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71.0話 盗聴

 


 1時間目修了の鐘が鳴り、しばらくすると梢枝が屋上に戻ってきた。

 戻ってくるなり、背後から憂に耳打ちする。


「――まだ――だいじょうぶ――」


「でも……」


 梢枝が眉尻を下げ、困り顔となった。1時間目の修了時間と同時に千穂からメールを受け取った。


【憂をお手洗いに連れていったげて下さい。2時間目の終わりでもいいですけどね。憂は大抵、この時間です。断られても連れていけば出ますので(笑)】


 よく把握している事だ。わざわざメールするマメさにも感心する。


「行っとけよ」


「あー。憂って、頭に付けたほーがいいぞ」


「憂? 行っとけ……」


 勇太の指摘に圭佑は素直に言い直す。梢枝は表情こそ変えなかったが、わだかまりは完全に消え去ったようだと、内心、胸を撫で下ろした。

 彼らの関係が壊れたままでは、憂はいずれ来る転室を機に自身が原因だと気付き、傷付く事だったろう。


 そして、拓真も勇太も現在、悩みの無くなったさっぱりとした表情をしている。それも喜ばしいと思えるのだ。


「――わかった――梢枝――おねがい――」


 憂は少し恥ずかしそうに振り向き、上目遣いで依頼する。


「その前に僕らでしょ?」


 憂の車椅子。今回は京之介&圭佑コンビが抱え、3階へと降ろしたのだった。



 2階、多目的トイレの外。梢枝は思案する。


(そろそろ危険かも知れへんねぇ……)



『憂? しっこの感覚って男女で違うん?』


 屋上を一時離脱する直前、勇太は疑問を口にした。男女の完全(・・)な性差を、自身の躰を持って経験している者など、おそらくこの世には憂しか存在していない。単なる細やかな疑問だろう。

 この質問には、ついに憂は答えなかった。羞恥か怒りか赤面した。どちらかと言えば羞恥寄りだったと梢枝は思う。


(ウチの前でさえ、この質問……。予想通りエスカレートしはっとる……。興味本位とは言え、何かあってからでは遅い……。憂さんは今でこそ、あないに可愛らしゅうなってはるけど、元は男性。相手は気心の知れた4人……。冗談半分で行き過ぎてもうても困る……。彼らの監視を兼ねてはる康平さんも殿方やし……。憂さんに障がいさえ無ければ、何の口出しも、しぃしまへんけどねぇ……)


 屋上の風景を思い出す。先程、屋上に上がった際、チェック済みだ。

 憂たちはコの字型の北側に陣取っている。南校舎側には2組ほどのサボり組が存在していた。上級生かもしれない。

 彼らの目がある。しかし中庭上方の空間を挟んだ、結構な距離感。高架水槽の陰など、南校舎側からの死角となるポイントがある事も把握している。


(すみませんが、5人の時間は残り20分ほどに収めさせて頂きます……)


 梢枝は続いて、教室……。5組の様子を思い出す。課外授業不参加組は集められている。1~4組の特進クラスは元々、参加希望者が少なく、それぞれの教室内だ。

 他のクラス……。5組から16組の生徒は、5組、9組、16組に集められている。

 他クラスの生徒に憂と千穂の席は、狙われてる。憂たちへの興味から、置いたままの教科書を開かれるかもしれない。その可能性に梢枝は生理的嫌悪感を覚える。


 授業開始20分後に屋上へ。その場合、自身も2時間目の授業をサボる方がスムーズだ。だが、そうすると教室の席への護衛の監視の目がなくなる事になる。


 1時間目の授業風景を思い出し、1人微笑む。


(彼に任せて大丈夫やろ……)


「千穂――おわった――!」


 忘れているのか、習慣なのか。憂の元気な声を聞き、梢枝は悲しそうに目を伏せた。


(……憂さん。それはせつないですわぁ……)


 そんな内心を表には出さず、梢枝はサイドスライドドアを開く。


「あ――!」

「気にせんで……ええですよ……」


 憂の表情が変わる前に、梢枝は笑顔で憂を迎えた。




 憂のトイレが終わると、屋上に戻った。

 梢枝と康平で車椅子は抱え上げられた。


 女性の手でも十分だ。車椅子込みでも平均的な女子中学生より軽い。以前、佳穂がお姫さま抱っこで教室から応接室まで移動したほどだ。あれから体重も多少、増加しているが肉体派の康平込み。余裕で屋上に到着した。


 彼らの位置は、ほとんど変わっていなかった。円形の空いた一角に車椅子を止め、ブレーキを掛ける。


「――ただいま!」


 憂は満面の笑顔を見せた。

 かつての5人でこうやって仲良く話せる事が嬉しくて仕方が無いのだろう。


「また教室に戻りますわぁ……」


 梢枝はそう嘘を吐き、屋上を後にした。盗聴器を車椅子後部のポケットに忍ばせて。


(危険な処までエスカレートしてもうたらお開きですえ……。出来れば今日一日……せめて午前中は、一緒におらせてあげたいんやけどねぇ……)


 20分と云う時間制限は中止した。彼ら4人に期待したのだ。彼らを信じたい気持ちは強かった。それ以上に、もう失態は犯さない。この決意が勝ったのである。




 梢枝は3F、女子トイレの個室内で便座に腰掛ける。電波の都合で、そこなのだろう。

 イヤホンを装着すると会話を捉え始めた。


『――ちょっと――めんどう――だよ?』


 ……言葉が途切れる。後の4人の言葉も聞き取れない。続く言葉を待っているのだろうと推測した。


『あとは――かわら――ない――』


 多少のノイズは混じる。それでも尚、天使の歌声のようだと梢枝は思う。

 それと同時に盗聴している罪悪感が首を(もた)げる。


『がまんも――あまり――かわらない――』


 何時になく饒舌な憂に頬が緩む。本当に嬉しいんだと想うと涙さえ浮かびそうになる。


『へぇ……変わらないんだ……』


 京之介の呟きを拾う。彼と拓真は誰から見ても紳士的だ。おかしな質問は勇太と圭佑から産まれるものと予想している。何の話だろうと首を傾げた。


『おと――けさないと――だけど――』


『音? 音姫か……。実際、使うんか……』


『――うん。つかってる――おんなの子――』


 どう言う仕組みだろうか? 拓真の言葉には反応が早い時が多い。梢枝にも解き明かせない。

 それよりも梢枝が立ち去ってから、時間は余り経っていない。その中でこの話題。トイレの話題だ。やはり、危険を感じる。憂はその危険性を微塵にも感じていないだろう。自身が特に可愛く、特別か弱い女の子である事実をあの少女は意識も理解もしていない。無防備そのものだ。


『男……興味……ないんよな?』


 圭佑の質問を拾う。



 しばらく、ノイズのみとなった後に『ない――しつこい――!』と、高い声を拾った。


『じゃあ……女に……?』


『――う、うん』


『自分が……そうだろ……?』


 また無音の時が流れる。


『体……触って……みたか?』

『ちょ……渓やん……』


 梢枝に葛藤が生じる。乱入するべきか否か。

 京之介が小さく叱責したものの、それだけだ。

 拓真も京之介も紳士的だが、健全な高校生だ。女性への興味が無い訳は無い。しかも相手は憂だ。これほどまでに聞きやすい相手は居ない。憂も、もしかすると話の流れで見せるかも知れない。触らせるかも知れない。


 ……しかし、出来る事なら邪魔はしたくない。


『それは――ない――よ?』


 葛藤は深まる。梢枝は悩み、肘を膝に立て、両手で美麗な顔を覆う。


『きょうみ――ある――けど――』


 梢枝は跳ねるように立ち上がった。憂と彼らの憩いのひと時は終了だ。


(あれから10分も経ってない……。20分の時間制限をやめて良かった……)


 決意した梢枝は個室を飛び出す。屋上に向かって駆け出す。階段を駆け上がる。


「梢枝!? どうした!?」


「もう無理やわ!」


 スマホをいじっていた驚き顔の康平の横を走り抜け、屋上に飛び出す。


「梢枝さん!?」

「びびった!」


「……申し訳ありません。聴いていました。ウチ……。ウチ……すみません……」


 頭を深く下げ、そのままイヤホンを外し、機器を見せる。


「梢枝さん……」

「憂の身辺警護……」

「……そうだった。オレ、忘れてたよ」


「梢枝さん。頭上げてくれ……。俺が止めるべきだった。つい調子に乗っちまった。嫌な役……引き受けさせて悪かった」


「拓真さん……」


「そうだよなぁ……。聞いていい事とそうじゃない事あるよな。憂……。悪かった」


「――へ?」


 状況の変化に付いていけず、頭の上に大量のクエスチョンマークを浮かべ、いつものように小首を傾げる憂なのであった。




 それからは梢枝も混じる形での話となった。

 話題は当然のように、憂たちの過去……、5人の共通点であるバスケ部時代の話になった。


「5人で……1番の……練習バカ……」


「へぇ……分かる気ぃ……しますわぁ……」


 テンポの悪い会話だったが、已むを得まい。この日のこの屋上での会話は、普段のグループでのノリの良い雑談とは違い、謂わば憂を囲む会だ。憂の置いてけぼりは本末転倒である。雑談を混じえつつ、憂との遣り取りを同時進行していくグループ内でのスタイルは封印されている。


「彼女が……居たのは……優さんだけ……?」


 憂は小首を傾げ思案する。表情は全く動かず、視線は遠くの空……。思い出そうとしているのだろう。


 ……そのまま、数分が経過する。


「――わすれた――」


 思わず、全員に苦笑いが張り付く。


「――ごめん」


 察したのだろうか? 珍しい。


「俺……居たよ? 別れたけど……」


 圭佑の吐露に拓真、勇太、京之介がうんうん頷く。


「拓真も……居たよな?」


「あぁ。すぐ……別れたが……」


 練習で忙しい。その為、すぐに別れる羽目になる。梢枝はそう理解する。

 これに対し、憂と千穂の関係は続いていた。


「千穂ちゃん……いいよなぁ……」


 圭佑の漏らした声は本音だろう。これこそが2人の関係がバスケにより壊れなかった大きな要因だ。


「バスケ好き……だもんね……」


「――いいだろ――」


 自慢げな憂に複雑な視線を送る男子4人と、優しく微笑む梢枝なのだった。




 会話はそこまで弾むことなく、2時間目の終了を迎えた。


 テンポが悪い。そのせいだ。


 彼らは2時間目の終了を()って、屋上から退去した。


 憂たちが教室に戻ると、5組はざわめいた。そこに居たのは、ほとんどが男子だった。女子の野外活動参加率は高いらしい。他のクラスの者からすれば、憂をじっくりと鑑賞する数少ないチャンスだ。

 多くの生徒が穴を空けそうなほどの熱視線を送り、ざわめきは自然に収まる。


 ざわめきの後に残ったのは、憂への熱い視線と男子4人への嫉妬の眼差し。京之介と圭佑は怯むが、拓真も勇太も我関せず。同級生相手のその視線には十分に耐性が付いている。因みに康平は『やばい奴』と密かに思われている。彼への視線はほとんどない。


 憂の席の周囲には、たった1人の生徒しか居なかった。その1人の生徒……、千穂の席に座っている独特な雰囲気を醸し出す男子。加瀬澤 凌平である。彼の座る席の周りは、憂と千穂の席が隣合っている為か自分の席を除き、何故かぽっかりと空いていた。5組の生徒以外の多くは彼の変化を知らない。横柄で偉そうな言葉遣いのキザ男のままなのだ。


 彼は憂の姿を確認すると、1つ前、佳穂の席へと移った。自身の席は他クラスの生徒が座ってしまっている。


「彼が憂さんの席を守ってくれはったんよ……」

「そうなんか……」

「助かる」

「凌平はん、おおきに!」


 康平が千晶の席……凌平の隣の席に座りながら話し掛けた。康平の席もまた他のクラスの生徒が座っていた。京之介と圭佑は並んで空いていた教卓前の席に座った。片方は健太の席だったはずだ。


「憂さんの席を(けが)す訳にはいかないからな」


 そう言い、無駄に長い前髪を掻き上げる。彼に打算があったかどうかは判らない。

 しかし、グループとの距離は確実に近づいたようである。


 肝心の憂は千穂の席に座った梢枝と談笑し、何があったか理解していない様子であったが。



 3時間目、4時間目は梢枝が即席家庭教師となり、憂に数学を教えていた。まだ授業で教わっていない範囲も含め、随分と身に付いたようである。これから先は文章題が増えてくる。数学に使われる漢字たちの勉強もしっかりと行われた。今のところ、きちんと覚えたようだ。忘れないことを祈る。



 そして、この日は定期検診。


 4時間目が修了すると、憂は梢枝たちの送りで応接室へ。

 そこで姉と合流し、病院へと向かった。姉が会社を辞めた今、島井の迎えは必要としていない。


 愛は会社都合と表記された離職票を受け取った。当面は失業給付金が待機期間無く受け取れる。多くはないが、それなりの退職金も出た。


 愛は、これが総帥の差し金だと気付かないほど愚かではない。


 しかし先立つ物は必要だ。貯蓄はあるが、憂の事を思うと不足は否めない。憂を可愛く着飾りたい欲求は抑えられない。

 そんなこんなで後ろめたさを感じつつも、今回ばかりは総帥の好意に甘えたのであった。


 これが総帥のプレゼント攻勢のきっかけになるとも知らずに。



 そして、今回の定期検診。身長は変わらず137.1cmだったが、体重は27kgを超えた。痩せた子どものように、ほっそりしていた大腿は、より女性らしいものへと変化してきている。白くきめ細やかなその御御足(おみあし)は見事な脚線美を形成している。もう少し、肉が付けば健康的な脚線となる事だろう。


 脚だけでは無い。腕にもお尻にも肉が付き、痩せぎすの印象は、ほとんど残していない。美しさを強調するのみだ。何故か胸には脂肪が集まってはいなかったが、それも一興だろう。


 GW(ゴールデンウィーク)明けには、肩にぎりぎり掛からない程度だった柔らかな淡い栗色の御髪(おぐし)は肩にしっかりと掛かっている。そろそろ鋏を入れ、整えても問題ない頃だろう。


 転入当時、既に見事に咲き誇り注目を一身に集めた魅力は、40日ほどを数え、当時のそれに更なる磨きを掛けていたのだった。





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