不死者は英雄の死を試す
俺は不死者だ。
人は容易く絶命する。生があれば死がある。それなのに俺は500年も以前から死ねないでいる。魔女狩りも疫病も経験した。飢餓も戦争も体験済みだ。長い記憶の羅列に過去は殆ど忘れた。両親や幾人の恋人の面影は僅かに覚えている。だが、俺は何処で生まれ、育ったのかが思い出せなかった。昔は不死では無かったように感じる。気付いたら永く生き続け、執拗に死を求めて世界を旅する浮浪者になっていた。
俺は死を迎える為にあらゆる事を試した。出血多量や殴打、切断等の基本的な死の他に、毒を煽った事も、危険生物に襲われた事も一度ではない。餓死だってある。重病にわざと罹った事も、劇薬を注射した事もある。悪人を故意に挑発し、銃を連射された事だってある。爆発に巻き込まれたり、機械に挟まれたり、最近では真空の驚異に晒されたり、深海の圧力に潰されたりした。身体を細胞レベルでばらばらにされた事もある。とにかくあらゆる事を試したのだ。
身体が傷付けばちゃんと苦痛を感じる。場合によっては身体が急速に冷え、硬直していく。恐怖と悍ましさ、一種の悦楽が混じり合った感情に満たされ、視界がブラックアウトし、俺は死を迎える。
だが、ふと気付けば〝俺〟がいる。
意識が戻り、何事も無くその場に立っている俺。死の記憶があるのに、健康体そのものの身体でいる。
存在出来ないよう死のループに陥ろうとした事もある。全身に重りを付け、海に飛び込んだのだ。二度と浮上しないよう体重の何十倍もの重りを括りつけた。こうすれば意識を戻そうとしても死に続け、ループに陥る筈だ。だが、駄目だった。目覚めたら海上に浮かんでいた。重りは綺麗に無くなり、俺はただ海洋の真っ只中に漂っていたのだ。周囲には何かの破片が散らばっている。しかも船舶が通るルートだったようで、二日後に俺は助け出された。船長にどうして遭難したとか色々聞かれたが、俺は何も答えなかった。答えようが無かったのだ。近くの港に下ろされ、また俺は振り出しに戻された。
また、吹雪く山頂で眠った事もある。そのまま意識は永遠の眠りへといざなわれる筈だ。凍死は今までで最高だった。始めは身体が火照って仕方が無かったが、痛みも感じないまま睡魔が襲って眠りに付いた。これで死に抱擁されたらどんなに幸せだろう。だが期待は裏切られ、気付けば山の麓に立っていた。何度やっても同じと悟り、俺はしょんぼりと山を後にするしかなかった。
安らかな死を迎えられずに、俺は荒んだ心で歩き続けた。還る場所もない。ただ生を放浪するだけ。通り過ぎていく人々を俺は恨めしそうに見た。無邪気な子供の集団。若々しい女性。車椅子を押す成人と乗る老人。死を享受出来る人。羨ましく、妬ましかった。何故俺は死ねない。今度はどのようにして死のうか。どうやったら成功するのだろう。別の方法は無いのか。
俺はそればかり考えていた。思い付く限りの死因は試したのに、未だに俺は存在している。とうとう行き詰まってしまった。俺というものを終焉に導きたい。長い長い生の歴史にピリオドを打ちたい。
俺は不死について考えてみた。物理的傷害が不可能という事は何か神秘的な力、魔術が絡んでいるのだろうか。それならばいつまで経っても死ねないのは納得がいく。俺は立ち止まり、天を見上げた。
もしかしたら両親に魔術を施されて不死となったのかもしれない。賢者の石やエリクシルを飲まされて、永遠を生きる事となったのか。神聖な河に身体を付けられ、不死となったのかもしれない。いや、竜の血だろうか。もしくは東洋の人魚の肉でも食わされたのか。神の酒杯や黄金の林檎、富士の霊薬を口に含まされたのかもしれない。ただ単に、神の気紛れなのか。
それが事実なら、普通に死のうとしても不可能だ。死ぬのに〝限定〟な事をしなければならない。伝説上の不死者は通常訪れる死を容易く跳ね除けてしまう。だが、彼らにも弱点があるのだ。弱点を突かれた時、偉大なる英雄にも死が訪れる。俺はふと思い付いた。
英雄の死を真似る事で、生が崩壊を辿るのではないか。
そのアイデアに俺は笑い出しそうになった。どうして今まで気付かなかったのだろう。やってみる価値はあり、時間も充分にあった。俺は古代の文献を読み漁った。不死となった英雄は何人かいた。中には神もいたが、俺にとってはどうでもいい事だ。不死者が死を向かえる。必要な情報はこれだけだ。幾つかのシチュエーションを頭に詰め込むと、俺は屋外へ出た。
協力してくれる仲間を探し、みすぼらしい浮浪者を一人掴まえた。運良くポケットに入っていた硬貨を握らせ、俺に矢を踵に撃ち込めと指示した。浮浪者は怪訝な表情を浮かべたものの、お構いなく弓矢を押し付ける。弓矢は文献を元に手作りした。不格好になったが使えるだろう。俺は人気の無い路地裏で仁王立ちとなり、足元の攻撃を待った。弓を使った事が無い浮浪者は散々失敗を繰り返したものの、遂に俺は踵に矢を撃ち込まれた。鋭い痛みが襲う。だが、死なない。
そもそもこの部位が弱点にしても、瞬間的に致死に至る筈が無い。俺は踵の矢を引き抜いて血の流れるままにしておいた。浮浪者はとっくに逃げていた。一度凝固しそうになったので、矢で抉り直す。徐々に失血の症状が表れ、動きが鈍ってきた。俺は壁に座り込み、深い眠りに付いた。
ふと意識が戻った。踵の怪我を見るも何ともない。血も綺麗さっぱり消えていた。俺は失敗した事を悟った。これで凹んでいてはいけない。まだ英雄はいるのだ。
半人半獣の種族の血は探しても手に入らなかった。九つも頭がある水蛇もいなかったので、仕方なく俺は人間の血と蛇の猛毒を服に浸した。赤黒く変色した衣服を着てみると、ベタベタして気持ちが悪かった。思わず悪態が口を付く。だが、徐々に全身が痺れ、視界が霞んでくる。神経系が侵されていく。苦痛に呻きながらも俺は準備していた薪に横たわり、火を点火した。燃焼剤をたっぷり含んだ薪は勢い良く燃える。焼死は酷い痛みを伴うので歓迎したくない。ワーストランキングで言うと片手の指に入るだろう。だが、目的成就の為に仕方がなかった。俺は七転八倒をしながら息絶えた。それなのにまた復活して、死に損となってしまった。
次に俺は背中を刺してみる事にした。
協力相手に思いっきり刺してくれと念を押す。今度は小悪党的な奴だったので愉快げに了承してくれた。ご丁寧に丸く印を付けて、俺は水面へかがんだ。ピンポイントで激痛が走る。ふらついて水面へ落ち、後はいつもと同じパターンだった。痛覚が刺激されて、徐々に視界が暗黒に染まる。そしてまだ俺は存在している。
第四に俺は木に登り、ヤドリギをちぎってきた。細い枝を何本も束ね、矢を作る。文献によっては投げ槍となっているが、問題は無いだろう。死の神はそこまで細かく無い筈だ。ヤドリギは常緑で不滅を表すらしい。不死となった神を殺した植物。これなら俺の不死を吹き飛ばしてくれるかもしれない。以前よりも神秘性が増し、期待が高まった。俺は広間の真ん中に立ち、心臓にヤドリギを撃ち込むよう相手に言った。文献通り相手を目隠しにして、撃つ場所を支持しながら。かくして俺は心臓を矢で刺し貫かれ、暗黒が訪れたものの、やはり成り行きは同じだった。
俺を創った創造者は全ての被造物に対し、俺を殺してはならないという命令でも与えたのだろうか。それが本当なら余りにも過酷過ぎる。誰も俺の為に泣かなくていいから、終りを与えて欲しい。俺は死に神に嫌われているのだろうか。もし死に神が見えるのなら、そいつがいる方へ枕を向けてやれるのに。
いや、諦めちゃいけない。何処かに死への血路がある筈だ。
俺は更に文献を荒らし、マイナーな英雄も試してみた。腹這いになって、鋭い車輪で膝から下を切り落とした。激痛と一種の恍惚感が訪れ、俺は復活した。兜の紐で首を絞めてみた。いや、俺は槍を通さない程身体が固い訳ではないが、万が一成功という事もある。結果はほぼ予想通り失敗だった。
一か八か、変わり種の英雄を信じて髪を丸刈りにしてみた。力を失って、そのまま圧死出来るかもしれない。俺は火薬を盗み、廃墟を爆破した。瓦礫が雨霰と降り注ぎ、凄まじい重圧に押し潰される。それなのに俺は建物の外で立っていた。畜生! どうして無傷で復活する? おかしいだろ!
人混みを押し分けて、俺は苛立ちながら街を早足で歩いた。英雄の死がもう思いつかない。鋭く舌打ちをする。
その時、突然背後から話しかけられた。振り返ると、若者が満面の笑みを浮かべている。相手が早口で何かを喋った。名を読んでから月並みな挨拶をしているらしい。俺はそんな変な名前じゃないし、死の協力者はいてもこんな若い知り合いはいない。俺は眉をひそめ、無視して進んだ。そいつは尚も話しかけてくる。抑揚から察するに、どうやら怒ったようだ。俺は立ち止まって睨んでやった。相手は怯えの表情を顔一杯に浮かべ、走って逃げていった。良い気味だ。
俺は路地裏で盛大に溜息を付き、頭を抱えた。神秘的な殺害が駄目であるなら、何に頼ればいいのだろうか。諦めたくは無い。だが手段が思い浮かばない。足音がしたので面を上げると、枯れ木のような老人が此方を凝視していた。目玉を見開いて恐怖を顔面に貼り付けている。俺を指差して、何やら叫んだ。仕切りに震える手を動かして、もう一度老人が叫ぶ。
え、死んでいるだって? そんな馬鹿な話があるか。だって現に俺はこうして存在している。記憶もあるし、五体満足な肉体だってある。
……いや、待て。丸坊主にした筈の髪が戻っている。神の御力か? 両手を見る。手には皺が寄り、右手にはくすんだ傷がある。あれ、これは俺の身体か? 俺の容姿ってどうだったっけ? 鏡なんて近年見た事が無い。老人は消えろ退散しろ失せろなどの罵倒を浴びせかけてきた。俺は何もしていないのに、散々な言われようだった。それに、俺だってできたらそうしたい。段々と腹が立ってきた。足元には木製の杖が転がっている。老人のだろうか。
俺は立ち上がり、煩いなぁと憤った声を出しながらそれを拾おうとした。すると、老人は悲鳴を上げて逃走した。助けてくれ! 彼は声高々にそう叫んだ。
何処かで聞き覚えがあった。その響き、ニュアンス。抑揚。果てしない過去で反響した言葉。
助けくれ! まだ死にたくない!
――――俺は生きていたい。
ん、これは何の記憶だ。変だな。俺は死にたがっていたんじゃないのか。何世紀も生き続けて、野を彷徨って。死を求めていた。そうだ。俺は不死者だ。
俺は、死ななければならない。
俺はふらふらと道路へ歩み寄り、トラックの前に飛び出した。暗転から覚めて自分の両手を見ると、平坦な肌に戻っていた。先程は気のせいだったのだろう。思い詰めると勘違いを起こすものさ。安堵の気持ちが沸き起こってくる。
俺は気を取り直して街を歩いていた。駅の通りに差し掛かると、壁に目立つ文字で何やら書いてあった。
壁に貼られた張り紙を見る。
『神話の英雄に似せた連続殺人。手掛かり掴めず捜査難航』
ふうん、世も末だな。毎日のように起こる死。人は死んでいくのに、俺はまだ生きている。
頭を捻るのは限界だった。見落としている可能性もあるが、文献も読み飽きた。誰かに英雄の死を聞く方が早そうだ。そうだ、張り紙にあった殺人犯なら沢山のケースを知っているかもしれない。そいつに聞いて、片端から試してみよう。
きっと、その限定に本当の死が潜んでいるのだろう。




