♯0 鳥瞰する者
その日の役目を終えて海へと向かう太陽は、生きとし生ける物達が己の事を忘れぬように、どこまでも続く大空を己の色に染め上げる。世界は黄金色に光り輝き、その光景を目の当たりにした人々は一瞬、希望という単語を頭に過ぎらせる。
すべてが太陽の色に染まる夕刻。家屋が点在し煌めく川が流れる平野と、その向こうに峰を連ねる山々を眺望する事ができる崖の上に、吹き上げる風に黄金に染まる長髪を靡かせる男が居た。彼は一人、遥かに広がる世界を俯瞰する。
彼は静かに瞼を下ろすと、幸せそうに笑みを浮かべる。喜びに満ちた人々の笑顔が、瞼の裏に映っているのだろう。しかし程なくして、彼の口角は下がり、寄せられた眉の間に皺が刻まれる。
「嘆き悲しむ声に、悲痛に歪む顔……。やはり今も変わらないな……」
そう呟き、彼はそっと目を開く。視線の先では茜色の夕陽が、谷の間に見える水平線へと沈もうとしていた。つい先程は黄金に染まっていた空の大部分は、濃紺の中に幾つもの小さな光を宿している。
冷たく乾いた空気を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。日も沈みきった夜闇の中、彼は遠方の山を、否、その先の何かを見据える。
「理不尽な正義などあってはならない。変えてやる、クライストの創った箱庭を」
クライスト。それは、世界を生み出した唯一神の名。彼は苦痛に歪む顔を好むため、不当な差別や諸犯罪を創造の際に組み込んだ。それ故に、絶望の中で神に祈りを捧げても、神がそれを聞くことはない。もっとも、唯一神を信仰する人々は、その事を知る由もないが。
下ろしている左手の周りに黒い羽根が渦を巻き、徐々に剣の形を成していく。その柄を左手で握り、彼は剣を高く掲げた。そしてその背から一対の黒翼を生やし、闇の中に大きく広げる。
「これは、革命という復讐だ。神を信じぬ者と共に、必ず貴様を引きずり降ろす」
彼は崖から飛び降りると、漆黒の羽根を宙に舞わせながら、空の彼方へと飛んで行った。
今宵の月は小望月。明晩は美しい満月となるだろう。