77.0話 髪型と誕生日
―――6月21日(水)朝礼前
「おはよう」
全員揃った憂のグループに挨拶するものが居た。彼は意外と通学遅めだ。
「「「…………!?」」」
1人を除いた全員が金魚のように口をパクパクさせ、絶句している。挨拶した男は、心なし顔が赤くなっている。
「――だれ?」
その絶句しなかったグループ唯一の存在。憂の言葉に全員が顔を見合わせる。その男は知り合いだ。……知り合いなのだが、前日までと様相が違った。
ほんの昨日までは、目がほとんど隠れていた。その一部分は顎まで届いていた。
その鬱陶しい髪がばっさりと切られている。短髪だ。短髪であり、若干、髪は明るく染められていた。
その容姿は、驚く事にイケメンだ。元々、素材は良かった。特殊だっただけだ。
「……憂さん。君に『邪魔』と言われたが為に、初めて床屋ではなく、美容室に行き、そこで切って貰ったのだが……。よく分からないから『似合うように』とお任せした。そうしたらこうなった」
「――――?」
憂は小首を傾げる。どうにも以前の姿のイメージが沸かないらしい。
「憂……? ホントに……分からない?」
ぼんやり遠くを眺め、表情さえ動かない憂に千穂が問い掛ける。
「――――――」
憂に反応は無い。
その姿に千穂も小首を傾げる。
「その2人で傾げる微笑ましい絵って何とかならないのかな?」
「これからは、あたしも傾げよ」
「2人とも傾げてるんよ?」
「え!? 勇太くん! それホント? わたしも!?」
「あぁ……。伝染ってねぇの、俺ら2人」
「あと、梢枝とワイやね」
「康平さん……? 貴方も伝染ってますわぁ……」
「ま……まじで?」
「――凌平?」
「お。帰ってきた」
「やっと僕だとわかってくれたのか……」
「良かったな!」
「……って言うか! どしたの? それ?」
「男前になりはった……」
「――かみ――」
憂のふた言目に反応し、各自、一斉に口を噤んだ。続きがある流れだからだろう。
「――なくなった――」
「無くなってないよ!?」
「憂! 違うぞ!」
「ハゲたんやないで!? 切ったんやで!?」
そして一斉に喋り始めた。
そんな中、憂は左手で前髪を掻き上げ、おでこを突き出す。
「………………」
「…………」
「…………ツッコミ待ちか」
「……ボケてたんだね」
「どうすんだ?」
「凌平くん。どぞ!」
「僕がか!?」
「動揺しないの! ほら! 憂ちゃん寂しそうだよ!」
「……試練だな」
「きばりや!」
「う、うむ……」
凌平がツッコミを入れようとしたところで、キーンコーンカーンコーン……。鐘の音が響いてしまった。
チャイムと同時に利子が教室へ。真面目な凌平は当然のように席に付いてしまった。憂は不満そうに唇を突き出した。前髪を上げたまま……。
利子は伝達事項も配布物も何も無かったようで、挨拶をした程度ですぐに立ち去った。
利子を見送ると、佳穂と千晶は向かい合うように横座りとなる。小休憩などでの基本姿勢だ。
振り向いた早々、千晶は憂のおでこをぺちりと軽く叩いた。
「まだ……やってた……の?」
「以下……同文!」と千晶に続いて、佳穂もペチリと叩く。
憂は、ずっと前髪を上げたままだったようだ。ツッコんで貰って良かったね。おめでとう……と、言いたい。現に憂は嬉しそうだった。逆に寂しそうにしている人物が居た。彼は、初めて憂に触れる機会を逸してしまった。運が悪かったのだろう。
2人からツッコミを貰うと、憂はようやく前髪から手を離した。どうやら満足したらしい。
「あーあ! 変な癖付いちゃった……」
「もう。憂? ダメだよ?」
千穂に叱られしょげる憂だったが、次の彼女の行動で表情を蕩けさせた。
千穂が櫛を取り出し、憂の髪を梳き始めたのである。憂は髪を梳かれるのが好きだ。毎朝、毎晩、愛に梳かれ気持ちよさそうに目を細めている。
……それが出現した。
「憂ちゃん、気持ちよさそうだね」
「うん。可愛い」
「直らないよー。仕方ないよね?」
千穂は言い訳するかのように呟くと、白いプリーツスカートのポケットからゴムを取り出す。自身が時折、体育の時などに使用しているものだ。千穂もまた、言い訳しつつも、なんとも楽しそうにだらしない顔をしている。
千穂は、跳ねたまま戻らない前髪の一部とサイドの一部を一緒に纏める。
憂の髪型は、おでこの左上でぴょこんと括られた、可愛らしいものに変化した。
「あ! 可愛い!」
「千穂! ナイス!」
「……ホントに可愛い……」
回り込み、憂を改めて見た千穂も賛同する。憂は可愛いを連呼され、難解なパズルのように複雑さを顔一面に表わしている……が、周囲にはどんどんと女子が集まってきた。
「うわ。すっごい可愛い……」
「憂ちゃん、反則ー!」
「かわいー!!」
憂が微妙な面持ちのまま、そのぴょこんと跳ねた部分に触れる。
「ダメー!」
「そのままー!」
「折角、可愛さ増したのに!」
「お願い! そのまま……ね?」
「うん! お願い!」
……お願いされると嫌と言えなくなるのは、以前にも語った通りだ。
「――わかった――」
そして、憂のほんの少しの髪型変更に話題を掻っ攫われた、同じく髪型を思い切り変更した凌平なのであった。
1時間目の修了後は別の話題に包まれた。
「今日は健太さんの誕生日だ! みんな何かくれ!」
「何で早く言わないのよ!」
「誰かおめでとう言ってくれるかもって待ってたんだ! 誰も言ってくれないから自分で言った!」
「寂しいヤツ!」
委員長と健太とのいつもの遣り取りから始まった。
「健太! おめでとー!」
「健太くん、今日だったんだ……。言ってくれなきゃ……」
「健太。俺らも知らんかった……」
「オレも」
「何だよー! 冷たいなぁ!」
サッカー部仲間も知らなかったらしい。言わなければ知らない。当たり前だ。
だが、健太もまたクラス内での人気者だ。彼はグループを渡り歩いて交流していくタイプである。クラス中から祝福を受けていた。
それは憂と愉快な仲間たちも同様だ。
「健太くん、おめでとー!」
「おめでと。先に教えて欲しかったな……」
「健太が年上か……。おめでとー」
「めでたいわ! 16か!」
「おめでとう。中免取れるな」
「何も無いから言葉だけでごめんね。おめでとう」
「ええですねぇ……。おめでとう……」
千穂から説明を受けた憂も歩み寄る。
「――おめでと――健太が――としうえ――」
どことなく嫌そうだ。健太は二重ぱっちり、目が大きく童顔だ。
……気持ちは分からないでも無いが……。お前が言うな。
「ありがとう! 憂ちゃんは……7月7日……だったよな?」
健太がそう憂に確認すると、クラス中の至る所で誕生日を教え合う展開となった。
憂のグループもまた同様。憂はタブレットを引っ張り出した。カレンダーの活用だ。憂は時折、頭がよく回る。きっと電波状態が良好だったのであろう。
「あたしはねー。11月……4日……」と佳穂。
「……その3日前……1日だよ?」と千晶。
憂は、どんどんとスケジュール欄に入力していく。
「3月……3日や!」
「ククッ……ひな祭りか!」
「似合わねー!」
「やかましいわ!」
憂は続きを促すように梢枝に視線を送る。憂だけでは無い。憂のペースに合わせているものの、全員が何かしらにメモしている。
「12月……20日……ですわぁ……」
【梢枝の誕生日】とスケジュール表に入力し終わると、憂は申し訳なさそうに勇太に視線をシフトする。
「1月……16日……」
憂の表情に勇太は気付いたのか気付かなかったのか、ニコニコと笑顔で伝える。
憂の震える手がタブレットを操る。
「勇太って早生まれ!? 嘘ー!?」
「それ、よく言われるわー」
佳穂の驚きは身長的に……だろう。たしかに早生まれの身長とは思えない。
「8月……31日……」
拓真も特に気にした様子を見せず、淡々と誕生日を告知した。
優であった頃に憶えていたはずの誕生日を。憂がどこか申し訳なさそうに彼らを見やったのは、その為だと思われる。
「千穂――千穂は――」
自分の世界に旅立とうとした瞬間、千穂は憂の手を取った。思い出そうとする前に現実世界に繋ぎ止められた。
「8月……7日……だよ?」
優しく微笑み掛け、再び……、いや、初めて憂に教えた。
憂は震える手で入力しようとし、強く強く目を瞑った。
そして、オレンジのリストバンドでグイと目元を拭うと、黒目がちな瞳を露わにし、タブレットを操作した。
「憂ちゃん……」
千晶の口からポツリと零れた呟きは状況を如実に物語っていた。
「――わすれ――たら――また――」
「――おしえて――ね?」
「うん。何度……でも……「あぁ!? もしかして、憂の誕生日が一番早いのか!?」
千穂の声を掻き消すように次に大きな声が響いた。勇太である。雰囲気を変えようとしたのか、単に驚いたのか……?
おそらく後者だろう。
「えぇー!?」
「あ! ホントだ!」
「憂が……一番……早いよ?」
「これは……意外ですわぁ……」
「あぁ……」
「あんさんらも年下になるワケでっか。これはおもろい!」
千穂の説明の間、しっかりと皆が発言を控えているのが面白い。その憂は嬉々としている。
「――はやく――たんじょうび――」
「――こない――かな?」
……いばるつもりだろうか? そうに違いない。
2時間目の修了後は移動だ。憂と千穂、梢枝。その3人と少し離れて康平は御不浄へ向かった。
この時間か、1つ前の時間に済ませておくとスムーズらしい。千穂がそう言った。野外活動の際には梢枝にもメールしていたはずだ。
要は、憂のおしっこ……だ……。
それを済ますと家庭科室へと向かった。おばちゃまの授業である。
「あらまぁ! 上手になってー!! 可愛い!!」
可愛いは関係ないが、憂はおばちゃまを驚かせていた。それもその筈、随分と裁縫が上達していたのだ。
……とは言っても不器用な右手の割には……くらいのレベルだが。
憂は3,4時間目の間の小休憩の時間も一心不乱に縫い続けた。
「すっごい集中力だね……」
「うん……」
大きな作業用のテーブルを挟んだ向かいでは、佳穂&千晶が憂のブレない姿勢に感嘆の声を上げる。
……その言葉もおそらく耳には入っていない。
隣では千穂がハラハラとその様子を見守っている。憂は4回刺した。自分の指を。
テーピングは拒否した。痛みがあるから大丈夫らしい。千穂からしてみれば、痛そうにするからこそ、刺す可能性を下げたいのだろうが憂が拒否しては仕方がない。千穂の根底には、憂の思うがままに行動して欲しい気持ちがある。
「いたっ――!」
……5度目である。憂は人差し指を口に含む。そのまましばらく。
「やば……指咥えてる憂ちゃん可愛すぎる……」
「佳穂の気持ち解る。今なら」
……告白までした事を言っているものと推測する。
「憂? あせら……ないで……?」
表情を曇らせ、千穂は注意を促す。愛する彼女は、憂の変化に気付いている。指を刺したのは3時間目が1回。残りの4回は4時間目なのだ。
「もう――ちょっと――」
憂の縫う巾着袋は、たしかに完成間際だ。なんとか時間内に収まりそうである。
「――できた!」
最後に紐を通し、それを結ぶと完成を宣言した。
出来は……まずまずと云った処か。
「いまいち――だけど――」
本人的にも不満は残るらしい。
「憂ちゃんすごい」
「佳穂には出来ないよねぇ……」
憂は黒の袋に赤い紐。作ったばかりの至ってシンプルな巾着袋を持ったまま、立ち上がる。エプロンを縫っていた千穂は数秒だけ、小首を傾げると席を立つ。
ひょこひょこと軽く足を引きずり歩き始めた憂の後を追う。
「――健太!」
「憂ちゃん? どしたん?」
何やらサッカーボールと思しきワッペンのような物を作っていた健太が、手を止め顔を上げる。
「――たんじょうび――ぷれぜんと――」
「え!? マジで!? すっっぅげぇ嬉しい!!」
「憂ちゃんの手作り巾着だぞ!?」
「嘘だろ!? 健太!? お前、何した!?」
「憂ちゃん!! ホントに健太に!?」
「え? それ……羨ましい……」
順番に健太、サッカー部仲間A、同じくB、有希、優子。
「な! なんだとー!?」
「嘘でしょ!?」
「一生懸命だと思ったら……。この家庭科の時間内に縫う必要があったんだね」
佳穂、千晶、千穂も話し始める。更に周囲にはどんどんと人が集まる。久々の大混乱開始だ。
「あらあらー!! そうだったのぉー!? お誕生日ねぇ! おめでとぉぉ!! 愛情たっぷり巾着なんて可愛いぃぃ!!」
教師まで混乱に拍車を掛け、喧騒の中、4時間目の授業は修了したのであった。
憂は目を白黒させていた。おそらく純粋にクラスメイトを祝おうとした行動だろう。しかし、この少女は自分の存在の大きさを解っていない。
障がいを抱えた憂が何度も指を刺し、怪我をし、健気にも縫い上げた巾着袋。それは『特別』な物だ。
そして、彼女の一番の失念は女子から男子へのプレゼントとなる事だろう。
憂は、このプレゼントがクラスメイトの人間関係に多大な影響を及ぼす事になる事を知る由もなかった。