


 ふいの輝きに、まさかと思って目で追いなおす。

 ――いたっ!

 ゆったりと歩く少女の背中に流れゆく銀色が、鮮やかに目に焼き付いた。

 

 仄暗く淫猥さと獣じみた熱気はらんだ場末の道に、そこだけ清らかに儚げに銀糸の雨が煌めいているかのよう。

 迷わず私は後をおいかけていた。


 追いついた彼女の背は、明らかに戦いや潜入捜査とは無縁で生きて来た、完全に無防備な後ろ姿だった。もしこれが「演技」なのだとしたら、相当な曲者だろう。

 警戒を解いてはいけないのはわかっているが、私は、探し当てた銀髪のこの女は、軍事的な訓練を受けたことが皆無な者とみなした。


 振り返られても不審に思われない程度に背後から近づいてみる。遠くからみたよりも案外背丈があることがわかった。

 あまりに華奢な後ろ姿に成人女性と思えなかっただけで、よくよくみればその歩き方は女性のしなやかさを伴うもの。背中にゆれる長い髪は、薄暗がりであってもわかる、見事な銀。

 身体にそうような衣服だが露出はすくない。華奢ともいえるし痩せすぎているともいえる後ろ姿からは、『売春婦』なのか武器売りの仲介者なのかは判別がつかなかった。

 頭の中で声の掛け方を算段しながら、後をつけていく。

 

 自ら声をかけてつながりを作るか、それとも相手から声をかけるように場をつくるか……。

 

 そのときゆるやかに夜風がふいた。

 よどんだ場末の道に、一瞬爽やかな風が通る。


 目の前の銀色の長い髪がさらさらと揺れた。風に流れるさまは見事で、ほんの一瞬、触れたいという思いが湧いた。


 ……馬鹿なことを。


 自分の欲を相手にゆるがされては、我が部隊の隊長として名折れだ。

 頭の半分ではわかっているが、手指はその銀色をそっと梳いてみたい気がしていた。

 不思議に誘われる髪。

 その静かで消えそうなたたずまい。

 根の張らない水草のように人の流れのなかをゆっくりと進む細い背。

 すべてが、何か幽玄で、幻のようで引きこまれる何かがあった。


 ……本当に、馬鹿なことを。夢想は昔に捨てたはずなのに。


 ふいに、まるで私の邪な想いを見透かすかのように、目の前の華奢な背が止まった。

 ぎくりとして私の足も止まる。

 ちょうどそこはトエルの街の”裏通り”から、本通りの”通常の街”へとつながる角だった。

 彼女はそのまま道の片隅に寄る。

 人待ちでもするのかと思えば、女性は手にしていた籠から大きな髪を取り出した。ざっと広げ、髪を覆うベールのように巻きはじめた。


 ……あぁ、もったいない。


 銀色の髪が隠されてしまう、それではいけないのだ。

 私が求めるものは――……



 求めるものは?

 

 

 私の足が勝手に進み出る。髪に布を巻きつけようとしている彼女の背を追い越すようにしながら、彼女の方を振り向く。

 銀の髪の者の顔を確認しておかねばならない仕事からか?

 それとも、単に彼女の瞳を見てみたいからなのか――……。


 銀の髪を半分ほど布で隠しかけていた彼女が、あからさまに振り返った私を見上げる。

 目があった。


 ……あぁ、紫水晶だ。

 

 彼女もまた私を見て動きをとめ、互いにしばし見つめあったような気がした。

 単に客になるかどうかを値踏みしたのかもしれないが――……彼女は、突然、ふいに微笑んだ。


「……剣士様、一晩、どう?」


 彼女の唇からこぼれた言葉は、商売女の客引きそのもの。

 私の中に蓄積された経験のどこをとっても、その女の態度も言葉も「特別」なものなどはありはしない――……。

 それは頭の中でわかっている。

 軍人学校を卒業後、任務について以降、過去一度もこのように惑ったことなどない。

 情報を得るための会話の主導権のありかを意識せずに誘いに応えたことなど、一度だってないのだ。

 なのに、なぜか彼女を前に、私は幼子のように素直に頷き、まるで自然に問うていた。


「……名は?」


 私の言葉に紫水晶の瞳はきらめき、風にゆれた銀糸が彼女の白い頬にかかる。細い指でかかる髪をするりとよけて、小さな唇が動いた。


「紫龍。紫の”龍”」

 

 ――……龍。



 薄暗い夜道に立つはずなのに、青空に降る晴れ雨の幻が見えた気がした。


 


 ****




 任務を忘れたわけではなかった。

 安宿の部屋にいくまでの間に、彼女から少しずつ話を引き出すこともおろそかにしなかった。

 銀の髪が珍しいこと、他に知りあいはいないのかということ……。その奥にシーリンに関する情報がないか気を張りながら、何気ないふりをして会話をすすめてゆくことを怠りはしなかった。

 だからすぐに、話していてすぐに、この銀の髪の女が、すでにシーリンの民との連絡が途絶えた孤独な状態にあるであろうことはわかった。 ”シーリン”の民としての情報を得るにはこころもとない情報源ということも、その価値も。

 身のこなし、周囲への気配のとらえ方、まなざしの行方。

 どれを取っても、そこに「手練れ」だとか、何等かの訓練を受けたような形跡はなく、さらに身を売る女としての誘いや艶言葉もぎこちなかった。

 そもそも会話をしているうちに、微妙に男言葉のような断定的な物言いがまざることから察して、普段はその女性らしい容姿とは真逆にさっぱりとした話し方をする人間なのかもしれないと見当すらつけた。


 そういう冷静にものごとを見るまなざしがありながら、私のもう一つの目は、ただただ彼女の銀色の髪に、紫水晶に、白い肢体に、果実ように色づく肌のひとつひとつに惚けていたような気がする。

 

 寝台にあおむけになる私の上で彼女が長い髪をさらさらとながれさせて私を見下ろしたとき、その流れゆく銀糸の髪が、雨のようだと思った。

 彼女が私の頬に口づけると、銀糸の雨が私に降る。濡れない雨は、今、汗でしっとりと肌にまとわりつく。


 雨を降らす、龍――……。

 私の憧れそのもの。


 指に触れ、その銀糸にふれると、その細い髪はランプの光にきらめいた。


「何を笑っているの?」


 あまり言葉も声も発さなかった紫龍が、私の表情に気付いたのかそんなことを聞いた。怪訝な表情をしているというのに、ほんのりと上気した頬が艶やかで美しかった。


「……俺は……、笑っているか」


 問い返せば、紫龍は頷いた。


 そうか、私は……いや、俺は……笑っているのか。

 笑えているのか。


 ――……意識的に笑みを作らずとも。


 私の顔をじっと見ていた紫龍の髪にもう一度、指を通す。

 いつまでもいつまでも通していたくなる、銀の髪。花のような甘い香り。

 

「この髪、雨のようだとおもったんだ」

「雨?」

「そう……大地を潤す銀糸の雨のようだ」 


 私の呟きに、二つの紫水晶の目がほんの微かに見開かれた。驚きをあらわすかのような表情を見つめていると、彼女はまた落ち着いた表情へと戻っていく。

 ただ彼女の口元が、自然とやわらかな笑みを描いているように感じた。

 不思議に思って彼女の表情を目で追っていると、気付いた彼女が自分の銀糸の髪をつまみ、遠くを見るように目を細め、


「……昔……亡き母が、同じようなことを」


と、小さな声で言った。

 宝箱の蓋を開けるときに息をひそめるような、声音。

 そのときの紫龍の表情はとても穏やかで、なぜだかそれを見て私は安堵した。

 

 彼女に惹かれた理由をさがしても、すべてとしかいいようがない。

 どこがどうと説明がつくわけでもない。

 けれど、ゆるやかに弧を描く口元、硬さをかんじさせぬ目元や頬、あまり言葉を発さぬのに、こちらの雰囲気をそっとくみ取るかのような優し気な雰囲気、すべてが心地よかった。

 そして離れるのが苦しく悲しく、ずっとそばにいたいと思う何かが私の中に生まれた。 

 

 


 私は、昔、龍になりたかったが、なれなかった。

 枯れた大地に恵みの雨をもたらす者になれなかった。

 龍に会いにいくための剣も、歪んだものとなった。

 こどもの憧れは霧散した。


 霧散して、消えたはずだった。


 だが、私は世界の片隅にそっと生きる龍に出会った。

 ささやかに、涙ぐましいほどつつましやかに、けれどゆるぎなく確実に、雨を降らした龍に。

 枯れた心に慈雨をもたらす龍に会ったのだ。

 



 ****




 エディが私のかつて育った家から持って返ってきた本を、ふたたび撫でる。


 今や、光をささぬ私の目の裏。

 けれども頭の中に鮮やかに残る、龍の絵物語は健在だ。懐かしい本に触れたことで、ふわりと思い出した昔のこととともにフィアに話せば、どんな反応をするのだろう。

 彼女は、今でもときおり「紫龍」であった過去を憂う時がある。話していると、ときどき声を震わせているときがあるのだ。

 実はその「紫龍」という名前ひとつにも私は惹かれたのだと話せば、彼女の心は少し軽くなるだろうか。

 だが、それは、どこか彼女を縛りつけてしまう気もした。私が想いを告げれば、優しい彼女はますます私の元に通わざるをえない心境になりはしないか。


 そんなことを考えたとき、かすかに、エディとフィアの足音が耳にかすめた。他の使用人達が彼らを迎え入れる声がする。

 仕事場からこちらに着いたのだろう。

 近づいてくる気配に扉をたたく音。


「ウィーゼン?」


 フィアのやわらかな声がする。

 私は「入ってくれ」と返事をする。


 彼女の送迎すら自分で出来ぬ自分を、男として情けなく感じない日はない。

 こんな子供向けの本ひとつでも持ち上げるにも指が震えて痛む身体を『不甲斐ない』と思う。

 だが、この私から「錆色の染める染粉」を渡された彼女の心中を思うとき、すべてに耐えねばと思う。

 私のあらん限りの愛情を持って、彼女を迎えようと思う――フィア自身が、私の元を去ろうと考えるその時まで。

 

「フィア。よく来てくれた」


 私は見えぬ光を求めるようにして、扉の方へと顔を向ける。

 そこにたたずむであろう小さくともしなやかで強い気配に吸い寄せられ、私は自然と微笑む。

 寝台のそばまで近づいた彼女から、ふうわりと薬草のすがすがしい香りがした。

 私はそれを吸い込み、彼女がもちこんでくれる外の世界をかんじる。

 その時だった。


「ウィーゼン、これは子ども向けの本?」


 不思議そうなフィアの声がした。枕元の本に気づいたのだろう。


「あぁ、私が、龍が大好きだったことは、前に話しただろう? かつて読んでた本だが、エディが本家で見つけて持って返ってきたんだ……」

 

 説明すると、フィアの「あぁ」という肯定のことばと頷く気配。

 それは出会ったときとかわらぬ、控えめなたたずまいを感じさせた。


「何度も読んだあとがある。相当、好きだったんだな」


 フィアが弾むような声でそう言った。

 その声は私にもうぬぼれでなくはっきりと伝わってくるほどに、優しく愛しむような声音だった。


 胸が一瞬、締め付けられた気がした。


 いま、彼女の髪は錆色なのかもしれない。けれど、髪が何色であろうとも、彼女が何者であろうとも私の唯一の宝もののような煌めく存在なことはかわりがない。

 光を映さぬ瞳にすら、恵みの雨のきらめきは、いつまでもいつまでも鮮やかに残っている。


 ーーだからこそ、伝えてみようか。私こそが勇気をださねばならないのではないか。


 この本の物語をフィアに伝えながら、「紫龍」に出会えたことが、どれほどまでに私にとって奇跡であったかを。

 私がどれだけ、恋い焦がれるてきたかということを告げねばならないのではないか。

 私から、もう一度、あなたに近づくための勇気をーー奮い立たせせねばーー……ただ、待つだけの身で終わらせないために。 

 エディにまんまとのせられた気もするけれどもーー……。

 


 こうして私は、ゆっくりと口をひらいた。

 錆びを落とし、過去も今も、あなたに変わらぬ想いを告げるためにーー……。

 互いに幾つもの名があっても、互いを見失わないために。




 私は、彼女に呼びかける。

 彼女に愛のことばを紡ぐために。






 fin.

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