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81.0話 憂の習性

 


「……憂のお姉さんの車って軽じゃなかった?」

「……そうだよ?」

「定員オーバーなさるおつもりですかねぇ……?」

「でもメールで……全員で待っててって……」

「――おなか――すいた――」


「憂ちゃん……餡パン……食べてたでしょ……」

「総帥の関係で絶対に捕まらないとか?」

「ありそー!!」

「さすがにそれは無いと思いますわぁ……」


 大運動会が終了し、その場で解散。現在、13時過ぎである。パン食い競争に出たのは憂1人だった。他の女子4名はもっと腹を空かせている。


 憂と愉快な仲間たち、女子隊の皆様は今現在、愛の迎え待ちだ。憂を女子隊に加えるべきかは悩ましい所である。


 先ほどからC棟駐車場に迎えに来た車がどんどんと出入りしている。

 駐車場で同じように迎えを待っていた者たちは『憂ちゃんたちばいばーい!』と、どんどんと数を減らしていった。行事の日ならではの光景である。


「お姉さんが遅れるのって珍しいね」

「そう――だけど――」


 千晶の言う通りだ。愛は時間に正確だ。滅多な事が無いと遅れることは無い。憂は不満そうだ。食べさせて貰っていない子のようである。しきりに薄いお腹をスリスリと擦っている。この薄いお腹は食後には少し膨れてしまう。いや、まぁ、当たり前なのだが。


「もうちょっと……我慢して……ね?」


「ちょっと心配になってきたよ……」


「――うん」


 千晶の要らないひと言のお陰で千穂の顔が陰る。そんな中、白い大型のワゴン車が駐車場に姿を現した。


「あ! ……違うー。うーん……来ないね……」

「え!? ちょっと待って!!」

「え……? あ! 愛さん!!」


 運転席から手を振るその人物は千穂のよく知った顔であった。

 愛は緊張の面持ちで何度も切り返し、真っ直ぐに駐車した。斜めに止める行為は許せない性分なのだろう。すぐに出発するはずだから、そんな必要はない。


 愛はその大きな車の駐車に満足すると、ようやく運転席から降りてきた。女子隊+1名は愛に近づいていく。


「愛さん。車、変えたんですか?」

「でっかいですねー!」


 笑顔の女子高生たちに、愛は苦笑いをお返しした。


「……変えられた……が、正解。今から1時間ほど前かな? 総帥の秘書さんがね……」




 ―――それは突然だったらしい。インターホンが鳴り、応対すると相手は総帥の秘書、一ノ瀬 遥だった。とんでもない人物の来訪に慌てて玄関を開けるが、玄関先に人は無し。ドアから顔を覗かせると、そこには白の大きなワンボックスカー。その傍に遥が居た。


『憂さまのお姉さま。お久しぶりです。本日は(はじめ)の贈り物をお届けに参りました。肇は車椅子の出し入れに心を痛めました。カードの手続きが遅れてしまい、間に合いませんでした。申し訳ございません。憂さまは無事に車椅子をご卒業された様子ですが、何時(いつ)また、酷似した状況となるとも限りません。是非、お収め下さい』


『この車をですか!?』


 愛は動揺を隠せず、上擦った声で問い掛けた。そんな愛に気付かないはずは無いが、遥は事も無げに淡々と返答した。


『はい。手続きも何もかも済ませております。あとは現在のお車を回収させて頂くのみとなっております。給油にはこちらのカードをご使用下さい』


『えっ!? あの……え?』


『退職の際に貴女さまに受け取って頂ける方法を把握致しました。強引過ぎる位で丁度良いのですね。こちらの新しい車には、肇の書簡を備えておりますので、ご一読下さいませ。それではキーをお貸し下さい』


 あくまでも強引に話を推し進める遥の前に、断り切れない愛なのであった―――




「すっごい大きな贈り物ですね……」

「そうですねぇ……。驚きますわぁ……」


「――でっかい」


「憂? これで……頭……打ちにくい……よ?」

「そうだね。今まで色々お断りしてたんだけど……。今回、この車だけじゃないんだよねー」


 嘘吐きが1人混じっていた。この車より大きな贈り物。マンションの一室を貰った者が居るが、そこは今は関係の無い話か。


「……今回、ですか?」


「うん。車の中……見てみて」


 ワンボックスカーのほとんどの窓は黒のフィルムで覆われ、外からは見えない。佳穂が車のサイドスライド式のドアを「よいしょ!」と開く。


 そこにあったのは純白のドレス。首から上の無い上半身のみのマネキンが着ている。そのマネキンにやけにぴったりのサイズである。それもそのはず、憂の体格を完全に再現したマネキンなのである。

 ……脱がせると、それは憂の裸に限りなく近い。


「わぁ……キレイ……」

「すっごい!」

「愛さん……あれって……」

「ウェディングドレスですか? スカートの丈、短いですけど……」


 愛は「はぁ……」と1つ溜息を付くと、千晶の質問に答える。


「パーティードレスなんだって。憂の誕生日……来週でしょ? 会場も抑えてあるみたい……。あぁ、もう……断れなくて……。また前みたいに島井先生から返して貰おうかな……?」


「……総帥はしてあげたいんですわぁ……」


「それは……解ってるんだけど……。受け続けてたら生活変わっちゃうよ……」


 頭を抱える愛はカットソーの裾をクイクイと引っ張られた。

 愛が目を向けると上目遣いで見上げる少女は言った。


「おなか――すいた――」






「うぅ――ぐるぐる――うぅ――」


「……巻かなくて……いいよ?」


「そう言えば、前に家でパスタ作った時もこうなってたわ……」


「お姉さん……」


「ま、仕方ないですよねー」


「憂さん……。巻かずに……」


「――まく――ぜったい」


 1人私服、5人体操服姿の珍妙な集団はイタリアンレストランで昼食と相成った。どうせ、行くのは千穂の家だと大運動会が終わったままの格好なのである。


 この店は昼食時、夕食時には待合が出る人気店だが、時間が遅い。1席だけ空いており、あっさりと座る事が出来た。

 ソファー向かい合わせの4人席に6人が座ると云う荒業を行使したからだ。それを可能にしたのは小柄で痩せた憂と千穂のお陰だろう。


 憂は当初、メニュー表とにらめっこした後、ミートソースを選んだ。だが、それは却下された。よって、ナポリでは無く日本発祥なのにナポリタンと云う不思議な名称のパスタと格闘している。彼女は相変わらずのお子様舌なのである。そう簡単には変わらない。


 ミートソースを姉が却下した理由は推測にお任せする。あれは洗濯してもなかなか落ちない。


「……時間、減っちゃいそう……」

「佳穂」


 佳穂の愚痴を聞き咎め、千晶が小さく叱責する。佳穂も最初は頑張る憂を微笑ましく眺めていたのだが、時間が掛かりすぎるとなれば愚痴も零れてしまうだろう。むしろ、他の皆はよく我慢している。憂と同じ空間に居られればそれで満足な者も居るようだが、その話は後日。


「……ごめんね。この子は変なこだわりがあるんだよ」

「大丈夫です。時間は沢山ありますえ?」


 憂は食べる行為に妙なこだわりを見せる時がある。それが発現しているのだ。つまり……パスタを巻いて食べようと一生懸命なのである。しかし、不器用な右手がそれを阻んでいるのだ。早い話が『ぐるぐる』をスムーズに出来ない。


「あ!」


 千穂が突然、声を上げた。何か思い付いたのだろう。


「どした? 千穂?」


「ちょっと思い付いたんですけど……」


 隣に座る愛に視線を送った。少し迷いが見られる。


「やってみていいよ? 変なこだわりで時間潰しちゃってるこの子が悪い」


「はい。それじゃあ……」


 千穂はそこまで言って小首を傾げる。何やら考え始めた。向かいの席の両サイド。憂を挟んだ2人。佳穂と千晶が「おい!」と言わんばかりにカクリと動く。梢枝も流石に美麗な顔を引き攣らせ呟いた。


「千穂さん……。それは……無いですわぁ……」


「それにしても……焼けたよねぇ……」


 愛は間を持たせる為に会話をシフトする。憂への抗議は彼女の持つ雰囲気から、何ともし難い。このままでは本来、憂に向かうはずの文句まで千穂に向かうかも知れない。

 ……千穂への想いも特別強い愛なのだ。


「これって……お風呂で痛いヤツですよね?」


「そうだね。ちょっと可哀想かも」


 姉はそう言って行儀良く(?)皿に添えられた左腕に手を伸ばし、軽く引っ掻いた。


「いたぁ! ――お姉ちゃん!」


 引っ掻かれた部位を抑え、涙目で抗議するが、愛は当然とばかりにスルーする。


「うーん……。今度は日焼け対策か。あんたはいつも何か問題抱えるよね……」


「日焼けで赤くなるのって火傷ですよね? 大丈夫ですかね?」


「たかが軽い火傷。大丈夫よ。この子って虚弱に見えるけど、……りは早いし、案外、丈夫なのかも知んない」


『治り』と言う言葉は濁した。人目を気にしてだろう。姉の言葉に一同、納得する。今まで頭痛こそあったものの、風邪を引いた事も無いのだ。

 憂は抗議をスルーされた事を理解したのか、気を取り直し食事を再開した。


「……シンプルでいいかな?」


 千穂がようやく再起動した。行動まで似てきている事を本人が理解しているかは定かではない。


「千穂。何でもいいから早う」

「早うせい」

「わかった」


 千穂は真正面の憂を見詰める。憂がングングと咀嚼し飲み込んだタイミングを見計らい話し掛ける。


「憂?」


「んぅ?」


 すぐに小首を傾げた。


「前……パスタ……ね?」


「――うん」


「何が……好き……だった……?」


 その質問に固まった。正面の千穂の方向を向いてはいるが、その視線は千穂を通り過ぎている。


「やっぱり!」


「え?」

「なに?」

「ちょっと……説明をお願いします……」


「その前に。千晶。憂に『あーん』して?」


「あ! あったよね! 前に!」

「へぇ……」


 姉も興味津々に身を乗り出し、憂の友人たちの行動を見守っている。

 千晶は指示通りに憂からフォークを優しく拝借するとパスタを巻き、「憂ちゃん、あーん」と声を掛けた。

 憂の口がすぐに開かれる。パスタを口腔内に運ぶと咀嚼を始めた。


「可愛いー! もう、最高!」

「千晶! 次、あたし!」


 憂がもきゅもきゅし、こくりと嚥下すると佳穂が「あーん」と声を掛ける。しかし、口は開かれなかった。


「――なんで!?」


 憂は日焼けして赤い顔をもう一息赤らめる。どうやら戻ってきてしまったようだ。


「憂?」


「千穂――?」


「NBAの……好きな……選手は……?」


 憂はまたも旅立った。佳穂が「あーん」とパスタを口元に運ぶ。憂は従順にそれに従い、咀嚼を始める。以前もナポリタンだったのは何かの偶然である。


「千穂ちゃん、すごいわ……」


 姉が心より感心したと云う声で賞賛する。愛は『あーん』をした事が無かった。そして、まさか開くとは思ってもいなかった。


「そろそろ説明を……」


 梢枝の促しに得意満面な千穂が応じる。


「うん。憂の考え中のぼんやりって2種類あるんだよね。知ってた?」


「……え?」

「知らないかも……」

「何となく、あれ? ……という時があった程度ですわぁ……」


「それ……入院中に知ってた……。ごめん。言ってなかったね」


「……愛さん。まぁ、いいですけどね……」


「私から説明するよ。憂はね。表情が変わる時は考え込んでる時。ぼんやりと遠くを眺めたままの時は思い出してる時なんだよ。専属の男の人、伊藤さんが教えてくれたんだ」


「そうだったんですか」

「じぇんじぇん気付かなかった」

「そないな違いがありはったんですかぁ……」


「私も思い出してる時に反応するワードがあるのは知らなかったんだけどね。一体、どんな構造してるんだか……」


「みんな、1つ決め事しとこ?」


 また千穂が話を変える。テンションが上がっているのだろう。全員の声をスルーした形になった事を彼女はおそらく気付いていない。


「そうですねぇ……。その方がいいですわぁ……」


 梢枝は千穂が何を決めておきたいのか把握済みらしい。愛もそんな雰囲気だ。


「この方法は時間にホントに困ってる時だけ……。なんか、憂をバカにしてるみたいで……」


「……そだね」

「うん。了解」

「良い提案ですわぁ……」


 憂はそうこうしている内にいつの間にか食べ終わったのだった。

 ぼんやりとしていた中でも、美味しそうな表情だったのが救いだろう。


 因みに食べさせて貰った記憶はあるようだ。ちょっと不満げに『ごちそうさま』していた。



 イタリアンレストランを出た女性6名は、再び大きな車に乗り込んだ。当たり前に愛が支払った。『いつものお礼』と言われると、どうにも断りきれないのだ。


「そう言えば、お買い物の必要ないのかな? ついでに送るよ?」


 愛は赤信号に引っかかる度に何かしら問い掛ける。運転中は無言だ。車の大きさが今までとまるで違う。怖いのかも知れない。


「あ。大丈夫です。昨日の内に済ませてますから……」


「さっすが千穂! いいお嫁さんに……ごめん」


 佳穂の言葉は尻すぼみとなり、最後には謝った。千穂の夢の話題は、まだ時期尚早……そんな気持ちか。


「気にしないでいいよ? いくら早くてもまだ3年近くあるんだから」


「……何の話?」


 流石に気になったのか、車が動いている状態では初めて愛が口を利いた。


「えっと……。明日で……いいですか……?」


 この土曜日は女子5人(・・)によるお泊まり会。明日の日曜日は、憂とその姉が千穂の家に泊まる予定だ。『1人切りなんて絶対にダメ!』と自称・千穂のお姉ちゃんからのお達しに屈したのである。


 愛は緊張を隠せない顔をしたまま、運転を続ける。返事は無い。


 返事の無いお姉ちゃん(・・・・・)に千穂は困惑する。変な事言って機嫌を損ねたかも……。そんな事を思っているのかも知れない。


 愛はまた信号に引っかかる。いつもより速度が格段に遅いのである。後続車には傍迷惑(はためいわく)だ。


「明日でいいよー。ごめんね。返事遅くて。車が違うとダメね。こんな大きいの乗るの初めてなんだ。あー! 佳穂ちゃん! そこの袋! そう! それ! それ差し入れね! 必要でしょ?」


「お菓子とジュースだー! いっぱいあるぅー!」

「これは嬉しい! お姉さん、ありがとうございます!」


 静かになったり、騒がしくなったりする車内。その車内の運転席後ろ。新しい車のいつもの席で憂はスヤスヤ穏やかに寝息を立てているのであった。


 愛は憂に今日のお泊まり会の説明は済ませている。忘れていなければ良いのだが……。



 その時の反応は微妙だった。


『――むり――だよ?』


 そう言っただけで、縫いかけの巾着袋に目を戻してしまった。


 その巾着袋は4枚。愛が支度した憂のやたら大きなお泊りセットの中に忍ばせてある。憂の巾着袋作成は前日の夜を以って完結した。毎日コツコツと縫い続けた結果だ。最近では指を刺す事もほとんど無くなっていた。


 ……継続は力なり……と云った処か。




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