72.0話 ロリィタ
―――6月17日(土) 16時過ぎ
「ただいまー! ホントに待っててくれたんだねー!!」
佳穂がバスから降りるなり、両手を広げたまま憂に駆け寄る。憂が隣の康平の陰に隠れると佳穂は足を止め、むぅと不満げに頬を膨らませた。
「――おかえり」
康平の脇からチラリと顔を覗かせる。そんな憂の可愛らしい行動に、佳穂のテンションが一気に跳ね上がってしまった。
「かっわいい!! 抱っこぉ!!」
「ちょ! 佳穂ちゃん!?」
「ぅわぁ――!」
あろう事か佳穂は康平ごと憂を抱き締めた。彼女が一枚も二枚も上手だったようだ。何が……かは、よく解らない。
―――グラウンドでバスを出迎えた憂は、自らの足で立っていた。傍らに車椅子は存在していない。煩わし気だったギプスも外されていた。一昨日の検診を最後にギプスはその役目を終えたのである。
……とは言っても、途中からは治りの速度を誤魔化す為の装着であり、本来の役割では無かったのだが、それはそれだ。
そして、本日は土曜日。午前中の授業を終え、中央管理棟の食堂で昼食を食べると、保健室でベッドを借り、この時間まで眠っていた。自由人である。傍にはいつも梢枝が居た。穏やかで可愛らしい寝顔と規則正しい寝息を前に、寂しそうな表情をしていた梢枝だった。まもなく千穂が帰還する。憂との距離の縮んだひと時は終わりを告げる。その寂しさだろう。
内緒の話だが、少しの間だけ憂が眠るベッドに突っ伏し、眠ってしまった梢枝なのであった―――
「何してはるのん!?」
佳穂の大胆な行動に慌てる康平と憂の後ろに回り込み、そっと憂をハグする者が居た。
「ひゃあ――」
憂のその声に佳穂が康平の背後を覗き込む。
「あー! 千穂が美味しいとこ持ってったー! この子はいつもシレッといいトコ持ってくんだからー!」
「あー。佳穂。よしよし」
「千晶ー!」
「あ! こら! 揉むなバカ!」
「千穂――おかえり――」
「ただいま……。梢枝さん、ありがと……」
「とんでもない……」
……彼女ら3人が居なくなり判明した事がある。
グループの騒がしさの原因の大半は佳穂にあったようである。
帰還したクラスメイトたちは、優しい顔をしてグループへと柔らかな眼差しを送っていたのだった。
「それで、どうだった?」
感動(?)の再開シーンが終わり、帰宅中、拓真が切り出した。
またもグループ全員での憂への家路。この日の朝まで愛の送迎があった。憂が自身の足で帰宅するのは実に3週間ぶりである。
「いまいち楽しくなかったかな? わたしも憂ちゃんに依存しちゃってるかも知んないね」
「そうそう! 千穂なんか心配で仕方ないですー! ……って顔しちゃっててさー!」
「47件……」
梢枝はうんざりした様子で呟く。
「え? 何が?」
「千穂さんからの憂さん心配メール……」
「千穂。そんなに……。たしかにちょくちょくスマホ触ってたけど。千穂が憂ちゃんに依存してるの間違いないね」
千晶は佳穂を流し見る。佳穂は下唇を付き出し、ぶーたれた顔でじゃれ合う憂と千穂を眺めていた。
「京之介くんと圭佑くんは?」
千穂は、ひとしきり憂との繋がりを確認すると、傍の康平に聞いた。彼らの表情で上手くいったとは思いつつも、もしもの場合がある。流石に拓真と勇太には聞き辛いのだろう。
「部活や!」
「「そうじゃなくて!」」
千穂千晶の声がハモる。確かにツッコんで下さいと言ったような返答だった。
「ばっちり! 月曜に転室届け取り下げるってよ! な! 拓真!」
「あぁ」
拓真も表情が柔らかい。
現時点で憂を取り巻く残りの問題は佳穂の告白のみだ。だが、その事は千穂佳穂千晶の3人が知るのみ……。いや、梢枝と康平は把握しているかもしれない。
憂の両足の怪我も治り、痛覚も戻った。佳穂の動きを知らない拓真と勇太には、全てが順調。そう見えているのだろう。
「問題がどんどん解決してるよなぁ! このまま平和が続けば最高だぜぇ!」
「あぁ」
「ねぇ? みんなで明日、遊びに行かない? 夏も近いし……ね? プールなんかもいいね! 水着、見に行こう!?」
千晶の提案を断る者は居なかった。
千晶は佳穂の告白に端を発するグループの崩壊を恐れている。その心情を察するに、彼女は未来の約束をしておきたかったのだろう。
「プール!? いいね! それ!」
「海とか最高じゃない!?」
「絶対、行こう!」
「海はいけません……。憂さんが浮き輪のまま、流されはる姿が脳裏に……」
「楽しそう!」
「梢枝……わかるわ……」
「あぁ……」
憂は立ち止まる。千穂と2人、先頭を歩いていた為に、メンバー全員の足が止まった。
……そして彼女は振り返る。
「――プール?」
小首を傾げ思案する。おそらく、会話の最初だった為に聞き取れたのだろう。
それまでは千穂と2人、野外活動の話をしていた。
「――いいね――」
へらりと笑った。大方、千穂の水着姿でも想像したくらいの事だろう。
「……いいのか?」
拓真の疑問はもっともだ。憂以外の女子勢4人は元より、憂も女子水着を着用する事になる訳だ。一昨日の旧バスケ部メンバーとの会話で、憂は女子用のスクール水着着用を嫌がっていた。しかし、そこまで頭が回っていないようだ。
「憂ちゃん。明日……お出掛け……出来る?」
――――――。
「――たぶん」
「愛さんに聞けばいいんじゃないかな? 今日もお家で待ってるだろうし」
「そうだね」
……到着次第、聞いてみた。
「お出掛け? 明日? いいよ。姉としては喜ばしい事です」
「プール? 誘ってくれてありがとう。溺れないよね……?」
「水着? 自分じゃ無理だろうから、可愛いの選んであげてね。千穂ちゃんが『これ』って強く言えば断れないよ。たぶん。ダメだったら私に電話して。服装に関しては私の言いなりなんだ」
かくして、翌日のお出掛けとプールの約束。そして水着の購入は現実のモノとなったのである。
玄関先での、この会話の最中、憂はそんな話になっている事を知りもせず、通りがかったどこかへ巡回中の家猫さんと戯れていた。
―――6月18日(日)
「お姉ちゃん――これ――」
「うん。可愛い……でしょ?」
お出掛け前のひと時。つまりは着替え中。
「うぅ――これは――さすがに――」
「え? なんて?」
愛は表情も声も変えず、憂に聞き直す。
「なんでも――ない――」
何も変わらない姉の様子だったが、憂は敏感に何かを感じ取ったようである。手渡された黒タイツに、どこか怯えた様子で白く細い足を通したのであった。
(さからった――ら――だめ――)
(なくな――がんばれ――ボク――)
憂はより一層、儚い雰囲気を醸し出していた。
「ほら。佳穂。遅刻するよ」
「う、うん」
スマホで時間を確認します。現在、9時52分。待ち合わせは10時に屋上駐車場。何とか5分前には到着出来ますね。
今日は9時に佳穂の家に。勝手知ったる我が家みたいなんですよね。佳穂の家は。お邪魔しまーすって勝手に2階の佳穂の部屋に。
すると……起きてたんです。あの佳穂ちゃんが。
寝坊助佳穂ちゃんが珍しく早めに起きたみたいなんです。でも、今日はそこからが長かった。
ほとんどした事のないお化粧をしてみたり、上手に出来なくてリセットして、わたしがしてあげたり。わたしもほとんどしませんけどね。千穂を見習わないといけないのかもです。あの子はほぼ毎日、薄っすらとしてるんですよね。良い素材を活かして、更に見栄えを良くする素晴らしい技術です。
それは置いといて……。出掛ける段階になって『この服、違う気がするー!』とか言い始めた。タンスとかゴソゴソし始めて『スカートが少ないー!』って。
えぇ。貸してあげましたとも。
わたしの膝丈の黒のフレアスカートが膝上になっててイラつきましたよ。とっても。
少し腰が余ってて、むかつきましたよ。はい。
ダイエットしますよ。痩せます。絶対に。
課外授業での入浴の時に決意しました。佳穂も千穂もスレンダー。わたしは、2人に比べてぽっちゃり。憂ちゃんもほっそり。梢枝さんなんてモデル体型。
……見返してあげます。
「緊張してきたー!」
「慣れない物履いたりするからでしょ」
足が重い理由は明白です。
佳穂は普段、パンツスタイルのボーイッシュ。
今日はいつになく乙女チックな装い。先週の憂ちゃんの白ワンピに触発されたんだね。似合ってたもんねー。
エレベーターで3階。屋上駐車場へ。
「はよ」
エレベーターを降りると拓真くんが待ってた。挨拶を交わします。拓真くん、足長いなぁ。普通の紺のGパンにちょっとダブダブの白い長袖Tシャツ。そら見た事か。普通のカッコしてるでしょ?
「みんなは?」
「あー。向こう」
歩き始めた拓真くんに着いていって、千穂&梢枝さんと合流。
「勇太くんと康平くんは?」
「康平さんなら、今頃……こちらに向かってはる。そうは遅れません」
「……?」
小首を傾げた佳穂に梢枝さんが説明。
なんでも憂ちゃんが無事に家を出たのを見届けてから、単車を拾って出発なんだって。さすがは護衛。そんな事までしておられたんですね。康平くん、単車かぁ……。19歳だからね。
ちなみに梢枝さんは前に学園に着てきてたような格好。白のスキニーパンツに黒いシャツ。それに白いガーディガン。なんか、白が多いね。
千穂も白のスカートに白の長いカーディガン着てるし。なんで?
「ほわいてぃーなのどして?」
佳穂ちゃん、バカっぽい発言はやめなさい。
「憂って白が落ち着く色なんだよ?」
「な、なんだとー!? 知らなかったー! どーしてくれるー!」
ぷぷっ。佳穂ちゃん、あれだけ頑張ったのに白が1つも入ってないですね。物凄い空回りを見てしまいました。
話を変えてあげましょうね。千穂が呪い殺されそうですので。
「勇太くんは?」
「さぁ? 知らねぇ」
……メールくらいしてあげたらどうなんですか?
「あ。来たよ!」
千穂の声にみんな一斉に反応する。見えたのは赤い軽乗用車。憂ちゃんのお姉さんの車ですね。
みんなで移動を始めます。お姉さんが駐車中の所に。
ここの屋上駐車場って空いてるんですよね。他の駐車場に止めるほうが便利がいいみたいなんです。
「みんなおはよー!」
「おはようございます!」とかみんな挨拶。わたしも挨拶。
お姉さんはそれが終わったら後部座席のドアを開く。手を取って憂ちゃんが姿を…………。
…………え!?
…………。
…………え?
…………えぇー!?
みんな唖然。呆然。
わたしは2度見、3度見。
憂ちゃんはとんでもない格好でした。
その憂ちゃんは無言で顔を伏せてる。もじもじして恥ずかしそう。
すーーーっごく可愛いんですけどね。
あ。梢枝さんが再起動した。他のみんなはまだ。
「あ……あれ? ダメだった? 私は最高って思ってるんだけど……」
「かかかかかか!!!」
「かかか……?」
佳穂ちゃん、呂律が回らないほど興奮。お姉さんはポカーン。憂ちゃんはもじもじ。
……何なんですかね? この光景は。
「可愛いぃぃぃぃ!!! なにこれ! すっごい!!」
佳穂の叫び声。奇声。やかましいです。
「家庭科のおばちゃまか!」
あ。ついついツッコミを……。今日は控えめモードの予定なんですけど。
「良かったぁ! 反応薄くて焦ったよ! 佳穂ちゃん、『なに』って言ったよね? よくぞ聞いてくれました!」
「ゴスロリ……」
「ノンノン! 千穂ちゃん、甘い! これは黒ロリ! 憂の場合、甘ロリとか白ロリの方が似合うと思うんだけど、それはまたいつか……かな?」
黒ロリ? 黒のロリータファッション……ですかね?
たしかに全身、黒。驚くほどの黒。ふりふりの黒。二重……三重だね。そのスカートの裾が拡がってて……針金入ってるのかな? ウエストも絞ってあって、上半身は結構、ラインが出ちゃってる。レースやフリルがふんだんに使われてて、腰の両サイドに付いてる長くて細いリボンがアクセント。あの帽子……? あれってなんて名前? カチューシャにいっぱいフワフワ付けたような帽子。あれも似合ってる。
本当に可愛い衣装。すっごい。オーダーメイドですね。憂ちゃんのサイズなんてショップに……? あるかもしれない。知らない世界だから分かりません。
でも……本当に凄い。衣装も凄いけど、本当に凄いのは、そんなお姫さまみたいな衣装を完璧に着こなしてる憂ちゃん。反則。卑怯です。あれは。わたしには絶対に出来ません。
「愛さん。びっくりするくらい可愛いんですけど……。今日、水着選ばなくちゃ……なんですけど……」
千穂。空気読みなさい。みんなが観賞してる時なのに。
「うん。だからだよ。だから自分で脱げないコレにした。しーっかりと! 試着を手伝ってあげてね!」
なるほどなるほど。たしかに憂ちゃんは着替えの時とか、今の同性相手に恥ずかしがりすぎですね。バレるきっかけとなってしまう可能性もありますね。可能性。実に便利な言葉です。
その可能性に乗じて、しっかり視姦……いえいえ。眺めて……。違う。手伝ってあげましょう。
「あんまり――みないで――」
見られ続ける憂ちゃんは後ろを向いちゃいました。無茶を言ってはいけません。見るななんて無理に決まっています。
「それは諦めないとね。憂にとっての平穏は見られながらの平穏しか無いんだよ。あんた目立つんだから。今の内にとことん見られて慣れちゃいなさい」
……えっと。つまり、今日の超目立つ格好もその為なんですね。たしかにそうなんですよね。憂ちゃんがひっそりと暮らす事は……可哀想だけど、ちょっと無理。普通にしてても歩いてるだけで注目集めちゃうから。
だから、見られる事が当たり前って感じられるようになれば、形は違うけどそれが平穏……。
……って、憂ちゃんに言ったと見せかけて、わたしたちに言ったんですね。早口でしたので。憂ちゃんは小首を傾げちゃってる。後ろ向いてるから表情は分かりませんけど。
「憂? はい。これ」
お姉さんが憂ちゃんの肩に黒のポシェットの長い紐をたすき掛け。あれも1セットなんですね。ますます凄い。
「今日は、このポーチに財布いれてあるから出してあげてね。お金を扱わせちゃうの申し訳ないけど、お願いします」
お姉さんはわたしたちにしっかりと丁寧にお辞儀して、車を出しました。どこか行くところがあるみたいです。どこかのお店かな?
勇太くんと康平くんはそれからすぐに到着。ちょっと遅刻ですね。康平くんは仕方が無いみたいですけど。彼は憂ちゃんが無事に家を出るのを見届けてから、バイクで追い掛けたそうなんです。バイクは駐車場が違うから遅れちゃうんですね。
勇太くんの遅刻は謎です。なんか汗かきで到着しました。
康平くんは1度、見てただけあって『いやぁ……可愛いでんなぁ!』って反応だったけど、勇太くんはしばらく固まってました。わたしたちと同じですね。
待ってる間の話です。たまたま駐車場に止めた人が、歩きながら憂ちゃんを見付けて、目が離せなくなっちゃって、停めてあった車にぶつかったりして面白かったです。佳穂の口数が減ってた事も何気に面白かったです。いじってあげました。怒られちゃいました。